第15話たかつぐたたら


「入るよ、入るからね」


「ああ」


「お邪魔しますぜ」


謎の語尾で宣言、妹がドアを開ける。

入学式の翌週の土曜日、妹がやってきた。

我が部屋にやってきた。

高次多々良たかつぐ たたら

現在高校二年生。


「二年生だったよな、お前」


「そうだよ、なんでそこ、ド忘れするのよ。ふむふむ………凄い部屋だ」


「普通のアパートだぜ」


「はいお菓子。お母さんに言われて、買ってきたよ」


箱を差し出す妹。


「おうよ、ああ、お湯沸かすか。コーヒーでいい?」


この流れもさすがにワンパターンな気がしてきた。

いや、そんなことはないか。

今まで幽霊にしか茶を出したことがないのだから―――。

実家では、いや、出されたことがない。

こんなことはしなかった。

こいつに茶を用意するなど、以前の俺では考えられないが、だが、今の俺には一人暮らしを始めたという余裕がある。

大人の余裕だ。

兎に角、キッチンに行って

二人分のコーヒーのためにいつもより気持ち多めに水を入れて、やかんを置く………。

火を点ける。


「お兄ちゃん、大丈夫?普通にしてる?」


「俺は普通だよ。普通に大学に―――行ってる」

普通とはいいがたいがな。


「それだけの勉強はしたつもりだけど、なんとか入れて、普通に大学生だよ。お前に心配されることは、今のところないし」


と、言ってるうちにしどろもどろになった。

大学受験は決して楽勝ではなかったのだ。

家庭教師もついていたし、親も気が気ではなかっただろう。

不安はあった。

多くの受験生がそうであるように、俺も御多分に漏れず、最後まで不安だった。

勉強のことも、それ以外のことも。


座椅子に座る妹。

今日はお客さん扱いなので、俺が立ってやかんを掴んで、お湯を沸かす。

お客さん、と言い切れればいいのだが、俺は来客を素直に喜べない。

妹が来たというか、これは母親の差し向けた刺客なのだ。

どういうことなのかは少し考えればわかる。


「ご飯作れるの?ていうか、炊けるの」


「それくらいできないと餓死するだろ」


「料理は?」


「出来る出来る、色々やってるよ、おかずは唐揚げとか、買ってくるだけでもいいし―――」


味噌汁を作っているが、どうもまだ味噌の量、しょうゆの量が日によってばらつくので、幽霊から駄目だしされることもしばしばである。


なんだか主婦みたいだな俺、と思わないでもない。

しかし今はこれくらいしか。

大学始まった当初の授業なんて、新学期初日の中学、高校の授業と変わらない。

こういう勉強をしていきますよ、と言う紹介をするだけである。

難易度なんてない。

ノートを取ったことも、あまりない。

まあつまりは、勉学よりも料理なのである。


「買ってくるだけなの?料理は?」


「目玉焼き、卵焼き、チャーハン、なんでもござれだ」


「ふうん、すごい………卵系だね」


「今のところ卵に特化してる」


十個パックを買ってしまうと、数日以内に使い切らないといけないという強迫観念にかられるので、それなりに制限されるのだ。

一日二個ペースでも五日間か………。

ラーメンに乗せれば、いけるか。


「包丁使えるの、お兄ちゃん」


「使えなかったらきついだろうが………調理実習も乗り切れないぞ、高校でやるだろうが」


「まあ私も使えなきゃだけど」


「うん?」


「ほら、文化祭でさ、屋台とかやるから」


「ああ、そういうのも、あるのか」


母親の差し向けた刺客とは、つまりこういうことである。

生活についていろいろとチェックしていく多々良は、兄の行動を逐一観察し、母親に報告するマンとなっているのだ。

事前の会話が読める。

母親と多々良とのやり取りは、こんな感じだろう。


『うちの息子がちゃんとした生活を送れているのか、心配だわァ、でも母親の私が直接行ったら、あの子警戒してしまうかも………多々良、今度の休みの日に監視してきなさい』


『うん、わかった!でも電車代が………』


『お小遣い上げるから。お金が余ったら好きなもの買ってきていいわよォー!』


『わぁーい、やったぁ!』


十八年同じ家で暮らしてきた経験を基に、俺は母親と妹の、密接な関係を読めるのである。

太いつながり、ホットラインである。

もうさ、企業の談合とか癒着よりも、こういうの、なんとかならんかな。

プライバシーもあったもんじゃない。

法律で取り締まれねえの?

俺、いつになったら一人になれるのさ。

初江さんのこともあるし。


そう、初江さんである。妹がこの応挙荘一〇二号室にやってくるにあたり、初江ゆうめは移動できない。

ゆえに今は、クローゼットの布団の中に隠れてもらっている。

そこで妹が何気なく続ける。




「お隣さんにお菓子は持って行ったんだよね?お母さんから」


「お菓子?ああ、お隣さんに持っていくくらい………」


当然持って行った………と、思う。

あ、あれ?

待てよ。

そうだ確か母さんが電話で………そうだ、第一話の冒頭で、そんなことを言っていたような………いや、いかん、この発言はあかんわ。


「お兄ちゃん?」


妹の声掛けに耳を貸さない俺。

俺は部屋の隅に歩いていき、何気なく段ボールの中から、袋を取りあげる―――。

がさり。

甘いお菓子と、せんべいとが、綺麗な包装の中に、入っているままだった。


「お兄ちゃん………?」


「色々あって―――忘れてた」


妹は、特に表情は変えない。

だが、部屋の空気だけはだんだん悪くなる。


「待ってくれ、本当に色々あったんだよ!マジでだ、この部屋で」


「入学式の前でしょお兄ちゃん」


地響きみたいな、野太い声になったぞ、妹が。


「入学式の前にこのアパートで大学にも行かず、ニートでしょ、やるべきことは」


「いや、本当に色々あったんだって!濃かったんだよ、内容は!引っ越し段ボールの片付けだけじゃない、色んな………人と会って」


実際にあったのは人じゃないが。

くそ、なんてイージーミス………しかしまだオーケー、まだワンミスしただけだ。

畜生、うかつだった。

しかしお隣さんと言っても、右隣………左右の、片方は空き家、空き部屋だったはず。


「へえ、もう友達できたんだ」


「ああ、普通に隣の席の人とは話すよ………サークル紹介だって友達と………。ところでお前はどうなんだよ、最近なにかないのか、困ったことはよ。人の心配をする前にさ」


攻撃されるだけだと分が悪くなるので質問を返した。

妹は、きょとんとした。


「あんまり………」


妹はそういう………まあ、そうなるか。

高校二年生になったところ。

学校にも慣れ、受験生でもない、一番甘ったるい時期である。

妹は何も怖くない時期に突入していた

何も怖くない、とは言わないが、とにかく特筆して語ることもない

しかしそれは決して妹の実力が高いから、と言うことではないのだ。

増長するなよ。

色々と畳みかけようとしたそのとき、やかんがピーッと鳴りだした。

ピーッと吹く!やかんさん。


「おっと、出来上がりだ、急げ急げ」


俺はキッチンに駆け寄り、コーヒーを入れる作業に入る。

それとスティックの砂糖をいくつか用意して、お盆に乗せる。

………一人暮らしの男の家にお盆なんてあっても、そうそう使う機会はないと思うが、親は色々と渡してきたのだ。

まあ、買ってもらった。

なんか、かさ張りそうなものはいらないのに。


「おい多々良………できたぞー、あれ、どうした」


俺の方を見ていない、後頭部を見せている、妹。


「どうかしたのか」


「ええっと………いや別に」


妹は部屋の一点に注目していた。

妹がじっとりと見つめていた、それ。

火は灯されていないが、それでも微かにジャスミンの香りを漂わせる、アロマキャンドルだった。


「―――別に、何でもないよ」

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