第10話幽霊のお風呂を
「あんたが住むんなら俺の言い付けも守ってもらう。幽霊なんだから風呂は入らないでくれ」
一〇二号室に帰ってきた俺は、初江ゆうめと言い争っていた。
当の本人―――初江ゆうめだが、風呂あがりということらしい。
バスルームにはわずかに湯気が残っている。
それでパジャマに着替えている。
薄い水色だった。
それはいい―――だが、………だが。
「あんたはこれから二か月くらい―――だったか、天国に行くまで、風呂に入るな!」
「お、お願いですよ………高次さんだって同居人の清潔感がなかったら、心境は悪いでしょう」
彼女は泣きそうな顔をする。
「せいけつ?でも幽霊だろ、あんた」
「それは―――はい、そうです」
「そうだ。大体、幽霊の癖に
「………それは、ダジャレですか、まあそれは次回のマッチャニラのコントで使うとして―――」
「いいんだよもう、
「へえ、私のお風呂を覗こうと―――幽霊のを、わざわざモノ好きな………」
「そういうことを言っているんじゃない!物理的におかしいだろ!」
そこからはもう、言い争いだった。
(もちろん声のトーンを落としてお隣さんなどに聞こえないようにしたのだが)
大声を出せないなら身振り手振りだ。
俺はイタリア人のようにジェスチャーを多用して抗弁した。
幽霊なのだから体に垢がたまるなどしない、清潔なままである、とする俺の理論をひたすらスルーして、彼女は抵抗した。
抗弁した。
女子として、いや仮に女子でなかったとしても、一日以上風呂に入らないのは無理、気分が悪くなる、もううんざり、あり得ないの一点張りだった。
二か月も風呂に入らないよりは二か月飯を食わない方がいい、とまで言い切り、話は終わった。
いや、終わりはしないが。
ていうか、幽霊は飯も食わない。
とにかく話は平行線のままだった。
崇常燈も、そこそこの時間、俺たちを面白がるか、もしくはなだめていたが、そのうちに帰っていった………やはり忙しい立場らしい。
何もかもかみ合わないまま、それでも俺は、その日を終えることとなる。
引っ越したその日に、幽霊と二人暮らしをすることになるという異常事態。
話が通じる分だけましか。
いや、通じていると言いきれないが。
喧嘩、だが。
それでも、客観的に見てみれば、一歩引いてみれば、そう悪い状況でもないだろう。
幽霊とそこそこの会話ができるという時点で、俺のコミュニケーション能力は神の領域、ないし仏の域には届いているだろう。
その日、もう夜だ―――暗くなっているので俺は夕飯を食べ、初江ゆうめも野菜炒めを味見していたが、野菜は食べられるどころか皿から全く動かなかった。
ピクリともしなかった。
ちなみに味はまあまあらしい。
後は段ボールを開けて折りたたんで部屋の隅にまとめたり、家具配置を少しいじったりして時間を潰した。
これに関しては初江ゆうめも段ボールの輸送をやってくれた。
まあそんなことをしつつ、夜は布団を並べて寝たりしたのだ。
お客様用の予備の布団が、俺の部屋のクローゼット内にはある。
同年代の女子と二人で寝ることに関して、やましい気持ちはない。
うん。
俺自身も驚いたことだが―――どきどきとすることすら、なかった。
彼女には、やはり幽霊だからか、何も感じない。
風呂上がりの彼女も、そうだった。
安易な展開が許されるのは高校生までかな。
もうちょっと何かあってもいいと思わないでもないが。
彼女はやはり、女性ではないという意識が、もはや人間でもないという意識が、俺の中であった。
もちろん家で隣に妹がいるときのような、妙な居心地のぎくしゃく感はあるのだが、なにかが―――彼女には、なかった。
人間の、気配とでも言おうか。
人間なら必ず持つもの。
それが何かは言い表しづらいが、まあ脚がないので足音が一度も発生しないのは当然として。
雰囲気、というか。
今迄に出会った、クラスのどの女子よりも、なにかが―――明らかに異なった。
出来ることならば、彼女が人間でいるうちに、お近づきになりたかったぜ。
そんなことを想いながら。
今日も―――電気を消した。
暗闇が訪れる。
「なあ、初江さんよ」
「なんですか」
「もし嫌だったら、アレだ………俺は廊下で寝るけど」
「え」
「いや、だから、知らない男と同じ部屋で寝るのに抵抗があったら」
「別にいいです」
「………」
怒ってる、かな。
しかし勝手に水道代電気代が使われたのは事実………いやいや、流石にそれを中心として怒っているわけではない。
ひとこと言ってくれれば、俺も鬼じゃない―――風呂ぐらい、貸したさ。
「二人で暮らすうえで、ルールは必要だな」
「………はい」
しかしもう今日は、布団の中だ。
「それは明日また考えるとして―――どうしても、この部屋か、この部屋に住むのか」
「………」
「い、嫌ってわけじゃあないんだ。ただ、やっぱり俺まだびっくりしてる、ていうか………」
彼女について、まだ、何も知らないに等しい。
知らないは、不安。
「ごめんなさい………今日みたいに、できることは何か、手伝いますから」
初江ゆうめの声は、暗闇の中で、視覚に頼らない分、さっきよりも感情が際立った気がした。
決して強い口調ではなかった。
だが、俺は………何故だろう、勝手に不安になった。
正直言って、ここから先は失言だ。
今まで失言がなかった、とは言わないが、ここから先は、未来の俺が見たら目を覆うだろう。
「初江さん………なんで、し………」
なんで死んだのか。と言うのをすんでの
言い直す。
「幽霊に、なったんだ」
「………」
「ああ、ごめん言わなくてもいいんだ」
「死んだからですよ」
「………あ、いや」
俺は、ごまかすように笑った。
なんとか、明るい話に修正できないか、と思った。
何故俺はこんなことを言ったのだろう、話題を振ったのだろう―――と、考えれば、俺が慌てただけという話である。
ほとんど知らない女子と暗闇の中で二人、俺はその緊張に耐えきれなかった、急かされた。
俺の緊張もそうだが、彼女から見てどう思うか、心配だった。
予想がつかない。
しかし、それにしたってなんで幽霊になったのか、なんて………『あなたの死因は何ですか』とか問うのは、残酷すぎるか。
やってしまった。
くっそ、こんなんだったら無難にひたすら天気の話でもしておけばいいのに、永遠に。
「ごめん、ただ、どうしても気になるものは、気になってな。いやごめん、妹以外の女子と話すのが苦手なのかもな、そうそう、俺が童貞なのが悪いんだ、そうなんだ」
「交通事故です」
初江ゆうめの声からは、大きな感情は読み取れなかった。
「交通………」
「車です」
「………そう、か」
「おやすみなさい」
「な、なあ………天国に行く気は、ないのか。ほら、結構いいところだと思うし」
「おやすみなさい」
「………おやすみ」
すべてが空回ったまま、俺は黙り―――それでも、結局ぐっすり眠れた。
色々あって疲れたのは事実だ。
しばらく暮らすことになり、彼女が亡くなった日も知った。
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