第20話今回は自信作だよ

かくして、俺は自宅に戻る。

応挙荘一〇二号室。

一〇二号室では、色々、よくわからないことになっていた。

………うん、とりあえず見ていただこう。

その方がわかりやすいか。

俺が部屋に戻ってくると、また変なことをやっていた。

二人の幽霊が。



「ぐはあああ!」


「ゆうめ選手、右ストレートが決まったぁ!」


「ぎゃああああああああ!痛い!痛いいい!」


崇常燈は殴られたショックで、反動で部屋の中をぎゅんぎゅん飛び回る。

必要以上にぎゅんぎゅん、バンバン。

縦横無尽に。


「おのれええ、くらえ!アルティメット・マグナム・レフト・ストレート!」


激昂した崇常燈が、大ぶりの左ストレートの構えを取る。


「なめるな!今までは前座!そしてこれだ!師匠から授かった必殺のゴーストアッパー!」


初江さんは低い姿勢からアッパーカットを繰り出す。

観客にわかりやすいようにお互いがスローモーションの動きになる。

水の中のようなもたついた映像の中、崇常燈のストレートがぎりぎりのところで空を殴りつつ、初江さんのアッパーカット、用意されたグローブが下顎をとらえ、そのまま顔を天井へ向かってじわじわと押し上げ………。


「見えない角度から命中する!これが『幽霊式昇竜拳』ゴーストアッパーだ!」


「ぎゃああああッ見えないィ―――ッ!」


そんな声を上げながら崇常燈は吹っ飛ぶ。

回転する、全身で。

幽霊なら大抵マスターできるというバク宙を、三回転、四回転と繰り返した後、吹っ飛んでベッドの上にぶっ倒れる。


「カンカンカンカン!今、ウェルター級王者をぎ払ったァ!王座陥落!王者が交代した瞬間であります!」


崇常燈がのそりと立ち上がり、二人は立ち位置を調整して観客(俺)に向き直る。


「いやぁ―――凄かったですね初江選手、いかがですか今のお気持ちは」


「うす!最高サイコッす!」


なんだその口調。

なにかのプロレス選手じみた返事………誰の真似かはわからないが、変なキャラで返事した。


「勝負の決め手になったアッパーカットですが、あれについてコメントを」


「相手のストレートも強力でした………まさに『究極の銃弾』のような左ストレートでしたが………」


「でしたが………?」


「カウンターが決まってくれて良かったです。ギリギリの駆け引き………!まさに『肉を切らせて骨を断つ』というやつです!」


「肉を切らせて骨を断つ………!」


「はい!」


「しかし初江選手、幽霊なので―――肉も骨もありませんが?」


「たは―――ッ!それ言われちゃ、お手上げやわぁ―――ッ!」


両手のグローブを上げる初江選手。


「カンカンカン!試合終了ォ――――!」






二人は俺の方をおそるおそる、向く。

何かを期待する目だ。


「………っていう感じなんですけれど、どうですか」


「どうだった、アマくん!感想を書いてよ!早急に!」


どうですかと聞かれても。

一応尋ねてみるか。


「あのさぁ………、これ、何?」


「ショートコント『ボクシング』です」


「今回は自信作だよ」


胸を張る崇常燈。

………いいけどさ、俺、さっきまでシリアスな雰囲気の中、話してきたんだけどな。

結構重い、真面目な雰囲気だったと思うんだけれど。

これでいいの?

嫌じゃないけど、いくらなんでもふざけ過ぎじゃあない?

笑いを追求するのはいったい何故。


「なんで二人ともコントにこだわるの?」


「アマくん、これはね………おけとしての『矜持』なんだよ。恒例行事みたいなものだけれどね………古来より、お化けは人を驚かせるのも仕事なの、知らない?」


「そ、それで、コント?」


お化けが人を驚かせるのに、意味があったのか?


「いや、それは別にしなくてもいいんだけど」


「いいのかよ」


信じそうになったじゃないか。


「でも幽霊のことを知ってくれないと、こちらとしても不都合があるし―――脅かすのはよくあることだよね」


「幽霊を知る………あれ、規則では禁ずるって」


「一般人に完全に認知されるのがいけないの。その調整は人間じゃなくてこっちでするから、アマくんは基本、禁止」


「さいですか」


ややこしいな。要は加減の問題かよ。

そっちの都合じゃないか。


「霊界の都合だからね………それともアマくん、誰かにばらしたの?」


「お前たちが騒がしかったらばれるだろうよ、いずれ」


「一般人には聞こえないってば」


言い返しながら、不動産屋のお姉さんの件を思い出す………確かにあれは失言だった。

だが―――あれは。

口から出まかせ。

あんなもの、一般の人からすれば、冗談としか思えないだろう。

つまらないジョークの類だ。

誰も傷つかない。

それと、あのお姉さんは言いにくいことを話してくれたのだろう、俺も何か、お返ししなければならない―――と、そんな気持ちに駆られた。



「あ、やっぱり。タマゴ割れてますよ」


「えっ!」


嘘だろ!

信じられない気持ちだ、気をつけてたのに。


「自転車で運んできたんですか」


「ああ、そうだよ―――でも段差は細心の注意を払って走ってたし、くっそー、別にガクン、となったりはしなかったのにな」


「私の友達もやりました………一人暮らしならではですね。責めてるわけではありません、いや、責めてますけど、私と同じてつは踏んで欲しくないだけです」


「同じ轍なら踏んじまったよ―――遅いっての」


「他にはなにかあるかも、無駄な買い物をしないように、買うものをメモしていくとか」


それをやるのか………ううむ。

めんどくさがりの俺だからな、そこまで徹底するのは苦手である。

もうそれ、デキる主婦のテクニック、そういう料理上手な人がやるものだろうに。

俺は卵のケースを見ながら持ち上げる。

光の当て方を変えて検分する。


「うわ、本当だ」


卵の割れ目からだらりと白身が漏れている。

その多くは卵のパック内に溜まっていたので被害は少なかった。

スーパー袋の他の商品は、白身まみれではない。

六個パックの卵の………割れているのは、しかし一つだけか?


「割れているのが一つだけか、良かったー意外と少ない………」


言いかけて俺はお姉さんとのやり取りを思い出す。

カートでぶつかられて、卵を落としかけた時―――。

カゴで卵をキャッチした。


「ああッ!そうか、あの時か!」


「えっ」


初江さんと燈がびっくりして振り向く。


「何かあったんですか?」


「いや、たぶん、自転車に乗る前にヒビが入ってしまったのかも………くそう」


二人は首を傾げる。

まあ詳しく話すわけにもいくまい。

不動産のお姉さんとの会話を二人に伝えるわけにはいかない。

言いふらした、と言うほどのものではないが………そういえばあの噛み癖があるお姉さん、名前聞いていなかったな。

ううむ、男としてこういうところはいけないか。

部屋選びを担当してくれた人の名前くらい覚えて―――いや、この頃何がストーカー扱いされるかわからないご時世だからな。

人の名前を憶えすぎるのも、びっくりされるのではないか。

俺の個人的な考えだが、何でも覚えすぎている人間は、それはそれで怖いのではないか。

俺はそっとしておいてほしいぜ。

………などと、考えすぎか。


「あ、そういえばアマくん、ちょっと変更になったことがあるよ」


崇常燈が言う。

変更っていうか、変化なんだけど―――と付け足す。

何気なく言ったので、俺は大したことではないと思い、卵を持って冷蔵庫に向かった。

だから聞き耳だけ立てて、目は、視線は卵のことに注目していた。

白身は漏れたが黄身だけは無事かもしれない、などと思いつつ。


「ゆうめ、この部屋から出ることになったから」

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