第30話 未来見の白星王
一方、北の門は別名を還らずの門といい、華煌京の裏口に当たる。
この門は、死者や罪人など、二度とこの都に還ることのない者が通る門として使われていた。通るべき者がないのに門を開くと、門の外から邪鬼が入り、都に災いをもたらすと信じられていた。
還らずの門から、燎宛宮まではわずかな距離である。
麗妃が、寄ってくる兵達を斬り伏せながら燎宛宮へ侵入するのに、さほど苦労はなかった。
「……帝国の中枢部である燎宛宮が、これほど手薄とはな。皇帝軍も切羽詰ってきていると言うことか。まことこれで、皇帝が居なくなれば、帝国は崩壊しよう……」
「姫さん、後ろに」
麗妃に従っていた伽羅が、後方から追ってくる劉飛に気付いた。
「劉飛か……いつもここぞという時に現われて、私の邪魔をしてくれる」
「姫さんは先に行って。ここはあたしが」
「伽羅……」
「広陵公様の仇を討つんやろ?早よう行って!」
伽羅の言葉に頷いて、麗妃は馬を降り、燎宛宮の中へ姿を消した。
「あいつは、蓬莱の仇だからね。この伽羅様が始末をしてくれるわ」
伽羅の薄紫色の瞳が、近付いてくる劉飛の姿をしっかりと捕えた。
「羅刹、
伽羅の口から呪文が漏れ、その手が空高く掲げられた。
突然、驪驥がいななき、劉飛は危うく落馬しそうになった。
「どうした?驪驥。これは……」
劉飛は目を擦った。彼の周囲から、燎宛宮が消え、彼は荒涼とした戦場に立っていた。
体に矢や刀を刺したままの骸の山があちらこちらにある。驪驥から降りて、劉飛は辺りを見回した。
この風景は、知っている――
劉飛は記憶の糸をたぐっていった。やがてそれが、彼の郷里、黒湖村に程近い、
空を漆黒に染めるほどの烏の大群が、不快な声を上げながら彼の頭上を飛び回っていた。劉飛は、ふと、ある骸の山に目を止めた。その中に、劉飛は見覚えのある顔を見出して、恐る恐るその側に跪いた。
「……まさか……周翼……お前どうして……」
まだ幼い面影を残した、子供の周翼だった。
「ここは……六年前の……あのときの……」
確か、皇帝軍が河南城を包囲する直前の戦いで、最後の決戦地となった場所。ここが、その場所であった。
「俺は一体……?周翼?」
周翼の指が微かに動いた。
「おいっ、しっかりしろ!周翼!目を開けるんだ!」
劉飛の声が聞こえたのか、周翼が目を開いた。
「周翼……よかった。周……」
少年の顔を覗きこんだ劉飛を映したその瞳は、血の色の赤であった。その瞳が突然、邪気のこもった光を帯びて、劉飛を見据えた。
「……!」
少年の両手が劉飛の首に伸び、ものすごい力で、これを締め上げた。
「……や……めろ……しゅ……う……」
意識が遠のいていく中で、劉飛は無意識のうちに剣を手にしていた。
自分ではない別のもの意思でその手に、力が入り、劉飛の剣が宙を斬った。その刹那、目の前の周翼が砕け散るようにして消えた。
「そんな馬鹿な……あたしの術を破るなんて」
劉飛の眼前に羅刹の娘、伽羅の姿があった。
「……幻術。そういう事か……」
乱れた呼吸を整えながら、劉飛の鋭い瞳が伽羅を見据えた。伽羅は慌てて、新たな呪文を唱えようとしたが、劉飛の声がそれを遮った。
「我が
「なっ」
劉飛の呼んだ名前に絶句した伽羅の前に、金髪の羅刹娘、蓬莱の姿が現れた。
「蓬莱っ!あんた……無事やったんやね……」
「伽羅?」
突然呼ばれた蓬莱は、状況が分からず、狐につままれたような顔をしていた。
「伽羅、あんたこんなとこで、何してんのん?」
「何って、あんた」
「あー、お話中済まないんだけどね」
劉飛が二人の間に割って入った。
「蓬莱」
「はい」
「こちらのお嬢さんが、私の邪魔をしないように、ここに足止めしなさい。いいね」
「はーい。そういう事だから、伽羅。なんや知らんけど、劉飛様の邪魔はしないように」
「ちょっと、蓬莱っ。何で、こんな奴のいう事なんか聞くんや。あたしは、姫さんのお供で来てるんやで」
「それじゃ、蓬莱、この場は任せたよ」
そう言って、劉飛は剣を手に麗妃の後を追った。
「ちょっと、蓬莱。手なんか振ってる場合やないわっ。どう言うことなん?これは」
「どうって、見ての通り。あたしは、劉飛様の願い事を百八つ聞くって約束なの。それしか封魔球から解放される方法は、ないんやもん。仕方あらへんやない」
「たくっ、封魔球になんか、引っ掛かるから……」
「まー、でも劉飛様って、良い人やでー。あたしが、早く封魔球から解放されるようにって、些細な用事で使ってくれるし。それにな、こういうことになるんやって分かってたら、封魔球なんか使わへんかったのに、済まんことしたってねぇ、始めにそう言って謝ってくれたんやもん。いいお人やろ〜?」
「……呆れて、言葉もないわ……そんなこと言って、姫さん死んだら、どないすんの!?」
「大丈夫や。劉飛様って、いい人やもん」
蓬莱の明るい口調に、伽羅は気を削がれたように、その場にへたり込んでしまった。
麗妃は回廊を走りながら、雷将帝と緋燕を捜していた。警護の兵達に出会う度に、これを確実に倒していった。
途中で、甲を落とした事にも気を止めず、麗妃はただひたすら、前へ進んた。子供の頃にここに住んでいた時の記憶を辿りながら、彼女の足は、皇帝の間へと向いていた。
皇帝の間に続く扉の前に、少女が立っていた。自分の前に立ちはだかった女官姿の少女を、麗妃は眉をひそめて見た。
「お捜しのお方は、ここにはいらっしゃらないわ、楊麗妃様」
「ほう……ではお前はここで何を守っているのだ?」
「あなたをお待ちしておりましたのよ。
「……お前は」
麗妃は、自分の隠された名を呼んだ少女を怪訝そうな顔で見た。
「私は華梨。
「未来見の白星王か……」
白星王といえば、あの智司が一目置く人物だという。麗妃は少女のその静かな表情の中に、計り知れない力を感じて、その身に戦慄が走った。
麗妃の体を緑色の光が包み、封じられた力を引き出すように、麗妃が剣を握る手に力を込めた。
「お止めなさい。緑星王。ここで私達が戦ってどうなると言うの?」
「お前が皇帝を守る盾になるというなら、私は、お前を切らなくてはならない。私の望みは、ただ一つだけ。皇帝の首を取ること……あの者の命を取ることだ」
麗妃の言葉に、華梨は眉をひそめた。
……
麗妃は、何者かに操られている。
皇帝の命を奪いたいという望みは、恐らく元々、麗妃の中にあったのだろう。だが、その強い思いを利用して、その望みを果たす為に、決して後には引かない様に、躊躇して立ち止まらない様に、ただ前に進むように、そういう術を施した者がいる。
緑星王に守られている麗妃に術を掛ける。
そんなことが出来るのは――
……あなたの仕業なの?周翼……
李炎を覇王にするために、邪魔なものは、どんな手を使ってでも排除する。そういうことなのか。もう他に、手立てがないというのか。それが、智司の下した決断なのか。ならば、ここは、引くべきなのか……でも。華梨は、迷いを断つ様に、長刀を握り直した。
その瞳が閉じられると、白い光が華梨の体を包み込む。次第に大きくなっていく光に、白星王の気配を感じて、麗妃は剣を振り上げた。
華梨の瞳が開く。
その表情は、華梨でありながら、華梨のものではない。
その口元が微笑を浮かべ、振り下ろされた剣を、華梨の長刀が受け止めた。
「……いまここで、決着を付けてやっても構わないんだが、わたしは、この子の力に惚れてるんでね。厄介なお願いでも、聞いてあげてしまうんだよ」
言いしな、長刀が剣を払いのける。
「それに、ちゃんと覚醒していないお前を倒しても、何の自慢にもならないからね」
再び振り下ろされた剣を避けて、白星王が飛んだ。
見えない糸を切る様に、麗妃の頭上で長刀をひと払いする。と、麗妃の動きが止まった。その瞳に宿っていた不穏な光は、もうなかった。
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