第13話 猛虎の餌
劉飛達が天海元帥の陣に戻ったのは、十日振りのことであった。帰途は星海を連れていたので、往きよりも日数を要したが、それでも予定より三日も早く戻った少年達を、元帥は、大歓迎で迎えた。
「座ったままで済まぬな」
朗らかに言う天海だが、足に負った傷は痛々しい。
「どうなさったのです、天海様」
心配そうに言った劉飛に向かって、豪快に笑い、事もなげに流れ矢に当たったのだと白状した。
「戦場でうわさの右将軍殿をお見かけしてな。油断したわい」
「河南公の娘の、女丈夫でございますか?」
やや呆れた顔をした劉飛に、天海は顔を寄せてささやいた。
「どうしてなかなか、美しい姫だったぞ」
そう言って、少年のように笑う元帥に劉飛と周翼はお互いどういう顔をして良いのか分からずに、顔を見合わせた。
宰相からの書状に目を通した天海は、難しい顔をして黙り込んだ。
沈黙に我慢できずに、劉飛が口火を切った。
「宰相閣下は何と?」
「今年中にけりを付けよとの、仰せだ」
「……刺客騒ぎで、ご動揺なさっていらっしゃるのでしょうか」
「そればかりでもあるまいが……周翼、お前はどう思う?」
「はい。間もなく、河南では収穫の時期。今を逃せば、大公に息を付く間を与える事になります。楊桂が病床にあり、大公軍が精彩を欠く今が、好機なのは、間違いございません」
「では、次の戦で確実に仕留める策を考えねばならぬな……」
「兄ちゃん、
不意に、天幕の入り口を捲り上げて、星海が顔を出した。
「お前……元帥閣下の御前だぞ。控えろ」
劉飛に言われて、天海と目を合わせた星海は、にっこり笑って、ぺこりと頭を下げた。
「邪魔してごめんなさい」
「ごめんて……申し訳ございません、だろっ」
「劉飛、その少年は?」
二人のやり取りを聞いていた天海が、興味深げに尋ねた。
「はぁ……私の義弟で、名を星海と申します。陛下の御為に働きたいと申しまして、連れて参った次第でございますが……」
「ほう。劉飛、そなたに弟がいたとは、初耳だが……」
「色々ありまして、まあ、何ていうか……そう言うことに……」
劉飛の歯切れの悪い言い様を聞いて、天海が笑った。
「昔、
天海の視線を正面で受け止めて、星海は大きな声で答えた。
「十一か。まだ若いが見所がある。気に入ったぞ。のう、劉飛。その少年、わしに預けぬか?」
「閣下にそう言っていただけるのは有難いのですが、何分、この星海には、剣術はおろか、まだ行儀作法もろくに仕込んでございませんし……」
「なぁに、そのような事は一向に構わぬ。そなた達が、璋翔の元に参った年と、さして変わらぬではないか。剣術や行儀作法など、追々教える。取り敢えずは、わしの身辺の世話でもさせるが」
天海の意向を察して、劉飛はうやうやしく頭を下げた。
「……そういう事でございましたら、星海に異存がなければ、私は……」
遠回しな言い方をしているが、天海は星海を養子にしたい、と言っているのだ。天海には三人の姫がいたが、男児には恵まれなかったのである。璋翔が、顔を合わせる度に、劉飛達の自慢話をするものだから、天海は、かねてから、それが羨ましくて仕方がなかったのである。
「そうかそうか。星海、どうじゃ?」
「はい、ありがとうございます」
星海の元気の良い返事に、天海は満足げに頷いた。
――後刻。
河南地方を描き出した地形図を前にして、周翼の考え出した策を天海元帥と劉飛が聴いていた。
「此度の戦は、秋白湖の東岸に兵を展開させます。敵の左右両将軍は、仲が悪いと聞いております。この間隙をうまくつけば、必ずや良い結果が得られましょう」
「どうやら、叛乱軍どもは時間稼ぎをしているのか、近頃、こぜりあい程度の戦いばかりで、こちらが誘っても一向に動こうとせぬ」
「収穫期まで持ち堪えれば、戦を新年まで持ち越せるとの算段なのでしょう」
「宰相閣下もそう言っておられたが。して、周翼。その策とは?」
「はい。まず兵を三つに分け、その第一陣を左将軍、楊柊の陣営に向けます。岐山での敗戦のことがありますから、その巻き返しを図ろうと、楊柊は必ず出て参ります。そこへ第二陣を楊柊の背後に配し、前後に展開させます。敵右軍は天河を背に陣を張っておりますが、楊柊が応戦したとなれば、動かぬわけにはいきますまい。しかし第二陣によって進路が阻まれる形になりますから、天河に沿って下流に迂回し、戦場の左側より入ることになりましょう。これを第三陣にて迎え討つのでございます」
「第二陣が、楊柊の背後に回り込むには、かなり時間が掛かるんじゃないのか?あの鬼姫が、それを大人しく見てるとは思わないが……」
劉飛の感想を聞いて、周翼が続ける。
「考え方が逆なんですよ。第二陣が、楊柊の後ろに回り込むのではなくて、楊柊を第二陣の前方へ誘い込むのです。戦は、それを仕掛けるほうにとって有利な場所でするものです。戦場はこちらで選ばせてもらえばいいんですよ」
「てことは、第一陣と言うのは先鋒というより、囮と言うやつか?」
「ご賢察」
「そう、うまくいくのか?幾ら楊柊と言えども、そう馬鹿ではあるまい」
劉飛が地形図を眺めながら尋ねる。
「楊柊は猛虎ですから、まともに戦っては、大きな犠牲が出ましょう」
「そりゃ、そうだが……」
「餌に派手なものを用意すれば、必ず食い付きますよ」
そう言って、周翼は意味ありげな視線を劉飛に向けた。
「……派手なものっていうのは……まさか、俺かぁ?」
周翼の表情を見て、自分の立場に気付いた劉飛が、すっとんきょうな声を上げた。
「劉飛様率いる、少数精鋭の部隊。劉飛様は大公軍では有名人ですから」
「なるほど、それは良い餌だな」
話を聞いていた天海が、感心したふうに言う。
「てっ、天海様……ちょっと、待ってくださいよ」
「お前の、驪驥ならば、たとえ猛虎といえども追いつけまいよ」
劉飛の抵抗空しく、天海の一言で事は決まった。
翌日の決戦を控えて、陣内はたちまち慌ただしくなった。大任を与えられて、緊張した面持ちの劉飛を気遣って、周翼が話しかける。
「大丈夫ですよ。劉飛様。私もお供しますから」
「当然だ。これで高みの見物なんて言ったら、殴ってやるところだぞ」
「あなたの腕なら、楊柊に負けませんよ」
「そういうのを買いかぶりと言うんだ。全く」
そう言って、ふいに立ち上がった劉飛を、驚いた顔をして周翼が見上げた。
「どちらへ?」
「驪驥の所。あいつは、俺ほど物分かりが良くないから、よく言っとかないとな」
そのまま振り向きもせずに、劉飛は出ていった。
「大丈夫ですよ。天戦星の守護を受けているあなたが、負ける訳はないんですから……」
その後ろ姿を見送って、周翼は静かに呟いた。
翌朝、まだ霧の立ちこめる中を、皇帝軍は移動を開始した。秋白湖は別称、「果て無しの湖」という名を持つ。その言われは、湖の広さからきたというが、もう一つ、この辺りには霧が発生しやすく、視界の見通しが悪いという事からもそう呼ばれている。湖畔の東に広がる平原も、風向きによっては、湖から流れてくる霧に覆い尽くされるという事が少なくない。
僅か数十騎を従えただけの劉飛は、霧の中を周翼と並んで無言のまま駒を進めていた。
「……劉飛様」
程なく周翼が、目的地に到着した事を知らせるように劉飛の名を呼んで止まった。彼らは、平原を見渡す崖の上にいた。眼下の白い霧の海の中に、海州公の旗印を付けた軍旗がそこかしこにひしめいていた。目だった動きはなかったが、兵士の動きは整然として、あるべき戦に備えるかの様である。
「戦いの準備は、出来てるってとこだな」
劉飛が感心したように言う。
「陣中に八卦師の一人は、いるでしょうからね」
「丁度いい。奇襲で寝起きを襲うなんてのは、あまり趣味ではないからな」
「……劉飛様、趣味ではなくても、打ち合わせ通りにお願いしますよ」
「心配すんなって。俺だって命は惜しい。軍師殿のお言葉には逆らわないさ。敵に後ろを見せて逃げる、ふりな」
「今日の天気は晴天。風もない夏日。この霧も数刻の後には晴れます」
「それまでが、勝負の分れ目、か……」
「はい」
敵陣を見据える劉飛の表情が、真剣なものに変わった。劉飛は振り向くと、彼に従っている騎馬兵達に向かって呼びかけた。
「今日の戦は、敵、左軍を叩き、大公軍を天河の向こうへ押し戻す、大事な一戦だ。心を引き締めて頑張ってもらいたい」
劉飛の言葉に、兵士達が一斉に緊張した。その一つ一つの顔を一巡して、劉飛はやにわに表情を和らげて続けた。
「まぁ、そう心配すんな。俺達には優秀な軍師殿も付いていることだし、勝つよ」
劉飛の最後の一言で、兵士の間にどよめきが広がったが、それもすぐに消え、鬨の声が上がった。
「勝気は我にあり!目標は、敵、左将軍、楊柊なり。行くぞっ!者共続けっ!」
劉飛が叫んで鐙を蹴って走り出すと、兵士達も次々にそれに続いた。
「なかなか、こういう事では、劉飛様はたいした策士だな。もっとも、計算ずくでというのではないのだろうが……」
周翼は面白そうに、口許に微笑を浮かべた。一種のカリスマ性というのだろうか。実際の勝ち負けなど、終わってみなければ分からない。にもかかわらず、負け知らずの劉飛の口から出た、勝つ、という言葉には、不思議な力があった。
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