第2話 戦司と少年
その少年――
一体、何が起こったのか。
まだ十二歳の少年には、素直に目の前の光景が現実なのだと信じる事ができなかった。
「……何をしたって……親父やお袋が……何をしたっていうんだよ。こんな……こんなふうに殺されなきゃいけないようなこと……したっていうのか……」
自身に問い掛けるように、そうつぶやくうちに、劉飛の心に沸き上がってきた感情は、悲しみではなく、怒りであった。怒りと憎悪。だが、彼は泉のように沸いてくる、その感情のやり場を見つけられず、いたたまれなくなって、家を飛び出した。
辿り着いた竹林で、手にしていた剣を振り回してみても気が納まらない。こんなに激しい感情を、どうやって収めたらいいのか分からなかった。一体この怒りを、憎悪をどこに向ければいいのか。挫折感と絶望感。生まれて初めて出会った、この訳の分からない感情に支配されかかっている自分を、何とかして押し留めようと、劉飛は、ただ風になびくだけの竹に向かって、ひたすらに剣を振り下ろした。
やがて彼を襲った疲労感が、その体の自由を奪い、劉飛はその場に倒れこんだ。この時初めて、彼は自分の無力さを思い知った。何もできないという、無念さが心の中に広がって目蓋が熱くなった。
「……ちくしょう」
泣くまいとして劉飛は目を擦った。
と、その時である。ふいに、頭上で男の声がした。
「立てるか?少年」
かろうじて顔だけを声のしたほうへ向けると、見慣れない衣を纏った若者が、劉飛を覗き込んでいた。
「……」
劉飛がぼんやりとして黙ったままなのを見て、若者は跪くと、そっとその手を彼の額に押し当てて、不安そうな顔をしている少年に静かに微笑みかけた。
「お前が私を呼んだのだろう?安心しろ。私は、お前の味方だ。私はもうずっと前から、お前のことを捜していたのだから」
「……俺を捜して?」
「ああ、そうだ。お前だ。我が地上代行者、この地上の覇王となる星を持つものを、私はずっと捜していた」
「……あんた、何者だ?」
「……名と言うものは持たぬが、他の者達は私を、
若者の言葉を聞いて、劉飛は身を起こして目の前にいる人物をまじまじと見詰めた。
「……星王って、天上に住んでる神様のことだろう?師匠がよく話してくれた。
「ああ、遙か昔の話だな……」
そう言う橙星王の顔に、一瞬、影が射した。劉飛が不思議そうな面持ちで彼を見たが、橙星王はそのまま話を続けた。
「かつて、今のように、地上が混乱した時期があった。その時に混乱を収め、大陸を統一し、華煌という国を建てた覇王の名は、お前も知っておろう」
「
「そう。そして今度はお前が、覇王としてこの混乱を収めるのだ」
「……俺が?」
「ああ、そうだ。それがお前の天命なのだ」
「俺が、覇王っていうのになれば、戦いの無い世の中が来るのか?」
「そう。お前にしか出来ない。だが、その為にお前は、色々なものを失う事になる」
「でも、天命なんだろ?じゃ、なってやる。覇王にでも何でも」
「頼もしいな。私の見つけた覇王は。誰にもお前の邪魔はさせない。この私が、橙星王である私が、付いているのだからな。きっとお前を、この地上の覇王としてみせよう……」
そう言いながら橙星王の姿が、空気に溶け込むように静かに消え始めた。
「……そして、お前が覇王となりし時には、私が天上の……」
姿が消えるにしたがって、その声も風のざわめきの中に消えていった。
「……?」
急に夢から覚めたように、劉飛は数回瞬きをした。立ち上がって、落とした剣を手に拾い上げた彼の記憶の中に、すでに橙色の光を纏った星王の姿はなかった。
男が一人、日の暮れかけた川縁に立ち、空を仰いでいた。空にはまだ、数えるほどの星があるだけであったが、丁度その時、彼の眺めていた星が、橙色の流星となって消えた。
「……いよいよ嵐が、来るか。七つ目の星も地上に下りた。全く、四天皇帝様もご無体なことをなさる。本当に、この地上を滅ぼしてしまわれるおつもりなのか……」
草を踏み分ける音がして、娘の
「お父様。さっきからずっと、
困ったような顔をして訴える娘の髪を、男は撫でてやり、優しい声で静かに言った。
「
「あら、私は最初からそのつもりよ」
「良い子だ。さ、戻って、
「
「ああ、そうだよ。都へ行くんだ」
都と聞いて、無邪気に喜んだ娘を見送って、男は再び天を仰いだ。ほんの僅かの間に、数え切れないほどの星が、夜空を埋めていた。
帝国を二分するように、その北西から南東へ流れる天河は、大陸屈指の大河である。その天河へ、夜陰に紛れて、河南の岸より一艘の小船が漕ぎ出した。船頭の他に乗っているのは、商人のなりをした男と少女。それに、泣き疲れて眠ってしまった少年が一人。男は、その少年の寝顔を眺めながら、自分達の行く末に思いを馳せていた。
男の名は
五か月に及ぶ籠城。
兵士は飢え、女子供の中には、餓死する者も出始めていた。見兼ねた蒼羽は、密かに敵将
だが、河南城に入った帝国軍は、残虐な殺りく者と化した。反乱に荷担したものは皆殺し。叔柊がそう命を下していたのである。ほとんど抵抗する気力もない兵士達は、血気はやる帝国軍の前に、次々に命を落としていった。李氏一族は赤子に至るまで捕えられ、処刑を待つ身となった。
――せめて若君だけでもお救いしなければ。
娘と共に帝国軍の陣に軟禁されていた蒼羽は、陣を抜けだし、城に潜入した。そして、李家の嫡子である、
「あの御方しだい……という所か」
「お父様。星が……」
「天河というは、成程、こういうことなのだな」
その星の河を、波の誘うままに頼りなげに進んでいく小船の中で、華梨は都というまだ見ぬ地が、気の遠くなるような彼方にあるようなそんな気がして、小さく身震いをした。
河南落城のこの日、天空を駆けた七つの流星について、あるものは凶兆と言い、別のものは内乱終息の吉兆と言った。吉凶の別はともかくとして、星卦教の老師の言ったように、時代の流れが、大きな変化を前に次第に激しさを増していく方向に進んでいるのは、確かな様であった。
古いものを守ろうとする者には、生きにくい時代、新しいものを創ろうとする者には、好機の多い時代、そんな時代が始まろうとしていた。
そして、これより六年の歳月が流れ、地上に下りた七つの星は、少しずつその輝きを見せ始めることとなる。
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