第1話 七曜天流星
大陸歴二四二年という年は、戦と共にその幕を開けた。
後に、
先帝の息子であった李笙騎が、父から武力によってその位を奪い取った現皇帝、
虎伯の命を受け、叛乱鎮圧の指揮を執ったのは、弟の
帝国軍は李笙騎の居城である
帝国最大を誇る
現在、この地の行政官である、西畔
季蘭は自分の仕事がないのをこれ幸と、もともと好きであった学問に打ち込み、城に学者や博士を招いては、その講義を聞いて時を過ごした。近頃では、西域の
星見とは、占い星の異名を持つ、
「いかがですかな」
背後から、老師が穏やかな声で問い掛けた。
「……
「さよう。戦は終わりましょうが……
「しばらくは、混乱が続くと……そういう事なのでしょうか?」
「……あまり落ち着かぬ時代でこざいましょう。そう。しばらくは……」
老師が、何やら歯切れの悪そうに、そう言った。季蘭は、目を細めて占い星を見据えている老師の横顔を、注意深く観察したが、その表情はいつもと変わらぬ穏やかなものだった。
……何かが、始まろうとしているのだろうか。多分、あまり良いものではない、何かが……
季蘭の脳裏を、不安の影がよぎった。
この世の全てを見通せたら……
季蘭は時折、そんな思いに囚われる。
八卦の存在を知って、それが決して不可能な事ではないと知ってから、その思いは前にも増して強くなっていた。今も兄達は、剣を持ち戦っているのである。同じ皇帝の皇子として生まれながら、自分だけが、こんな時の止まった様な西畔で、ぼんやりとしている。そう思うと、季蘭はいたたまれなくなるのだった。
老師が退出した後も、季蘭は窓辺に腰を掛け、星を眺めていた。七つの星が、彼を誘うように瞬いている。
「姫は無事だろうか……」
季蘭は、七曜星の一つ、
次兄仲桂の一人娘、
ふいに、天光星の輝きが増し、目映いばかりの緑色の光が天空を横ぎり、地平へと流れた。
「……まさか、
北天七曜星より星が流れ出るとき、
「これは……」
天光星に続いて他の六星も、次々に輝きを増し、その光は天を流れた。季蘭は流星の消えた地平を呆然と眺めていた。伝説通りの解釈をすれば、七人の星王が地上に下りたという事になる。
「覇王が七人現われるという訳でもないだろうに……一体……」
……あまり落ち着かぬ時代でこざいましょう。そう。しばらくは……
季蘭の耳に、老師の声が蘇ってきた。
「落ち着かぬ時代……乱世ということか……」
「また、星を見ておいでですの?季蘭様」
彼のよく知っている、明るい声が一瞬にしてその暗い表情を吹き飛ばした。振り向いた季蘭は、笑顔で訪問者を迎えた。
「茗香。いつ、こちらへ?」
「たった今、着いたところです。河南から、馬を飛ばして参りましたの。河南は落ちましたわ。一刻も早くお知らせしたくって、飛んで参りました」
真紅の鎧に身を包んだままの茗香は、無邪気な様子でそう言った。
「初陣のご勝利、おめでとうございます」
「ありがとう。季蘭様に言って頂けると、嬉しさも増しますわ。これで、以前のお約束、果たしていただけますね」
「……やく……そく?……と言うのは……ええと……」
「あら、お忘れですの?戦に勝ったら、私を西畔の十将に加えて下さる。と、そうおっしゃいましたわ」
言われれば、そんな約束をしたような気もする。季蘭は彼を見詰める茗香の瞳から逃れて、視線を外すと、力なく椅子に座りこんた。
西畔の十将とは、季蘭が西畔領官となってから、度々催した武芸大会で、武芸に秀でたものを身分の上下なく集めた、選り抜きの私兵団のことである。自身は体が弱く、まともに剣も扱えないのだが、そのせいか、季蘭は強いもの、力のあるものが好きだった。だから、彼の配下には武芸の達人達が揃っていて、都の帝国軍の正規兵にも引けを取らないつわもの揃いであると、専らの評判だった。
「私、その為に、一生懸命頑張りましたのよ。本当に強くなければ、十将にはなれないとおっしゃったでしょう?」
季蘭は心の中で、迂かつな事を言った自分に溜め息をついた。考えたくはなかったが、茗香が剣を持ち、武人としての道を選んだのは、その為だったのだろうか。だとしたら……季蘭は真紅の鎧が、妙に似合ってしまう茗香を見据えたまま、考え込んでしまった。
「季蘭様?私は、まだ十将には、ふさわしくありません?」
「……姫は、強いですよ。そう、まるで、
「麗妃……そのお名前、気に入りましたわ」
「では、茗香。今日から、あなたを麗妃様と、そうお呼びしましょう」
茗香はにっこり笑って頷いた。
麗妃――と、実際そう呼ばれる度に、この小さな姫は強く、そして美しくなっていった。彼がこの時、姫に与えたこの名前が、後に、彼女に大きな十字架を負わせてしまう事になるのだが、ほんの少し星見をかじっただけの少年には、そんな事まで見通せようはずもなかった。
河南城陥落――
その混乱の中で帝国軍は叛乱軍の残党狩りと称して、近隣の村々を焼き、人々を殺し、略奪を行なった。傾きかけた皇帝の権威を取り戻さんが為の、力の誇示であったのだろう。だが、この事が帝国の終焉の序幕を開ける事になった。この事件より、三十年を待たずして、華煌という名の帝国は、地上よりその姿を消すのである。
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