第21話 橙色の守護者
偵察に行っていた、いま一人の部下が戻ってきた様である。慌てた様子で入ってきた男は、劉飛の軍が動き出したという知らせをもたらした。
「村の西北の入り口に配されておりました兵達が村に入り込み、家々に火を放っております。村は混乱状態で、こちらにも、程なく兵が来るかと思われます。早くお逃げに……」
「今更、どこへ逃げよと言うのだ……」
蒼炎とその部下のやりとりを聞いていた周翼は、自分が何を聞いたのか一瞬とまどい、次の瞬間に、あの八卦師の顔を思い浮かべた。まさか劉飛様は、あの男の言を、お聞き入れになったというのか。
「ばかな……」
「周翼……周翼!」
「はい」
蒼炎に呼ばれて、周翼は我に返り動揺を心の奥に追い遣って、蒼炎の方へ向き直った。
「お前は劉飛殿の所へ戻れ」
「燎羽様はどうなさるのです」
「かつて父が亡くなるときに、人にはそれぞれ持って生まれた天命があるのだと言っていた。天命が尽きれば人は死ぬ。ただ、それだけのことなのだと」
「天命だなんて、そんなの、言い訳じゃないですか」
彼を睨みつけて反論する周翼を、なだめる様にして蒼炎は続けた。
「聞け、周翼。太后は、劉飛殿の事をあまり快く思っていない。彼が私を庇うとなれば、彼もまた燎宛宮にいられないようになる」
「しかし、劉飛様は陛下の……」
「燎宛宮にとって益になるかどうかは、陛下ではなく太后の決めることだ。今、この帝国の全ての決定権は、あの太后が握っているのだからね。劉飛殿は政治には疎いようだ。正直で正義感にあふれ、真っ直ぐで闇のものには無縁のお人だ。だからこそ、お前が付いていて差し上げなくては……剣を捧げた主を、命に代えても守るのが武人の務め。お前の剣は、劉飛殿を守る為のものだろう。早く、劉飛殿の許へ戻れ」
そう言ったものの、蒼炎はやはり周翼と別れがたい様子で、黙ったまま彼を見上げている周翼から顔を反らした。しかし、周翼はその場から立ち去るどころか、動く素振りさえも見せない。仕方なく、蒼炎は少しきつい口調で、再度、周翼を促した。
「周翼、間違えるな。お前は、私の臣下ではないのだぞ」
「……確かに、この剣は劉飛様をお守りする為のものです。でも、だからといって、私があなたをここへ残していける訳がないでしょう……死ぬとわかっていて……忠義だとか義理だとか、そういう問題ではありません」
周翼の言に、蒼炎は口元に笑みを浮かべた。
「損な性分だな。お前は昔からそうだった。見返りなど、何も求めず何も考えず、困っている者に手を差し伸べずにはいられない。あまり長生き出来ぬぞ、そういう事では」
「……恐れ入ります」
「此度の事は、私の宿業が成せし事。お前を巻き込むべきではないのだろうが……それに、私と関わっては、もう、劉飛殿の許へ戻れぬかも知れないぞ」
「大丈夫です。必ず戻ると約束して参りましたから」
「……そうか。で、脱出の方法は?どこへ逃げる?」
「河南へ。天河を渡ります。河南は李家の、燎羽様のご領地なのですから。私たちは、河南へ帰るのです」
はっきりとした口調でそう言った周翼に、蒼炎は心強いものを感じて強く頷いた。
村の異変にいち早く気付いたのは、緋燕であった。
隊長の劉飛が何の命令も出していないのに、兵が勝手に動いているのである。
「これは、これは。面白い事になってきた。人形の糸を操っているのは誰だろう」
独り言を言いながら、自分の近くを何かが通り抜けていった気配を感じて、緋燕はその気配のあった方へ意識を集中した。
「あれは……闇師。成る程。黒幕は噂の広陵公か。また何を企んでいるのやら」
軽く鼻を鳴らして、馬に飛び乗ると、緋燕は闇師の後を追った。
劉飛は天河の岸辺に座り込んで、ものすごい速さで流れていく水を、ただ、ぼんやりと眺めていた。腕に自信のある劉飛は、今まで護衛の兵を付けたことがない。いつも、周翼がそばにいたし、二人でいれば護衛など必要なかったからである。だが、今は周翼がいない。落ち着かない気分が、劉飛を支配していた。
「おい、そこの。木の上に隠れている奴。さっさと出てきたらどうだ。何の用かは知らないが……」
そう言って、手にしていた小石を河へ放り込み、劉飛は立ち上がって振り向いた。そこに、見覚えのある男が立っていた。
「なんだ、お前か」
闇師の破が剣を手に、劉飛を見据えていた。劉飛は大して驚きもせず、状況を把握した。
「弟達の仇をとりに来た。お相手願おうか。劉飛殿」
「死んだ者の為に、あたら命を捨てる事もないだろうに」
「剣を持つ者としての、
「ま、いいでしょう。そこまで言うのなら、お相手しますよ」
劉飛が剣を抜いた。向かい合って、お互い相手の隙を伺う。初めにその静寂を破ったのは、闇師のほうだった。闇師の振り下ろした剣と劉飛の剣とが交わる鋭い音が、あたりに響き渡った。
最初の数合で、相手の腕の程を知った劉飛は何時の間にか、真剣な表情になっていた。もしかしたら、こいつは周翼と同格かも知れない。剣を交えながら、劉飛は思った。そのすざまじいまでの気迫は、すでに劉飛を上回っている。破の繰り出す剣は、それを跳ね返されると、次の瞬間にはもう劉飛の剣と火花を散らしていた。劉飛ほどの剣豪が、相手の剣を受け止めることしかできない。
「まさかとは思ったが、これ程まで……」
破は、あまりにも劉飛の手応えがないことに驚かされていた。
劉飛を討つならば、あの黒髪の少年を彼から引き離す事。
楊蘭の言った言葉を、訝しく思いながらも、周翼が劉飛のもとを離れる様に、策をめぐらしたのは彼自身であった。そして、先日会ったときとは比べものにならない程、今の劉飛には覇気というものがない。
「どうやら、調子が悪いようだな。貴様の弱点が、あの周翼とかいう少年だったとは意外だったが」
「……?……どういう事だ」
言われるまでもなく、劉飛自身もいつもと様子の違う自分に気付いていた。長年使い慣れた剣が重く感じるのだ。思うように体が動いていない。だが、そう思いながらも、劉飛にはどうしていいのか分からなかった。ただ、彼に襲い掛かってくる剣先を、かわす事しかできない。
「貴様の運もこれまでということだ」
破が薄笑いを浮かべて、剣を前に突き出した。
その剣は鎧を突き抜け、劉飛の胸へ食い込んだ。
瞬間、二人の動きが止まる。
破が剣を勢いよく引き抜くと、劉飛はよろめいて倒れかかり、片膝を付いてしまった。辛うじて剣でその体を支えたが、もうそれ以上動く事は出来ない様だった。
……死ぬんだろうか……俺は……
そう思いながら、劉飛は周翼の顔を思い浮かべた。
「……」
唇がその名前を呼ぶように微かに動いたが、声にはならなかった。彼の口から声の代わりに出てきたものは、生暖かい血であった。
「あっけない幕切れだったな。待っていろ、今、とどめをさしてやる」
破の声が頭上で聞こえた。それに反応して、顔だけを僅かに上げることのできた劉飛だったが、破の剣をかわす事はもはや出来ない。
目の前に迫る剣が見えた。
死にたくない。
とっさに劉飛はそう思った。
……周翼!……
心の中で、劉飛がその名を叫んだ時、何かがそれに呼応して、弾け飛んだような感覚があった。
その瞬間、劉飛の身体が橙色の光に包まれた。その出来事に、破の剣が止まった。
「これは一体」
少年が、ゆっくりとその光の中で立ち上がった。慌てて剣を取り直した破であったが、劉飛の圧倒的な威圧感に、その場を動く事が出来なかった。
「貴様……何者……」
破が掠れた声で言った。劉飛にして劉飛にあらず。別の人格が憑依したかのように、破を見据える少年の顔は、いままでのものとはまるで違う。金縛りに会ったように、ただ立ちすくむばかりの破をあざ笑うようにして、劉飛が剣を振った。そして、破は地面に倒れた。少年が、口元を僅かに上げておもむろに言った。
「我は
「……は……おう。ふっ、そういう……こと……か」
何かを悟ったように、そう呟くと、破は静かに目を閉じた。
目の前の男にすでに息のないことを知ると、橙星王は黙って剣を納めた。劉飛の負った傷から、血が流れ出しているのを無表情に見ると、そこに神経を集中させる。すると少しずつ傷口が塞がって血が止まった。
「……!」
突然、橙星王は圧迫感を感じて、その場に膝を付いた。自分を再び劉飛の中へ封じ込めようとしている力に気付いて、いまいましそうに呟く。
「この私の力を、そういつまでも、封じていられると思うのか……
その力に抵抗するように、橙星王は、よろめきながらも立ち上がった。だが、数歩前へ歩いたところで、そのまま地面に倒れ込んだ。
……あれが、
先刻から、少し離れた場所で破と劉飛の死闘を見物していた緋燕は、倒れたまま動かなくなった劉飛を遠目に眺めながら、しばし考え込んだ。
「……それにしても、広陵公。何も分からぬ人間風情が、よくもまあここまでかき回してくれるわ」
緋燕は馬から降り、劉飛の許へ歩み寄った。
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