第26話 天界の異変

 蒼炎の返事の結果、変わったことと言えば、城の中を自由に歩き回れる様になった事である。当然のことながら、護衛という名の監視付ではあったが……


 周翼に護衛として付いたのは、伽羅であった。が、数日間付きまとわれて、そのかしましさに、周翼は、ほとほと閉口していた。一人で静かに考え事をしたい。そう考えた周翼は、この銀髪のお目付役をまくことを思い立った。この城の事はよく知っている。抜け穴や隠し扉の類は子供の頃、よく燎羽と共に探険して歩いて、大体把握していた。


 二階の回廊の、柱の一つに、地下へ通じる抜け穴がある。周翼は伽羅をまいてそこへ入り込んだ。だが、出口を抜けて、期待を裏切る明るい陽光が彼を照らし出したとき、周翼は自分の記憶の曖昧さを呪った。

 周翼は城の東側の小さな庭園にいた。そしてその庭園の泉の側に、男装して剣を手にした麗妃が立っていた。麗妃は神経を集中して、剣技の型を取っている。先日の黒衣の麗妃とは対照的に、戦の女神さながらの、華麗で揺るぎない強さを感じさせる。その美しさは、見るものを圧倒する。周翼は、しばし、その姿に見入っていた。人の気配を感じ取って、麗妃が振り向いた。


「周翼殿」

 麗妃は、突然現われた少年に少し驚いた顔をした。だがすぐに、何かを思い出したように笑った。

「あなたには、いつも驚かされるわね」


……いつも?……


 麗妃の言葉に、周翼の心がざわめく。

智司ちし藍星王らんせいおう様、とお呼びしても構わないのかしら」

 麗妃は艶のある唇の端を少し上げて、周翼の反応を伺った。


「……やはり、記憶が戻っているんですね、あの時の。困りましたね。藍星王の封印は解かれてしまったんですか。地司ちし緑星王りょくせいおう

 麗妃の体が、淡い緑の光を帯びる。姿かたちは麗妃であるが、もはやその表情は別人のものだ。

「封印は残っているわよ。ただ、少し弱くなっている様だけど。六年前の事を思い出したのも、きっとそのせいね」

 六年前、周翼は燎羽の消息を探して、この河南城に潜入した。

 藍星王が、周翼にそんな無謀な事を許したのも、この地に緑星王の気配を感じたからだ。そして、星王として覚醒しない様に、その力を麗妃の中に封じたのだ。


「はぁ……自覚はないんですね。封印が弱まったのではなくて、あなたの星王としての力が強くなっているんですよ。橙星王とうせいおうにしろ、あなたにしろ……ご自分の力を押えるという事をなさらない。困ったものですね……」

 周翼の中の藍星王が応じる。

「あら、私は分からず屋の橙星王とは違うわ。この私も、そして麗妃も、この力を解放して使おうなんて事は考えていないから、安心していいわ。覇王というものにも、興味はないし……智司のあなたが待てというのなら、たぶんそれが一番良い方法なのでしょうし……」

 緑星王の問いに頷きはしたものの、実のところ藍星王には、これからどうすべきなのか、まだ分かっていなかった。

 ただ、これ以上の時間稼ぎは難しいということだけが、確かな様であった。元より、藍星王一人で、他の六人の星王の力を、封じ続けることなど、到底出来はしないのだ。



 古の時より、この地は星王の力を得、その地上代行者として認められた覇王が治めることになっている。覇王を守護する星王は、四天皇帝してんこうていの位につき天上界を支配する。――それが、天の理である。


 この帝国の始皇帝、燎牙りょうがもその力を得た者であった。それ以降、覇王の血を受けた者の中から後継者が選ばれ、四天皇帝が皇帝の印を授けるという儀式を経て、帝位を継いできた。そうして、華煌という帝国の歴史が続いてきたのだ。


 だが、李燎牙を覇王にした星王、光司こうし黄星王こうせいおうが四天皇帝となってから、地上では、帝位の奪い合いによる争いが絶えることがなく、混乱が続いた。また、四天皇帝が病と称して、その妃、月光姫げっこうきの宮に引き篭もり、政務が滞ることもしばしばで、そんな四天皇帝の力量に、他の星王から疑問の声が上がり始めていた。


 光司は、星王としては優秀であったが、四天皇帝の責務は、その身には重かった様だ。病を患っているというのならば、その位を退くのが筋であろう。新たな覇王を選び直し、新たな星王が、四天皇帝になるべきではないのか。そんな声が出ていた。


 その矢先のことである。

 天上界に、大きな異変が起こった。


 ただ、藍星王達には、それが何だったのか、未だに分からない。気が付いたときには、何か大きな力に捕えられ、自由を奪われていた。そして、長い眠りの時が彼らを待っていたのである。

 それから、どのくらいの時が経ったのか。目覚めた時には、すでにこの地上に落とされていた。初めは、覇王を選ぶ為に、降臨させられたのかと思った。だが、七人の星王が全員地上に降りている事に気付いて、藍星王は、事態の深刻さに気付いた。


 星王の力は、強大なものである。彼らがまともにぶつかり合えば、この地上は確実に崩壊する。覇王を選ぶ過程で、星王同士が相争うことだけは、避けなければならなかった。藍星王が、他の星王の力を、その地上代行者達の中に封じ込めてしまったのは、そういう訳だった。

 だが、現実問題として、七人のうちの誰かが覇王を擁し、新たな四天皇帝とならねば、彼らが天上界に戻る事は出来ない。星王が地上に降りてしまった以上、もはや華煌は滅びる定めにあるのだ。

 だが、誰を覇王にするのか……という、この厄介な問題は、簡単には解決出来そうになかった。



「一つお聞きしたかったんですが」

 今度は、周翼が尋ねた。

「あなたが、燎羽様を帝位に即けようとするのは、何故です。紫星王の守護を受ける覇王候補だから……ですか?」

 すると、緑の光が麗妃の中に吸い込まれるようにして消え、麗妃自身の声がそれに応じた。

「そうね。それもあるけど……本来は、優慶ではなく、李炎が次の皇帝候補だったのでしょう?光華帝こうかていの御世は、まだ終るはずではなかった。その為に、天界てんかい四方将軍しほうしょうぐんの一人が下向して、その準備を進めていた。それが、光華帝の急の崩御で、優慶が皇帝の印を受けることになり、それをまた、何を思ったか、四天皇帝殿がお認めになってしまった。それが、更なる混乱の種になったのは、自明の事。幸い、紫星王が李炎の守護者となったのだし、ならば、本道に戻すのが、筋、なのではなくて?」

「多分、それが正論なんでしょうね」

「藍星王じゃなくて、周翼が納得しないといったところかしら?」

 周翼の表情を見て麗妃が言った。

「燎羽様にしても、劉飛様にしても、同じように真剣に、この帝国の未来を考えているんです。なのにどうして、争わなくてはならないのか……」

「……」

 吐き出すようにそう言った周翼に、麗妃は言葉を返す事が出来なかった。

 星王の守護を受け、覇王候補として歩き出したときから、星王の示す道はどんなに険しくても、進まねばならないものであった。盟約によって、大きな力を得たのと引き換えに、彼らには、もう他の道を行くことは許されないのだ。




 周翼と別れ、自室へ戻った麗妃は、部屋へ入ろうとし、扉に手を掛けたところで、誰かに呼ばれたような気がして、その手を止めた。

「……なに?」

 何か落ち着かない気持ちが彼女を支配した。

「……気のせいか。いや……」

 一瞬聞こえた声は、楊蘭のものではなかったか……そう感じた麗妃は、妙な胸騒ぎを覚えて足早に楊蘭の部屋へ向かった。

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