第18話 反乱の貴公子

 夕都ゆうとは天河の河口近くの、海州地方側の小都市である。


 かつては、ここから対岸の海城かいじょうへ河を渡る、渡し船が往来していたが、現在では、天河に船を出すことは禁じられている。三大公の乱以降、海城のある河南地方へは、何人も渡ることが出来なかった。



 劉飛達が夕都に入ったのは、陽が落ちてあたりが暗くなり始めた頃であった。

 数刻前から、南西の風が次第にその強さを増しており、風に運ばれてきた雨雲が、少しずつ厚く空一面を覆い始めていた。やがて、雷を伴って、激しい豪雨が地上を襲い、嵐になった。このため、劉飛達は、宿に足止めをくらい、翌朝まで動くことが出来なかった。無論、蒼炎の消息を捜す事も出来なかった。


 翌日、早朝に、緋燕が劉飛の部屋を訪れた。片手に、占術師の持つ水晶球を抱え、足音も立てずに静かに部屋に入ってきた男を見て、劉飛は目に見えて不機嫌そうな顔をした。


 昨晩より、幾分か納まったというものの、外はまだ嵐であり、その事も劉飛の気分に影響を与えていたのかも知れない。

「何事だ。こんな朝っぱらから」

 どうも言葉の節々に刺があるような言い方になってしまうのは、彼の個人的な感情と、それを覆い隠すことの出来ない若さのせいである。現実主義者である劉飛にとって、緋燕のような八卦師は、信用するに値する存在ではなかったのである。故に、緋燕に対して、どうしても好意的に応対するという訳には行かない様だった。


「早朝に、誠に申し訳ございませんが……」

 緋燕は、劉飛の様子など気にも止めずに、形式的な前置きをすると、さっさと本題に入った。

「蒼炎殿の件でございますが……」

「何かわかったのか?」

「はい。先刻、この夕都を発ち、天河に沿って西へ向かっている由にございます」

「この嵐の中をか?」

「嵐ゆえ、逃げる側にとっては、好都合にございましょう。追う者の足の鈍いうちに」

「しかし、昨日から思っていたんだが、何故、お前に蒼炎殿の行動が、そう手に取るように分かるのだ?おかしいではないか。……内通者がいるとも思えぬが」

 劉飛の率直な問い掛けに、緋燕は軽く笑った。

「天空の七星、北天七曜星の動きを読み、未来を予測するのが、我等、八卦師の務めにございます」

「八卦師か……まさに予言者といったところだな。宰相閣下は、お前にかなりの信用を置いておられた様だが、この俺は何を根拠に、お前を信じれば良い?」

「私の出しました結果を、あなた様の、その目で確かめていただく他には……」

「まず、信じろということか」

「はい」

 緋燕の挑むような鋭い瞳に、劉飛は圧倒された。何か得たいの知れない感覚が、劉飛を押し包む。心にわずかな恐さすら感じる。その動揺を押し隠すように、軽く咳払いをして、劉飛は言った。

「……いいだろう。その自信の程、気に入った。すぐに出発する。馬の用意を」

「直ちに」

 答えて、緋燕は部屋から出ていった。




 何時の間にか雨はやみ、鳥のさえずりが耳につき始めた。馬を飛ばして蒼炎の後を追っている劉飛は、そんなことにはまるで気付かないようであった。後ろに続いているはずの部下達が、彼の速さについていけずに、次第に脱落していっているのにも気付かない程、ただ無心に馬を飛ばしていた。


 心の中に、何か漠然とした不安がある。

 予感といってもいいかも知れない。

 何か良くない事が起こる――


 そんな予感を、どうしても消すことが出来ない。そんな自分の心の弱さを振り落とす様に、劉飛は無心に馬を飛ばした。


「劉飛様っ!」

 後方を振り返って隊が乱れているのに気付いた周翼が、劉飛の馬を止めようとしたが、周翼が後方に気を取られた僅かの間に、二人の距離が離れてしまい、周翼の声は劉飛に届かなかった。

「……全く、どうなさったんだ。劉飛様は」

 周翼は劉飛に追い付こうと、あぶみを激しく蹴って、馬の速さを上げた。


 劉飛の愛馬、驪驥りきは北方産の天翔馬てんしょうばといわれる種であったが、天を翔ける如く早く走る馬というその名の通り、普通の馬の、数倍の距離を一日に走ることが出来るという名馬であった。


 天翔馬はかつて始皇帝に滅ぼされた、騎馬民族、天翔族が飼育していたものが華煌に伝わったものである。この馬は元々、あまり子を産まぬ種で、天翔族の馬師と呼ばれる人々にのみ、その交配法が一子相伝によって伝えられていた。

 始皇帝は天翔馬を得るために、この民を滅ぼしてしまったが、それは同時に、天翔馬をも絶滅に追い込むことになったのである。現在では、帝国全土でも、恐らく十数頭しかいないといわれる天翔馬であるが、驪驥はその数少ないうちの一頭であった。


「劉飛様っ!」

 ようやく劉飛に追い付いた周翼が息を切らせながら、声をかけた。

「後方の者が、付いて来ていません。少し休んで待った方がよろしいのでは……」

 周翼の呼び掛けに応じて、手綱を引くと劉飛は馬首を返して後ろを見た。すぐ後ろに従っていたのは、周翼を含め、二十騎程であったから、百騎以上が落伍した事になる。


「もう少し、多いと思っていたが……」

 そこにいる、武人達の顔を確認しながら、劉飛はその中に緋燕がいるのを見つけた。

「天翔馬を基準に考えられては困りますよ」

 劉飛と目の合った緋燕が、苦笑してそう言った。


 その時である。

 劉飛の傍らにいた武将が、短い呻き声を発して落馬した。その男の首に矢が刺さっているのを瞬時に見て取った劉飛は、反射的に天河の堤を見た。

 雨上がりに発生した霧が視界を遮っていたが、劉飛はその霧の向こうに、数十騎の騎兵を確認できた。そして目を凝らした劉飛の瞳に、見覚えのある顔が映った。

「蒼炎殿……」


 雨に濡れた髪が、まだ乾ききっておらず、それをうっとうしげにかきあげた少年は、自分を追ってきた者が誰であるかを知って、いささかうんざりしたような顔をした。


「異なところでお目に掛かりますな、劉飛殿。秋白湖へお出掛けと聞いておりましたが……道にでもお迷いなさったか」

 明らかに劉飛を挑発しているような、蒼炎の言葉を劉飛はそのまま聞き流した。普段の劉飛ならば、ここでとっくに剣を抜いているところだったが、蒼炎のあまりの変わり様に呆気にとられていたのである。


 蒼炎といえば、親の七光で近衛の隊長になったのだと、陰で中傷する者もいたが、その実力は決して肩書に劣るものではないという事を、劉飛は知っていた。

 また、実用性よりも、華やかさを重んじている風のある近衛の隊服を、すっきりと着こなす蒼炎は、いつでも宮廷の女達の、注目の的であった。劉飛などと違って社交性もあり、如才ない若者で、多くの貴族の娘達が、彼のために溜め息を漏らしているとも聞く。宮廷一の実力者、蒼羽の息子であり、当代きっての貴公子。劉飛の持つ蒼炎の印象とは、そういうものだった。


 だが、どこか疲れた様な風でありながら、目の前にいる少年の瞳は、もはや優しい貴公子のそれではなく、不敵な輝きを持つ鋭いものだった。その瞳に宿る光の持つ意味を、劉飛はよく知っていた。野心という名の、魔物の放つ輝きである。


「……異でもなんでもないさ。俺はお前さんを追っ掛けてきたんだからな」

「そうですか。しかし私は、追い掛けっこはあまり好きではないのでね。このままあなたが、ここから去ればよし。さもなくば、力ずくで……という事になりますが。お見受けしたところ、そちらは二十騎足らず。我が方は百騎余り。利口な選択をしていただきたいものですね」

「数が多けりゃいいってもんじゃないだろう。俺の部下は、一騎当千のつわもの揃いだ。利口な選択をするのは、お前さんの方だよ。素直に降伏すればよし、それが嫌なら斬って捨てる」

 劉飛の台詞を聞いた蒼炎は、わずかに顔を歪め、先刻からずっと自分を見詰めている周翼に気付きながらも、これと一度も目を合わせずに静かに剣を抜いた。それが合図となって、蒼炎の兵が劉飛達に襲い掛かった。


 蒼炎に従っていたのは、そのほとんどが近衛の兵であったが、少数とはいえ、戦場で幾度も修羅場をくぐり抜けてきた劉飛の兵を相手にするには、いささか力不足であった。

 両者の兵の数は、少しずつその差が縮まり始めていた。劉飛の言ったように、質的な面から見ると、劉飛のほうが優勢であったのだ。蒼炎の兵に取り囲まれながらも、劉飛の兵はその数をほとんど減らしていなかった。元来は攻撃型の劉飛が今は守りに回っていたが、その剣の冴えは、いつもと全く変わる事はなかった。


 周翼は混戦状態の中を、蒼炎の姿を捜した。何故、あの燎羽様が……心の中で彼に対して剣を向けなければならない理由を考える度に、何かが引っ掛かっていた。

――会わなくてはならない。燎羽様に。

 周翼が都を発ってから、燎宛宮で一体何があったのか。それを聞かなくては。そんな思いを胸に、周翼は蒼炎を追ってきたのである。



 蒼炎は早々に混戦の中から抜け出して、川岸近くまで退いていた。

「たかだか二十騎に手間取るな。やはり、劉飛殿を、少し甘く見すぎたかな」

 他人事のように戦いの様子を眺めていた蒼炎のもとへ、彼の部下が馬を走らせてきた。

「蒼炎様。夕都の方角より、百数十騎の兵が参ります」

「劉飛殿の援軍か?」

「恐らくは」

「……」

「蒼炎様、ここは我等で食い止めます。どうかお逃げ下さい」

 部下の言葉を聞いて、蒼炎は顔を曇らせた。

「……私に、お前達を見捨てていけというのか?」

「蒼炎様あっての我々にございます。蒼炎様がいらっしゃらなければ、我等はただの烏合の衆にすぎません。生き延びてください。我々が命をかけて守るものが、正当な評価を受けるためにも、こんなところで死んではなりません」

「……わかった。この先の、湖北村こほくそんで待つ。必ず、追い付いて参れ」

「はっ。どうか、ご無事で」

 蒼炎は数名の部下を連れて、豪雨で水位が増し恐ろしい音をたてて流れていく天河の川岸に沿って馬を走らせた。


 部下達が後から追い付いてくれるように祈りながら湖北村に向かった蒼炎であったが、勢いを増す劉飛の剣と向かい合って後、蒼炎と再会することの出来た者はいなかった。

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