第6話 羅刹(らせつ)を釣り上げる

 術で飛ばされた伽羅からを追って、蓬莱ほうらいが姿を現わしたのは、侍女達の詰めている部屋の続き部屋であった。


「伽羅ったら!しっかりしいや。もう……早う目ぇ覚まして」

 その時である。隣室の物音に気付いて、様子を見に来た侍女が、部屋の中にたたずんでいた蓬莱の姿を見つけて、城じゅうに響き渡るような声を上げた。

「たくっ、なんて声出しとんのや」

 蓬莱は、まだ意識の戻らない伽羅を慌てて抱き上げると、窓から身を踊らせて飛んだ。だがその時、宙を舞った蓬莱の体を金色の月光が包み込んだ。


 丁度、月食を終えた月が、再び姿を現わし始めたところだった。


 月の光をまともに受けて、体勢を崩した蓬莱は、伽羅を抱いたまま、まっさかさまに落下した。

 無我夢中で、蓬莱は自分でも何をしたのか分からなかったが、気が付くと、片手で伽羅を支えなから、もう一方の手で、しっかりと綱を掴んでいた。

「なんや知らんけど……助かったわ」

 蓬莱が溜息をついて、ふと、頭上……その綱の先を見上げると、にこにこと満面の笑みを浮かべて、窓から身を乗り出している若者と目が合った。



「これは、珍しいものが掛かったな」

 先刻、塔の上から見掛けた若者、劉飛である。

「上がってこれるかい?それとも、引っ張り上げてほしい?」

 上に行くということは、つまり、捕まる事を意味する。

「……冗談やないわ」

 蓬莱は、このまま飛び降りてしまおうと、下を見た。だが、月光を浴びて妖力の弱まっている今の自分には、ちょっと飛べない距離である。


 再び上を見る。

 まるで、子供のように無邪気な顔をして、彼女を見ている劉飛の姿を見て、蓬莱はしばし考えた。

「どうするか決めたかい?」

 劉飛がにこにこしながら、声を掛けた。

「両手、塞がっとるんやもん。一人じゃ、登れんわ」

 あの若者相手なら、妖力を使わなくても十分に勝てる。すぐに逃げられるだろう。蓬莱はそう結論を下した。

「……殺してしまうんは、もったいない気がするけど、仕方あらへんな。わてらと関わりおうたのが、身の不運や」

 そう呟いて、蓬莱は不敵な笑みを浮かべた。



 蓬莱が窓枠に手を掛けると、劉飛は、まず伽羅を引っ張り上げた。劉飛がそのまま伽羅を抱き上げて、部屋の奥へ運んでいったのを見届けて、蓬莱は身軽に窓枠を飛び越えると、部屋の中に入った。そして、腰に差してあった短剣を抜き取ると、気配を殺して劉飛の後を追った。


 音もなく背後に忍び寄り、手にしていた短剣を翻して、蓬莱が劉飛に襲い掛かった。その瞬間、鋭い金属音が部屋に響き渡った。蓬莱の短剣が、劉飛の剣と交わった音である。

「……ばかな」

 羅刹である自分が、間を外したはずはなかった。劉飛の剣先から逃れ、体を丸めて、くるりと宙返りをして蓬莱は、床に手を付いて着地した。

「へぇ、なかなか、身が軽いんだな。羅刹って言うのは……」

 短剣を握り直した蓬莱だったが、如何せん、劉飛の隙が見付からず、その場に立ち尽くす格好になってしまった。

「こいつ……」

 剣を構えた劉飛の様子は、明らかに、先刻までの、どこかとぼけた様子の彼とは違っていた。見掛けにだまされた。蓬莱は次の瞬間にそう思った。

「それに、なかなか剣術のほうも達者なようだし…さすがに河南の鬼姫のお眼鏡に叶っただけのことはある。お前、名は?」

「蓬莱や」

 答えて、彼を睨み返した羅刹の様子を気にもせず、劉飛は歌うような口調で続けた。

「では、蓬莱……これを……」

 劉飛は、腰に下げていた、小さな袋から透明の水晶球を取り出して掌に乗せ、蓬莱のほうに差し出した。

「なんやこれ……」

 蓬莱が珍しそうに覗き込んだとき、意識を取り戻した伽羅の声が、蓬莱を制止した。

「だめや……何やっとんのや、蓬莱の阿呆!」

 劉飛はそちらに一瞬目をやって、唐突にその玉を蓬莱に向かってかざした。

「だめっ。はよう、逃げんかい。その球、封魔球ふうまきゅうやんか!」

 伽羅がそう叫んだが、蓬莱は、劉飛の目を見詰めたまま、金縛りにあったように、もう動けなくなっていた。

「魔封じ!邪気消滅!汝、蓬莱、その邪悪なるもの、ここにて暫しの眠りにつけ。我が召喚にて目覚めし時まで!」

「……な……んや……力が……抜け……」

「蓬莱っ!」

 蓬莱が、膝をつき、がっくりと頭を垂れ、床に倒れるようにして、その場から姿を消した。

「蓬莱……」

「意外と、効くもんだな。華梨殿の魔封じは」

 劉飛が感心したように、封魔球を眺めて呟いた。




 御簾みすの中の女性が、そこに現われた気配に気付いて、会話を中断させた。しばらくの沈黙の後、御簾を隔てて自分の正面に座って居る宰相に問うように声を掛ける。

「緋燕からの報告かえ?」

「御意にございます。太后様。刺客は始末したようでございます」

「左様か。大義であったな」

 太后は、そう言いながら、自らの膝の上で眠っている、本物の優慶の髪をそっと撫でた。

「それにしても、物騒な事じゃ。こう鼠共が多いと、気の休まる暇もないわ。陛下もこの所、ご自分のご寝所でお休みになられぬ」

「楊桂殿がご病気と聞いております。叛乱軍も、追い詰められての悪あがきにございましょう」

「……かと言うて、目障りな事じゃの」

「今しばらくのご辛抱でございます」

「何か、良い策があるようじゃな。そなた秘蔵の蒼炎でも使うのかえ」

「……いえ。天海元帥麾下の劉飛という者を」

「劉飛……」

 劉飛という名を聞いて、太后は何か思い当たることがあった様で、その名を呟いてしばし考えこんだ。

「……確か、陛下がお気に召している武将に、そういう名の者がいたと思ったが……」

「璋翔殿の義子でございます。当年十八で准将の位の者で……」

「ああ、ではそうじゃ。……しかしあの者、捨て駒にしてしまうのは、いささか惜しい男ではないか?」

「かの者、天下を手中に納める、星の下に生まれた者とか」

「例の、八卦師がそう申したのか?」

「御意。後々、皇家に禍をもたらす事になろうかと……それ故、今が使い頃かと存じます」

「ふふ、そなたも、恐ろしい男よの」

 太后の言葉に、蒼羽は軽く頭を下げた。

「皇家存続の為にございますれば」

「その忠義、忘れぬ事じゃ。下がりや」

「はっ」




 太后の許を退出して、人気のない回廊に出た蒼羽は、外の宴の賑やかさには気も止めず思索にふけっていた。考えながら、無意識のうちに呟く。

「あれは帝位など、望まぬだろうが……」

 蒼羽は、息子蒼炎の顔を思い浮かべて複雑な顔をした。このまま、平凡な親子として過ごせたらどんなにいいか。そう考えて、しかし、全ては運命なのだと、心にそう言い聞かせる。


 蒼炎は、蒼羽の子ではない。

 彼がかつて仕えた、李家の嫡子である。

 いずれ、李家を再興し、この国の皇帝となるべき御方なのだ。


……太后の気の変わらぬうちに、一刻も早く計画を進めなければ……





 燎宛宮の地下の薄暗い一室――

 足早に自室へ向かう蒼羽の姿を、緋燕が巨大な水晶球を通して眺めていた。緋燕が水晶球に向かって右手をかざすと、その姿は消え、透明な球の中に、七つの色の違う光点が浮かび上がった。

「……七星の王達。そろそろ、封印が解け始めたか……」

 緋燕は薄笑いを浮かべながら、その光に見入る。

智司ちし藍星王らんせいおう……さしもの策士も、六人もの星王が相手では、きついと見えるわ」

 緋燕は呟いて、室内を照らしていた蝋燭の火を吹き消した。訪れた闇と共に、八卦師の気配はそこから消えていた。


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