第5話 暗殺者と八卦師

 帝国の都、華煌京かこうきょうは帝国の東北部に位置している。辺境の覇者、燎牙りょうがが諸侯を統べ、華王朝を興し、大陸歴を始めて二四八年。現皇帝雷将帝らいしょうていは、第十代目に当たり、帝国有史以来、最年少の帝であった。


 その夜、皇帝の居城、燎宛宮では、雷将帝の七回目の誕生日、聖誕節を祝う宴が開かれていた。城下でも人々が祭りを繰り広げており、華煌京全体がまだ夜を知らぬようであった。



 劉飛と周翼の二人が都に到着したのは、その夜の満月が、半分ほど夜空の闇に消えた頃であった。城下に繰り出している民衆でごったがえしている都大路に馬を乗り入れた二人であったが、人の波に遮られて、思うように前に進めない。


「ひどい人出だな、全く」

 うんざりした様子で、劉飛がつぶやいた。

「これでは、馬は無理ですね」

「ああ、その辺に預けていくしかないな。俺の驪驥りきは繊細だから、こういう混雑はちょっとなぁ」

「騎手に似ず、ですね」

「一言多いね、お前。なんなら、お前の雪妃ゆきひに乗っかってってやろうか」

「だめですよ。雪妃が潰れちゃう」

「お前ねぇ……」


 二人は、近くの宿屋に馬を置いて、人の多い通りを、城へ向かって歩き出した。


「それにしても、ここは平和ですね。河南じゃ、まだ戦が続いているって言うのに」

 周翼が、たまらないという様に言った。

「何しろ、皇帝陛下のお膝下だからな。だいたい志願兵はともかく、徴兵されるのは年貢の払えない農民達がほとんどだし……華煌京に住めるような奴等にとっちゃ、戦なんて他人事なんだろうよ」

 劉飛はそう言って肩をすくめた。


 長年の内乱で、帝国内は荒廃していた。農民が戦に狩り出され、農地は戦場となり、屍の山の下に埋もれてしまっている。お陰で帝国の食料供給率は、年々低下の一途を辿っているのだ。このお祭り騒ぎをしている連中の中に、帝国崩壊の危機感を持っている奴が、一体どれだけいるのか。


「世も末だな……」

 劉飛が雑踏の中の人々を見るともなしに見て、つぶやいた。

「……時々考えるんです。この戦いが終わる時が本当に来るのかって……この帝国に、真の泰平の世なんて、本当に来るんだろうかって……」

 周翼が静かにそう言うのを聞いて、劉飛はしばし考え込んだ。

「……終わらせるさ」

「劉飛様?」

「俺達が終わらせるんだ。言ったろ?さっさと大公を倒して、それから宮廷の大掃除をするって」

 劉飛の言った言葉に、何かを思い出したように、それまで深刻な顔をしていた周翼が笑った。

「帝国の掃除屋さん、でしたっけ?確か、初陣のときの……」

「そういうこと。この内乱が終わるのは、もう時間の問題だ。そしたら、宮廷に巣くっている、役立たずのむじなどもを追い出して、雷将帝陛下を、正真正銘の帝国の主にして差し上げる」

「劉飛様の野望の物語、めでたしめでたし、ですね」

「夢はでっかいほうがいいって、これ師匠の教えだぞ」

「それ、周家の家訓ですよ。『地上は、最高の峰より眺めよ。志はその峰よりも高く掲げよ。天下の広さに己の身の小さきを知り、大志を抱く糧とせよ』って言うんです」

「……あ、ああ。そういうの、よく師匠も言ってたかなっ。まっ、何にせよ、当面の目標は、大公退治だ」

「……ですね。劉飛様、光が……」

「ああ、燎宛宮だ」


 二人の進む都大路の先に、皇帝の権力の象徴である燎宛宮が、光に包まれ、まるで影の存在を知らぬように、そびえ立っていた。




 宰相蒼羽そううは、燎宛宮の執務室の窓から、眼下の庭園で繰り広げられている宴の様子を眺めていた。その時、ふと、何気なく仰ぎ見た夜空の満月が、三日月ほどに欠けてしまっているのに気付いた。


「……これは、何時の間に。緋燕ひえん、緋燕はおるか?」

 誰もいない部屋で、蒼羽が呼ぶと、寸分を置かず、背後でそれに答える声がした。

「ここに……」

 振り向いた蒼羽の視界に、一人の男の姿が入った。年は三十ぐらいであろうか。長身で細面だが、その瞳の放つ眼光は鋭い。蒼羽が自分の右腕として使っている男であるが、一見忠実そうに見えるその姿の裏に、何か得体の知れない感じのする人物であった。


 緋燕ひえんは、八卦師と呼ばれる占術師で、天の二十八宿と陰と陽から成る、八卦を操り、未来を先読みすることができる。その千里眼を買われて、蒼羽のもとに出入りをするようになったのだが、その評判はあまり良いものではなかった。


「あれを、知っておったか?」

 蒼羽がそう言って、窓の外を示すのを、緋燕は一瞥した。

「暦にない月食でこざいますな。羅刹らせつの技に月消しというものがございます。大方、その類のものでしょう」

「河南の鬼姫が、羅刹を手懐けたとの噂があるようだが……」

「ご心配には及びません。たとえ羅刹と言えども、この燎宛宮では何もできますまい」

「なるほど。もうすでに、すべて承知と言う訳か……さすがは八卦師だな」

「恐れ入ります。準備がございますので、他に御用が無ければ」

「うむ」

 緋燕は一礼して、その場から姿を消した。




 月は漆黒の闇を纏い、もはや、その姿は天空から消えてしまっていた。闇夜の中で、燎宛宮の幾つかある楼閣の一つに、二つの影が浮かび上がった。


 黄金の髪に緋色の瞳の蓬莱ほうらい

 白銀の髪に紫水晶の瞳を持つ伽羅から

 麗妃の放った刺客、羅刹族の、二人の娘達の姿がそこにあった。


 天を仰ぎ、彼女達の行動を監視していた天上の月が無くなったことを確認し、二人はお互いの顔を見合わせて、頷きあった。

「そろそろ、いきましょか」

 伽羅の言葉に、蓬莱が頷く。

「そやな。全く、満月の月食は時間が掛かってあかんわ」

 しかし、蓬莱は何かを見つけて、やにわに、その動きを止めた。

「あ、ちょっと待って」

「何やの、蓬莱。はよ終わらせて、姫さんとこ戻ろやないの」

「なぁ、伽羅、あれ見てみい。いい男が二人ばかり、下を歩っとる。あのうちと同じ金髪の坊や、いい感じやと思わん?」


 伽羅が蓬莱の示した方を見ると、護衛の兵だろうか、腰に剣を下げた若者が二人、並んで歩いていた。実は、この二人、燎宛宮に着いたばかりの劉飛と周翼であるが、羅刹達は無論そんなことは知らない。

「蓬莱……金髪って、羅刹じゃあるまいし、あれは栗色や。仕事中なんやから、少しは慎んだらどうや。緊張感てもんがまるでないんやから」

 たしなめる伽羅に、蓬莱はあっけらかんとした様子で笑った。その蓬莱の姿が、闇に溶け込むようにして消え、声だけが聞こえた。

「さぁて仕事、仕事。皇帝さんを片付けるんなんてすぐ終わらせるわ。行くで」

「蓬莱!ちょっと待ってって、んもう……」

 伽羅が、慌ててその後を追い、姿を消した。月食の夜の、一騒動が始まろうとしていた。



 皇帝の寝所では、まだ七つになったばかりの雷将帝が静かな寝息を立てていた。壁を一つ隔てた部屋に、数名の侍女達が控えていたが、世間話に夢中になっていて、隣の部屋に現れた刺客の存在には全く気付いていない。

「なんや、皇帝いうから、どんなおっさんかと思ったけど……まだ子供やな」

「……蓬莱。あんた、声が高いわ」

「だって、こういう、こそこそしたの性にあわんのやもん……」

「もういいから、はよ、済ませてしまお」

 伽羅にそう言われて、蓬莱は軽く頷くと、その鋭い爪先を皇帝の心臓部に向けた。

「全く、運の無い子やわ。苦しまずに殺してやるのがせめてもの情け……」

 そこから発する気が、その標的目掛けて襲い掛かろうとしたとき、何かに反応して蓬莱がその動作を止めた。

「蓬莱?」

 蓬莱がふいに動作を止めたのを見て、伽羅が訝しげな顔をした。

「こいつ、皇帝じゃ……」

 そう言いかけた蓬莱が、突然、伽羅の腕を勢いよく引いた。二人はもつれ合うようにして、床に倒れ込んだ。その刹那、赤色の光の矢が、二人の頭を掠めて壁に突き刺さって消えた。


「蓬莱っ!」

「わかっとる!そこやっ!」

 蓬莱の声と共に、その手から投げられた金色の光の塊が、矢になって闇を裂いた。

「甘いわっ。気魂消滅っ!」

 そう声がして、蓬莱の矢は一瞬にして闇に飲み込まれた。その先に人の影がぼんやりと浮かび上がった。

「貴様は……!」

 伽羅がその姿を見て、表情を強ばらせた。姿を現わしたのは、緋燕であった。

「転移術……我が結界より、邪気なるものを祓わせ給え!」

「緋燕、なぜお前が八卦の術を……」

 言いかけた伽羅の姿が、忽然とその場から消えた。

「伽羅っ」

 蓬莱は虚空から視線を転じ、その瞳に緋燕を捕えた。

「……あんたが、緋燕かい。羅刹の王でありながら、一族を裏切ったっていう有名人は」

 蓬莱の皮肉を、緋燕は僅かに微笑しただけで聞き流した。

「成程、姿形は羅綺らきと同じでも、中味は異質なものなのだな、蓬莱」

「そんな事、あたしの知った事やないわ」

「正論だな。転移術っ!」

「緋燕っ!」

 今度は蓬莱がその声だけ残して消えた。

「……逃がしたか。まあいい。刺客は退けたのだ。宰相への言い訳は立つだろう」

 緋燕は薄笑いを浮かべて、部屋を後にした。


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