第4話 姫将軍の謀(はかりごと)

 大陸歴二四五年、光華帝崩御――

 その子、優慶ゆうけいがわずか四才で華王朝の十代目の皇帝、雷将帝らいしょうていとなった。

 そして、それから数ヶ月後、帝国は再び戦の嵐に巻き込まれる事になった。


 光華帝の急死に、暗殺の疑いありとして、河南公楊桂が雷将帝の即位を否定、自身の皇位継承権を主張して反乱を起こしたのである。これが、現在も続いている三大公の乱である。


 河南公楊桂は、大公軍の総司令官であったが、先年より、原因不明の病の床についており、実際の指揮は、弟の海州公かいしゅうこう楊柊ようしゅうがとっていた。


 楊柊は、巨漢という言葉そのままの武人で、巨大な諸刃もろはの剣を生き物のように扱う豪傑であった。彼の通り過ぎた後には、屍しか残らないと言われ、その存在は、皇帝軍の兵士達から、ひどく恐れられていた。だが、楊柊の戦法は戦術を用いるといった戦い方ではなく、力で押して決着を着けてしまうということが少なくなかった。勝ち戦はともかく、負けるとなると、大敗を喫する事が多く、彼の居城、美水城びすいじょうは先年の戦いで、もう一人の大公、広陵公楊蘭の星陵城せいりょうじょうと共に、皇帝軍の手に落ちていた。


 楊桂としては、そんな弟に全権を渡してしまうには不安があった。そこで、兵力を二分し、楊柊を左将軍に任じ、その一方の指揮を任せ、残る一方は、一人娘の麗妃を右将軍として、その指揮権を与えた。



 麗妃は、この春十九になったばかりの娘であった。

 健康的な美少女だったが、自身の身を飾る事より、戦や、武術の方に興味があり、河南の鬼姫と呼ばれる程の女丈夫であった。智略に優れ、その舞うような剣技には定評があり、十三歳の初陣からずっと、戦場においてその技を打ち破られたことはなかった。

 楊柊としては、まだ十九の小娘と、自分が同格に扱われている事が、はなはだ面白くなかった。だが、さすがに楊桂の命には逆らえず、左右両将軍は、反目しあったまま、皇帝軍と相対さねばならなかった。


 数の上では、皇帝軍に対し、大公軍はその三分の二。皇帝軍が有利であったが、楊桂がその居城を構える河南地方が、帝国の食料庫であるという事実が、大公軍が今日に至るまで、優位な形で戦いを継続させる要因となっていた。しかし、楊桂が前線から退いて、兵力が二人の将軍の許に二分されると、その形成は、次第に逆転しつつあった。


 楊柊の左大公軍が皇帝軍の天海元帥の前に大敗北を喫した、数日前の岐山きざん攻防戦は、今後の戦局に大きな影響を与えそうであった。



「右将軍殿が、もう少し早く援軍を出していれば、負けずに済んだかも知れませんね」

 先日の戦いの感想を述べる広陵公こうりょうこう楊蘭ようらんに、麗妃は、溜息まじりに笑いながら答えた。

「楊柊殿は、自尊心が強くていらっしゃるから、下手に手を出すと、後々面倒なのよ」

 楊蘭は、窓辺に立つ麗妃に、入れたばかりのお茶を差し出すと、自分は椅子に座って、硝子製の茶碗に軽く口をつけた。

「私が病弱で、戦場に出られないばっかりに、あなたには、迷惑をかけますね」

 一息つくと、自身の色の白い手を疎ましそうに眺めながら、楊蘭が言った。美丈夫として城内の女達に、たいそうな人気のある顔を眺めて、麗妃がそれに答える。

「私は好きでやっていることだから、迷惑だなんて思っていないわよ、叔父様」

「その呼び方、止めてもらえませんか。一つしか年が違わないのに、妙に年を取っている気がして、不愉快だ」


 楊蘭は、楊桂の弟だから、麗妃にとっては正真正銘の叔父なのだが、まだ二十歳の楊蘭は、一歳下の姪から、そう呼ばれるのを嫌がっていた。しかし、麗妃は時折、それを承知でそう呼ぶことがある。それに対して、いつも同様の反応を示す楊蘭を面白がっているのだ。


「では、軍師殿。次の策は如何に?」

 わざとらしく、真面目ぶって問う麗妃に、微笑しながら、楊蘭は溜め息をついた。

「結局、あなたといると、いつも最後は戦の話になってしまうんですねぇ、姫将軍様」

「そういうご時世ですから、仕方ありませんわ。それ以外のことは、戦が終わって、すべての片が着いたら考えます」

「そうですね……」

 いつ終わるとも知れない戦いの向こうに、彼女が何を見ているのか、楊蘭には分からなかった。ただ、相槌を打ちながら、楊蘭は、彼女をこのばかげた戦いから、少しでも早く解放してやりたいと思った。


「もうそろそろ、始まる頃でしょう。天空の様子はどんなです?」

 そう言われて、麗妃が天を仰いだ。その横顔が、月光に照らし出され、女神のように神々しく見えた気がして、楊蘭は数回瞬きをした。

「丁度、始まったところですわ、月食が」

「そうか。伽羅から蓬莱ほうらいが、都に入り込んだのだな」

 楊蘭の言葉に頷いて、麗妃が声を低くして続けた。

「例の闇師やみしの話……あれが事実だとすると、皇帝軍の大義はなくなりますわね」

「今更、とちらでも大差なかろう。皇帝が女だったとしても、死んでしまえばな」

「伽羅と蓬莱は、羅刹一族の末裔。失敗する事はまず、ございますまい」

「ああ、そうだな。だが、麗妃。羅刹を手懐けたのは感心だか、所詮奴等は殺戮を好む悪鬼。役が終わったら、早々に始末してしまうのだな」

「ご心配なく。刃物の扱いは、楊蘭様より慣れておりますから」

「それならばいいが……」

 手にしている茶碗に視線を落として、楊蘭が何か考え込むように麗妃から目を逸らした。


 麗妃は楊蘭の思索の邪魔にならないように、静かにお辞儀をしてその場を辞した。その後ろ姿を、黙って見送りながら、楊蘭は今度の陰謀に、彼女を巻き込んでしまったことを後悔し始めていた。




 広陵公楊蘭は、楊桂が病で倒れ、麗妃が右将軍として大公軍の指揮の半分を任されるようになってから、彼女の補佐役として何かと相談に乗ってやっていた。本来なら、左将軍となった兄の海州公楊柊と共に、彼が右将軍として大公軍の先陣に立たねばならなかったのであるが、病弱で馬にも満足に乗れない為、麗妃が彼の代わりに将軍になったのだった。

 その麗妃が、彼にある相談を持ちかけてきたのは、ひと月ほど前の事であった。


 楊桂が病床についてから、大公軍の形成は不利になる一方だったが、近頃、その楊桂の病状が思わしくない。万が一、楊桂が死ぬような事があれば、大公軍は内から崩壊してしまうだろう。そして、皇帝軍は天河を越えて、この河南に押し寄せてくる。その前に、手遅れにならぬうちに、先手を打たねばならない。そう言って、麗妃が持ち掛けてきたのは、雷将帝の暗殺だった。皇帝を暗殺して、楊家の思うままになる、新皇帝を擁立するというのだ。


「自ら生き残るために、七つの子供を手にかけねばならないとはな、因果な事だ。これも呪われた皇家の、血の成せる技か」

 麗妃が退出して、静かになった部屋に、楊蘭の皮肉に満ちた声が響いた。これが成功すれば、華王朝の歴史が又、忌まわしい血で染められるのだ。


 あの時、自分は麗妃を止めるべきだったのではないだろうか。楊蘭は、時折そんな考えに囚われる。権謀術数けんぼうじゅつすうなど、麗妃のような娘のやる事ではないのだ。今の彼女は、ただ父楊桂と大公軍のことだけを思い、夢中で走り続けている。いつか、その足を止めた時に、過去に残してきたものの重さに押し潰されてしまうかもしれない……

 麗妃の気性を知る楊蘭は、そう考えて深い溜め息をついた。


「……閣下」

 卓上に置かれていた水晶球の中に、小さな渦が生じ、人の影がそこに映し出された。楊蘭が燎宛宮に送りこんでいた、闇師と呼ばれる密偵の頭、からの遠話術えんわじゅつによる報告であった。

燎羽りょうう様のご消息が、判明いたしました」

「真か?」

「はい。宰相殿のご子息、蒼炎そうえん様がそのお方でございました」

「……燎宛宮におったとはな。成程、宰相蒼羽は、かつて李笙騎の片腕だった男。李家の血を守るために、裏切り者の汚名まで着たというわけか。大した役者だな」

「それで、今後のご指示は」

「あれは、大事な切り札だからね。丁重にこの河南にお迎えせねばなるまい。なにせ、この帝国の第十一代皇帝となられるお方なのだから」

「はっ」

 短い返事と共に、水晶球の闇師は姿を消した。水晶は再び透明な輝きを取り戻し、楊蘭の顔に窓から差し込んでいた月光を反射させた。楊蘭は手にしていた茶碗を卓上に置くと、先刻、麗妃のいた窓辺に立ち、空を仰いだ。金色の月が、少しずつその身を闇に支配されていく。この月を、麗妃は一体どんな気持ちで眺めていたのだろうか。


「……我身の闇はもはや消せぬが、神よ、彼の人を闇より守りたまえ……光の守護があらんことを……」

 楊蘭は消えゆく月光に、静かに祈った。

 月食は、まだ始まったばかりであった。


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