第37話 藍星王召喚

 その日、陽が落ちるのを待って、華梨は星見の宮へ入った。

 人気の無い階段を華梨の靴音だけが響く。彼女が左手に持つ蝋燭の、頼りない光が映し出す、少女の顔は冷静だった。だが、その表情とは裏腹に、右手の小刀を握る手は、そこに込められた力の強さを表わすように、指先が白くなっていた。蝋燭を部屋の隅に置いただけの薄暗い部屋の中で、華梨は星を見ながら右手の小刀を抜いた。

「私に勇気を……力を貸してね」


 静かに呟いて、華梨は左手で肩に流れる漆黒の髪を一房掴んだ。銀の小刀が月の光にきらめいて、軽い音と共に床に黒髪が散らばった。

 それを咎めるかの様に、華梨を包んでいた月の光の銀色が白味を帯びて、霧のように広がった。そして、彼女の良く知っている声が聞こえた。


……全く、思い切った事をする……


「……天明星てんめいせいの君。星司の白星王様」

「術の為とはいえ、その美しい黒髪に手を入れるとは……」

「髪など惜しくありません。それで、私の願いが聞き届けられるのなら」

「気丈な娘だね。私の選んだ覇王候補は……」

「こういう私を、気に入ってくださったのでしょう」

「まぁ、そうなんだが……」

 華梨は微笑すると、切り落としたひと房の髪を細い糸で括り、方位陣の、西の方に供えた。そして、占術に使う細い蝋燭を九本取り出すと、八本を床に描かれた方位陣の周囲に配して、それぞれに火を灯した。残る一本には北東の火を接ぎ、それを手に陣の中央へと進んだ。

「……藍星王様をお呼びします。お力を……」

「ああ。お前は、心を無にして、ここに立っているだけでいい。後は私がやるから」

「はい」

 華梨は返事をして、瞳を閉じた。


 華梨の体から白い光が飛び出して、陣の中央から、西の方位に立っている蝋燭の上に止まった。その炎を吸い込む様に、光は人型へと変化し、白い霧の中から浮かび上がるように、白星王の姿が現われた。


 抜けるような白い肌に、長い黄金の髪。少し神経質そうな瞳に、琥珀の光を帯びた女神がそこにいた。


「星の司の名において命じる。智の司、指極星の方に座する者、我が召喚に応じ、いざ、参られよ」

 その声と共に、ひんやりとした風が、華梨の頬を掠めた。


 何か、大きな気配が現れた。

 ぼんやりとした意識の中で、華梨は、それだけを感じた。

……藍星王……

 そう思ったところで、華梨の意識は途切れた。



 薄明かりの中では、黒く見える髪と瞳。いつも、物知り顔で微笑している。

 だが、その穏やかな顔つきとは正反対に、その心の奥底に、誰よりも深い闇を抱えているのを、白星王は知っている。故に、自分とは、相容れない存在なのだ。なるべくなら、顔を合わせたくない人物なのである。


「あなたの方から、お呼びが掛かるとは、思いませんでしたが……」

 藍星王が、にこやかに言う。こういう場合、単刀直入に

「何の用だ」

 などと言う、橙星王のような奴の方が、白星王には好ましく思える。だが、この娘の想い人の守護者がこいつなのだから、これはやむを得ないというところか。


「私のかわいい娘が、お前の息子の安否を気にしておるのでな。大事はないのだろうな」

 言われた方は、やや呆れ顔になる。

「何事かと思えば、その様な些事さじか。この私が付いているのだぞ。大事などあるはずもない。それにしても、白星王は、その娘を甘やかしすぎではないのか」

「ふふん。何しろ、私は、この娘に惚れておる。他の者とは違う。掌中しょうちゅうたまなのだからな」

「あまり入れ込みすぎると、後々辛くなるぞ。少し、控えられよ」

「先のことなど……気にはせぬ」

 そっぽを向いて言う白星王に、藍星王は苦笑する。


 未来を見通す力を持つ星王である――

 他の者が羨む力を持ちながら、その力を使う事には、あまり興味が無い。だからこそ、星司の力――人の運命を左右する力を与えられたのだとも言える。


「そういえば、橙星王の件、感謝する」

 急に礼を言われて、白星王は、不機嫌そうな顔をする。

「橙星王の事なら、もう心配はいらぬ。この私の封印は完璧だ。全く、あの様に、これ見よがしに放って行かれては、後始末をしない訳にはいかないではないか。まあ、緑星王をこちらに寄越してくれて、助かりはしたがな。あれは、人の心をなだめるのが上手い」

「緑星王は、癒しの姫だからね」

「その緑星王の方も、ちゃんと封印しておいてやったぞ。力を使ったお陰で、こっちは、完全に目が覚めてしまったがな。……そなた、少し後悔しておるだろう?」


 白星王がその気になれば、今、自分の立てている計画が崩されることも、あり得る――そういう意味だ。

 だが、それを今更言っても始まらない。藍星王は平静を装って、答えをはぐらかす。


「……華梨を巻き込んだ事についてはな。周翼が気に病んでいてね。なかなか、持ち直して来ない」

「まさか、それで雲隠れか……情けない」

 白星王が、やや呆れ顔で言った。

「それで、また一つ頼みがある」

 藍星王の言葉に、白星王は顔をしかめる。

「誤解するな。此度の事は、華梨の為にやったことだ。私は、お前の味方でもないし、お前の片棒をかつぐ気もないからな」

「では、その華梨のため、といったら?」

「……何が望みだ」

 嫌々と言いながらも、この星王は、やはり華梨に甘い。藍星王は苦笑しながら、先を続けた。


「河南の星を一つ、こちらに飛ばしてはもらえまいか」

「岐水にか?……さすがのお前も、人の心までは、自由にならぬか」

 白星王にそう言われて、藍星王は不快そうな顔をした。

「……私は、そこまで傲慢ではないつもりだが」

 大事無いとはいいつつ、どうやら、周翼は、自分から河南に戻る気にはならないらしい。


 思慮深い者ほど、ひとたび、足を止めて座り込んでしまうと、再び立ち上がる決心をするには、時間がかかるものだ。智司の相手ができる程の逸材といえども、そのあたりは例外ではないらしい。何かきっかけを与えてやらねば、一つところに落ち着いてしまった星は、簡単には動き出さない。


「……一つ聞いておきたいのだが、お前はやはり、紫星王の選んだ候補を覇王にと?」

「ああ」

赤星王せきせいおうと、蒼星王そうせいおうを封じたままで、片を付けるつもりか?」

「ああ……これ以上の混乱は、地上の存亡に関わるだろう」

「覇王など、誰がなっても構わないが。赤星王が目覚めた時の事を考えると、頭が痛いぞ」

「目覚める前に、片を付ける積もりだよ」

 自信ありげな藍星王の様子に、白星王は肩をすくめた。


 星王の中でも、好戦的で、強大な破壊の力を持つ火の司、赤星王。

 そして、その赤星王を好敵手とみなし、常に相争っている雷司らいしの蒼星王。


 その二人の力を恐れて、藍星王は、その封印を、特に入念に行った。ただでさえ混乱している地上に、彼らが現れれば、藍星王だとて、事態の収拾は難しいと考えての事だろう。

 智の司が、やるというなら、それは、出来るという事だ。だが――


「人の気持ちは、うつろいやすい……だからこその、人であるとも言えるのだがな」

「……」

 それは、警告かと、藍星王は思う。

 華梨が周翼を思う様に、白星王が自分に気を許しているとは到底思わないが、藍星王とすれば、この女神が自分の前に立ちはだかって、道を遮るような事にならないことを祈るばかりである。

「我らがここまで、地上に干渉していいものなのか、と……考えぬでもないぞ。四天皇帝様の、お心も分からぬままで」

「なればこそ、この地上に覇王を出現させ、いずれかの星王が天上へ昇らねばならないのでしょう?その真意を確かめる為に」


 周翼の為、華梨の為、といいつつも、結局は、藍星王の計画を先に進める為。そういう事なのだ。藍星王の言い分に、白星王は軽くため息を付いた。人の思いに気を取られ過ぎていると大局を見失う、ということか。星王として覚醒した以上、やるべき事は、やらなければならない。それは、分かっている。

 しかし――


「お前のいう事は、いつも正論で、つまらぬ」

しるべが惑う訳には、いかないですからね」

 藍星王が、ふっと屈託のない笑みを見せる。そんな顔も出来るのか……と、その顔に魅入っていた自分に気付いて、白星王は気まずさを隠すように、片手を上げた。

「……分かった。お前の願いは、聞き入れよう。あるべき方に、戻られよ」

 陣内に風が巻き起こり、藍星王の姿は光の玉となって、舞い上がり消えた。

 華梨が目を開けた時、手にしていた蝋燭の火は、まだ、その炎を揺らめかせていた。白星王の気配はなかった。

「白星王様?」


……藍星王どのの、お墨付きをいただいたぞ。自分の力に、もっと自信を持て……

「では、周翼は?」

……大事無い、と……


 その言葉を聞いて、華梨の瞳から涙が伝い落ちた。星見でその行方を捜して、生きていることだけは、確認できた。でも、無事であるのに、一向に姿を現わさない周翼に、華梨の不安は募るばかりだった。

――大事無い。

 その一言に、華梨は心から安堵した。

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