第10章 星を導く者

第36話 言葉に出来ない思い

 一台の馬車が、華煌京から海州道を抜け、東へ向かっていた。わずか五人の護衛を従えただけのその馬車は、窓に格子の付いた囚人護送用のものであった。


 乗っていたのは麗妃である。彼女は、大公軍の最高司令官として、乱の責任を問われ、死罪となるはずであった。だが、東の離宮へと蟄居ちっきょということですんだのは、雷将帝の特別な計らいによるものだった。馬車に従っていた五騎のうち、馬車を先導する様に歩いていた騎馬が、その速度を落し、馬車の横に並んだ。


「間も無く、離宮に到着いたします」

 そう言って、馬車の中を覗き込んだのは、劉飛であった。

 劉飛は、先の、麗妃による華煌京侵攻を阻止した功により、皇騎兵軍への復帰が決まっていた。そして、この護送の任務が、彼の皇宮警備隊での最後の仕事になっていたのである。

「……」

 麗妃は、馬車の中から、すぐ横にいる劉飛の横顔を見詰めていた。あの、短い逃避行の夜の劉飛と、二か月振りに会った、今日の劉飛。どこか感じが違うような気がしたのである。麗妃は、何と無くそう感じた。今の劉飛には、どこか精彩が欠けている。

「……皇騎兵軍の方へ、お戻りになるとか」

 麗妃が、独言のように言った言葉が、自分に向けられたものだと知って、劉飛はただ頷いた。

「……ずっと、都にいらっしゃるのですか?」

「いえ、この任務が終わったら、西畔へ移動します。義父が、そちらの方に居りますので……」

 事務的な口調でそう答えた劉飛に、麗妃は軽く溜め息をついた。

「お仕事中は、いつも、こんな風なのかしら?」

「は?こんな風と言いますと……」

「戦場でお見掛けしたあなたは、いつも活き活きとしてらして、もっと快活でいらっしゃった」

「そうでしょうか……仮にそうだったとしても、私だって、いつも元気だ、という訳にはいきませんよ。それ程、脳天気にはできていませんから」

 劉飛はそう言って、麗妃の視線から逃れるように、馬車から少し距離を取った。その劉飛を追いかける様に、麗妃の声が届く。

「……周翼殿が、都にいらっしゃっていたそうですね」

「……ええ。良くご存じですね」

「華梨殿が、いろいろ話をしに来てくださっていましたから。……お会いになりまして?」

「ええ」

「じゃあ、今、行方知れずだというお話は、ご存じ?」

「ええ……」

 返ってきた劉飛の声の調子が、急に低くなってしまったのに驚いて、麗妃は格子の窓から、外の劉飛の様子を伺った。劉飛は、固い表情のまま、真っ直ぐに前方を見据えていた。

「何か……あったのですか……」

 麗妃が、心配そうに尋ねた。

「いえ……」

 口に出掛かった言葉を飲み込むようにして、劉飛は首を振った。



 あの時、劉飛は、周翼の言葉に、怒りやら、悔しさやら、情けなさやら……を感じて、自分でもその心の動揺を、収拾する事が出来なかった。ただ、涙が溢れそうになるのを、必死で堪えながら、夢中で驪驥に飛び乗った。ここで周翼に涙を見せる事など、論外だと思ったからだ。そして周翼をそこに残したまま、華煌京へ戻ってしまった。


 翌日になって、周翼の行方が分からなくなっていると聞いて、劉飛は、初めて事の重大さに気付いた。


 あの日、星海は、周翼の見舞いに行くと言っていた。つまり、周翼は、体の具合が良くなかったはずだ。それに、刺客に襲われて、怪我もしていた。戦場にいた彼らにしてみれば、かすり傷程度の怪我だが、それでも、病で弱っている者には、堪えていたのではないか。それを、自分は、道端に置き去りにしてきてしまったのだ。


 自分の短慮と、子供じみた感情が、ただ情けなかった。拒絶されたことにおののいて、周翼の不調にすらも気付かなかった自分が、情けなかった。

 以来、劉飛の心は、後悔の念に苛まれ続けている。



 麗妃は、少し思案するようにうつむいて、やがて、思い切ったようにはっきりした口調で言った。

「彼は、あなたが、探しに行くべきではないのですか?」

 麗妃の言葉に、劉飛は戸惑った顔をした。だがそれは、すぐに不機嫌そうな顔に変わった。

「あなたが、それを言うのですか……」

「……ごめん……なさい。元はといえば、私が、彼を河南に呼び寄せたせいなのですものね……」

 言いながら、麗妃の瞳が涙で潤んでいく。

 劉飛は、つい、きつい口調で言ってしまった事に気付いて、慌てて言葉を継いだ。

「そんな事は……あなたのせいだなんて。選んだのは、周翼なのですから」

「でも、彼は、あなたが探してくれるのを、待っているかもしれないわ……」

「……いえ。それは、ないです。手を離したのは、あいつの方なんですから。それにこちらから、いくら、手を差し伸べたって、向こうが手を取ってくれないのでは、俺には、どうしようもないでしょう……」

 劉飛が訴えるような目で、麗妃を見た。

「……あいつは、何も言わなかった……何でも良かったんだ。愚痴でも、泣き言でも、言い訳でも……何かぶつけてくれれば、答えようがあるのに。何も言ってくれないんじゃ……どうしていいのか……分からない……」

「……何も言えずに、思いを心に留めておくのは、きっと辛いでことしょうね。あなたも、お辛かったのでしょう?」

「……」

 麗妃の声が、劉飛の心に静かに響いた。

 問われて、思わず口にした言の葉と共に、自分の心中にわだかまっていたものが、少し軽くなった気がした。

 何も言えずにいる周翼もまた、自分と同じように、こんな苦しい思いを抱えているのか。ふと、そんな事を思った。




 麗妃が都を去ったのを見送ってから、華梨は、天海のもとを訪れた。

 天海は、麗妃の蟄居が決まり、彼女が無事、燎宛宮を後にした事で、ほっとした様子であった。

「劉飛の皇騎兵軍復帰も成ったしな。これで、ようやく落ち着いて、内政の立直しに専心できる」

「劉飛様の西畔行きは、いつ頃になりましょうか?私も、いろいろと準備がございますので」

「そうさな……東の離宮より戻って、程なくというところじゃろう。璋翔の奴めが、早く劉飛を寄越せと、しきりに催促してきておるのでな。……それに、今の劉飛には、気分転換が必要だろう。都を離れる方が、良いのかもしれぬ」

「……周翼様の事ですね?」

「あれの事だから、表には出さぬ。が、まだ、立ち直るまでは、しばし時間がかかりそうでな。また、今、太后様に、ちょっかいを出されても困るしな」

「太后様が……でございますか?」

 華梨が意外そうな顔をしたのを見て、天海は、華梨にもっと側に寄るように手招きをして、小声で言った。


「先日の、周翼の一行を襲った者共。あの御方のものらしくてな。で、あれをきれいに始末してしまったのが、どうも劉飛らしいのだ……」

「しかし、何故太后様が、周翼様を?」

「此度の、李炎の河南領官着任の筋書きを書いたのは、周翼なのだ。意趣返しという所なのだろうな。太后様は、殊の外、自尊心がお強い御方じゃからの。……周翼の行方、まだ分からぬというしな……無事でいてくれれば良いのだがな」

「大丈夫です、きっと。星見の結果はそう悪くありませんでしたもの」

「そうか。星見の姫がそう言うのなら、確かなのだろうな。全く、燎宛宮の八卦師より、そなたの方が腕が良いようだ。劉飛の事がなければ、わしの書記官になってもらったのだがな」

「恐れ入ります」

「劉飛は、いずれ、この帝国の宰相になる男だ。よろしく頼むぞ」

「はい。微力ながら、最善を尽くします」

 華梨の答えを聞いて、天海は満足そうに頷いた。

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