第9話 闇師三兄弟と正義の味方

優慶ゆうけい様」

 二人が都大路に出たところで、そう呼び止められて、少女のほうが足を止めた。

「華梨か……随分と早く見付かってしまったな」

 走り寄ってくる侍女らしい少女を見ていた少年は、袖を引かれて優慶と呼ばれた少女の方へ向き直った。すると、優慶の口から、

「逃げます」

 という、予期せぬ言葉が発せられた。

「逃げるって、あの人お宅の侍女なんじゃ……」

「早く」

 少年の手を軽く引っ張って、人込みに紛れ込もうとしている優慶の笑顔に負けて、少年は逆に優慶の手を引いて走り出した。

「どこに行くんだ?」

「どこでも。お任せします。ええと……」

「俺は、星海せいかい

「星海。良い名ですね」

 後ろで、さっきの侍女の声がした気がしたが、星海は気にも止めなかった。

 まさか、今、自分が手を引いているのが、華煌の皇帝、雷将帝だということは、星海には思いもよらないことであった。



 人の波の中を見え隠れする星海と優慶。

 それを追う華梨。

 そして、その三人を屋根の上から目で追っている者達がいた。

 

 数は同じく三名。黒ずくめの装束に身を包み、気配というものをまるで感じさせない。

「こんな所で、お目にかかれるとはな」

「皇帝陛下だ。おまけに、宰相の娘も一緒で」

「ということは、あの羅刹共はしくじったということか」

 三人はお互いに顔を見合わせた。

「始末しようか」

 一番若い一人が言った。

楊蘭ようらん様は、我等には手を出すな、と言っておいでだ、らん

「しかし、兄者……」

 別の一人が口を開いた。

「何だ?さい

「我等は、楊家の闇師として、代々仕えて参りましたものを、新参者の羅刹ごときに……納得できませぬ」

「我等の役目は、燎宛宮に潜入し、その内情を楊蘭様にお伝えすることだ」

兄は、欲がなさすぎる」

 不満気に言う末弟、乱を横目で見て、破はおもむろに言った。

「まあ、待て。誰もやらぬとは言っておらぬぞ、乱。獲物の方がこちらに飛び込んできたのだ。狩らぬ法はなかろう。例の計画を先に進めるためには、いずれ陛下には消えてもらわねばならないのだからな」

 兄の言葉を聞いて、二人の弟は満足そうに頷いた。



 彼らを追う者達。破、砕、乱の闇師三兄弟。

 その存在も知らずに、星海達はのどかな追い掛けっこに夢中になっていた。


 逃げるうちに何時の間にか、袋小路に迷いこんだ星海と優慶が、引き返して別の道を行こうとした所に、華梨がようやく追いついた。

「優慶様、いい加減になさってください。今日がどんなに大事な日か、分かっていらっしゃるのですか?色々、お支度頂かなくてはならないことが、山ほどございますのに」

 恨めしそうに言う華梨に、優慶は肩をすくめて、星海の後ろに隠れてしまった。

「宴など、もう飽きたのだ。うんざりなのだ」

「お願いですから、あまり手を焼かせないでください。さっ、優慶様、こちらへ」

 華梨がそう言って、優慶に近寄ろうとした刹那、その腕をいきなり後ろから掴まれて、その動作を止められた。振り向いた華梨は、いつの間にか自分の背後に出現した男が、敵である事を一瞬にして悟った。

「お放しなさい、無礼者」

 睨みつける華梨を嘲笑するように、男は声を立てずに笑った。

「威勢がいいな。だが、少し静かにしていたほうが身の為だぞ。俺達の用があるのは、そっちの子供だ」

 星海は、そう言いながら自分達のほうを見た男に、戦慄を覚えた。黒ずくめのその男から感じるものは、殺気以外の何ものでもなかったのである。

「あなた、早く、逃げなさい。優慶様を連れて!」

「静かにしていろと言っている」

 男は無表情なまま、その太い腕を華梨の首に回して、容赦なく締め上げた。

「……に……げて……」

 男の腕を振り解こうと、華梨は苦しそうにもがいたが、すぐに気を失って、動かなくなってしまった。

「華梨!」

 優慶がその身を前に出しかけた時、その背後で無気味な声がした。

「さっさと始末してしまえ。人が来ると面倒だ」



 袋小路の誰もいないはずの壁の前に、二人の男が立っていた。前にいる一人と同じ黒装束に身を固めている。破にそう言われて、華梨の首に手をかけていた砕が、すでに気を失っている少女の身を地面に投げ捨て、優慶の方へゆっくりと近付いてきた。反対側からは、乱が優慶を見据えたまま、その間合いを詰めてきている。反射的に、自分の後ろに優慶を庇った星海だったが、どう見ても勝てる相手ではない。その心の動揺を見透かす様に、乱が少し柔らかい口調で言った。

「死にたくなかったら、そこをどきな、坊主。今なら、逃がしてやってもいいぞ。俺の気の変わらぬうちに……」

「だっ、誰が逃げるかよ」

 死にたくはなかったが、優慶を残して逃げるなど、星海には論外だった。だが、強がってはみたものの、自分の体が、当人の意志に反して、小刻みに震えているのが感じられた。

「勇敢だね。俺達としても、無抵抗の子供を殺るのはあまり好きじゃないんだけどね……」

 運命だと思って、諦めるんだね。

 乱はそう言うつもりだった。だが、不本意にも途中でその台詞を遮られてしまった。


「だったら、やめとけよ」

 声のした方に、視線と殺気が集中する。しかし、そんなことにはお構い無しで、その声の主は、更にずげずけと続けた。

「いい年をした大人が、三人掛かりで、子供を殺ろうなんざ、見てる方が恥ずかしいね」

「何者だ、貴様」

 乱と砕は、すでにその少年と向かい合う姿勢をとっている。

「ふふん。知りたきゃ、今はの際に教えてやる。かかってきな」

「かっこ、つけすぎですよ、劉飛様」

 呆れた様な顔をして、周翼が口を挟む。

「正義の味方は、かっこいいのが、お約束ぅ♪」

「……りゅーひさま……」

「ふざけるな!」

 劉飛が、周翼に返答した僅かな隙を突いて、砕が剣を抜いて襲いかかった。が、鋭い金属音と共に、砕の剣はあっけなく弾き返された。劉飛は長身の割に、身のこなしが軽い。続け様に二太刀目をあびせた砕は、完全に空を斬った形になった。


「おいっ、そこのガキ、目ぇ閉じてろよ。子供の見るもんじゃないからな」

 そう言った劉飛の剣が、鮮やかに宙を舞い、数秒遅れて、砕の体が地面に倒れ込んだ。すでに息はない。

「砕兄!……おのれ、よくも砕兄を!」

 逆上した乱の剣が、劉飛の上に振り下ろされたが、その鋭い剣先も劉飛を捕える事は出来なかった。そして乱が、砕の上に覆い被さるような形で倒れ込むのに、そう時間はかからなかった。


 劉飛が鋭い視線を破に向けた。不敵な笑みを浮かべた破が、優慶を盾に取ろうと、その腕を掴んだが、それをいち早く察した周翼の投げた小刀が、その手の甲に刺さった。破は、短いうめき声を発し、手を押え、数歩後ろに下がった。それを見て、星海が優慶を連れて、劉飛の後ろに駆け込んだ。壁を背にして立つ破が軽く笑った。

「いずれ、勝負をつけさせてもらう。二対一では、分が悪いからな」

「周翼を頭数に入れたのは賢明だな。引き際の上手なのが、長生きする秘訣だ」

 劉飛はそう言って、剣を鞘に納めた。破は、超人的な跳躍力で、鳥のように舞い上がると、壁の向こうへと姿を消した。


「なんで逃がしちゃうんだよ、兄ちゃん」

 劉飛の後ろで、星海が不満そうに言う声がした。振り向いた劉飛に向かって、更に言う。

「かっこつけちゃってさ」

「そういう事は、ちゃんと自分でお姫様を守れる様になってから、おっしゃい」

 そう言って、劉飛は星海の頭を軽く叩いた。

「チェッ。確かに、兄ちゃん強かったもんな。なあ、なあ、兄ちゃん」

「なーんだよ、お前さんは。まとわりつくんじゃない」

「俺を、兄ちゃんの弟子にしてくれよ」

「は?」

「兄ちゃんみたいに、強くなりたいんだ。こう、ザバッと……」

 言いながら、劉飛の剣技の型を真似して、星海が剣を振り下ろすふりをした。

「で、し、?冗談じゃない。駄目だ、だ〜めっ」

「なんでだよ」

「こんな若い身空で、弟子なんかいらん。第一、俺だってまだ修業中の身なんだから」

 劉飛は、周翼が倒れていた華梨を抱き起こしているのに気が付いて、まだ何か言いたげな星海を身振りで制し、そちらの様子を見にいった。

「どんなだ?華梨殿の様子は」

「大丈夫。気を失っているだけのようですから」

「そうか」

 ふと、劉飛は、その側に座り込んで華梨を心配そうに見ている少女に目を止めた。どこかで、会ったような気がする。劉飛が、記憶の中から、その姿を捜し出そうとしたとき、馬の蹄の音がそれを遮った。


義姉上あねうえ!」

 馬上の人物が、そう叫んで、馬から飛び降りた。こちらの少年には、見覚えがあった。

「蒼炎殿」

 劉飛にそう呼ばれて、初めてその存在に気付いた様に、蒼炎は軽く会釈をした。

「劉飛殿。これは一体、どういう事なのです」

「さあて。俺も単なる通り掛かりでね。詳しい事情は……」

「私のせいです」

 優慶がぽつりと言った。


 その顔を見て、蒼炎が息を飲んだ。

 その反応を劉飛が不可解な様子で見ている。

「へい……か……」

 蒼炎の発した言葉に、その場に居た全員が優慶を見た。

「陛下、そのお姿は、一体……」

 蒼炎のやや呆れたような声を聞きながら、劉飛は、以前にこの少女と会った時の事を、鮮明に思い出した。燎宛宮の皇帝の間。大きな玉座に腰掛けている、まだあどけない少年、雷将帝。衣装こそ違うものの、その顔は確かに同じものだった。

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