第42話 magnetism
多治比寅吉と大神恵一が保護をされて1日が経った。
事件直後は検非違使からの聞き取り、各種術士から身体の健康の検査をされて、学舎に帰れたのは夜になってからだ。そこからまたそれぞれの学舎の教諭から叱責というよりは注意を受けた。多治比、大神を受け取る教諭達は何よりも身体の無事を喜び、賞賛した。大神は久々に見た父親の情けない顔に笑ってしまい、自分のそばを離れようとしない姉に感謝をした。多治比の周りには学舎の先輩、同輩達が募っている。16歳の若輩が対処方法のない外来種を始末した事、旧校舎での事件の顛末、大火事の事までを全員がしつこく聞きたがったからだ。持ち前の正直さで、やったのは自分ではない、恐らくはギルド関係者である、と語ったが、先輩達の評価は違った様だ。対処法のない怪異に、白鞘を抜いて立ち回った事、それ自体が肝のすわった行為であるらしい。ゆくゆくは傭兵である、有能な新人だ、と持て囃されて多治比も悪い気はしなかった。しなかったが、矢張り自分の行く末は火消しであると決めている。
解放されたのは深夜過ぎ、這々の体で自室に戻ると、既に家族との面会を終えた大神が、布団の上で本を読んでいる。まいったまいった、と軽口を叩いて多治比も布団に体を投げた。そのまま眠るか、と思った頭が冴えて眠れない。女のことを思い出したからである。ローズ・パーカーという女。強くて美しくて自信に満ちていた。あの女はどこにいるだろう、と考えた。今何をしているだろう、とも考えた。女の眩しい笑顔を思い出す。あの目が自分に向けられたら、と妄想する。そうしたら何処からともなく邪魔虫な長身の黒いスーツの男が伸び上がってきて彼女を背後から抱きしめる。
腹が焼けて唸りながら頭を掻いた。そうしたら明かりを消そうとしていた大神と目があった。どうした、と彼は聞いてくれたけれど、話す気にはなれなかったから、いや、と断って布団を抱え込んで目を閉じた。
寝不足の体を引きずりながら歩く自分に声を掛けたのは、武者学舎の名物術士、円寂先生だ。高野山で修行をした槍使いの導師で、術にも体術にも造詣が深い。齢70を越えるというのに、肉体は壮年のそれ、俺は何事にも中途半端なので長生きをする、が彼の口癖である。その円寂先生が、隣に大神を携えて自分に呼びかけた。湧き上がるあくびを堪えて背を正す。
「多治比、いい経験をしたな。ワシも鼻が高いわい。検非違使に詳細は話しただろうが、次は検非違使ではなく荒事屋だ。社会見学と思うて行ってこい。あの村正から呼び出しだ」
伸びた欠伸が喉につっかえた。目を向いて円寂先生と大神を見比べる。この国では年長者は絶対だ。若輩は何を捨ててもいかねばならぬ。
江戸にある大店、堺屋の江戸本店に赴いた。巨大な藍染の暖簾の眩しい店先である。表長屋の入り口全面を覆う藍の暖簾は中央を絞り、左右の端を太釘で地に打ち込んでいた。巨大さに圧倒され、息を吐きながらそれを見上げた少年二人は、自分の滑稽さに直ぐ気づき開いた口を締めて入店する。腹の奥は猫の前に差し出されたネズミの様に震えているが、それをおくびにも出さぬが侍である。顎を引いて歩幅を広く、胸を張って入店した。外からは薄暗く見えた店の中だが、内部は明るく闊達だった。上がりの前の土間に様々な武器防具が飾られている。様々な反物、着物、胸当て、腕当て、小手、鎧がギラギラと光りながら滑る圧を内包し主人に選ばれるのを待っている。
「御用で」
突然掛けられた声に飛び上がりそうになったが耐えた。声を掛けたのは初老の男性だ。良い仕立てのねず色の着物を着ている。白髪の混じる髷も豊かである。そして柔和な表情、低い声、物腰の柔らかさを備えた人物であった。多治比はその男性店員の所作に、武芸者の仕草を見たけれど、大神はそれに気づかなかっただろう。それだけ自身の気をコントロールする術に長けている人物だ。
「た、多治比寅吉と申す。堺屋頭領、堺屋戟鐡殿に呼ばれ馳せ参じました」
言い切って口をへの字に曲げたのは震えそうだったからだ。逃げる様に大神を見たら、大神も同じ様に胸を張ってへの字に口を結んでいた。逃げ場はないから、また正面を向いて何かを待った。店員が耳に石を当てている。鉱石魔法の類であろうと思われる。そうして彼はその優しい声を崩さずに、少年二人に向け上客をもてなす作法をとった。
「こちらへ。若がお待ちです」
座敷へ通され、見たこともない鮮やかな緑の美しい緑茶を出された。緊張と不安で、二人の少年は微動だにできない。汗ばむ拳を握りしめ、ただ正面を向く多治比はとうとう耐えられなくなって再度助けを大神に求めた。
「お、大神。俺もう無理。緊張で胃が捩れそうだ……」
「ふざけんな、俺がどうにか出来ると思ってんのか」
「指も動かせねえし、こんな状態で茶なんか飲めねえよ、なんだよこの風習。意味わかんねえ」
「あれだ……、一応お客ですよ、の体裁だ……。なんなんだこの茶碗、蒔絵の柄、写楽だぞ……」
こそこそとそんな話をしていた二人の耳に、数名の人物の足跡が聞こえてきた。学舎の教育の賜物である。少年二人はその瞬間直立し、来るであろう堺屋頭領、堺屋戟鐡を迎えようとした。しかし。
「よう、二日ぶりだな。元気そうだ」
声を掛けたのはあの黒い長身の男。銀髪も美しい青い目の美青年、バロン・クラウドが軽薄な声を上げる。その肩口には栗色のボブカット、小さな背に女性をこれでもかと詰め込んだ美少女、ローズ・パーカーが微笑んでいる。
「無事そうね。もっともみくちゃになってると思った。つまんなぁーい!」
オープンショルダーの黒いトップスに、黒いタイトミニ、それに黒いストッキング姿のローズが跳ねる様に来客用のソファに飛び込んだ。彼女の後ろにいた20代の日本人男性が、跳ねた巻毛を掻きながら来室する。
「お前らなあ、主人より先に客出迎える奴がおるかいな」
多治比の背が更に伸びた。様々な瓦版、電磁魔法板、あらゆるところで彼の顔と名前は聞いている。倭国一の傭兵団にして、荒事屋の長。堺屋戟鐡、その人だ。派手な橙の生地に、緑青と金銀、黒の糸で装飾された刺繍は等伯の龍虎図、それを無頼に着流す婆裟羅の今風。この国の男性の憧れが堺屋戟鐡という男である。
「ああ、君らは座りぃな。お前らは何先に座っとんねん。ほんでそこは上座や俺が座るとこや、なんや、漫才したいんか、お前は」
「本当に喋るわね」
既にソファでくつろぎながら足を組んでいるローズが、立ったままの戟鐡を見上げて彼を揶揄う。
「何がやねん!喋らなお前ら勝手に話進めていくやないけ」
「兄貴の方は全然喋らねえのになぁ?」
上座に座り掛けた腰をあげて、やれやれと呟きながらローズの隣に腰を落ち着けたバロンが早速タバコに火をつけて、タバコの煙と共に戟鐡への牽制を繰り出した。
「ガチでさぁ、伽藍と足して割ったらちょうどいいって感じ」
「なんやねんほんま」
ため息を吐きながら上座に腰を据えた戟鐡が、未だ立ったままの少年二人に再度声を掛けた。
「何やっとん、座りぃな」
はいっ!と答えたつもりだったがほぼアイッ!と叫んでしまった多治比をローズが顔を逸らして笑う。直角に座った少年二人を無視して、戟鐡が話し始めた。
「お前らに頼んで正解やったわ。うちは外来種に慣れてへんからな、それも近年発見された新種や。被害が拡大するとこやった。で、依頼料は、2000万ゴールドでええねんな」
オーケー、とバロンが膝の上に乗せた右足を揺らしながら答える。
「振込は、俺とローズに750。この二人にそれぞれ、250ずつ支払ってくれ」
固まっていた多治比と大神緊張が一気に解けて体が動いた。転がりでたのはこの国の美徳であり宿痾、遠慮である。
「いや、俺たちは……」
笑いながらバロンは告げる。
「なんでだ?ローズから聞いたぜ?大分こいつが世話を掛けちまった。
話の合間に帳簿を眺めた戟鐡が、よし、と呟いて席を立つ。
「そういうことや。えー、多治比君と大神君か。もし、や。君らがなんややりたい事ないなぁ、暇やなあ、って思うんやったらウチに来んか?待遇ええでぇ?」
全ては少年二人を無視して行われたが、その全てが彼らの得として機能した。幸運というのはこういうことを言うのだなあ、と多治比は呆然と頭の隅で考えた。
◇◇◇
それから買い物をした。
江戸の街の中で、ローズは様々な衣類を買い漁って、荷物持ちを多治比と大神にまかす。大神は姉への贈り物と、父親の仕事道具を買って、多治比は一振りの刀を買った。買った瞬間、火消しの纏を買うべきだった、と考えたが、まあいいか、と考えた。彼の中の夢はゆっくりと変容し始めている。
西陽が海の色をオレンジに変えている。一日を買い物に費やして、バロンとローズは次の土地へいくと言う。見送りには打ってつけだ。港にはちょうど月三日の南蛮船が停泊していた。港に向かう街道にバロンの、変形型移動ユニット『アラジン』が赤いオープンカーの姿をして停止していた。そのフロントに体を預け、彼は遠くからローズと多治比、大神の別れの挨拶を眺めている。
「今日は荷物を持ってくれてありがとう。それじゃあ、元気でね」
ローズの笑顔が多治比を刺す。迷って惑って、多治比の口が歪んだ。自分にそんな権利がない事は知ってる、と多治比は考える。考えるけれど、やっぱり言わないのは自分に納得がいかなかった。背を向けたローズを多治比は精一杯の純情で呼びかけた。彼女はいい女だから、激しい光の様な女だから、きっと足を止めてくれると思っていた。ローズは予想通り振り向いた。薔薇の様だ。
「れん、連絡先とか、…ないかな?」
情けない質問だ。彼女のパートナーはすぐ後ろにいる黒い男。だけど感情はどうにもならない。多治比は自覚する。最悪だよな。初めて恋を知った瞬間に、失恋しちまった。含みを持った笑顔を多治比に向けて、ローズは小さな紙を彼に手渡す。そこにはこう書かれてある。
グリム&ウィッチ駆除専門店 AVOCADO 駆除員 ローズ・パーカー
「見えない悪意、重なる不幸にお困りの際は、是非ご一報を。迅速に駆除させていただきます」
赤いオープンカーへと走り去っていく小さな背中にもう声はかけれなかった。ただ、隣にいた大神には言う事が出来た。彼女との再会を果たすには外洋に出るしか手立てがない。
「なあ、大神。……一緒に、村正入らねえか?」
◇◇◇
赤いオープンカーに乗り込んだローズの栗色のボブカットが海風を受けて流れている。運転するバロンが妙に静かだ、沈んでいく太陽の代わり、マジックアワーの隙間に白い月が浮かび始めた。
「ヘイ」
バロンがローズに呼びかける。彼が片手で投げてよこしたものは小さな箱だった。それを受け取ったローズが箱を開く。中には輝くダイヤモンドを飾った指輪が安置されてあった。
「……あの服は似合ってたよ。初めてお前に会った時を思い出した。正直に言うぜ?ど真ん中だった、あの時のお前も今のお前も変わらねえが、でも考えた」
街道を照らすヘッドライトが自動で点灯した。光を受けて、箱の中のダイヤモンドがキラキラと輝いている。
「お前を失うことになっちまったらって、考えたんだ。途端に怖くなった、だからその、そいつは、俺の気持ちだ。俺と、ずっと一緒にいてくれよ、ローズ」
箱から指輪を取り出したローズが、感慨深げにそれを左手の薬指にはめる。ぴったりだ。
ふぅん、と気のない返事をしたローズが、明るい声でバロンに問う。
「で、これから何処に行くの?」
ローズの左手の薬指におさまった婚約指輪を目の端で確認したバロンは、笑いを吐き出してオープンカーのアクセルを踏んだ。
「お前が望むとこならどこにでも連れてってやるぜ」
バロンの左手の薬指にも同じダイヤモンドを確認して、ローズは笑った。白い月の下、暮れていく海に向かって、変形型移動ユニットアラジンが変形をし、その形態を飛行機に変える。
「私を月まで連れてって」
https://kakuyomu.jp/users/hitori_mitiwa/news/16818093093201499947
AVOCADO 路輪 一人 @hitori_mitiwa
ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?
ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます