第6話 samara 5
薄曇りの夜空に輝くのは夜半の月、それを覆うのは先日まで降り続いていた雨雲の切れ端だ。サングラスの奥で月明かりを見送って、視線を正面に向けた。そこには倭国に於ける歴史的建造物、旧江戸高等学舎が真っ黒になって聳えている。正面玄関に陣取って、パンツのポケットに手を入れたまま全体を観察した。バロン・クラウドに奴ら、ウィッチ&グリムの気配はわからない。わからないが、居るとは感じる。それは経験によるものだ。校舎から放たれる独特の雰囲気、ともすれば見逃しそうなほどの微かな違和感。これだ、とバロンの目が細められる。奴らはどんな時も、この微かな違和感の中にこそ潜り込んでいる。
背中でバンに変形した「アラジン」のスライドドアが引き開けられる音がした。降りてきたのはローズ・パーカー、背を屈めて軽やかに地面に足をつける。手に装備しているのはローズ・パーカー専用銃「スリーピングビューティー」5・56口径、全長760ミリ、重量3000g、マガジンは装弾数30発。ボディを這うイバラの装飾も美しいセミオート・アサルトライフルだ。ヘイ、とバロンはローズに呼びかけ彼女を振り返った。言いたい事はこうだった。居るなぁ、ベイビー。グレーテルの調子はどうだ。
しかし、バロンは口をへの字に曲げたまま腰を捻って固まった。車から降りてきた彼女は、薄い藤色の学生服を身につけていたからだ。膝下までを隠す清楚なジャンパースカート、細い腰を強調したベルトの所為で、彼女の胸部は更に際立って見えた。中に着込んだシャツも新品、白が月明かりを集めて彼女の肩と腕、胸元を光らせて見せる。その上、ローズ・パーカーの頬は上気していた。上機嫌なのが側からでも丸わかりで、銃を持ちながらも体を捻り、スカートの翻りをみて楽しんでいる。
ローズの様を観察しながら憮然としたままのバロンは押し黙っている。バロンの様子に気づいた彼女が、片足でターンする。広がったスカートの隙間から薔薇の香りが漏れた気がした。
「どう?可愛くない?ずっと着てみたかったのよ、倭国のユニフォーム!綺麗な色、生地もすごいわ、銃弾通さないんだって!」
足元はヒールを削ったタイプのブーティ、そこにも彼女の説明が入る。
「何だかね、足元はローファーじゃないとダメってルールみたいなの。でも私は学生じゃないし、こういうところでオシャレしちゃってもいいわよね?! ねえ、すっごいカワイイ。まあ胸に合うサイズ探したらかなり上のサイズになっちゃったんだけど。結局着こなしよね、何にしたって。そのまま着ちゃうとおデブに見えちゃうから腰を絞って体のラインが出る様にしたの! で、スカート丈を調整したのよ! 普段使いでも全然着れるわ! カワイイー!」
バロンの口先が尖っていき、更にへの字の角度も急になった。サングラスの奥の目はジト目ではしゃぐ彼女を睨んでいる。
「ね!ね! カワイイでしょ?! ねぇこれ買ってよ、ハニー! なんならお給金から引いてもらってもいいわ! 素敵! 倭国のセンスってやっぱちょっと他の国と違っているから良いのよねー!」
「………金の問題じゃねえだろ。グレーテルは装備してんのか」
低いバロンの声に違和感を覚えたローズが飛び跳ねていた足を止めた。今度は彼女の口がへの字に結ばれる番だ。
「………してるわよ。ドロシーと同期も済ませてる。あんたどうなの」
右手の中指につけたリングを見せた。しかしバロンはそれを見もせずにスーツの襟をひっぱり正す。その上、顎を上げて大口を開けてこう告げた。
「GOOD!そのカッコで死にに行くつもりかと思ったんでな。動きは制限されるしスカートは邪魔になる。言っとくが俺は助けねぇぞ。そのアホみてえなカッコでのたれ死ね、クソが」
「はぁ?!」
ローズの眉が顰められる。薔薇の名前を持つ彼女はまま、気位は高く気性は激しい。火を近づければ即座に燃える。
「私があんたの助けを期待した事あった?! 後ろでのらりくらり遊んでるだけじゃないの。アホな格好と真性のアホ、比較できると思ってんの?」
「お前なぁ、俺がどんだけお前のフォローしてきてるかわかってねぇだろ、危ねえからその服はやめとけつってんだよ。先が読めねえバカに懇切丁寧に教えてやってんだ、ありがたく思え」
「フォローになってないのよ、あんたはいっつもそれ! やってやったー、ありがたく思えー、頼んでねぇんだよ、こっちはよ! 大体これ作ったのあんたでしょ、つまりあんたの設計がポンコツなんでしょ?それを私は使ってやってるの。嬉しいわよね? 泣いて喜びなさい」
「よ、喜んで使ってんのはお前だろうが!」
「いつ私が喜んでこんなポンコツ使ったのよ! デザインはないし、ダサいし重い! ねえ待って、あんた自分の事ハイパークールなエンジニアーとか思ってる? ヤバいんだけど! 自己評価そこまで高いと逆に怖いわ! 役立たずのゴミ作りながら、シコシコやってるキモナード、マジキツくない? ゴミの自覚足りてなくない?」
腹の奥がグラッと燃える気配がした。歯を噛み締めて、バロン・クラウドは自分の胸板辺りしかない小さな女を見下ろし奥歯を噛み締める。手を出しても良いのだが、この女に暴力は一切通じない。殴られたらその分のヒステリーと暴力が倍になって返ってくる。だがこう言った言い争いというのは、良心によるブレーキこそが最大の悪手だ。言うべき時に言わなければ、言う暇を与えられないのが女性との、特にこう言ったパートナーとの諍いである。
ハッと息を吐いて、彼女のキラキラしい目から視線を外す。肩を竦めてお得意の戯けと冷笑で勝利宣言を成そうとした。
「まぁその役立たずの下で毎晩ヒィヒィ情けねえ声上げてんのは何処のズベタだって」
話だ、と纏めようとした直前に股間に鋭い痛みが走った。言葉は開いた喉の奥から響いた「ンゴッ!」という意味不明な語句にとって変わった。ローズ・パーカーが薄い藤色のスカートを巻き上げ、バロンの股間に強力な一撃を喰らわせたのである。
腰に来る痛みにもんどりうちながら股間を押さえたバロンが、よろけながらローズから距離を取る。
「おま、股間は、股間はやめろよ………。俺のモンではあるけど、お前のモンでもあるだろうがよ!」
答えずローズはズンズンと旧校舎に向かって歩いていく。脂汗の滴るこめかみから彼女の背中を見送った。痛みの波が来て、喘ぐ様に喉を鳴らす。答えない背中から伸びた腕が、旧校舎玄関に手を伸ばした。
「ファアアアック! 次見たらぶっ殺してやるぞ、クソ女!」
腹の底から絞り出した罵倒に、やっとローズ・パーカーが反応した。言葉ではなく、サインでだった。藤色の可憐な女子制服、その小さな背中の隣に中指を立てた小さな右手が掲げられる。そのまま旧校舎内部へと消えていった小さな背中を目の端で確認したバロンはまた、迫り来る痛みの波を逃すためその場でウサギの様に飛び跳ねた。
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