第5話 samara 4

 倭国の傭兵集団「回天」の応接室で、バロン・クラウドは語った。


「奴らは実体をもたない」


 既に時刻は深夜を回っている。薄暗いオレンジの照明を隠す送風機のファンが、静かに室内の空気をかき混ぜていた。長い足を組んで、これまた長い手を来客用ソファの背もたれに絡ませた黒いスーツの男は頬に意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。彼の美しい顔を下から見上げて回天団員、大神恵一の父、大神幸久は鼻白んだ。依頼するべきではなかった、と腹で唸ったが仕方がない。黒い男、アルビノの特徴を讃えた白く美しい男のスーツの胸元には、月と星を模ったラピルピンが飾られていた。倭国一の傭兵集団「村正」からの紹介である。自分達の様な自衛団では対応しきれない事件だ。致し方ないとはいえ、この尊大さで人を見下す輩に協力を仰ぐのは実に腹立たしい。大神幸久の心情などあってない様なもの、バロン・クラウドは無遠慮に顎をあげてタバコを一服した。肩でため息をつきながら煙から顔を逸らす。すると今度は煙の向こうに座っている小さな女が視界に入る。足を閉じて、両膝に肘を添えて前に屈みながらコーヒーテーブル上に並べられた記事を眺めていた。まだ隣の男よりは話が通じそうだ。だが兎に角服装がいけない。まるで下着の様なホットパンツ、黒いブーツに、腰にはチェックのシャツを巻いている。彼女が動く度に三日月の中央に星の飾られたブレスレットが音を立てる。だが、少なくとも、と大神幸久は彼女からも目を逸らした。大半の男にその音は聞こえないだろう。何故ならはちきれんばかりに育ったバストが歪み、盛り上がり、男の前に劣情となって表れるからである。


「こっちじゃなんて言うかは知らねぇが、ゴースト、レイス、ウィプスの類は実体化できる。儀式や術による強制的な実体化もあれば、敵対象への攻撃の為の実体化もある。だが、こいつらには実体がそもそも存在しない。存在しないが敵意と知能と狩猟本能を持ってこちらに攻撃を行う。つまり記憶と情報を持ったチーターの透明人間ってわけだ」


 ―――時を同じくして、大神恵一と多治比寅吉はそれぞれ喘ぐ様に奴らの腕と牙から逃げ出した。もつれる足を励まして、真っ暗な廊下をひた走る。


「物質か?と問われるとそれも違う。では現象と断定するのも不適当だ。こいつらは、波形や紫外線などの光線類、磁気や電磁波、プラズマの中でのみ棲息できる新種のモンスターだ」


 ―――足を掴まれた多治比の体が板間の廊下に倒れ込む。足首の先を確認すると、首の折れた大神恵一の姿をした何者かが笑いながら彼の名前を呼んだ。


 続けたのはバロン・クラウドの隣に座った小さな女。栗色のボブカット、前髪を左から右に流している。宝石の様な目を輝かせて、上目遣いに視線を向けた彼女は言った。


「元々は知性のある対話可能な生物よ。例を挙げれば、亜人種、エルフ、そして人間ね。ディアボロとの婚姻で肉体を失った男女の成れの果て。だから意志と記憶を持った現象として行動する」


「倭国じゃディアボロも馴染みがねェだろうな。奴らは人型の亜人種だ。美形揃いだが例外なく変態、馬とも羊とも、犬猫、竜とまでファックできる。その癖繁殖力はヒューマン以下、だから節操なく誰とでも何とでもファックするし婚姻する。人数も制限なしだ。最大で500のハーレムも確認されてる。その変態どもの婚姻が原因だ、奴らの婚姻は自身の持つ炎と相手を融合させる事。炎と融合し、意識と自我を持ち、ディアボロのハーレムの中で生活するにはメリット、デメリットがある。メリットは老化しなくなる事。デメリットは肉体を捨て去る事」


 ―――大神恵一もまた暗い廊下を直走る。背後にあるのは血に塗れた姉の裸体である。そいつが壊れた姉の声で彼を呼ぶ、呼びながら四つ足で走り彼の背後に迫ってくる。K、Kいtちゃああん。


「しかし」


 発したのは回天団員大神幸久、連日続く不可解な失踪事件の解決を依頼されたが、何処から手をつけていいかわからなかった。人は消えている、犯行現場も割り出せる。だが犯人の姿と遺体は何処にも見つからない。人間の犯行である事も考えた。だが一ヶ月で100人の人間を失踪させる事が出来る人間を、人間と捉えるのは難しい。


「今まで観測できなかったものが突然現れるとはどうした事だ。外来種は禁忌であると同時に脅威だ。対処のノウハウがないからな。恐らく今までは海を渡らなかったのだろう、それが今更どうして」


「船、ね」


 膝の上で頬杖をついた女が、広がった江戸の地図を見ながら呟く。


「最初の失踪事件が港の近くから始まってる。彼らは移動するわ。ディアボロと婚姻した個体が永遠に主人に愛と忠誠を誓うかって聞かれたらそうじゃない。炎の中でも自我を持って生活しているの。だから当然、中には離婚、ハーレムを追放される個体も稀に存在する。追放された奴は例外なく性格は最悪、当然よね集団生活を行えないから追放される。想像してみて、その腐った性格の個体が肉体を無くし、身寄りもなくなり、死ねなくなる様を。そのうち自我を確定させるため他人の肉体に憑依、或いは精神を乗っ取って行動を開始する。10人程度ならまだいいわ。ネオコルテックスなら会話が可能よ。けど必ずやめられなくなる。そのうち意識は狩猟本能、承認欲求、そして飢餓と結びついて他者を襲い始める。この状態がリンビック。そのうち隷属者スレイブの機能を持つ、ツォロムを従えて、シバルバーという結界を形作る。奴らは恐怖を啜って食べるの。シバルバーに迷い込んだ人間をゆっくりじっくり恐怖に浸して精神を啜る。犠牲者の抜け殻がツォロムになるわ。皮肉な話よね、自分の肉体と人生を奪った相手を模倣しなきゃならないなんて」


「外敵のいねえ、特に対処方法が確立されてねぇ土地に行くのは最適解だ、まだ思考能力は残ってんな」

「狩りの鉄則だわ、匂いのある方に赴くのは動物的本能よ。その上で経験を活かす。半分はレプティリアン化してんじゃない?」

「証拠は」

「見て」


 コーヒーテーブルに広げられた地図に、ローズ・パーカーは赤いペンで線を引いた。失踪事件の起こった場所を線で結んでいくと、地図の上に巨大な円と伴った奇妙な図形が現れる。


「シジルだ」


 赤い円と不気味な図形が、江戸の街を跨いで展開されている。大神幸久は女、ローズ・パーカーのペンの先をみて絶句した。彼とは対照的に、呆れ笑いに肩を揺らしたバロン・クラウドはそのまま縁起でもない台詞を口にする。


「羽化前の蛹だな。シジルを刻めるやつは被害者10万クラス。十分にレプティリアンだ」


 ローズの握る赤いペン先が、ある場所に押し付けられている。そこには大きな運動場と校舎と、そして既に歴史建造物と化した旧江戸高等学舎の文字がある。インクがゆっくりとその場所に染み込んでいく。


 広い肩でローズに押し乗る様に、地図を覗き込んだバロン・クラウドは続けた。


「律儀な野郎どもだ。人を取って食う割にはしっかり名刺を残してくる。シジルからして200年モノ、ザレン・ファルゴスからの追放者か。年代も合ってる」

「もうトートの樹になってたっけ?」

「ハーレム元はな。ザレンは特に好き嫌いが激しかった。追放者も多いからよく見るシジルだ」

「ってことは性別は女ね。つまりウィッチ。レプティリアン化して犠牲者を10万以上出した女性の個体を特にマレフィセント、男性の個体であるグリムならグリムリーパーと呼ぶけど………。 ビンゴ、失踪者は男性が多めだわ。全体の六割を占めてる」


 彼らは専門家だ。大神幸久にもそれはわかった。わかったが話の半分も聞こえなかった。あのペンの先、それは自分の息子と娘が入寮している学舎である。指先の震えを隠して聞いた。


「ペンの、先は、なんだ」


 問われたローズが、バロンから視線を外し不思議そうな目で大神幸久を見た。察する、という能力ではバロン・クラウドに采配があがる。彼はランドマリー上流階級、世界中の銃火器を一手に生産、販売を行っているクラウディア・コーポレーションの御曹司である。


「………その点で、シジルは完成する。つまりそこが、最後の狩場って事だ」


 静かになった室内を切り裂く電子音が鳴った。驚かされたのだろう、息を整えながら大神幸久がすまない、と目の前の男女に断った。携帯機の通話ボタンを押す。携帯連絡機から娘、大神美津姫の焦った声が響いてきた。


『お父さん?!お父さん、ねえ、恵ちゃんが行方不明なの。寮にも帰ってないって。もう二日経ってるって。どうしよう、お父さん、どうしよう、恵ちゃんが、」


 娘の混乱した要領を得ない会話を聞きながら、大神幸久は死んだ妻を思い出した。あの耐え難い喪失。その喪失を打破出来るのなら、いけすかないこの男に頭を下げる事など大した問題になり得ない。


「頼む」


 深々と頭を下げた大神幸久をみて、バロンは口の端を結んだまま首を横に倒した。ローズといえば、そんなバロンの様子を見上げて、視線を大神幸久の頭に向けた。やっと何事かを理解した彼女が肩を竦めて居心地の悪さを表現する。


 ―――大神恵一の目の前で血まみれの姉、大神美津姫の姿をした異形が、胸元を掻きむしり衣類を破いた。遠くを見ながら、けいちゃぁん、と叫ぶ彼女の手は止まらない。乳房を震わせながら自身の肋骨に指を差し込み、皮膚を引きちぎった。姉の肌を血が伝う。腰を抜かした大神恵一の前に狂気の笑みを湛えた姉が推し乗ってくる。


 ―――大神恵一の目をした化け物が、肉の花を開いて多治比の足首に巻き付いた。何処からともなく大神恵一の声がする。多治比ぃ、待てよぉ、一緒に、一緒に。


 少年二人は腕を振り、足で異形を蹴倒しながら抵抗した。口々に同じ文句を言いながら。


「何なんだよ!お前ら!」

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