第33話 Good bye 4

 辿り着いたのは山の奥の小屋だった。


 魔術医の診察の後、もう一泊ホテルで過ごした。朝になって朝食をとって、それからバーナードが私の滞在先について説明をした。


「アレックス様はご友人のバロン・クラウド様のご自宅に滞在しています。今から馬車を出してそちらにお送りさせて頂きます。ミス・ローズ。何かご入用でしたら遠慮なく申しつけてください。貴女の望みは可能な限り叶えさせて頂きます」


 ホテルのスイートの一室、来た時より随分と増えた荷物が山積みになっている。今すぐは思いつかなかったから、十分だわ、ありがとうと声を掛けたら、彼が深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。ミス・ローズ。ではこれから出発を致します。短い間ですが、貴女と過ごせた時間は有意義でした。良い旅を」


 最後の最後まで彼はアレックスの執事だった。絵に描いたような彼の仕事ぶりを見て、それから私の全てを変えてくれたマダム達にも別れを告げた。彼女達のふかふかな体を抱きしめて、人生でいちばんの感謝を伝えたの。でもきっと彼女達だってプロフェッショナル。私の体を抱きしめて、三人のマダムはこう言ったわ。


「健やかでね、ローズ。貴女は若くて美しいのだから、これからは貴女自身が貴女の人生を作るのよ」

「坊っちゃま達に虐められたらここに逃げてきなさい。私達が懲らしめてあげるわ」

「人が生まれ変わる瞬間を見たわ。目の前で見られるなんて贅沢な事!ありがとう、ローズ、どうか健やかで」


 朗らかで優しい人達に別れを告げて、私は馬車に乗り込んだ。三日前につけた泥の塊は綺麗に掃除されていて、コーチの内部は前よりも美しく保たれていた。コーチから上半身を乗り出して素晴らしいプロフェッショナル達に手を振る。手を振りながら私は誓う。私はこのコーチに相応しい人間であろうと努力しよう。彼らの言葉通りの人間である様努力しよう。この先何があっても。三日前の私はドブネズミだった。だからこのコーチに乗り込む時もコソコソと隠れる様に乗り込んだ。でも今は怖くない。私だってもう、宝石みたいに美しいのだから。



 アッシュボーンは金持ち達の別荘地、二階建ての綺麗な洋館と大きな敷地の前を三つから四つ通り過ぎた。馬車は緩やかな丘を登って行く。きっとこの邸宅がいちばん大きい。昔作りのコロニアル建築、大きな庭と刈り込まれた木々、奥の方には菜園が見えて、アズレファンの雪解け水を引き入れた湖も見える。

 アッシュボーンの街の入り口でみたメタトロンキューブ、それと同じ形の、小さい模型がまるで表札みたいに門の前に建っていた。その前を通り過ぎて、馬車は更に山の奥へ進む。もう数時間、馬車に揺られている。私は段々と不安になった。素晴らしい旅立ちだったけれど、行けども行けども、私の住む場所が見えてこない。木々の影が濃くなった。それはグレイシャーの森の奥に踏み込んでいる事を意味する。空気は冷え始めて、近くに岩を叩く滝の音が聞こえ始めた。地面を滑る様に進んでいた馬車の車輪が左右に揺れ始める。道が舗装されていない。お陰で私はコーチの上部にまだ傷の残る額をぶつけてしまった。


 そうしてやっとたどり着いたのがここ。平屋の小さなログハウス。ログハウスに近い木造の小屋の周囲の木々は伐採されていて、光が入る様になっている。玄関の前には太陽光を反射する大きなレンズが設置されていて、光に筋が真っ直ぐに玄関から室内に入る仕組みになっていた。五つの旅行バッグにパンパンに詰められた荷物を引き下ろして、玄関ポーチに立つ。衣装はクラシカルなシャツとローズ色のスカート。同じ色のベストは強くウエストを絞ったもの。足元は足首まで覆う黒いブーツ、踵をしっかりと合わせて首を伸ばした。首元を覆うのは白いレースのシャツを飾るタイ、俯いてなんかいられないわ。ドアノッカーにもメタトロンキューブが彫刻されていた。それを叩く。返事がない。もう一度、今度は荒く大きめに叩いた。そうしたら、中から誰かが歩いてくる音がした。


 私は背を伸ばして顎を上げて、旅行カバンを前に持って私を〝買った〟人間を見聞しようと試みた。扉を開いたのは、背の高い真っ白な髪をした、とんでもなく美しい男だった。


 シャツのボタンが二つ目まで外れていたから、彼の醸し出す雰囲気は随分とラフだった。生地は上等なんだけど、それを省みる様子が感じられない。女性のように繊細で、それでも何処かに男性と少年のワイルドさを混ぜた美しい風貌。長い手足は玄関扉のふちの中に収まりきれてない。統制が取れてて秩序立っていて、私は一瞬ため息を漏らしそうになった。彼は長い腕を折り、肘を玄関扉の縁に押し付けながら、日に煌めく青い瞳で私を見下ろしている。戸惑った視線が、私の顔を辿って顎の下に落ち着いた。上げた顎が頷きで下りそうになるのを必死で堪えた。この雰囲気には覚えがある。私の生まれた場所に蔓延してた粗野な人間のそれ。証拠に見て?彼のブルーアイズは煌めきながら、私の胸から離れない。きっと言うわ、かわい子ちゃん用事はなんだい?


「……なんだ?」


 甘い声で彼はそう言った。なんだか腹が立った。自分たちが〝買った〟人間の情報すら共有してないのかしら!


「初めまして。私はローズ・パーカー。私、貴女達に人生を買い上げられた筈なのよ、一億ゴールドで」


 冷たい口調でそう言った。彼は私の胸から目を逸らして、形のいい顎を抱えて少し考え込んだ。それから横目でまた私の胸を見た。


「あー……、ちょっと待て、ヘイ!ヘイ、アレックス!」


 知ってる名前が聞こえて、とうとう私はため息をついた。伸ばしてた背筋も馬鹿馬鹿しくなって緩めた。これは完全ね、情報共有出来てない。私、一体なんのためにここに呼ばれたの?高い金を出して私を買ったのだから、それなりの態度をとってほしいもんだわ!

 白い髪の男の後ろから、また足音が聞こえた。男の肩から顔を出したのはアレックス。私の生家に来た時より随分と、ラフな格好。あれは精一杯のオシャレだったのね、アレックス。私、こういうのに騙されるタイプだったんだ。私の失望をよそに、アレックスが明るい声を上げた。


「ヘイ!来てくれたんだね、ローズ、嬉しいよ!」


 彼の笑顔で全てを理解した。OK。理解したわ。全てを理解した。結局こうなのよ、私の人生は。私はきっと他人の食事を作り続ける星の下に生まれてきたんだと思う。見て?今度はゲイ達の飯を炊かなきゃいけなくなった。金持ちのゲイ友達なら、私に一億ぐらい出すでしょう。私はこれからゲイ達の熱い夜の後始末もしなきゃならないのね、なんて事。文句の一つも言いたくなるわ。


「ええ、来たわアレックス。貴方にまんまと騙されて。二人揃って腑抜けた顔してるわね、ゲイかしら。薪なら外に山ほどあるわよ、火だけならつけてあげる」


 言い切った私の前で男性二人は固まった。それから、白い髪の男が責めるように手を開いて、アレックスを見る。アレックスも無言で私を見つめた後、ゆっくりと白髪の男の様をみて、口を突き出したまま籠った声でこう答えた。


「俺の事じゃない」

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