第34話 Good bye 5
立て付けの悪い扉の向こうには想像を絶する世界が広がっていた。
先ずは玄関。入って直ぐに広がるだだっ広い四角い空間の右端に、三つの木箱が並べられている。上に乗っているのは泥だらけのブーツ。その上部に垂れ下がっているのが多分彼らのコート。そして大きなバッグ数点と多分彼らの私物が幾つか床に溢れて倒れている。視線を真っ直ぐに向けると、木材を重ねて作った壁がアーチ型にくり抜かれてて、多分その向こうにキッチン。ガラス窓が嵌め込まれてあるから、どうにか光は入ってきている。左に目を向けるとそこにもアーチ状の出入り口があって、大きなテーブルと暖炉が設置してあった。
「奥がキッチンだ」
白い髪の男が指を指して説明をする。見ればわかる。は言わないでおいた。次に彼は左の部屋を指差して言う。
「ここが会議室というか、談話室というか……日中の大半、俺はこの場所で何かやってる。隅にある本の山には触れるな。アレックスの私物だ」
「資料、だ」
「資料だ。で、奥にあるダンベルやらはトニーの物。今は飯を確保しに外に出てる。それから……」
彼の長い足が室内を横断する。そう言えば、と彼の背中を見上げた。随分と背が高い。私から見たら巨人みたい。そう言えばさっき出迎えられた時も、彼の頭の先がギリギリ玄関扉のフチからはみ出てた。目の前に屋根の梁を見ながら暮らす彼の生活に同情しつつ、私は彼について室内を歩く。
「キッチンの隣からバスルームに行ける。設備は期待するな。湯は出る。だが使いすぎるな、給湯器がイカれちまう。バスルームの前の部屋が俺たちの寝室だ」
白髪の男の説明を聞いて、私は一呼吸開けた。そしていつも通り、薔薇の棘を出して彼らに一撃を与える。OK、と私は呟いて、言った。
「で、私の荷物は何処に置けばいいの?」
言いつつ開け放たれた玄関扉、ポーチに積み上げられた五つの旅行バッグに目を向ける。なんて可哀想なバッグ達。買われた途端主人を失うなんて。あんまりよね、私何がなんでもあなた達を救ってあげるわ。嘘泣きでもなんでもする準備をしていたら、狼狽えた白髪の男が、あー……と声を上げて髪を掻いて、宣言した。
「俺の部屋を使え。俺の部屋に私物は無いし、女性なら鍵付きの部屋の方が安心だろ?どうせ会議室で寝てる事の方が多い。よし、ちょっと待ってろ、今部屋を片付ける。バッグを運んでくれ、アレックス」
「俺がか?!」
我関せず、と本を読んでいたアレックスが目を丸くして白髪の男に反論した。事もなげに白髪の男は言う。
「当たり前だ、レディだぞ。それに俺はこの家から出られない。直ぐに部屋を空ける、待っててくれ」
そう言って駆け出そうとした彼はふとその長い足を止めて私を振り返った。同じく長い指先で私を指さして、一語ずつ聞こえるようにゆっくりと私に宣言をした。
「それと、俺は、ゲイじゃない」
眉を上げて私は答える。
「ゲイじゃなきゃバイね。多趣味な事。言っとくけど私の顔は胸にはついてないわよ。あなた、人と会話する時おっぱいを見ながら話をするタイプ?」
白髪の男はまた固まって目を大きく見開きながらゆっくりと口を開けた。指先を振りながら言葉を考えてる。彼の様を見たアレックスが白髪の男を宥めながら、彼と私の間に入った。私を振り返ったアレックスの真剣な顔。完全に白髪の男をイジる気でいる。これで一安心だわ。
「ローズ、すまない。こいつはもう2年近く女性と関わってない。気の迷いなんだ、許してやってくれ」
「おい、ふざけるなよ、俺は見てない!少なくともガキを相手にするほど俺は飢えちゃいないぞ!」
まぁまぁ、なんて言いながらキッチンの奥に消えていった二人を見送って、私は一先ず暖炉のある会議室に歩を進めた。近くにあった椅子を引き摺り出して、座って足を組んだ。もうどうでもいいわ。手元には一億ある。この仕事が済んだなら、彼らを言いくるめてここから出ていってやる。自分の人生はいつだって自分で切り開くもの。誰のせいでもないわ。全て現状は、私の選択の結果。
◇◇◇
夜、更に一人の男性がこの小屋に戻ってきた。やっぱり身なりのいい、長身で屈強なその男性は、私の姿を見て微笑んで、アレックスと同じ反応をした。「ミス?」
「ローズよ」
と私が言うと、
「初めまして、ローズ」
と低い声で返してくれた。立ち振る舞いも着ているものも、他の二人より随分と上等。彼の腕に抱えられていたのは今日の釣果のサクラマスが6匹。それから小麦粉、各種スパイス。彼はそのままキッチンに向かって、夕食を準備しようとしたのだけど、それは止めた。彼に言ったわ。私の仕事を取らないで。一億という大金の分は働かなきゃ、私はここにいる意味がない。サクラマスを捌いて、バターを用意する。ついでにパンの準備。グラッセもつけたいわね。キッチンの仕事はマルチタスクが重要。それは慣れてる。何故ならあのクソみたいな実家でずっとそれをやらされてた。一時間経たないぐらいで、私はサクラマスのムニエルとニンジンのグラッセを人数分、パンを数十個仕上げて会議室のテーブルに並べてあげた。テーブルクロスの上に盛り付けられたサクラマスと、手の届く範囲にあるパンの山を設置する。会議室のテーブルの上には、一つの豆電球とその直ぐそばに吊るされたドリームキャッチャーが揺れている。ドリームキャッチャーから放たれた光が、食卓を柔らかに照らしていた。なんだかいつもより美味しそうに見えるわ。きっちりと並べられた料理を見て、まずは白髪の男が感嘆の声を上げた。
「見事だな。魚も肉も焼くだけだったからな、料理を食べれるだけでも最高さ、気分が違う」
私の席は会議室の長いテーブル、玄関に最も近い短い辺の一席。私の右にアレックス、アレックスの席の後ろにはすでに崩れ落ちている本の山が形成されている。そして、白髪の男の席が私の左側。窓を背にした彼の直ぐ後ろ、狭い隙間に設置されたのがソファ。今日からはここで寝るらしい。ソファの周囲とテーブルの下には各種工具が雑多に放り投げられている。私の正面に座っているのが長身のマッチョ、彼の背後には綺麗にアイロンがけされた軍服と多分、筋トレの用具がこれまた足元に散らばっていた。何より、食堂兼この会議室の大きな特徴が、アレックスの背後に設置された大きな黒板、メモがわりに色々な文字が書かれている。私には読めないけれど。
「では、改めてミス・ローズ。酷い場所だが我らの住処へようこそ。自己紹介をしていこう」
夕食の前、ワインを手に取った彼はそう言った。其々がワインを掲げて一先ずの歓迎を行う。私も倣ってそうした。時間も遅いから、食事をしながらでいいか、と聞くと彼は戸惑いながらも、君がいいなら、と一口ワインを飲んだ。最初はアレックスから。
「僕はアレックス・フィッツ。ローズ、君は字が読めないと聞いていたけど、フィッツ、の名前は聞いた事があるだろう」
「ウェイズリー・フィッツなら聞いたことがある」
私の答えを聞いて、アレックスは口の端を引いた。私もワインを一口飲んで、ナイフとフォークを手に取った。
「僕の父親だ」
あら。口の中で解けるサクラマスの身とバターが絡んでいい味になってる。だから返事ができない。首を傾げて驚いた。飲み込んで彼に言う。
「最近、猫の亜人とファックしたって話題じゃない。あなたも亜人?」
それを聞いた白髪の男が吹き出すように笑い始めた。
「やれやれ。醜聞は何処にでも回るな。ワールドクロックと噂話に大差はないよ、信じちゃダメだ。僕は猫でも犬でもネズミでもない。多少は、リスに似てるらしいが」
今度は私が笑った。彼の行動を思い返したら、確かに大きなリスやらビーバーに似てる。
「君の正面に座るマッチョがトニー。トニー・エンデバーだ」
笑って気分が良くなったから笑顔で彼に言ったわ。
「初めまして、トニー。ローズよ、ローズ・パーカー」
「初めまして。僕は、一応軍部に所属してる。だが今は休職中だ。部隊からも病気療養を言い渡された。妻と子供がいるんだが、今は離れている」
「原因は?」
「呪いだ」
端的に彼は答えて、無表情のままサクラマスを食べた。呪い、という言葉で彼ら三人の気配が黒くピリついた。
「そして君の豊かなバストに夢中な彼が、バロン・クラウド。この小屋の所有者であり、最も強い呪いを受けている張本人だ。男所帯のこの侘しい集会の長でもある」
「誤解だ、やめろアレックス」
手を広げてアレックスを責める彼に、追い討ちをかけるの。多分この三人の中で彼が一番女慣れしてる。だから最初から打ちのめさなきゃ、私は簡単じゃないのよって教えとくの。
「ハイ、バロン。初めまして。ローズよ、ローズ・パーカー」
それから気になった彼のファミリーネームについて聞いた。
「クラウドって、あの、クラウド家?グレイフィアの」
ヤ、と言いながら彼が首を縦に振る。
彼らから贈られた様々な物を思い返した。靴にバッグ、下着に沢山の衣類。理解した。こんな山小屋だけど彼らは正真正銘の金持ち、上流階級の人間だ。クラウドの名前は私だって知ってる。グレイフィアを持っていない農民なんて考えられない。危険動物、そして更に危険なモンスターに対抗できる唯一の武器。魔法を使わなくても剣を振るわなくても、グレイフィアを使えば女性だってモンスターと戦える。そのグレイフィアを作っているクラウディアの創業者。だからこそ疑問に思う、全てを思い通りに動かせる立場の人間が、何故こんな辺鄙な場所に?
「バロン・クラウドだ。早速だが、ローズ、君には協力してほしい。君の知っている情報をなんでもいい聞かせてくれ。俺は呪いの所為でこの家、正確にはこのドリームキャッチャーの光が届かない場所では生活できない。幻覚と幻聴、味覚障害と悪夢が常に俺に付きまとう。なんとなくだが感じるよ、多分次はない。一歩でも外に出たら俺は殺されるだろう」
澱みなく一気にそう語った彼の言葉が作り話みたいで私はちょっと辟易した。彼は健康、美しい肉体と容姿を持ってる。一口にサクラマスを齧って、バターソースを絡ませたパンを食べている姿にも呪いの気配なんて見えやしない。でもトニー、嘘をつけない人間であろう彼の雰囲気が沈んでいる。つまりそれは本当の事で、バロンという男は2年の間、この恐怖に慣れてしまったんだと思う。
輝く食器に目を落とす。脂質がドリームキャッチャーの光に反射して、私の網膜に届く。私の中には一つの疑念がある。でもそれは疑念で確信じゃない。だからそれはここじゃ言わない。バロン、私もなんとなく感じるの。でもお願い、まだそれを私に言わせないで。
AVOCADO 路輪 一人 @hitori_mitiwa
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