第31話 Good bye 2

 男の言葉を鼻で笑って、投げたクワの柄を拾い上げた。


 腰を使ってそれを高い位置に振り上げる。力任せにクワの先を土の中にめり込ませた。これからここには牧草の種を蒔かなきゃいけない。そうじゃなきゃ冬の前に、家畜に食わせる飼料が無くなってしまう。春の雨の後の柔らかく湿った土を掘り返しながら男に言った。


「ケタが一つ足りないわよ。酒場の女衒ピンプをやっているアル中のローリーだって、私には100億出した」


 歯の抜けた臭い口を開けながら、あいつが言った事を思い出す。ローズ、18になったら、いや17で俺の店に来い。お前にだったら100億出しても惜しかねえ。記憶の中のローリーの饐えた口臭を思い出して気分が悪くなった。人に値段をつけるなんてろくでなしがやることだ。明確な拒否をアレックスと名乗った男に告げたのに彼は黙ったまま私の仕事風景を見ている。土を掻く音の合間に、あの上品で人を小馬鹿にするウルタニア語が聞こえてきた。


「ではこう言い換えよう。ミス。手に入る1億と夢想の100億、君はどちらを選ぶ?」


 ミス。聞きなれないけどこそばゆい言葉でこの男は人の神経をくすぐってくる。傾向で言うと詐欺師のロッチに近い。でもあいつは馬鹿だったし、馬鹿だったから監獄、陸の孤島のサンダークリフに収監されてる。馬鹿な詐欺師ほど悲しい肩書きはない。馬鹿は馬鹿なりに正直に生きるべきだ。だからまたクワを持つ手を止めた。男を睨みつけると、そいつは隙もないぐらいにはきっちりと重なったコートの間に黒いグローブを突っ込んで、紙の束を取り出した。彼の片手に握られたそれが札束みたいに開かれる。コートの胸ポケットに刺してあったのはクラッカー。魔法の鉛筆だ。銀色の短いタクトみたいなそれを取り出したアレックスが、札束風の帳面に数字を書き込む。それを破って私に差し出した。


「これが1億」


 ペラペラの紙に彼の文字で1億という数字を書かれている。ここまで自信満々に嘘をつけたのなら、ロッチは今頃大統領だったろうな、って考える。


「見たことがないかね?それは小切手だ。よく見てみたまえ、僕の署名がしてあるだろう?これは公的な署名だ。その小切手を持って、この町の……、いや、ここじゃ難しいな。隣町のアッシュボーン、そこの銀行員に差し出したまえ。その数秒で君は1億ゴールドの所有者になれる」


「哲学の話?何かを多く持っている奴は、それを少なくしたがる、みたいな。そういう話がしたいんなら、町に行って浮浪者のベントンと会ってみたらいい。こないだは、寝ながら100万ゴールドを稼ぐ方法を聞かされたわ。あいつ計算できないのにね」


 アレックスは一瞬喉を詰まらせて、それから心底楽しげに私に言った。


「……君は面白い子だね!」


 よく言われる、を無感動に放り投げて手を広げた。それを受けて彼のチャーミングなそばかすが笑顔の中で輝いた。私の、とてもじゃないけど褒められない態度にアレックスはまだ食い下がってくる。まあ、そうだろうなと思う。私を誘って私に蹴っ飛ばされてきた男は大体そうだったから。次の手は多分食事。ゆっくり話したいからって笑う時、男の目にはしっかり虹色に光る性欲が滲んでくる。お互いの事をもっと知りたいって思わない?そう言ってくる男には石ころを見る目でこう返すの。別に?って。恐怖もないし、憐憫も感じない。自分でも不思議なくらい心が動かない。


「OK。では僕、正確には僕達が君に大金を支払おうとしている理由を説明しよう」


 予想が外れてびっくりした。口をへの字に結んだら、鼻の頭が痒くなったから茶色の袖で鼻を拭った。


「我々は今非常に困難な状況にいる。友人の一人は家族と離れて暮らさねばならず、僕は婚約者を喪った。最も酷い状況にいる友人は、家から一歩も外に出られない。呪いのせいだ」


 呪い。聞いたことはある。ゴーストやらレイスと呼ばれるモンスター達、基本素体がマナで構成されているマジックモンスターが使う攻撃だ。大体が恐怖を増幅して幻覚を見せたりするらしい。でもゴーストの幻覚は一瞬で、慣れた冒険者達なら無視出来るレベル。魔術職にある人間でも初級レベルの祝福で対応可能でやりようによっちゃあ一般人でも退治できる。もう一度アレックスの足元から頭の先までを2回見直した。


「……冒険者登録もしてない私の祝福が必要なゴーストって何よ。ガラス玉で全身なぞれば浄化できそうね、そんなゴースト」


「まあ、最後まで聴きたまえ」


 話の腰を折ってばっかりの私に比べて、彼は一応私の話を最後まで聞いてくれる。なんだか少し自分が恥ずかしくなったから彼の姿を正面に見据えた。


「ゴースト、レイスの幻覚、また恐怖フィアーは一瞬だ。断続的な攻撃は行えるが、対処方法が確立されている。一方、我々に降りかかったこの呪いは、非常に強力で長時間に及ぶ鮮明な幻覚と幻聴、睡眠障害を引き起こす悪夢、更には一連の現象が他者へ感染してしまうという特性を持っていた。この精神的、マナ的攻撃を行うモンスターを検証した結果、あるモンスターにたどり着いた。ゴースト、レイス及びリッチの上位種。グリムリーパーだ。グリムリーパーについて聞いたことは?」


 その名前は知ってた。だから思わず喉が詰まった。胸の奥が痛んだから、顔を伏せた。そいつは私の一番嫌いなモンスターだ。何故ならグリムリーパーは悲しい。悲しくて怖い。嘘をついた。


「知らない」


 下唇を噛みそうになったから、アレックスに気が付かれない様に顔を逸らした。嫌な男。私の表情を逐一観察してる。そこでわかった。こいつはロッチみたいな馬鹿じゃない。きっと1億も本当だ。こんな田舎じゃ会えないレベルの賢い男。見るな、って目で彼の目を見てやった。ああ、やっぱり嫌な目だ。何かを得た余裕のある目をしている。そしてアレックスはそんな確信をおくびにも出さず会話を続けた。


「グリムリーパーは基本、建物の中に発生する。洋館だとか古城、廃城、人の住まなくなった家屋の中で彷徨い始める。長らく彼らの生態は不明だった。学者ですら、リッチがより古く、強力になった存在だとしか認めていなかったが、我々の独自の調査で学説の齟齬を発見した」


「おめでとう。もう生活に困らないわね。自慢しにきたの?」


 もういいやと思った。真面目に話を聞いても、言葉で煽ってもどっちでも一緒だ。多分私はこの男に丸め込まれるだろう。だって経験がない。人を気持ちよくさせて自分の思う通りの方向に誘導していく喋りなんて。だからこれは最後の抵抗。少し収めた自分の棘を全部出して刺してやる。だって私はイバラの名前を持っているもの。誰を刺したって仕方がないわ。私の返答を聞いたアレックスが顔の前で手を振りながら顔を顰めた。酷い顔なのにチャーミング。だからみんなこいつに騙される。


「まさか!論文を出せばそれなりの賞金と名誉をいただける調査だがね。賞金も名誉も実は有り余ってる。名誉や金の為じゃない。生き残る為に必要なんだ。精神疾患のヴェールを纏ったこの明らかな攻撃アタックから我々は生き延びねばならない。その為に君が必要なんだ。いいかい?」


 黒い革製のグローブから指を一本立てて、彼は秘密を明かす様にそれを顔の前に持ってきた。行動全部がその為に行われている。私はもう、感心すらしている。


「リッチやレイスは発生場所から離れられない。だが、グリムリーパーはある一定の期間、何故だかトートの樹の周辺で目撃される。目撃件数は少ないがね」


 そういう事か、と合点がいった。きっとアレックスは私の噂を聞きつけてきたのだろう。藁をも縋る心持ちで。その為に君が必要なんだ、この言葉を言い換えればきっと、君が最後の希望なんだ、ってところだろうと思う。トートの樹の下に突然発生した拾われっ子。


「……言っとくけど、何も知らないし、何もわからないわよ?生まれた時の話なんて覚えている訳ないし。クソババアが話を盛っている可能性だってある」


 眉を上げて頷きながら彼は私の言葉を了承した。


「構わない。グリムリーパーに関する情報は全て買い上げるつもりだ。……実のところ、僕もいつまで外を歩けるかわからない。唯一外出が可能な人間が僕だっただけで、他の二人はかなり強く呪いの影響を受けてしまっている」


 もう彼に表情を隠さなかった。俯いたまま少し考えた。ずっと奴隷みたいな生活だ。自分の行く末だってろくな物じゃない。こんな田舎町で頭の悪い大人に囲まれてる。だったら生きていく方法なんて酒場でローリーの世話になるしかない。そのうち誰の子供かわからない子供を妊娠して、私の人生はぶち壊される。例えばアレックスの言葉が全部嘘だとしても、この家から逃げ出せる理由にはなる。1億を持って逃げる事も可能だ。けど、そこまで踏まえているだろうな、と考えつつ顔を上げた。だったらきっと、私の選択は間違ってない。


「……いいわ。でも1億は私の物。あのクズ人間達には一銭も渡したくない」


 アレックスの表情に微笑みが乗った。全てを余裕で構成されている彼の表情に安堵を感じた。それも自分の選択を誇れる要因になった。


「後で問題になっても困る。……まぁ100万ゴールドでも渡しておくよ。早速だが荷物をまとめて、アッシュボーンへ来て欲しい。生活用品の一切はこちらで準備する。長い付き合いになると思うからよろしく。ミス・ローズ」


 黒い革製のグローブが伸びて目の前に来た。取る気もなかった彼の大きな手を握る。不安がないわけではないし、彼が稀代の詐欺師だって予想もまだ捨てきれてない。だけど何かは変わる気がした。世界と私を取り囲む全てが。


『…………行かないで………』


 耳の奥で聞こえた言葉を私は無視した。ねえ、ママ。私もうすぐ13歳になるの。そういう時期なのよ。私だってこれがなんなのかわからない。でもこれが、俗にいう反抗期って奴なんだと思う。

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