Current time 3:27

第29話 Kislorod 2 Current time 3:27

 怯えた犬の目を女の小さな背中に寄せて、多治比寅吉は彼女の機嫌を伺った。

 徹底破壊された教室を出て、二人で真っ暗な校舎内を探索した。小一時間経った頃、突然彼女が『はぁぁぁ?!』と絶叫、荒く教室の引き戸を開けて閉めて、壁を二、三度足蹴にして、そこからずっと機嫌が悪い。

 それまではなんとなく談笑をしていたように多治比も記憶している。ピノッキオという光源越しに照らされた彼女は倭国の女と違っていてきめ細やかな美しい肌をしていた。舶来の人形の造形に強気な女性戦士、倭国でいう御前連中の目の輝きが混ぜられている。軽やかに舞う小さな体が浮きそうで捕まえたくなるのだ、けれども触れてはいけないと父や母、先生達から教えられていたので寅吉は出しそうになる手を必死で引っ込めている。本能に従えば、手首をとって抱きしめて腹の中に隠してしまいたい、そっちの方が彼女にとってずっと安全ではなかろうかと思ってしまう。

 けれど可憐な彼女は今や棘だらけのイバラになった。時折指を喰みながら、ああもう!やら、ほんとムカつく、などの愚痴を吐きつけて、多治比に大量の羊皮紙を押し付けた。彼女の肩口にいたピノッキオが再度ドロシーを生成したのだ、そこからまるでプリンターの様に丸まった羊皮紙が湧き出てくる。


「さっさとそれどこでもいいから貼って!モタモタしてるとあいつに全部持ってかれちゃう!」


 この物言いにはさすがの多治比も腹が立った。何もわからぬ人間を使っておいてその言種は余りにも傲慢だ。


「ってかさっきからお前人使ってばっかじゃん。俺は素人だし仕方ねえけど、説明ぐらいくれてもいいじゃねえか」


 唇を突き出して拗ねた振りをしたら、一理あると彼女も感じたのか同じ様に顎をあげて唇を突き出す。不満げなへの字口が解かれてため息になった。


「三つの証拠を集めなきゃいけないの!じゃなきゃあいつらを特定できない」


 三つ。不信の目を好奇心に変えた多治比が彼女を見る。腰に両手を添えて、彼女は続けた。


「こいつらは振動とか光とか、プラズマ、目に見えない世界に存在する新種のモンスターなの。で奴らを撃破する為には証拠が必要なの。三つのね。そのうちの一つをもうあいつ手に入れてんのよ!」


 目を向いて多治比は答えた。


「いいことじゃん」


 見開かれた目が即座に多治比を射抜いたので、多治比も思わず肩を引いた。女性特有の爆発するヒステリーがそこから発されると思ったのだ。しかし意外にも彼女は口をつぐみ、大きな黒目を右に左に流しながら思案している。腕を組み、形のいい顎に指を添えながら沈黙していた彼女が、ぽつりと呟いた。


「まぁ、……そうね。一応、証拠を見つけた場合にボーナスが入るんだけど、これは私の問題だし。あいつに出し抜かれるのが癪ってのもそう。あんたには何も関係ない話だわ」


 突然冷静になった彼女に何かしらの機を外されて、思わず多治比は吹き出してしまった。それは見知った女性の特性だった。戦場、魔物の討伐に同伴する女性は多くいる。倭国では御前と呼ばれる女性剣士にも、そのアンバランスな冷静さがあった。鬱屈したヒステリーさがない代わりに、からりと晴れた明るい冷静さを備えている。彼女達と同じく、目の前の銃を持つ女にもその乾いた冷静さが見て取れた。そしてその奥には匂い立つ様な女性の生命力も。

 きっと彼女を曇らせるのはその生命力だろうと多治比は考える。それが彼女の未熟さで魅力でもあるだろうと思い立つ。思い立ったら彼女が可愛くて仕方なくなった。へへへ、と鼻の下を伸ばしながら彼女に笑いかけると、唇を尖らせた彼女から、キモ、という軽口が聞こえてきた。


「これ、何処に貼ってもいいの?てか紙、紙か?これ」


 腕の中に丸まった羊皮紙を一つ取り出して、多治比は近くのガラス窓にそれの端をつけた。背面に糊でも貼ってある様で、羊皮紙はべっとりとガラスに張り付き固着する。


 それを見た彼女がこの作業の説明をしてくれる。


「グリム&ウィッチは12種類に分類できる。何処で発生したどんなグリム&ウィッチでも同様。性別も関係ない。その12種類のうちのどれかを特定する為に、7つの反応のうち3つを集めるの。気温の低温化、氷点下ね。それから紫外線反応、ラジオノイズ反応、自動書記、電磁波、プロジェクター、オーブ、カメラ反応ね。今回、私の、……同僚ね、同僚が見つけたのが紫外線反応。100万持ってかれちゃったわ」


 やっぱり悔しい、と続けた彼女の話を注意深く聞いていた多治比が質問する。


「自動書記てのを調べるんだな。でもさ、実体がないんだろ?グリムだかウィッチってのは。なんか書いたり出来るの?」


 羊皮紙を反対側の壁に貼り付けた彼女が多治比を見た。綺麗で大きな目だ。まるでぎょくの様だ。


「反応を見てるの。紫外線だって電磁波だって、手に取れる物じゃないでしょう?色々調べたけど羊皮紙が一番反応がいいのよ。奴らは振動や電磁波、波形の中でのみ生息できる。羊皮紙を振動させるならそれが一つの証拠。描いてるものは意味のない文字列だったり、ぐしゃぐしゃに塗りつぶされた絵だったりするわ」


 彼女の説明を聞きながら、壁に張り付いたまっさらな羊皮紙を撫でた。ゴワゴワとした感触が指に心地いい。感触を楽しみながらも、多治比寅吉の脳は回転する。彼は戦士、大和の傭兵教育機関に所属するサムライの端くれであるから、恐怖の閾値が非常に高い。暗闇には目を凝らすし、物音が聞こえれば踏み込んでしまう。勿論、知らない事も大好物だ。


「実体がないものをどうやって倒すんだよ。電磁波?とかで追い払うのか?」


「ノン」


 快い彼女の声が聞こえた。口の端を引いて得意げに彼女は答える。ノン。ああ、藍語らんごだ、と多治比はやっと彼女の母国語を認識した。きっといい翻訳機を使っているんだろうなあ、と予想する。


「実体がないのなら実体を与えてやればいい。そいつらが潜み好む空間、原子の振動数を計測して、無理やり実体化させるの。その為に、証拠がいる」


 板間をブーティの踵で鳴らしながら、彼女の凛とした背中が暗闇の奥に歩いていく。説明を聞いた多治比は、その説明を半分理解して半分は理解できなかった。ただ感心はした。これは倭国では成し得ない祓魔である。霊力、気、倭国ではそう呼ばれるマナの存在、それに頼る事を放棄した藍国ランドマリーならではの方法だ。これはつまり誰が行っても同じ結果が得られる、という事だろう。子供でも女性でも老人でも誰でも祓魔が行える。誉めそやされた自身の膂力に価値はなくなる、と多治比は考えた。同じ様に自分の様に腕のたたぬものでも戦場に立ちサムライの名誉を得る事が出来ると思った。それはきっと良い世界であると彼は考える。


 それは少し寂しい。己の肉体を鍛える為に費やした時間の否定の様に思える。同じく多治比寅吉は考えた。それは少し楽しい。鍛錬そのものが無になることはないだろう。だとするならば自分の鍛錬は新しい形として運用されることになる。その在り方はきっと心踊るものに違いない。


 そして小さな女の背中を盗み見た。

 小さな背中だ。自分の顎ほどしかない。その小さな背が自信たっぷりに板間を歩く。都度、薔薇の香りが微かに漂う。新しい自分の在り方を、まるで啓示の様に連れてきた女だ。この女と共に歩む未来は大層面白いものだろうな、などとも考えた。だから軽口が口から出た。


「なんかすげえな。倭国じゃ絶対考えつかねえ。これ考えたのお前?てか、お前幾つだよ」

 栗色の髪が翻って、強い眼差しが自分を射抜く。

「多分、16」

「多分?タメかよ」

「言ったでしょ、私、親が居ないのよ。木の股から産まれたの。大きなトートの木の下で泣いてたのが私。覚えてないけどね」


 そう彼女が返した瞬間、貼り付けた羊皮紙が一斉に震え始めた。危機に緊張した多治比が脇を固めて抜刀の体勢を取る。強い風に晒されたように振動した羊皮紙の表面に血文字が浮かび上がる。それは意味のない文字列であった。


 X9F@LQ#Z5&VP7!MBR^T3*W4K8YJ$NC2+GH6


 ざざ、じじ、とそれを剃る音が空間の中を満たした。空間を震わす振動に、多治比は周囲を見渡しながら、次の行動に備えている。そして女、ローズ・パーカーの顔は輝いた。狩人の残忍な愉悦を頬に引っ掛けて、してやったりの声をあげる。


「ビンゴ!紫外線反応と、自動書記反応!あと一つでお終いだわ、ボーナスは私が貰うわよ!ハニー!」


 ほころんだ女の顔を見た直後、緩みそうになった頬を多治比寅吉は口を真一文字に結んだ。発する暇は無かった。女の肩口に光る爪の先を見たからだ。人体の限界まで足を出す、筋力の限界を使って間合いを詰めた。縮地しゅくち!同時に抜刀し、爪の先にせめて上身かみの腹を捩り込む。自分の胴が女を弾き飛ばす感覚があったが、弾き飛ばされたのなら無事だ、何故なら確かに爪は刀の刃を掴み、その皮膚と鼻のない濡れた顔を自分に近けて笑っている。力任せに化け物を押しやる。化け物もまた、釣り上がった目を光らせて体を揺らして体勢を整えた。長い舌から液体が垂れて板間を焼く。そいつの背後、闇の向こうにはまた幾つかの足音が聞こえはじめた。多治比寅吉は腰を落とす。丹田に力をいれ、青眼に待つ。


「ほんとうざったい」


 スカートが翻る音が背なでして、ついで薔薇の香りが漂った。安全装置が外されて、迷いのない銃声が旧校舎の廊下に響き渡る。先ず、前方に居た二、三体が彼女の銃撃で倒れた。即座に身を翻した彼女が、文字の浮き出た羊皮紙をひったくり、自分の肩口に浮くピノッキオにそれを読み散らせる。同時に彼女は、多治比の背後、そこに迫ってきていた数体を銃殺する。多治比の前には新たな個体が躍り出ていた。薔薇の香りとそれを打ち消す硝煙と、鉄錆びた血液の匂いが背中合わせの二人を包んだ。気配は暗闇の中に増えていく、一体、また一体。しかし不思議なものだ、と多治比は背中の女を思った。なんだか、負ける気がしない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る