第28話 Lullaby 6
海の底、と繰り返したバロンに祖父エイモスは答える。
「そうだ。海の底には国がある。大きな国だ。アトラスという国に、アランは連れて行かれた」
祖父エイモスが静かに語るそれは、クラウド家の歴史だった。歴史の重さにバロンの膝が折れて、ロッキングチェアに尻が据えられる。暫くの沈黙の後、祖父エイモスが再度語り始めた。
「俺の爺さん、ソラルド・クラウド、クラウド家の始祖だな……、その人は、海の底から来たと言ってた。本当に頭のいい人だった。ソラルド爺さんが何かを言うと大体がその通りになった」
バロンは祖父の昔話に聞き入ってしまう。御伽話の様だが、祖父エイモスは見た物を語るから、語り部が近いかもしれない。
「アッシュボーンは、……酷い土地だった。山向こうに古い城があるが、そこに、グリムリーパーが居座ってたんだ。グリムリーパーが近くに居ると土地が腐ってしまう。ソラルド爺さんが土地を開拓した直後、冒険者に倒されたがな。それまで、水の流れは濁ってたし、アズレファンの湧水地には人の死体が浮かんでた」
息を吸って祖父エイモスは腕を組んだ。そして天井に一つだけぶら下がっている照明を見た。照明の灯りを受けたドリームキャッチャーは、その小さな裸電球の光を何倍にも増幅させて部屋の中を隅々まで照らしている。照射角と光量の調整も行えるのだろう、人の目を痛めない優しい明かりが部屋の中でゆらゆらと揺れている。
「アランはソラルド爺さんによく似てた。白い髪や水色の目、お前ともそっくりだ……。何より、家族の中でソラルド爺さんの話を理解してたのはアランだけだった。ソラルド爺さんが奇妙な事を言う、マクスウェルの悪魔、だの、エン、なんだったか……、何かとても難しい話をするんだ。俺にはちんぷんかんぷんだったが、アランだけは面白がってソラルド爺さんの話を聞いてた」
それが俺は悔しくてな、と発して、祖父エイモスは少し笑った。その言葉を枕に更に語り部を続ける。
「ベッドの中でアランを脅したんだ。グリムリーパーにとって食われるぞ、ってな。そしたら酷く怯えちまって、次の日からあのドリームキャッチャーを作り始めた」
話を聞きながら、バロンは訝しむ。御伽話だ。海の底から来た人物が自分達の始祖で、現代工学では再現できないだろうあのドリームキャッチャーを作成したのが子供だと言っている。半笑いのバロンが小さく首を振った。
「冗談だろ?」
口をへの字に曲げて、上目遣いにバロンを見た祖父エイモスが肩をすくめる。
「……俺は、俺の見たまま、聞いたままを言ってる。嘘をつく必要がない。アランは7歳であのドリームキャッチャーを作って、8歳の誕生日に海の底に連れて行かれた。……迎えに来た奇妙な服を着た三人の女に、ソラルド爺さんは怒鳴ったよ。初めてソラルド爺さんが怒ったのを見た。お前達の崩壊した倫理に他者を巻き込むなってな。そこで海の底のアトラスっていう国の事を聞いた」
ぼつぼつ、と途切れながら祖父エイモスはアトラスという国の事を語った。その国では途轍もなく科学技術が進んでいる事、人は生殖ではなく人工子宮で増減する事、その国では争いはなく、人々は他者を認識せずひたすら自身の知的好奇心を満たして死んでいく事。ソラルドという人はその国の安寧を脅かす犯罪遺伝子を持っていた為、発生段階から落伍者の印をつけられ地上に排出された事。
そこまで聞いて、バロンはまた笑った。明らかな非効率をその物語に見つけたのだ。
「ハッ……、発生段階から異常者なら、さっさと殺しちまえばいい、それだけの、人工子宮だぞ?!そんな物が作れる技術があるなら間引きなんて簡単だろ!」
「遺伝子の多様性を確保する為だ、と聞いた。国にそぐわない遺伝子を持つ人間を地上に排出し、そこで家族形成を成して混ざった遺伝子を確保する為、子孫を連れて行くんだそうだ……」
それはとても倫理的とは言えない国家犯罪だ。だがその犯罪を犯す国家はこの地上の何処にもない科学技術を有している。そして更に祖父エイモスは言った。
「結局はアラン自身がアトラスに行くと言いだした。ソラルド爺さん以外アランの話を理解してくれる人は居なかったからな……。俺は最期まで反対した。きっとアランは殺されると思った。まあ、今ならわかるが殺す意味がない。でも、俺は寂しかったよ。アランともうずっと会えないなんて耐えられなかった。でもな」
祖父エイモスは、腰を折って作業台の下を触り始めた。ボロボロの紙と、雑誌、ゴミと木屑、存分に埃を吸い込んだアンティークボックスが彼の両腕に抱えられた。祖父エイモスの足腰が心配になるほどの重さと大きさだ、それは祖父エイモスが積み上げてきた時間の重さなのだろう。作業台の上を滑ったアンティークボックスに何十年かぶりの明かりが落ちてくる。
「アランが最後に、俺にくれた。壊れないだろうけど、と言ってたが、壊れた場合の予備がまた三つある。このドリームキャッチャーを見るたびに、アランを思い出すよ……。さあ、お前にやろう、必要なんだろう?」
言いながらその箱に積もった埃を払い、祖父エイモスは宝箱の形をしたアンティークボックスを開けた。一番上に載せてあったのはフォトブック、それから新聞の紙切れと、祖母グレースの若い頃の写真。古臭いカビの奥、数十年前のワールドクロックに包まれていたそれを、バロンは手に取った。高揚しながら埃を払い、包装を破く。30センチはある大きなドリームキャッチャーが現れる。中央のガラス玉が室内の豆電球の灯りを吸収した瞬間、全てのガラス片にプリズムが発生した。
どうなってる。
ドリームキャッチャーから音が聞こえだす。光を微細なエネルギーに変えている、とバロンは即座に構造を見抜いた。藤の枝で囲われた円の中、同じ材質で形作られたメタトロン・キューブ、それが優しく発光し始める。思った通りに、ガラス片の埋め込まれている空間部分が細かく振動していた。それが絶妙な角度をつけ、光の照射角度を調節している。10センチほどの円と、その中のメタトロン・キューブを眺めながら、バロン・クラウドの脳が覚醒していく。ゆっくりと踵を返すと、目の前には黒板がある。当たり前のように小さくなったチョークを指で摘んだ。頭の中に、数式が展開し始める。このプリズムが構成されるであろう数式を書き出す、それはどれほどの光量で、そこにどのような力点が加わったからそれは増大するのか。増大。
目の前の、まだ暗い黒板を見上げながらバロン・クラウドは数学的直感に身体を震わせた。全て、物事は散逸する。全ての情報は散逸し、その散逸具合は必ず増大する。熱力学第二法則、エントロピー増大の法則だ。自身を襲う幻聴と幻覚、悪夢達は、何故が「減少」するエントロピー、光量を増大させるドリームキャッチャーによって妨害されている。そこに通底する理論があるとするならば。
手首が、当たり前のように数式を書いた。これは最新物理学であり、ロックウッド大学でも教鞭を取れる教授の少ないある熱力学の発展型である。自分に降りかかるのは、現象であった。事象であった、空間でもあった。何故自分にだけ、その現象が起こりうるのか。その統計は計算式で求められるのか。世界を情報化する学問、統計力学は、空間と現象を可視化する。マクスウェルのデーモン、開祖ソラルドに語られた情報を操作する悪魔を探す計算式が、今始まった。
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