第10話 Flash To Flash 4

 徹底破壊された廊下側を避けて、既に暗くなった窓の下に座り込んだ多治比寅吉は、呆然としながらも思考を巡らせた。聞きたい事言いたい事は山ほどある。しかし、ありすぎて何から聞けばいいのかわからない。そうする合間に女は教室の中に散乱していた椅子の一つを起こし、そこに腰を下ろした。側のプリンター、ドロシーと発言したそれがまた何かを空間に書き出している。


「……何作ってんの?」


 茫としたまま多治比は彼女に聞いた。そういえば彼女の名前も何も知らないなあ、と今更ながらに考えた。


「香炉。トートの木を燻すの。あんた首筋見せて?」


 首?多治比が着物の併せを引いて右の首筋、大神に化けた異形から噛み絞られた首筋を露出した。多治比からは如何なっているかわからないが、その傷口を見て女は小さく頷いた。


「しっかりマーキングされてるわね。首筋に模様があるの。シジルよ。これは私の物だっていうウィッチの主張。ハントを受けてたのは今よね?じゃ、次のハントまで時間があるわ。あんたを美味しそうに味付けしておかなくちゃ」


「味付けってなんだよ!助けてくれるんじゃねえのかよ!」

「言ったでしょ、私達が依頼されているのはウィッチの駆除。被害者の救済は私たちの仕事じゃないの。方法もよくわかんないし。あんたはウィッチのマーキングを受けてる、つまり何がなんでもウィッチはあんたの恐怖を啜ろうとするわ。理解できる?あんたは私達にとっても撒き餌なの」


 多治比の喉がグッと詰まった。戦法として彼にはそれが理解できる。魔物、妖怪の一部は執拗な執着を持って人を狙う者がある。その性質を利用して調伏を成すのは戦法の一つとして教えられた。眉を顰めて目を閉じて受け入れがたい現実を受け入れるために奥歯を噛んだ。自分は腕が立ったから、囮や釣りに抜擢される事は少なかった。釣りや囮で戦死の危険を犯さねばならぬは、腕の立たぬ者。今自分がその立場になってわかる、これほど屈辱的なものなのか。

 立てた膝の中に頭を埋めて、自省を成した多治比は目を前に向けた。生き残る事に善も悪もないのである。それは正誤で表される。間違いのない正。


「俺は何をすればいい」


 低く告げた多治比を満足げな冷たい瞳で見下ろして、立ち上がった彼女は箱から香炉を取り出した。女子制服のポケットから取り出したのは真っ青な葉。熱帯の葉脈を思わせる色濃い幅の広い一枚を破いて香炉に詰め込んだ。詰め込んだそばから、白い煙が香炉から漂ってくる。濃い雨を思わせる。夏の雫、花の香り、生命の初夏を詰め込んだ爽やかな香りと煙が、多治比寅吉にまとわりつく。


「この匂いを奴らは嫌うわ。考えてみて、お腹が減って死にそうな時、目の前に無茶苦茶美味しそうなスイーツが現れたの。でも臭いがゴミ以下なのよ。あんたどんな気分になる?」


 例えを想像して多治比は笑った。自分が今考えた事と同じ事を奴らが思うのだとしたら、それは痛快な事である。


「さっき、恐怖を啜るつったな。てかこいつらなんなんだ?外来種なのはそうなんだろうと思うんだけど……」


 首を軽く横に倒して、口の端を引いた彼女が答える。藤色の女子制服からは相変わらず薔薇の香りが香ってくる。


「根性から素人じゃないって気はしてたわ。そうね、まだ倭国じゃ観測されてない怪異だものね。こいつらはウィッチ。性別が女性だからウィッチね。男性ならグリムって呼ばれてる」

「結界を構成するのは、倭国じゃ大妖だけだ。こいつらも年代物か?」

「今回は200年モノ。こいつらは実体を持たないから、ツォロムっていう使い魔を使って人を恐怖に陥れる。それを啜るの」


 それを聞いて多治比は木の屑とガラスの破片の中に埋もれた無数の死体に目を向けた。血に塗れ様々な位置が欠損し、奇妙な状態で折り重なっている死体の山を見ながら、もう一つ質問をした。


「……あいつら、俺の知り合いとか、家族の顔になって襲って来るんだ。なんでだ?俺の家族が焼け死んだのはもう5年前だ。知ってるわけ」

「ウィッチのテリトリー、シバルバーに足を踏み入れるだけで先ずは記憶を読まれるのよ。だから知ってる人間、特に大切だと思っている人間の顔をして奴らはやって来る」


 崩れた死体の一つに目をやると、矢張りその顔は大神恵一の面影を残している。或いは、父の、母の、祖父の、そして妹の。忘れ難い事件だ、だが5年の月日は家族の顔を朧にしてしまうには十分な期間だった。だから、久々に父の顔、母の顔を見つめる。祖父の体をした異形は頭が吹っ飛んでいたから、天を仰ぐ妹の姿を見つめた。こいつらが記憶を読み、それを映すというのなら、この異形どもの姿はきっと家族と寸分違わないのだろう。目の奥が熱くなってきたから、鼻を啜って目を逸らした。ついでに女にこう言った。


「……あんたにもやっぱ違って見えるのか」


 質問の後、女の背中が何かを隠す様に静止した様に多治比には見えた。悪い質問をしてしまったか、と頭を掻こうとしたら静止したままの彼女の背中から返答があった。


「私には、そのまま。皮膚と鼻がなくて、長い舌を持った気持ちの悪いミイラみたいな化け物に見える。それから、……アイツ」


 言い淀んだことを隠す様に、再度彼女は椅子に座って足を組んで多治比寅吉を振り向き言った。


「私に家族は居ないもの。私ね、木の股から産まれたのよ。だからみんな、私をこう言う。ワイルドローズって。ワイルドローズ・パーカー。それが私の名前」


 ◆◇◆


 首筋の傷がチリチリと焼ける様に痛む。

 大神恵一はその傷口を確かめるべく、右手でもって右の首筋を撫でた。ミミズ腫れに盛り上がる傷口と、そこから滲み出る血液を彼の指が拭う。指先が盛り上がる傷口に触れる度、息を呑む様な痛みが走るから息を止めて、それから指先をみて出血の具合を確認した。指先にへばりついたのは血漿のかけら、透明な浸出液である。

 斜め前に座って煙を吐き出した男から声がかかった。背中に目でもついているのか、と大神恵一の顔が不快に歪められる。


「痛ぇか。仕方ねぇな、ピノッキオの防御壁の中じゃあ、シバルバーを構成する全ての分子、波長までが阻害される。首筋の傷をなぞってみろ、絵が描かれてるはずだぜ。魔女の口付け、マーキングだ」


 言われてもう一度首筋に手を伸ばした。ミミズ腫れに盛り上がった肉塊を指で辿ると、そこには円形の図形が刻印されている。術というものの知識がある大神は小さく舌打ちをした。マーキング、つまりもう相手には自分が何処に居るかが判明している。どこにいようと何をしていようとそれを全て把握される。生き残るには敵首魁を討伐するより方法がない。


「色々質問したい事はあるが、まずあんたは誰だ」


 首を捻って男は、その青い瞳で大神恵一を見た。白い前髪の奥に青い瞳が輝いていてその青い瞳も丸いサングラスに半分は隠れてしまっている。だから大神恵一は鼻白んだ。彼から発される気配がとても人に敬意を払ったものでは無かったからだ。

 男は長い腕を水平に振り、指先に挟んだ名刺を彼に差し出した。受け取ってそれを見る。AVOCADOと書かれている。


「ウィッチ&グリム駆除専門店AVOCADO、駆除員のバロン・クラウドだ。お前は、大神恵一だな?親父と姉ちゃんを泣かすなよ、グールみてえなザマで俺の足に縋り付いてきたぞ」


 はは、と最後にくっついた笑いを聞いて、大神恵一は判断した。頼るべき人間ではあるが、信用すべきではない。


「ウィッチ……? そういう名前の怪異なのか。聞いたことがない」


「倭国じゃまだ観察されてない。そもそも、ウィッチとグリムは古来から呪いとしてしか観測されていなかった。それを可視化し、駆除出来るようにしたのが俺。そして俺のツレ」


「……やはり外来種か……。依頼は国からだな?」


「いや?国の前にギルドからだな。村正には一応繋がりがあってな。そこからだ」


 村正。倭国一の傭兵集団である。少数精鋭で構成される忍者集団だ。その武力は海外でも高く評価され鎖国中であるにも関わらず、彼ら村正の戦闘員には他国隊商からの護衛の依頼が舞い込んでくる。倭国の鎖国規制が緩和されたのも、その要因は村正に拠るところが大きい。他国からの依頼を無下に断るわけにも行かず、出国には多数の書類と審査が必要になるから時間がかかる。その審査の簡易化がつい先日の元老院で可決された。

 その倭国一の傭兵集団となんらかの繋がりがある。つまり。大神恵一は再度男の全てに注視した。非常に良い生地の背広、装飾はほぼ身につけていない。唯一輝くのは、背広の胸元に刺されているラピルペン、三日月とその中心に輝く星の紋章。


「あんたもギルド関係者か?」


 詰問の音を伴って大神は発したが、受け取ったバロンはやはり笑いながら彼の問いを受け流す。


「ご名答、地下世界ちかせかいって弱小集団だ。ご依頼の際には名刺に記載の方法か、地下世界を通していただければすぐにお伺い致します。今回は、戟鐡直々の依頼だからな。優先順位としては高い」


戟鐡げきてつって……、あの堺屋戟鐡か?!」


「流石倭国じゃ有名人だな。兄貴の伽藍がらんがうちにいるが、ようやっとあの兄弟も話がついたらしい」


 戟鐡、伽藍。表の顔を堺屋、倭国を代表する大店の主人にして裏の顔は村正を統べる傭兵集団の長である。伽藍の倭国出奔に付随する騒動は既に歌舞伎になっており、『難波藍鐡双龍伝なんばらんてつそうりゅうでん』は一年を超えるロングラン上演が行われている。

 何が弱小だ、と大神は腹で唸る。それだけの人物と交流を持てるギルドに所属している者、そしてこの態度だ。ある意味、この結界を形作った怪異に等しい脅威である。


「そういや、二人でシバルバーに踏み込んだらしいな。恐らくもう一人の安全も確保されてるはずだが連絡してみるか?。ああ、いや………そういやついさっき別れたんだった」


 苦々しく口を歪ませてそうぼやいた男の背中にまた質問を投げかける。


「シバルバーってのが結界だな。奴らは式神の一種だ、なんでまた肉親に姿を変えるのかわからんが……」

「シバルバーに踏み込んだ人間の記憶を読むのさ。で大切な人間、肉親、友人、恋人の記憶を纏ってこいつらは人の恐怖を啜りにくる。だから、グリムかウィッチの発生している土地には殺人が多い。特に、肉親殺しがな。たった二日で良かったな。この空間じゃ時間の感覚も狂わされるから一ヶ月なんてあっという間だ。そのうち恐怖を生み出すだけの餌場になり、その恐怖を啜られ尽くして廃人になる。肉の塊になったお前を、奴らは操りツォロムに変える」


 姉や、多治比の姿を取ったのはそれか。と大神は考えた。恐怖を効率的に吸収する方法として正しい。身近な人間が、見知った人間ではなくなってしまう恐怖。それは変遷の恐怖であり、死という変遷への恐怖を呼び起こす。


「俺には姉貴に見えた」


 大神は言った。


「……姉貴と、一緒にここに入った多治比ってヤツ。あんたには何に見えるんだ?」


 バロンの背中が静かになった、と大神は思った。その微かな変化を感じさせない優雅さで彼は答える。


「そうだな、あそこで崩れているのはローズだ、今は兎に角ローズが多い。それから、あそこで顔が半分になってるヤツはアレックス。それからトニー、それから……バイロン」


 バイロンという名前を彼が発する直前に奇妙な間があった。だから大神は彼の背中を見上げながら、バイロンという名前の人物について語られるのを待った。だがその期待は彼の弾けたような笑顔と行動に潰されてしまった。突如立ち上がった彼は笑顔を大神に向けて、何かを差し出す。思わずそれを受け取った大神は手の中の機器を見た。温度計である。


「ハントは連続では起こらない。その間に奴の正体を突き詰めてぶっ飛ばすぜ、BOY?三つの証拠を集めなきゃいけねえ。先ずは温度計で周囲の温度を測れ。これからペイバックタイムだ」



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