FIND YOU ~研究編~
第23話 Lullaby 1
【天才バイオリニスト、無惨な姿で発見
某月某日未明、新進気鋭のバイオリニストと名高いバイロン・クーパー氏が首を切断された無惨な姿で発見されました。クーパー氏の遺体を発見したのは、友人のB氏。B氏は「本人より呼びだされたので、自宅を訪ねた。目の前で自ら首を切断した」と語っており、現在ショック状態にあります。
現場となったクーパー氏の自宅は、憲兵隊により立ち入りが禁止され、鑑識が詳細な捜査を続けています。捜査関係者によると、クーパー氏の自宅には争った形跡は見当たらなかったとのこと。警察は、薬物や精神疾患の可能性も視野に入れ、クーパー氏の交友関係や、最近の仕事状況などを慎重に調査しています。
クーパー氏は卓越した演奏技術と情熱的な演奏スタイルで知られ、国内で高い評価を受けていました。そのため、今回の事件は音楽界のみならず、多くのファンにも大きな衝撃を与えています。クーパー氏の死因や事件の詳細については、今後の調査を待つこととなります。】
ワールドクロックの一面を飾った若き天才バイオリニストの訃報は、いつの間にやら三面へと追いやられ論調を変えた。バイロン・クーパーの悲しい生い立ちが羅列され、父ニコロ・サンスへの非難から、養父ジョゼッペ・クーパーへの非難、そして生母である王 花梨への誹謗に変化した。皆が彼の死を面白おかしく、虚しい生活の慰撫として扱いはじめる。記事の中でバイロンは犯罪者と懇意であったり、政府関係者と密に通じるスパイになった。また貧民層に出回るクロコダイルジャングルという低品質の麻薬の元締めになったりもした。やがてワールドクロックから彼の名前は消えてしまったが、彼の名前は形を変え憶測と嘘に飾られながら変異していく。取るに足らないタブロイド紙の中でバイロンは、人肉食を嗜む精神異常者になった。最後は妖しい呪術を駆使し人心を惑わした悪魔のヴァイオリニストになって口さがない酒場の女達のネタとして消費されている。
バイロン・クーパーの友人達はその記事の九割が嘘であることを知っている。そして一割の真実も憲兵隊より聞かされた。憲兵隊に程近く、資料の見聞が可能だったトニーはそれから肉が食えなくなった。バロンが踏み込んだあの家具のない部屋の中にあった備え付けのオーブンの中に、半分白骨化した女性の遺体が焼かれて放置されていたという。身元はすぐに判明した。マリア・ロス。つまりバイロンは、自身の妻の肉を食べながら生きながらえていた、という事になる。
友人達だけによる簡易な葬式を終えて、バイロンは司法解剖の後、墓地の端に埋葬された。養父であるジョゼッペ・クーパーが、彼の親権を放棄したからであった。生母である王 花梨すら葬儀には参列しなかった。誹謗中傷が激化していた頃だったので、ファンや一部の野次馬達の見せ物になるのを拒んだのだろう。
バイロンの死から一週間の拘留を経て、バロンは釈放された。
凶器であるバイオリンの弓にもバイロンのコートにも指紋が検出されず、また彼の供述の通りリビングの入り口から一歩も動いていなかった足跡が決め手になった。魔術捜査も利用され、事件発生時刻のリプレイが動画に保存される。魔術的書き換えが可能なので証拠としては決め手にかけるその動画にも、首を弓で挽き切るバイロンと腰を抜かしてその場にへたり込むバロンの姿が映し出されていた。
そして、その日を境にしてバロンはある夢を見始める。
バロン・クラウドは草原にいる。真っ青な空に一つ筋の様な雲が線を引いている。雲を押し流しているのは向かい風だ。息をする毎に香ばしく爽やかな風と草の香りが鼻腔をくすぐる。足元をなぞる丈の短い牧草の様な草が見渡す限り永遠に続いている。バロンは夢心地に思う。何かを探さねばならない。それが何かはわからない。けれどもそれを探すため、心地よい風の香る草原をゆっくりと歩き始める。夢の中、不思議な浮遊感と幸福に酔いながら彼は呟く。『星の名はニガヨモギだ……』それは与えられたヒントなのだ。キーワードを駆使して探さねばならない、無くしてしまった大切な何かを。そしてそれは揺れる草の間に輝いている。翡翠の滑らかさと色をした流線形の壺だ。ちょうど胸に抱ける大きさの、取手のないカップの形をした若草色の壺。ドーム型の蓋を載せたそれが草むらの中で彼を誘う様に鎮座している。手を伸ばす。そしてドーム型の蓋を取る。中には灰が詰まっている。その灰の表面をそっと指の先で掻く。
窪んだ灰の奥に目があった。正気のない濁ったそれはバイロンの目だ。灰の中から彼を掘り出そうとしたら、濁った眼球がぎょろりと動いてバロンを見た。
体が跳ねた衝撃で目が覚めた。
喉の奥に詰まっていた呼気を一気に吐き出しながら、だれた腕を振って瞼を覆った。心臓の跳ねる音が耳の奥に響いてきてうるさかった。荒くなった息を整えながら瞼の上の二の腕を退けると、眼前にはゆっくりと回転するシーリングファンの輝く羽根が見える。暫く呆とそれを眺める。そして腹に沸く言いようのない焦燥と恐怖に抗ってみる。
あの事件からもう一ヶ月だ。事件の後のショックを和らげるため、バロンは父親から強制的に休暇を言い渡された。だがいくら次期社長とはいえ、出社もせずに家で寝ているのは体裁が悪いから、どうにかバロンは体を動かし起きあがろうとする。マーカスもまた事が事だけに、と彼を追い詰めぬ様配慮をした様だった。だがその配慮がまた彼を一つ追い詰める。暗い自室のベッドの上で、バロン・クラウドは段々と細くなる肉体を摩りながら漫然と生活を行っている。数時間の悪夢を見て飛び起きる生活。神経はすり減り、意識は撓み、無気力になる。これではいけないと隈の浮いた目を擦り、シャツを羽織って、薄い髭を剃る為に鏡の前に立つ。そうしたら、誰もいない筈の自室の何処からか声が聞こえる。『YOU』それは一人の時もあるし、大勢で呼びかけられる時もある。頭を抱えながら彼は頭に響く声を打ち消す。これは幻聴だ、と腹で唸りながら、精神科で渡された向精神薬を口の中で噛み砕いて鏡を見ると、真っ黒な穴になってしまった眼球から腐敗した涙を流している自分が、絶叫しながら自分に言う。『YOU』
喉の奥に悲鳴を封じ込めてガラスを殴る。中央から放射状にひび割れたガラスに映るのは焦燥し切った自分の顔だ。よろけながら鏡から離れ顔を覆ってバスルームから飛び出した。
この幻覚はバイロンの死の翌日から段々と強度を増しながら彼に迫ってきた。気のせいだと思っていた声は大きくなり、次に幻覚が現れた。食事の味はしなくなり、体重が落ち始め、目が窪んでくる。二週間後、バロンの異常に気づいた父親が彼を医師やエクソシストにも診察させたが異常が見つからない。心的外傷であるとの診断を受け、安定剤を処方されたが効く様子もない。そして幻覚と幻聴は凄まじい臨場感でもって彼の生活を支配し始める。
常にあの目がある。あの目が、自分を狙っている。誰かの顔、父親の、母親の、マーカスの、そして弟ウィリーの顔になってあいつらはやってくる。真っ黒く落ち込んだ眼球。真っ暗な洞窟を思わせる二つの穴から、腐った血の香りを漂わせた涙が流れている。大きく開いた口の奥から、脳髄に響く絶叫が発される。怖い。目がじっと自分を見つめている。悲しみに満ちた真っ暗な空洞を湛えて、奴らは囁く。『YOU』
「……やめてくれ……!!」
ベッドの上でバロンは呻く。両手で塞いだ耳の中でも、まだこだまするあの声に身悶えながら。
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