第24話 Lullaby 2

 ランドマリーの首都、リベラフェデラーでは二月の祝祭が行われていた。

 春を待つユノフロラが各家庭の軒先にリースとなって飾られ、時折降るみぞれ混じりの雪に晒されている。雪の降る十二月から三月までの期間、白く淡い小さな花びらを雪の結晶の様に群れさせて咲くユノフロラは、古来から冬季の非常食や滋養の生薬として使われた。薬味のある爽やかな香りが街に満ちる、マーケットはユノフロラティーを売り出し、葉を練り込んだパウンドケーキを店頭に並べる。そしてリベラフェデラーを覆うドーム、それを制御する四方のオベリスクにもそれぞれユノフロラの花束が捧げられた。街は春を待つ高揚感に満ち始めている。

 希望の名を持つ花の祝祭とは対照的に、バロン・クラウドの生活は更に荒んだ。かつてのバイロンの様に骨と皮のみの異様な風貌に変わり果て、部屋の隅のベッドに包まりながら襲いくる寒さと恐怖に体を震わせている。最近は一睡もできない日が多くなった。夢は展開し、骨壷が増えた。バイロンの入っていない骨壷を探さねばならない。その強迫観念にとらわれて、バロンは夢の中で駆けずり回る。星の名はニガヨモギだ。ニガヨモギが記された星、骨壷を探さねばならない。やっと見つけた骨壷を逆さにして灰をかき出したら、山になった灰の中からバイロンの首が飛び出してくる。目が覚める。耳元で誰かが自分を呼ぶ。YOU。


 逃げ場がない恐怖に慣れ、恐怖に慣れてしまったが故、感情が消え、気力も消えた。虚な意識の奥で、死の気配を感じ始めたある日、無遠慮にもノックすらせずに自室に踏み込んだ人物が居た。バロン・クラウドの父親、クラウディア社現社長の、ヴィクター・クラウド。バロンの実の父親である。


「酷い様だな」


 死にかけている息子に向かってそう吐きつけた、チェスターコートを腹で着た恰幅のいい髭面の紳士は、バロンの部屋の周囲を見渡し、まずはカーテンを開けた。


「起きられるか?起きられないならそのままでいい。今から荷物を詰める」


 彼の号令に応じた数名の男性が、ドカドカとバロンの寝室に踏み込んできた。手早く箱を広げて物を詰め込み始める。一人はそのまま掃除を始めた。毛布の合間から無感動にその様を見つめて、しわがれた声でバロンは父親に呼びかける。


「一体……」


 なんなんだ、とは発せなかった。喉の奥が傷んで、言葉にならなかったからだ。か細い息子の声を受けて、直立し両手を背で組んだ紳士は答える。


「今からアッシュボーンの爺さんの家に行くぞ。家族全員だ。ウィリーは休学だ、家庭教師も連れて行く」


 アッシュボーンは、レックサイドから更に南に降りた田舎町だ。リベラフェデラーの様に街にドームが張られていないから魔物の侵入も考えられる辺境の地。しかし土地が豊かで農業に適しており、未だに原生林が残っている。穏やかで静寂な空気のせいか、モンスターの目撃例自体が少ない。四季ごとに色を変える木々と、澄んだ水に育まれた植物により、時間の流れすらも遅く感じさせる。一年を通じて気候が安定し、気温変化が少ないので、金持ち達の別荘となっている場所だ。


 驚いて思わず起きあがろうとしたが、腕に力が入らなかった。骨と皮になった顔を父に寄せて『Why?』と表情で彼に問う。ヴィクター・クラウドは合理主義者だ、バロンも小さな頃から父の一種冷徹な判断を恐ろしく思っていた。必要ない、と断じた物や人に対して彼は一切の感情を割かない。クビですら書面にて言い渡す。バロンの心配事の一つがこの父親だった。彼の合理主義を鑑みれば、自分の状況は放り出される理由として適切なのだ。その判断をしてしまえる人間である。

 息子の哀れな姿から目を逸らし、ヴィクターは光の差し込む窓へと視線を向けた。硬い髭が口ごもり、振動した後、何処か遠いところを見ながら彼は答える。


「俺が、アッシュボーンを出てリベラフェデラーで銃を売り始めたのが16の時だ。爺さんはグレイフィアを作る技術を持っていたが、物の売り方を知らなかった。世界を変える銃という武器も知られなければ意味がない。俺は銃の作り方など知らん。才能がないのだろう、どうなっているかさっぱりわからなかった。だが、人に物を売りつける事はできた。だからこの首都で贅沢な暮らしが出来ている」


 バロンを正面に見据えたヴィクターがまるで決意の様に続ける。


「俺が物を売るのは、家族を食わす為だ。子供の俺は満足に飯も食えなかったし、着るものもなかった。俺が文字を覚えたのは10を過ぎてからだ。だから俺はそんな思いをお前達、家族には絶対にさせたくない。俺が何故働くか、それは家族の為だ。家族がストレスなく暮らして初めて仕事が出来る。家族が弱っているのならそれは仕事をやるべき時間じゃあない。クラウディア社の全権限をマーカスに渡してきた。酷く混乱して嫌がったが頼み込んだよ。何年かかるかわからんから株なんぞ売っぱらえと言ったら、配当の半分は毎月振り込むそうだ。お前が帰るまで会社は維持してみせると言われた。全く、頑固な男だ」


 言い切ったヴィクターは、バロンから顔を逸らして一息ついた。下がった肩にのしかかった物をその一息で下ろした様に見えた。伺えるのは葛藤、自身の積み上げてきた物をこの男は未練なく手放したのだ。彼の葛藤に手を添えたマーカスにも、バロンもまた感謝をした。帰るまで。マーカスは信じている、クラウディアという大企業のCEOは、ヴィクター・クラウド、彼しかいないというそれは返答だ。つまり自分は、父親、そして父親の経営するクラウディア社、その従業員にも生かされている。存在を望まれている。父親の後ろで四人の男達が手際よく部屋の中を片付けている。彼らを眺める振りをしながらヴィクターは息子のバロンから目を逸らしていた。代わりに見えるのは、父親の人生そのものだ。初めて見る父の態度に、バロンの肉体に力が戻る。崩れそうになる腕をどうにか突っ張って、久しぶりにベッドから体を起こした。忘れていた感情というものが沸き立つ気配を感じた。感動とも喜びとも驚きともつかなかった。妙に冷静だが、その冷静さの奥にあるものは確かに感謝だ。動こうとしたバロンを制して、ヴィクターが続ける。


「母さんも了承したよ。抜けている様に見えるが、彼女は賢い。お前は何も心配するな。アッシュボーンの屋敷はあれで広い。農園もあるし、魚釣りができる池もある。俺は魚を釣って遊ぶ。お前は暇を潰す方法だけを考えろ」


 そう言ってヴィクター・クラウドは素早く足を出した。部屋の中を忙しなく動き回る男性の一人を呼び止めて何かしらを告げた後、振り返りもせずに部屋から退出する。何かを言おうと口を開いたけれど、父の大きな背中には届くまい。起こした体を再び汚れた枕に沈める。部屋の清掃を行う男性の一人が、ベッドサイドで彼に告げた。


「このままお休みください。キャスターに移動させていただきます。そのままアッシュボーンのクラウド邸へと移送しますので」


 頼む、と発した様な気がした。恐らく悪夢をまた見るだろうが、それでも心地が良かった。バロンの意識が落ち込んでいく。揺らされる体を脳の何処かで感じたけれど、不思議なことにアッシュボーンへの移動時間、彼は夢を見なかった。

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