16.キミとあたし
なぜだ。なぜなんだ。
俺は今、ミレイの家にいた。天井に届くかというくらいのものから、机の上の小さな鉢植えサイズまで、部屋中が観葉植物に囲まれていた。部屋の中にいるはずなのに森の中にいるような感覚を覚える。
四人でラーメンを食べた後、先輩たちと別れた俺達はどうやら帰る方向が同じだったらしく、それなら来ればいいじゃん、というミレイの猛烈な誘いを断りきれず、つい来てしまった。
初めて入る女子の部屋。緑の爽やかな匂いと芳香剤なのか、柑橘系の匂いが混ざった香りがする。
俺はセンターテーブルの前に置かれた座布団の上に正座して固まっていた。
俺の部屋と同じような1DKの造り。俺の後ろには本棚が二つ。ぎっしりと専門書や漫画や小説が詰まっている。前を見る。壁面のクローゼットの隣にはモニターが3台取り付けられたPCとデスク。隣にテレビ台。そしてベッド。ベッドの向こうは出窓になっていて、眼鏡がいくつかとアクセサリー類などが置かれていた。
なんて観察している場合か。
「おまたせー」
冷蔵庫を漁っていたミレイが、炭酸ジュースの2Lボトルを持ってキッチンからやってきた。片手にはコップが二つ。
一つを俺の前に置き、ボトルの蓋を開ける。プシュという音とともに蓋は空いて、ミレイは俺のコップに中身を注ぎ入れてくれる。
「あ、ありがとう」
自分のコップにも注ぐと、俺の隣の座布団に座った。
「ん?なんか緊張してる」
「してない」
「じゃあなんで正座?」
「っ!」
慌てて足を崩してあぐらをかく。その様子を見ておかしそうに笑うミレイ。
「今日は急遽だけど、昼間に言ってた鑑賞会だから、リラックスしてよ」
ミレイはテレビのリモコンを取りながら言った。ボタンを押して電源を入れ、配信サービスの画面に切り替える。
「あそうそう、これこれ。このアニメなんかどうかな」
ミレイが操作しながら言う。アニメのキービジュアルとあらすじが表示された。ファンタジーバトル、というか伝奇ものの名作アニメ映画だ。
「いいと思う。これにしよう」
「おっけー」
再生ボタンを押す。配給会社のクレジットの後、映画本編が始まった。
俺もこのアニメは知っているし、今の戦闘スタイルの着想を得るきっかけになったものだが、こうして本編を通しで見たことは、実はない。
ちらりとミレイを見る。
座布団の上でぺたんと座っている。いつもは快活を通り越してうるさいくらいの彼女だが、こうして集中している表情は新鮮だった。眼鏡の奥の目は、まっすぐ画面に向けられている。
アニメでは双剣使いが片方ずつ影の魔物に向かって短剣を投擲している。そう、俺の双剣での戦闘スタイルのお手本になったのはこのキャラクターだ。
コップを持ち上げ、ジュースを一口飲む。ラーメンを食べた後だからという理由で、菓子の類は用意していなかった。
ふと、ミレイの肩と俺の肩が触れた。心拍数が一気に跳ね上がるが、隣のミレイは特に気にしていないようだった。
アニメの中では肉弾戦が繰り広げられている。
俺は机についていた手を離し、身体の後ろにつく。右手に柔らかくて温かい感触がした。見ると俺の右手はミレイの左手に重なってしまっていた。
慌てて離す。
「やん。そんなに慌てなくてもいーのに」
ミレイがこちらを向き、いたずらっぽい笑みを浮かべながら言う。ぱっつんに切りそろえられた前髪が、振り向きざま、少し揺れた。
「いや、その、ごめん」
「なんで謝んの。嫌だなんて言ってないし思ってないって」
そういうとこだぞ蔵識ミレイ。女子と付き合ったことのない男――俺だけど――は、そういうので勘違いするんだって。
「いーからさ。楽しもうよ。一緒に」
再び視線をテレビモニターに戻す。
巨大な影の化物を相手に、少女が短剣を握りしめて突っ込んでいく。
そうして本編が終了し、エンドロールが流れる中、ミレイが口を開いた。
「いやー、普通に面白かった。てか泣きそうだった」
「ちゃんと見たの初めてだったけど、面白かったな」
さすが名作と謳われるだけある。
「で、どう?参考になった」
「アイディアは湧いてきた感じがする」
「おー、いーね。さっすが。あたしもおんなじ。コードの組み方、ちょっと変えてみよっかな」
内容への感動以上に、互いに収穫があったようだった。
テレビの上に掛けられた時計を見る。23時。まずい。かなり遅くなってしまった。スマートフォンを取り出して、地図アプリを開く。俺の家の住所を入力した。ここから徒歩で30分。良かった。少しかかるが、なんとか徒歩圏内だ。今からでも帰れる。
「ミレイ。俺、そろそろ帰るよ」
「えー、もっと遊ぼうよう」
「いやだって、こんな時間だし」
「じゃあ泊まってって」
思考が停止する。今なんて言った?そんなこと会ってまだ日の浅い男に軽々しく言うのか?もしかしてこいつ、誰にでもこんなこと言うのか?
「あ、なんか誤解してるでしょ。今絶対、尻軽女とか思った」
「いや、そんなことないって。だけどさ、さすがに」
「あたし別に誰にでもこんなこと言わないもん。トーヤ君はバディだから。大事な相棒だから……」
珍しく消え入るような声で言うミレイ。感情は推し量れないが、何か落ち込んでいるのはわかる。
「……わかった。だけど今日は帰る。今度泊まりで遊ぶ。それでいいか?」
途端にミレイの顔に輝きが戻る。
「うん!うん!約束ね!」
ミレイは玄関の外まで送ってくれた。ばいばーいと深夜にもかかわらず大声で言いながらぶんぶん手を振る彼女に、こちらも手を振って応じる。振り向いて歩き始めた。
バディだから。大事な相棒だから。そうか。そんな風に思ってくれていたのか。空っぽだった俺の手の中に、また新しい縁が生まれた。そんな気がしていた。
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