30. 似た者同士

 講義の合間、早めに教室に着いた俺は学部の友人と話をしていた。そろそろテストも近いから、過去問やら何やらを人づてに手に入れようとか、あの教授はレポートだけだからなんとかなりそうだとか、そんな話。


 ポケットの中のスマートフォンが震えるのを感じた。水のペットボトルを片手に、取り出して見た。ミレイからメッセージが入っている。水を飲みながらロックを解除し、中身を開いた。


『この前の約束、今日とかどう?お泊り会!』


「げほっ!」


「大丈夫?」


「ごほっ、あ、ああ。大丈夫」


 思わずむせてしまった。

 鑑賞会の日に「泊まっていって」と言ったミレイを説き伏せるためにした約束。勢いとはいえ、一度してしまったものを反故には出来ない。今日は特に誰かとの約束もないし、他の予定もない。空いてはいる。それに明日の授業は二限からだから、朝家に戻って教科書類を入れ替えたり、身支度を整える時間もある。


 状況的にはもう逃げられない。ミレイも多分逃がしてはくれない。これは腹を括るしかなさそうだ。


『わかった。それでいいよ』


『やたー!鑑賞会もしよーね!』


 ともかく、俺はミレイが普段通りのテンションに戻ってくれたことにどこか安堵していた。飄々として突飛で、それでいて実は誰より人を見ている、そんないつもの彼女に。





 講義を終え、サークル活動を終え、先輩達と別れ、今、俺はミレイの家にいた。


 ゲーム機にVRゴーグルを二台接続し、FPSをシューティングゲームをやっている。たまにはドンパチやりたくない?というミレイの言葉に誘われてのことだった。別に刀剣での戦いにフラストレーションを感じていたわけではないけれど、銃の戦闘はまた違った爽快感がある。


 今はチームでキル数を競うマッチ。時間内であれば無制限にリスポーンできる。俺達はVRゴーグルを装着しながら、コントローラーを忙しく操作して、いつもとは違う戦場を駆け抜けていた。もう1時間以上はこのルールでやっている。何セット目かは忘れてしまった。


「そろそろ休憩するー?」


「そうだな。さすがに疲れてきた」


「あたしもー。おなかすいたー」


 マッチが終了する。俺達のチームが勝った。


 VRゴーグルを外して、コントローラーと一緒にテーブルの上に置く。一昔前はVRゴーグルもそれなりに高価だったらしいが、今ではIRに時代の先端を譲ったこともあって、かなり安価に手に入るようになっていた。学生の部屋の二台もあることが何よりの証拠だ。


「あたしピザ食べたいなー」


「あーいいな。注文するか」


「おけー。あたし注文しちゃうね」


 ミレイはスマートフォンを操作してささっと注文を済ませた。テレビのリモコンを取ると配信サービスの画面に切り替え、作品を漁り始める。


「せっかくだしなんか見ながらがいいよねえ。これはこの前見たやつだし……あ、これなんかどう?SFだけど剣とかで戦うやつ」


「いいんじゃないか。それにしよう」


 笑顔で頷いたミレイは早速再生ボタンを押す。知る人ぞ知るという感じの名作ライトノベル原作のそのアニメは、人類が衰退した世界で人外未知の怪物と戦う主人公達を描いたものだった。そして主人公の得物は日本刀。


 見ながらあーだこーだと議論する。何とか作品の中の描写から、自分たちの戦いのヒントを得たかった。やっぱり斬撃は飛ばしたほうがいいとか、反発力のある力場じゃなくてもっと違う仕組みで加速したらいいんじゃないかとか。


 そうこう言っているうちにピザが届いた。ミレイが受け取りに行く。俺は戻ってきたミレイに値段を聞いて、その半額をアプリからミレイに送金した。


 ピザを食べながらアニメ鑑賞を再開する。主人公の能力は超加速だが、脇を固めるキャラクターの能力は多彩だ。認識拡大、空間移動、遠距離砲撃。ARSアルスのPvPで相手が使ってきてもおかしくないものもある。俺とミレイは仮に相手がそういうものを使ってきたらどう対処するかを話したりした。


「あ、もうこんな時間かあ」


 ふと時計を見ると、もう0時近かった。ミレイは明日三限からだと言っていたし、俺も二限から。とはいえさすがにそろそろ寝る準備をしないといけない。


「ちょーっと着替えてくるね」


 ミレイはクローゼットから部屋着らしき上下一式の服を取り出すと、トイレやバスルームのあるダイニングスペースに行った。リビングのドアを閉める。しばらくしてTシャツに緩めのショートパンツに着替えたミレイがドアを開けて現れた。


「トーヤ君、寝る場所どうすんの?」


「どうすんのって……ラグの上でいいだろ」


「いやだって固いでしょ」


「いやいや、譲らないからな、そこは。だめだぞ」


「ふうん。じゃあいいよー」


 ミレイはそのままリビングを横切ると、ベッドに潜り込んだ。俺は2人分の座布団を重ねて枕にして、その上に頭を乗せて横になった。


「じゃ、電気消すよ」


「ああ」


 ミレイがリモコンで天井の照明を消す。部屋は完全な暗闇にはならず、電子機器のランプや窓の外から漏れてくる街頭の明かりで、ぼんやりと物の輪郭が見える。


「あのさ」


「うん?」


「今日、ありがとね。急だったけど」


「……それは、そうだけど、約束したしな」


「はは。相変わらず律儀」


 先程までの盛り上がりとは一転、静かな部屋には冷房の音が響く。


「あの、この前のこと、なんだけど。その、フォーラムの帰り」


「うん」


「あの時、大事な相棒でバディだって言ってくれたの、あたし嬉しかったんだ」


 よかった、と純粋にそう思った。ちゃんとあの言葉は届いてくれていた。


「それは俺も同じだよ。あれは先にミレイが俺に言ったことだったしな」


「そういえばそうだったね。へへ」


 親に認められたかった俺。教授たちに認められたかったミレイ。だけど俺達は認めてほしかった人達に認めてもらうことが出来なかった。だからこそ、多分俺達には互いを認め合える相手が必要だったんだ。それは別に恋愛とか、そういうことじゃない。もっと本質的なものだ。人間と人間として。


「ねえ、トーヤ君」


 ミレイが意を決したように言葉を発する。


「トーヤ君は人生の意味とか、人の価値とか、そういうことに真っ向から向き合っているんだと思う。でも、それって、そんな日々ってつらくないの?」


「向き合うなんて、そんな大それたもんじゃないよ」


 俺はただ、脅され続けているだけだ。向き合えてなどいない。


「でも、確かにつらい。意味とか価値とか、そういう考えが浮かんだときはしんどい」


 そういう価値基準に縛られ、見張られ、背中を突き飛ばされているだけ。でも日常のすべてがそうであるわけではない。そう、少なくとも今は。


「だけど今はゲーム研究会っていう居場所があって、本気で打ち込めるARSアルスがあって。それに学部の勉強だってつまらないわけじゃない」


 ARSアルスのプレイヤーになって、認めてもらうことができた。そしてテストの点や偏差値なんかではない、純粋にもっと上を目指したいという内発的な動機が、今の俺にはある。自信はまだ足りないかもしれないけれど。


「虚無感を感じることは今でも確かにある。だけどみんなのおかげで前よりはずっと減ったと思う。それだけ充実してきているってことなんじゃないかな」


「そっか。なんか、上手く言えないけど、よかったなって思う」


 ベッドの上からシーツの擦れる音がした。


「あたしはさ、この前話したみたいに努力で得たものじゃなくて先天的な素養しか評価されなくて」


 ミレイは語り始めた。きっと、あの日の続きの話を。


「だから自分の歩みになんて、人生になんて意味はなくて、結局意思の及ばないところで何もかも決定されてしまうように感じてた」


 いつか言い合った時、ミレイは人生なんて死ぬまでの暇つぶしと言ってのけた。その裏にあった諦観を、今俺は知った。


「だけどね、だからこそあたしは人間の価値を信じたかったんだ。優劣とか勝敗とか、そんな単純な二元論で決まることのない、もっと普遍的で本質的な人間の価値を」


 ミレイは小さく笑いながら続けた。


「それってつまり、あたし自身、自分に価値を感じられていないからそう思うのかもね」


 意味を見いだせないからそれを求める。価値を感じられないからそれを信じようとする。俺はその感覚を他人事と思えなかった。俺はそれを知っている。皮膚感覚のような切迫感で、それを知っている。


 もしかしたら、いややはり、俺とミレイは似た者同士なのかもしれない。


「ミレイ」


 でも、どれだけ似ていても他人同士。心の中は違う世界。だから言葉を使って歩み寄るしかない。


「少なくとも俺はミレイがいたからここまでやって来られた。一緒に組んでいなきゃ、ここまでやって来られなかった。それは事実だ」


 ミレイは黙っている。


「こんな俺が言えたことじゃないけどさ、ミレイの存在にはきっと価値があると思う。軽々しく言ってるわけじゃない。先輩達も、俺も、ミレイの存在を必要としている。それが証拠だ」


 くすりと笑う声が聞こえた。


「その言葉、そっくりそのまま返すよ」


 思わぬ反撃に言葉が出てこない。


「キミもあたしも何者かになりたくて、でもなれなくて、それで苦しんでる。でも、本当は何者かになる必要なんかないのかもしれないね。そのままの自分を認められれば、それでいいのかもしれない」


「……それでいいのかな」


「わかんない。けど、そんな気がする」


 ありのままの自分を認める。何者でもない自分を受け入れる。想像がつかなかった。どういう境地なんだ、それは。


「たくさん話せてよかった。ふあ……おやすみ」


 ミレイがあくびをしながら言う。スマートフォンも見ていないし時計も良く見えないが、それなりに長く話していたきがする。


「おやすみ」


 俺もそう言って目を閉じた。


 ミレイの言っていた、そのままの自分を認めることができれば、もしかしたら自分の内に眠る虚無感や無能感からも解放されるかもしれない。


 意識を手放す寸前まで、俺はそんなことを考えていた。





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