37. 夏空
「海だー!」
ミレイと
空港からバスに揺られることおよそ1時間半。ようやく着いた夏合宿の目的地。滞在期間は一週間だ。
海を見てはしゃぐ二人を尻目に、俺は荷物を抱え直す。スーツケースにバックパック。そして
「おらー。海は逃げねえから。とりあえず入るぞ」
赤坂先輩がミレイ達に声を掛ける。二人は、はあい、とか、へい、とかそれぞれに返事をしてスーツケースを引っ張り、俺達は揃って旅館の敷居を跨いだ。
靴を脱いで上がり、用意されていたスリッパを履く。
しばらくすると赤い絨毯が引かれた廊下の置くから、女性が一人やってきた。
「おかえり、ヒロト」
「ただいま、母さん」
「そちらがサークルの皆さんね」
「ああ」
そう言って振り返る赤坂先輩。俺達は口々によろしくお願いします、お世話になりますと言って頭を下げた。
「ようこそ。周りには海しかないけど、ゆっくりしていってね。ヒロト、一応記帳はしておいてね、決まりだから」
そう言って差し出されたタブレット端末にペンで名前を書き込む赤坂先輩。赤坂先輩の母はそれを受け取ると受付のカウンターの中に入っていき、プラスチックの棒の着いた鍵を二つ持って戻ってきた。
「はい、これが鍵ね。食事は19時に食堂で。回線は部屋にもあるから。あとはそうね、一般のお客さんもいるからあんまり騒がないように。そのくらいかしらね」
一通りの説明と注意事項を聞いて、俺達は再びお世話になりますと頭を下げて部屋に向かった。
俺達が外で海を見ていた道路側が通路になっているようで、海水浴場を眺めながら時折車が行き交うのを見ながら廊下を進む。
やがて一番奥の部屋に着いた。ここと隣の部屋が俺達のために用意してもらえた部屋だった。
「そういえば部屋割りどうすんの?」
栖先輩が言う。
「いや、男女別だろ。普通に考えて。ああ、いや、それをどっちの部屋にするかって話か。内装はどっちも同じだったはずだが、どうする?」
「私はこっちでいいよー。ミレイちゃんは?」
「あたしもこっちでいいっす!」
「それじゃあ女性陣は106号室か。俺と葦原は107号室だな」
赤坂先輩が栖先輩に部屋の鍵を渡す。
「じゃあまたねえ」
そういって栖先輩とミレイは部屋に入っていった。俺と赤坂先輩も鍵を使って部屋に入る。
純和風の旅館然とした部屋だった。畳敷きの室内、窓際には板張りのスペースがあり、小さなテーブルに向かい合うように椅子が置いてある。
部屋からは海へ流れ込むたくさんの川が見える。あいにく海は見えないがそれでも十分な眺めだった。
俺は掛け軸の掛かった床の間のあたりに荷物を下ろすと、
「今日は何をするんですか?」
「今日か?今日はさすがに東京からの移動の疲れもあるからな、休憩日にしようと思ってる。ああそうだ。ここは温泉もあるから、夜にでもゆっくり浸かるといい」
「確かに飛行機は疲れましたね」
「バスも長かったしな」
「わかりました。俺、旅館の中を少し歩いてきます」
「おう。鍵は俺が預かってるから、もし施錠されてたら呼び出してくれ」
「わかりました」
俺は部屋を出ると廊下を進んで行った。やがて入口にほど近い場所に売店などがある開けたスペースが現れた。海側には椅子やマッサージチェアなどが置かれ、休憩スペースが作られている。俺はそのうちの一つ、背もたれの着いた椅子に座って海を眺めながら考えていた。
合宿に出かける前、赤坂先輩は考えている計画があると言っていた。ゲーム研究会としての今後と、俺とミレイのバディの今後を見据えたプランを考えていると。
新たな大会への挑戦だろうか。時間裁断も自由に制御出来るようになったし、
「あれえ、葦原クン?」
そんなことを考えていると、後ろから声を掛けられた。栖先輩だった。ルーズなシャツワンピースに肩からウェストバッグを斜めがけにしている。
「どこか行くんですか?」
「んーん。ちょっとふらふらしようかなーって思って。そしたら丁度葦原クンがいたのさ」
隣、いい?と言って横の椅子に座る栖先輩。まるで猫のように両手両足を思い切り伸ばしている。
「そういう葦原クンは何してたの?」
「似たようなもんですよ」
「そっかあ」
「あの、ところで今回の合宿の内容っていうか詳細っていうか、赤坂先輩から聞いてます?」
栖先輩は椅子の背もたれに見を預けながら言った。
「行きたい場所がある、とは言ってたかな。それ以上は私も聞いてないや」
「行きたい場所……」
赤坂先輩のことだ。きっと遊びにいくとか、そういうことではないのだろう。こればかりは本人が明かしてくれるまでわからない。
「ね、葦原クン」
「はい?」
「
「えっと、それは……」
答えることができない。
「それはさ、非日常的な体験もまた糧になるからだよ。遊んでるって思ってる時間も、もしかしたら何かの役に立ってるかもしれないんだよねえ」
なるほどと思った。
「あとはまあ、純粋に息抜きだねえ。最近葦原クンたちかなーり根詰めてたし」
「それは……確かに」
「何が言いたいかって言うとさあ、楽しみなよってこと!」
◇
夕食後、俺と赤坂先輩は露天風呂に浸かっていた。夜になっても蝉の声は止まず、かけ流しの温泉が流れる音と調和している。頭上を見上げれば木々の隙間から見える星空。湯の温かさと共に思わず息が漏れる。
「やっぱり変わったよ、葦原」
「え?そうですか?」
向かい側の赤坂先輩が声をかけてくる。幸い俺達の他に入浴している人は居なかった。
「大会の頃は自信なさげだったし、どこか怖がっているようにすら見えた」
「それは……そうだったかもしれません」
誰かに必要とされたからそこにいた。逆にそうでなければ自分の居場所はなかった。あの頃は確かにそんなふうに考えて、常に怯えていた。
「だけど今は明らかに違う。強くなることに貪欲になった。前向きに戦いに臨んでいるように思える」
「そう、ですね。自分でもそう思います」
「何が葦原をそこまで変えたんだ?」
何が俺を変えたのか。大会での敗北。ミレイとの対話。カナタとの出会い。たぶん、何か一つではない。積み重ねの上に成り立った今なのだ。
「たぶん、皆が居てくれたからだと思います」
◇
風呂から上がった俺達は、男子部屋に集合した。今後のゲーム研究会としての方針について話し合うそうだ。
「当面のゲーム研究会の目標だが……」
全員が固唾を飲んで赤坂先輩の言葉の続きを待つ。次の大会か?赤坂先輩はノートPCに何かを打ち込んだ。俺達はそれを覗き込むようにして見る。
瞬間、時間が止まった。
「え、えっと、ヒロト、マジ?」
「マジだ」
「うおーついにっすか!?」
「そうだ」
「俺達が……」
「ああ」
画面には『アルス・ノヴァ・ジャパン』とタイトルの着いたウェブページが表示されていた。アルス・ノヴァ。
アルス・ノヴァ・ジャパンはその国内大会。だが出場条件をよく見てみるとランクマッチ
「今はまだ届いていないが、大会のエントリー期限は10月。今は8月上旬だ。それまでに
「簡単に言ってくれるっすね……!」
「心配するな。ちゃんと計算はしてる。このまま毎日ランクマッチで順当に勝ち進めば間に合う。今のお前たち二人ならそれができるはずだ」
確かに現状の保有ポイントから見て、その計算は間違っていない。最低でも勝率8割5分以上をキープし続けられれば、エントリー期限までには
だがそのためには今以上の修練が必要になる。ただ勝つだけでは足りない。勝ち続けなければならないのだから。
「……今より練度を上げる必要があると思います」
「あたしもさんせーっす。コード戦闘をもっと取り入れたいっす!」
「よし。この合宿中に試せるものは試してみるんだ」
「はい」
「はいっす」
先輩達はどこかほっとした様子で俺達を見ていた。
話が終わり、夜も遅くなったところで解散になった。俺達はそれぞれ布団を敷いて横になる。
「葦原、不安か?」
電気を消した部屋の中に、赤坂先輩の声が響く。
「不安じゃないといったら嘘になります。けど、アルス・ノヴァに挑戦できるなら、やれることはやっておきたいんです」
「そうか。頼もしいよ」
布団の擦れる音がする。
「よく休めよ。明日は連れていきたいところがあるんだ」
「……?わかりました。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
東京から徳島、そしてバス旅の疲れもあって、俺はすぐに眠りに落ちてしまった。
ダストチルドレン amada @aozaki
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