25.心の内

 大会翌日は月曜日。俺はいつも通り電車で大学に向かい、講義を受けていた。月曜日は一限から入れるなというネット上の集合知に従い、二限からのスタートだった。


 二限の授業は宗教学。

 宗教学と言っても教授の専門はいわゆる三大宗教ではなく、それ以前の自然信仰、つまり民俗学や文化人類学に近いものだった。


 今日の授業内容は山岳信仰のようだった。里と山を境界で分かち、山を神々や先祖の霊の住まう異界として位置づけ、信仰の対象とする。というのは一つの考え方で、他の世界観や他国、多民族との比較で論を展開する教授。


 こう見えて結構オカルトも好きなので、ふむふむなるほどとノートを取りながら聞いていると、ポケットに入れたスマートフォンが震えるのを感じた。


 あまり感心されることではないが、机の下でスマートフォンを取り出してロックを解除する。メッセージアプリの通知が一件。ミレイからだった。「今日、学食で会いたいんだけど」とある。


 丁度この講義が終われば昼時だ。俺は「わかった」と打って送信し、スマートフォンをポケットに仕舞うと講義に意識を戻した。



 講義が終わって学食に向かうと、入口にミレイが立っているのが見えた。


「おつー」


「お疲れ。どうしたんだ。急に」


「まあその、いいじゃん。一緒にごはん食べよ?」


 俺達は建物に入ると食券機で食券を書い、カウンターで食事を受け取って手近な席に着いた。


 5月も下旬だ。俺は冷たい蕎麦の定食にした。ミレイは醤油ラーメン。本当に好きなんだな、ラーメン。


 二人でそれぞれ麺をすする。


 時々、ミレイの視線を感じた。何か言いたいことがあるのだろうか。俺は三分の一ほど蕎麦を片付けると、箸を持ったままミレイに訊いた。


「もしかしてだけど、何か話があって呼んだんじゃないか?」


 ミレイはすすりかけだったラーメンを一息に口に頬張り、もぐもぐと口を動かしながら頷いた。飲み込むと話し始める。


「……誤りたくて」


「……」


「あの日さ、言い合いみたいになっちゃって。あたしがあんな喧嘩みたいに吹っ掛けなかったらさ、もしかしたらもっといいコンディションで大会に臨めたんじゃないかとか、そんなこと、考えてて……」


「うん」


「だから、ごめん。土足で踏み入るような真似して、ごめん」


 いつもの飄々とした雰囲気はどこへやら、ぺこりとしおらしく頭を下げるミレイ。それだけ彼女なりに考えて、それなりに気に病んでいたのだろうか。


「それだったら俺にも非はあるよ。その、俺もごめん」


 目を伏せながら言う。


「けど大会のことはさ、今の俺達の実力を全部ぶつけた結果があれだったわけだから。別に俺がミレイと言い合ったこと気にして実力が出せなかったとかじゃないから。たぶん、あの時言い合わなかったとしても結果は変わらなかったんじゃないかな、と思う。俺は」


 ミレイは困ったように眉を下げながら笑った。


「優しいね、トーヤ君は」


 そう言って残り少ないラーメンを一気にすすると、箸を置いた。


「あの時言ったこと、訂正というか、なんていうか、言い直させてほしいんだけど。キミの価値は大会の勝ち負けで決まったりしない。あたしももちろん悔しいけど、勝った人は価値があって、負けた人は価値がないなんてことはない。トーヤ君はやれることをやった。それが一番大事だと思う。もちろんあたしだって悔しい」


 ミレイはプラスチックのコップに注がれた水を一気に飲み干した。


「あたしはさ、トーヤ君が羨ましかったんだ」


「羨ましかった?なんで?」


「生きる意味とか、自分の価値とか、そういうことに真正面から向き合っている気がして。それはあたしにとって……」


「それって」


「ううん。なんでもない。ってかもうすぐ三限じゃん!急げ急げ!」


 結局ミレイの言いかけた言葉の先はわからないまま、俺は残った蕎麦を急いで食べ、ミレイと途中まで一緒に走って、それぞれの講義が行われる教室へ向かっていった。


 生きる意味、自分の価値。それらに向き合うことが羨ましいと感じるってどういうことなのか。俺はまだ蔵識ミレイという人間のことを理解し切れてはいなかった。


 そのことを思い知らされるのは、もう少し後のことになる。

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