28. 相棒

 ホールに併設されたチェーンのカフェで、俺達は窓際の席に横並びに座って、ミレイを待っていた。しかいなかなか来る気配がない。立ち話ならもういい加減来てもいい頃だと思うのだが。


「俺、ちょっと様子見てきます」


「そうか?わかった。俺達はまだここで待ってるからな」


「はい」


 赤坂先輩とすみか先輩を置いて、俺はカフェを出た。すぐ隣の会場に再び入り、先程ミレイと別れた辺りまで行ってみる。


 するとミレイと初老の男性はまだ話をしていた。内容がところどころ漏れ聞こえてくる。


「君の……はやはり得難いんだよ。先天性のものは……がない」


「だからあたしは……じゃないって……でしょ。もっと……を見て……」


「そろそろこちらに戻って来ることも……いつまでもこんな……」


「それは違う!」


 ミレイが突然大声を出した。いつもの雰囲気とはまるで違う。明らかに怒っている。


「それだけは言わせない!たとえ先生であろうと!」


「ミレイ!」


 俺は堪らずに声を掛けてしまった。ミレイがそれに反応して勢い良く振り返る。その顔はやはり、今まで見たことのないほどの怒りの表情を浮かべていた。けれど俺を見るや、その顔は一気にいつもの輝きを取り戻した。


 ミレイは俺の方に歩み寄るとがしっと腕を組んで、初老の男性に言い放った。


「今のあたしの居場所はそっちじゃない。ここにあるんで」


 いつも目上の人間に話すときのあのふざけたような口調ではない。それがかえって深刻さというか、彼女の怒りの大きさを表しているような気がした。


 ミレイは俺と腕を組んだまま会場を出た。会場の外で組んだ腕は離したが、身体の距離は近いままでカフェに入る。


「あー、ミレイちゃん」


「蔵識、もう済んだのか?」


「はいっす。長々とお待たせしてしまってすみませんでした。ちょっと昔の知り合いに捕まったったんすよ」


 いつもの調子で先輩達に詫びる。

 昔の知り合い。それはとても気になるワードではあったが、先程のやり取りを見た俺はもちろん、見ていない先輩達も含め、今ここで深堀りすべきでないという暗黙の了解のような空気が流れる。


 それぞれに注文していた飲み物を飲み終え、俺達はカフェを後にして駅に向かった。


 俺はといえば、初老の男性とミレイの会話を思い出していた。得難い。先天性。戻って来る。そして先生。断片的な情報から何かを導くことはできないし、ミレイの過去をそんな風に踏み荒らしたくなかった。だけどこれまでミレイと人生だとか人の価値だとか、そういう話をした時、彼女が口ごもる瞬間があった。それがもしあの会話の中身に由来するものなのだとしたら。


 いや、やめておこう。


 改札を通って電車に乗る。満員とまではいかないが、相当に混んでいるせいで座ることは出来ず、入口付近に四人固まって乗った。俺はドア横に取り付けられたポールを掴んでいる。目の前にはドアを背にしたミレイの小さな姿。


 何を話していいか、何を話すべきか、そもそも話をすべきなのか、わからなかった。


 ミレイは何も言わない。俯いているから、その表情もよくわからない。


 俺は仕方なくスマートフォンを取り出してSNSを開いた。手持ち無沙汰な時はいつもこうだ。意味のない情報が流れていく。少なくとも俺にとっては。誰かにとっては重要な情報。また別の誰かにとってはどうでもいい情報。


 都内港湾地区の駅から電車に乗った俺達は、そこから二回電車を乗り換え、いつもの路線に辿り着いた。もうすぐ俺とミレイの家の最寄り駅だ。


 そして到着のアナウンスとともにドアが開く。


「お疲れさまでした。また学校で」


「ああ、二人ともお疲れ様。よく休めよ」


「おつかれえ、気をつけてねえ」


 二人に挨拶しながら電車を降りる。ミレイは何も言わず、黙ったまま二人に手を振っていた。二人はそれに手を振り返して応じる。先輩達の優しさが窺えた。


 改札を通って駅を出て、それぞれの家へと向かう。方向は同じだ。ここからなら俺の家の方が近い


 ずいぶんと日が長くなった。沈みかけの夕日が目の前にあって眩しい。オレンジの光が俺達を照らしている。後ろに長く伸びた影は、俺達がここに形を持って存在していることを知らせてくれている。


「あ、あの、さ」


 おもむろにミレイが口を開いた。いつもの飄々とした雰囲気に似つかわしくない、どもるような感じで。


「今日、ごめんね」


「いや、ミレイが謝ることじゃないよ」


「その、話してたの、聞こえてた?」


「それは……少し。ごめん」


「そ、っか。ううん、いいんだ」


 俯きながら言う。


「やっぱ、気になる、よね」


「……」


 気にならないと言えば嘘になる。だけど他人の、しかもおそらくそうそう人に知られたくない過去のことを聞かれたくはないだろう。少なくとも俺はそうだ。


「別に大した話じゃないんだ」


 ミレイは語り始めた。


「あたし、高校卒業してから大学入学までの間一年間、アメリカの専門大学に留学してたの。脳科学、特に意識の研究をしている専門の大学。そこでMNDLメタ神経叙述言語を学んだ」


 ARSアルス経験者でもないのにMNDLの技術を持っていたのはそういうことだったのか。


「さっきの人はさ、そこで知り合った教授。あの人の専門はMNDLの精神医療への応用でね。精神疾患を持つ人の心にコードで働きかけて、外的に直接病気を治そうっていうものだった。トーヤ君も先輩達も知ってる通り、あたしはIR適性が高い。IR適性のパラメータの中には他者の意識とシンクロする能力、今日のフォーラムでも話が出たけど、それがある。あたしはそのシンクロ能がずば抜けて高かった。その才能を活かして医療分野に進まないかって言われてたんだよね」


 俺は黙って聞いている。


「でもあたしはMNDLを必死で勉強して、プログラミングを習って、色んなコードを組めるようになるのが楽しかった。それを活かしたことがやりたかった。それを認めてほしかった。だけど認められたのは後天的な努力で得た技能じゃなくて、先天的に備わった資質。それで嫌になって、留学期間少し縮めて帰ってきちゃった」


 認めてほしかった。ミレイからそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。


「さっきさ、『やっぱお前がいないとだめだから戻ってこい』って言われた。だけどあたしの道はあたし自身で決めたい。自分の力で積み重ねたもので、自分の道を切り拓きたい」


 自分の努力は評価されず、その埒外にある先天的な要素でのみ評価されるのは、果たしてどんな気分なのだろう。俺には想像することしかできない。だけど自分を評価されないというところでは、俺にも通じるものがあった。勉強をしなければ認められないと、そういう環境で生きてきた。


 俺達はたぶん、こうありたいと願う姿を他者から評価されてこなかったのだ。だからこそのシンパシー。


 ミレイの話を聞いているうちに、俺のアパートの前に着いた。別れる前に何か言葉を掛けたい。でも何を言うべきなのだろう。俺に何が言えるのだろう。


 ふと、あの日のことを思い出した。ミレイの家でアニメの鑑賞会をやった日のこと。その時ミレイが言っていたこと。


 ああ、そうか。そうだ。


「ミレイ」


 俺の方を見る。身長差があるから、見上げると言ったほうが正しいか。


「お前は俺にとっても、大事な相棒で、バディだ」


 目を丸くするミレイ。やがて驚き混じりだった表情はにっこりと満面の笑みを作った。


「うん!」


 力強く答える。


 アパートの入口で立ち止まる俺の前に出たミレイは、俺の方に振り向いて言った。


「やっぱりあたしの居場所、ここ!」


 そう言うと、ばいばーいと言いながら踵を返して走っていった。

 俺はその後姿が小さくなるまで見ていた。

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