1.価値と意味
VR、ARといった技術が最新とされてきた時代はとうの昔。それらの技術はもはやなくてはならないインフラの一部となった。そんな中で今最も注目を浴びているのがIRだ。進入型現実とか没入型現実とよばれるそれは、専用のデバイスを使って脳と機械を間接的に接続することで、意識を電脳空間に送り込むというもの。
それにいち早く目をつけたのが、福祉業界とゲーム業界だった。特にゲーム業界にとっては、eスポーツも立派な競技として認知され、オリンピックのような統一的な世界大会の構想もされ始めた今、IRを使ったゲームは、大きなチャンスだった。それは企業にとっても、アスリートたちにとっても。
そんな潮流や様々な思惑もあり、複数の世界的なIT企業やコングロマリットのIT部門が協働して作り上げたのが『
だけどPvPの場合は定期的に公式の大会も開かれるし、賞金なんかも出ることもあって、それに向けて研鑽を積むプレイヤーも少なくない。総プレイヤー人口は億を数えるとも言われている。
問題なのはダイブデバイスの値段だ。ミドルクラスのゲーミングPC1台分くらいの値段がするから、買える層は当然限られてくる。俺なんかが手を出せる代物じゃない。
正直興味がないわけじゃない。ゲームも好きだし、オンラインゲームもいくつかやってきた。だけど
そんなことを考えつつ、電車に揺られながら、スマートフォンを開いて時間を確認する。なんとか間に合いそうだ。IR技術が現れてからも、結局携帯端末は消えなかった。空間投影よりもこっちのほうが圧倒的に使い勝手が良かったからだ。
大学は駅からすぐのところにあった。電車を降りてすぐ、新入生と在学生のごった返した喧騒が響いてきた。人混みは苦手なんだけどな。ため息ひとつ、俺は歩みを進めた。
入学式の式典を終えると、待っていたのは新歓と言う名の地獄だった。地方とは言え政令指定都市のそれなりに名の知れた学生数の多い大学だ。当然サークル活動も活発なようだった。次々と手の中にビラが押し込まれていく。
看板を持った学生、何かのコスプレをした人。その中で一人、冷めている自分がいた。冷めている?少し違うな。居場所がない感じ。そう、そんな感じだ。
(また友達を作らないといけないのか)
別に今まで独りぼっちだったわけじゃない。むしろ自分で言うのもなんだけど、友達は多い方だったと思う。高校の時に入っていた軽音楽部では部長もやっていたし、他校のバンドとも仲が良かった。後輩もこんな俺を慕ってくれていた。
それでもなぜか独りでいるような感じは抜けなかったし、自分が何の役にも立っていない感覚も拭えなかった。子どもの頃からずっと感じてきた孤独と無能感。
勧誘の人波をなんとか抜け、人のまばらな建物の影にあったベンチに腰掛ける。
(つ、疲れた)
大学の新歓は新入生にとって過酷なものだと、色々なところでそんな話を目にしていたのだけれど、まさかここまでとは思っていなかった。こんなの勧誘じゃなくて試練じゃないか。
「大丈夫か?」
うなだれていると、声を掛けられた。ゆっくり声の主を見上げる。長身の男子学生。グラフィティアート風に『ゲーム研究会』と書かれた看板を肩に掛けている。
「あ、はい。少し疲れて」
「そりゃ疲れるよな。こんなんじゃ。新入生だろ?」
「はい」
「隣、いいか?」
頷くとその男子学生――おそらく先輩――は看板を肩から下ろして近くの壁に立て掛け、隣に座った。
「俺も疲れちゃってさ」
「はあ」
足を組んで空を見上げながら、その先輩は言った。そのまま時間が流れる。しばらくすると謎の先輩は、何か気づいたように斜めがけのバッグを漁ると、ペットボトルのジュースを取り出して俺に向けた。
「ほれ」
「え、あ、ありがとうございます」
人の厚意は素直に受け取るもの。それもまた、俺の人生の中で学んできた教訓だった。ジュースは少しぬるくなっていたが、それでも水分を摂れるのはありがたかった。
「サークルは入るのか?」
「いや、まだ全然考えてなくて」
彼は俺の隣にくしゃくしゃになって積まれている勧誘のビラの山を見遣る。
「……だろうな」
ペットボトルが空になり、息をつく。
「あのさ、少し休んで行くか?お前すごい顔色悪いぞ」
「え、いや、でも」
警戒のメーターが一気に振れる。それはいけない。確かに体調は良くないけど、それは怪しいサークルの常套句なのではないか。
「いやいや、別に変な宗教とか詐欺とか、そんなんじゃねえって」
壁に立てかけた看板を親指で指し示しながら、その先輩は言った。
「うちはゲーム研究会。ゲームとか興味あるか?」
「まあ、それなりには」
「お、マジか」
急に前のめりになる先輩。
「ちなみにここだけの話、『ARS』とかには」
「……!興味、あります」
「よっしゃ。そしたらさ、少し見ていってくれよ。休んでくついででいいから」
我ながらちょろいな、なんて思った。俺達は立ち上がると、サークルの部室が入っている棟を目指して歩き始めた。先輩が看板を槍のように突き出してくれているおかげで、今度は人波が割れて歩きやすかった。そのまま突っ切ってサークル棟に入ると、階段で2階に上がった。
廊下の一番隅に、その部屋はあった。ゲーム研究会と書かれた模造紙が画鋲で止められている引き戸を、先輩が開ける。
「おかえりい、ご苦労さ……」
中にいた女子学生は部室の中央に置かれたテーブルにノートPCを置き、そこにペンタブを繋いで絵を書いていた。こちらを振り向くと、ぎょっとした顔をする。
「あえ!?どこで拾ってきたの!?その子!?」
「何を勘違いしていやがる」
ぶかぶかのカーディガンを羽織った女子学生――たぶん先輩――は、飛び上がらんばかりの勢いで驚く。俺を連れてきた先輩が冷たい一言を浴びせた。
「具合が悪そうだったから保護した。ついでにゲームに興味がありそうだったから連れてきた」
「やあ。ヒロトちゃんやさしー」
「うるせえ。これで殴るぞ」
ヒロトと呼ばれた先輩は看板を持ち上げてそう言った。
「ともかくあれね、歓迎しなきゃだねえ」
ダウナーな雰囲気を纏う女子の先輩が言う。入口に立ったままだった俺達は部室に入る。女子の先輩がテーブルを片付け、スペースを作ってくれた。どこからかお菓子と飲み物が運ばれてくる。
「まあまま、お座りになって」
「はあ」
言われるままに腰を下ろす。
「あ、そういや自己紹介がまだだったな」
看板を部室の隅に片付けながら、先輩が言った。
「俺は3年の赤坂ヒロト。このゲーム研究会の部長。学部は理学部だ。よろしくな」
「よろしくお願いします」
「おい、おめーもだ」
「へーい。3年の
「よ、よろしくお願いします」
二人とも3年生だったのか。
「あの、他の部員は……」
「いないんだなあ、これが。私たちだけ」
栖先輩が両手を広げて諦めたポーズを取りながら言う。大丈夫なのか、このサークル。就活とか始まったら潰れたりしないのか。
「……まあ、言いたいことはわかる。だからこうやって今日も勧誘をしてたわけだ」
赤坂先輩が少し恥ずかしそうに言った。
「あの、それでさっき言ってた……」
「
「はい」
「できるぞ」
「マジですか」
「マジだ」
真っ直ぐな目と表情で赤坂先輩が宣言する。それを見た栖先輩は窓際にあった端末のところに行くと、ケーブルで繋がれたデバイスを持ち上げて俺に見せた。
「これこれ。苦労したんだからねえ」
間違いない。ダイブデバイスだ。本物を見るのは初めてだけど、ネットで何度も見ているから間違いはない。それがなんでこんな潰れかけのサークルにあるのか。
「一発逆転をさ、狙ったんだよ、私たち」
「……言うな」
途端に重苦しい空気に包まれる二人。
「こいつで実績作ってババーンと部費を出させる作戦だったんだけどねえ」
「……俺達は適性が低かったんだ」
IR適性、あるいは電脳適性ともいわれる、電脳空間に対する親和性。それが高いほど思考でアバターを自在に操ることができるが、低ければ歩くことすらままならない。
言葉が出ない。正確には、掛ける言葉が見つからない。
「せっかくだし、やってみるか?興味あるんだろ?」
気まずそうに黙っていた俺に、赤坂先輩が言う。
「……いいんですか?」
「いいも何も。それで連れてきたようなもんだしな」
「そだよー。せっかくだしやってみなよー。ほらこっちおいで」
栖先輩が手招きする。椅子から立ち上がってそちらに行くと、彼女が頭の上からダイブデバイスをセットしてくれた。額をぐるりと覆う細いリングと、左右の脳を分かつラインに沿うバンドで構成されたデバイス。リングの側面から一本のコードが伸び、眼の前の端末に繋がっている。
「あー言い忘れてたけど、私はMNDLエンジニアなんだよね」
俺のものと同じ形状のダイブデバイス着けながら、そう言った。文系の心理学部なのにエンジニアなのか。ダウナーで掴みどころのないこの人が余計わからなくなった。
「私が暫定バディってことで。よろよろ」
「よろしくお願いします」
「んじゃ、行こっか」
栖先輩がPCを操作し始めた。適性はないといってもテキパキと作業をこなしているように見える。
「ほい、ダイブインするから。カウントいる?」
「お願いします」
「おっけー。いくよ。3、2、1、0」
その瞬間、ぐんと眼の前がズームアップされるように近づいたかと思うとそのままあらゆるものが視界の端に消えていき、眼の前がブラックアウトした。
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