02-03:雪の夜に舞い降りた・3

□scene:01 - マンション:廊下:



 全てに余裕がある家だから、廊下でも数人が円陣を組むぐらいは余裕。

 その一画、〝客間〟とは名ばかりでずっと無人だった部屋の前。


 扉をそろっと閉めた妙齢の美女が振り返り。眼鏡を直して腕を組み激高。


「こんなところで何してるの!? すぐに救急車を呼んで!!」


 この女性ヒト千種ちぐさ 智尋ちひろさん。

 背は未音さんとそう変わらず、波打つ黒髪が映える眼鏡美女。

 どんな系譜か緑がかった瞳と、目尻と口元の黒子ほくろが神秘的で魅力的。

 目の遣り場に困らない未音さんと違い、全身が女性的量感にあふれてもいる。


 未音さんの親友で年齢としも近く見えるが、シングルマザーだからそれなりのはず。

 他人ヒトに興味が無い以前に、未音さんが情緒不安定になるので未確認だが。


 大病院で実績を積み、何年か前に娘との自由な時間を求めて独立。

 その確かな腕を求めるヒトが押し寄せ、とてもとても忙しい毎日だとか。

 極めて優秀なヒトだが優秀すぎて完璧たり得ず、現実とは屡屡しばしばままならない。


 娘は俺と同じ学園で同じ学年らしいが、他人ヒトに興味が無かったから記憶に無い。

 俺に嘘をかない未音さん曰く〝母親似〟、しとやかで知的な美少女に違い無い。


 そこへ空気を読まずに切り裂く、可愛いくも悲痛な叫び。


「「ダメ────────!」」


 そして疾風はやてのように襲いかかるあおい閃光。

 髪をまとめた方が智尋さんの右脚にしがみ付き、い上がる。


「お姉は病院に行っちゃダメなの! ぜったいダメ!」


 髪を下ろした方が左脚にしがみ付き、よじ登りながら泣きじゃくる。


「お姉ちゃ……お姉ちゃんが死んじゃうよ……」


 非力だが必死な幼女、それも二人が相手となるとちからの加減が難しい。

 それも計算ずくの未音さんが、暫く不思議な踊りを堪能してから下僕に合図。


 郷里さんが二人を智尋さんからがして両脇に。

 それでも小さな手脚を振り回す様は、宙を泳いでいるようにも見える。


 郷里さんと並び、幼気いたいけな幼女を(ワザとらしいほどに)哀しい目で見る未音さん。


「この調子でさ。智尋ならわかるでしょ?」


 〝わかる?〟とは妹たちの精神面危うい事実。

 智尋さんは黙り込み、乱れた髪と服をそのままに腕を組んでその二人を見る。


 郷里さんが力尽きそうな妹たちを肩に乗せ、大きな顔に寄りかからせる。

 そして眠りに落ちた二人を気遣い、音量ボリュームを絞った重い声。


「病院へ連れて行ったところで、まともにてもらえますかね」


 智尋さんの表情かお強張こわばる。

 未音さんの想定通り、何も言えないと見た郷里さんが続ける。


「悠佑君も救急車も呼ぼうとして、この二人に病院は駄目と泣きつかれたそうです。先生がそれほどまでに案じておられる通りなら、それなりの病院でなければ……そう救急隊員も考えたでしょう。そこで何かあって妹さんたちがなったとしたら? 常に予算もヒトも不足し、厄介事に関わると割を食う世の中です。無関係でいたいがために記録すら無いかもしれません。しかるべき手順を踏むべきとは思いますが、しかるべきヒトたちが当てになればはならんかったかと」

「で、でも……」

「今から行って、見捨てた理由を穿ほじくり返しかねん相手を受け入れますかな? 先生がるとおっしゃっても、むしろ不都合な事実の露見を嫌い突っぱねましょう。無駄に時間を浪費する怖れ大と考えるべきところへ、一刻の猶予もないとわかっているに移動の負担を強いるのはどうかとも考えますが」

「そ、それは……」


 寝入った妹たちに向かって声を荒げるわけにはいかず、未唯さんに詰め寄る。


「そもそも未音が着いててどうして? 常識的に考えてに連れて来るなんて有り得ないでしょう!?」


 身振り手振りはそのままだが、妹たちを起こさないよう声は小さく。

 未音さんが、あからさまに困った表情かおで腕を組む。


「あたしも〝救急車呼ぶでしょ、普通〟って思ったんだけどさぁ」


 そして俺に向く。


「あんな表情かおされちゃあねぇ」


 智尋さんも、ついでに郷里さんも俺を見る。

 未音さんが作った空気に苦しんでいた智尋さんが、本格的に呼吸いきを詰まらせる。


 自分で自分がどんな表情かおをしているのかわからない。

 ただ俺の芯をく熱は、勢いを増し湧き上がり続けている。


 大人たちが、俺の言葉を待っていた。


「智尋さんだってわかってるよね? 三人ともヤバいって」

「でも!」

「あのは俺なんかに〝助けて〟って言って俺はそうしたいと思った。心の底から。こんなの初めてか前を覚えてなくて、どうすればいいのかわからない。伯父貴なら、やると決めたら全力で徹底的で、容赦しなくて……俺はそんなやり方しか知らない。わかるのは迷ってる暇なんて無いぐらい」

「でも……」

「病院だろうとどこだろうと好き勝手できてたクソ共がいるとしたら、そこで常識が通用してたとは思えない。まもんなら非常識な伯父貴ヒトの城ぐらいじゃないと」


 高層タワーマンションの最上階にある、伯父貴の私的な空間プライベートスペース

 その気になれば世界と隔絶して引き籠もれるように造られた、まさに城塞。


 幼気いたいけな少女に粋がる情けないクソ共が、叔父貴あのヒトの悪意にかなうとは思えない。

 地上との物理的距離だけでも、彼女らには〝安心〟となるだろう。


 伯父貴の非常識を知る智尋さんが言葉に詰まり、しかし呑み込み常識にすがる。


「でも〝で〟なんて夢物語よ? 悠佑君の言う通り迷ってる時間なんてないのに最低限の機材だけでもすぐには揃わないわ!」


 未音さんが得意顔で割り込む。


「例の国でおっきな病院をたっくさん造る計画プロジェクトがあるんだけど、日本からいろいろ送る途中でいろいろあって結構足止め食らってんのよ。大病院の一〇や二〇分ぐらいどうとでもなるよん♪」

「それ、大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫♪ 後で帳尻合わせとくから♪ お代は悠佑クンが何とかしてくれるでしょ。言い出しっぺなんだし」


 大人三人が揃って俺に向く。

 常識にこだわっていた智尋さんまでも。


 表面上はどうあれ、僅かでも〝そうしたい〟と思わせたところで選択肢を提示。

 説得に折れたのではなく、自ら道を踏み外すよう仕向けるやりくちが汚い。

 それに期待して未音さんに頼った俺も同罪だが。


 そして腹の奥で煮えたぎる熱が、迷い無くくちから噴き出す。


「叔父貴から小遣いだか生活費だかで貰ってたのと、あの国絡みで振り込まれたのを足せば結構な額になる。それで足りなきゃ〝いざとなったら迷うな〟って預かってる全財産にもご登場願うさ。伯父貴あのヒトの事だから、そうしない方が怒るよ」


 未音さんが満足げにうなずく。


「あの国の王様に頼めばそれも要らないかもね。何せ救国の英雄様だもーん♪」


 分不相応の肩書きに悶絶しそうだが、それが役立つなら喜んで悶え苦しもう。

 何か言いたそうだがくちを開かない、智尋さんの前にある最後の一線いっせんを突く。


「大雪ん中を傷だらけのが〝妹を〟って……でも妹たちは〝病院は駄目〟って……偶然そこにいた野郎が智尋さんを知ってて、なのに救急車を呼んでやるだけやったと思える奴はこのらをした側の一人ひとり。俺はそんな役なんか絶対にりたくない」


 最後のちからを振り絞った……目の前の俺すら見えていなかった姿が脳裏に浮かぶ。

 胸の奥で煮えたぎる〝熱〟が〝痛み〟になり、掻きむしるように掴む。


 常識に囚われている智尋さんに、未音さんが常識を振りかざす。


「せめて、どうしてなったのかはっきりするまでは動かさない方がよくない?」


 郷里さんも涙と鼻水塗れの寝顔を二つ肩に乗せたまま、智尋さんに迫る。


「悠佑君の言う通りなら絶対安全だしな。かくまうには打って付けだ」


 予定していた演目が終了し、未音さんが智尋さんに詰め寄る。


「ねーねーもうココロは決まってんでしょー? もうわかってんだからね?  何年付き合ってる仲だと思ってんのよーいい加減本音を認めてぶっちゃけちゃいなよー」

「医者だから無責任に手は出せないの! 頼られても私には無理な事もあるし!」

「無理なとこだけ他所よそに頼ればいいじゃーん!」


 そして沈黙。

 この一瞬いっしゅんすら惜しいのは、医師である智尋さんが一番いちばんわかっているはず。

 重責を負うヒトへの無理強いは逆に作用しかねず、他はただ待つのみ。


 やがて腕を組んでうつむき、大きく呼吸いきを吐いて……顔を上げる。


「〝大病院の一〇や二〇分〟は要らないけど、結構回して貰う事になるわよ」


 こうなるとわかっていた未音さんが、どこからともなくタブレットを取り出す。


「まーかせて♪ このリストに無くてもどうにかするから何でも言って♪」


 タブレットを受け取り、眼鏡を直して覗き込む智尋さん。


「それでも無理なものは無理。私にできる限りを尽くした結果、設備とヒトが必要と判断したらそうします。あののために〝病院に行かない約束〟はしませんからね」


 妹たちの寝顔を見ながらうなずく。


「智尋さんがてくれるんだから、いくらでも言い様はあるさ」


 いつしか照明に朝の光が重なり、世界のいろが変わっていた気がした。

 智尋さんがタブレットを見据えたまま、スマホを取り出す。


「たちまち必要なものは、クリニックうちからここに移すわ。娘に伝えておくから詳しい事はあのに聞いて」


 大きくうなずく郷里さんと目が合う。


「それは俺と愛車の役目だな」

「俺も手伝う。これでも一応いちおう男手だし」


 見事に目論み通りとなり、腕を組んで仁王立ちする未音さん。

 邪魔するモノが無いから腕の組み方かたちが実に綺麗、この格好が様になる。


「んじゃ、あたしは……」


 その台詞せりふは、とてもとても可愛いくしゃみがさえぎられた


「「くしゅ」」


 郷里さんの肩から下向きにしがみ付いて降りる、髪を纏めた幼女。


「お姉……どこ……」


 郷里さんの頭で鼻水を拭く、髪を下ろした幼女。


「お姉ちゃん……くしゅ」


 智尋さんと共に郷里さんに向き、目を合わせてうなずき合う。

 三人並んで未音さんに向き、次いで目線を妹二人へ。


 智尋さんはもちろん、大雪を物ともしない輸送力のある郷里さんには役目がある。

 永らく他人ヒトに無関心だった俺に、精神こころのケアが必要ならの相手は不適格。

 女子のお相手は女性の方が相応ふさわしいとも思う。


 行動力の化身が、この後の活躍も予定済みだったと言いたげな情けない表情かお

 頭の回転もすこぶる速いから、諸々の事情も瞬時に理解し嘆息。


「風呂にでも入れますか。小さくてもレディだしね」





□scene:02 - マンション:リビングダイニングキッチン



 未だ降り止まない雪景色を、遙か彼方まで眺められるほどに明るくなったLDK。

 防弾防爆性能はさておき、断熱性にも極めて優れた大窓にカーテンは無い。


 相当に立派なタワーマンションの最上層まるごと一軒のうちは、相当に広い。

 LDKここのように非常識に広大な空間の他、常識的な広さの部屋も多数。


 客間と客用の設備が揃うエリアから、未音さんがタオルで髪を拭きつつ帰還。

 バスローブその他は、勝手に私物化している一室いっしつに持ち込んでいたもの。


 未音さんは叔父貴と友人よりも少しだけ近い間柄(当人たち談)、だとか。

 学生時代から伯父貴の部屋アジトには常時無遠慮だったそうで、ここも熟知。


 出会って十数年の俺とも今更の仲、ノーメイクも気にしない。

 ついでに言うなら、バスローブの下はノーガードと思われる。


 髪を下ろした素顔は、化粧ありきの標準形より幼く見える。

 個人的には無垢な方が好印象、他人ヒトに見せないのはもったいないとも思う。


 ねぎらいと感謝を込めて、ビールを用意。


「二人は?」

「お風呂から上がった時にはほとんど寝てたし、空いてた部屋のベッドに、ね」


 冷蔵庫からツマミにになりそうなものを適当に選び、テーブルへ。

 生きる事に無関心なら食事もそうで、全て未音さんが持ち込んでいたもの。


「助かったよ、今日に限って呑んで寝てなくて」

「雪でいろいろ大変だったからねーん。まっさか、ここまでの大仕事が舞い込むとは思ってなかったけどさー」


 椅子の上で胡座あぐらを掻き、目の前にビールを注いだグラス掲げて凝視。

 目の前の酒を呑まずにいられるのは、それ以上の関心事がある異例の事態。


「あの二人……お湯に浸かるのすっごく嫌がるからシャワーで済ませたんだけどさ、改めて見たら無傷なのよね」

「じゃあ二人を護ってたらしいあのは……いや、いい。何も言わないで」


 女子なので見たのは未音さんと、彼女が眠る部屋にいる智尋さんだけ。

 目も当てられない状態なのは言わずもがな、無理に想像する必要は無い。


 重そうな段ボール箱を抱えてきた郷里さんが、背中を向けたままつぶやく。


「兄弟姉妹の中でから一人ひとりだけを生贄ターゲットにし、他を可愛がって共に見下ろし充足感にひたる……そんなタイプの虐待もあるが、大抵は実の親かそんな相手の仕業。姉を鎖で繋ぐ代わりに妹を人質にしていたなら、それができる姉妹と知っていたろうからな」


 未音さんが身を乗り出す。


「まさか、じゃあ……」


 郷里さんがを見せ制する。


「だがその場合ケースによくある憎むよりすがる言葉が、妹さんたちには無かった」


 そしてうつむき作業に戻る。


「悪鬼の仕業としか思えん所業ことができるのは、鬼や悪魔のような奴ばかりじゃない。神の視点から虫や小動物を支配して悦にる、幼稚な残虐性を残すタイプもそうだ。時に目障りな下等生物の尊厳などあるとも思わず、自然と行いは非道になる。姉妹の相手は、同居する赤の他人かもしれん」


 その意味を思い、声が震える。


「じゃ、あのらの親は……」


 未音さんはグラスを眺め、郷里さんは背を向けたまま。


 思わず拳を握りしめる。

 憐れみや哀しみより〝俺が〟の想いが溢れて苦しいのは、俺もだからか。



                 *



 降り続ける雪の向こうで白んでいた雲が明度を落とし、夜が近いとしらせる午後。

 手で持てる荷の搬入は一段落ひとだんらく、今は手配したトラックの到着待ち。

 そこでようやく、郷里さんと共に遅い昼食となった次第。


 妹たちの腹は、仮の家主で食材の所有者でもある俺が担当。

 恐るべき事に、食に無関心で未経験だった俺より未音さんは壊滅的だった。


 死力を尽くした努力の甲斐あり、どうにか腹が満たされた二人は再び爆睡。

 智尋さんの診察も問題無く、〝今はそっと〟となった。


 そして今、男二人が腹に入れている物体ものは幼い二人の食べ残し。

 未音さんの手料理も絶品とのたまう郷里さんでは、善し悪しの判断はできないが。


 未音さんは、リビングで少女たちのカバンを物色中。

 まだ二人が起きていたうちに、了承は得てある。


「こりゃ……大事なモノかもしれないからとっとくけど、うーん……」


 今は俺や伯父貴の衣類ものを着せているが、いつまでも仮のままではいられない。

 そもそも幼女の下着などここにあるはずが無く、どうしているかは不明。

 ここでは基本的に無着用ノーガードの未音さんの担当だから、予想はつくが。


 やがてスマホを手に取り指を滑らせ、時折電話をかけている。

 女子の所持品につき敢えて想像しないが、あの有様では期待できない。

 新規調達に方針変更、悪天候を鑑み店が開いているかを確認している様子。


 やがて得心した表情かおを上げ、郷里さんに向く。


「ゴーリーゴーリーちょっとおいでー」

「はいはい! 只今!」


 郷里さんの立ち位置ポジションは、いにしえの言葉に伝わるところの〝アッシー〟君。

 山間やまあいに生まれた俺が退くレベルの雪でも、あの四駆ならものともしないだろう。


 二人が出かけてすぐ、白衣の智尋さんが少女の部屋から出てきた。

 コーヒーをれ、未音さんが冷蔵庫に押し込んでいたケーキを出す。

 入れっぱなしで忘れる事多々あり、俺に処分される前提なので問題は無い。


 ダイニングで腰掛けた智尋さんは、コーヒーを一口ひとくち飲んで溜息。


「悠佑君に言っても……いえ、悠佑君ならわかってもらえるかしら」

「俺?」

「悠佑君は〝強運〟扱いをただの偶然だって言ってたわよね。タイミングが良かっただけ、スケールが大きいから騒がれただけ、って……いつも」

「その通りと言うか、そう言うしかないんですが」


 智尋さんは顔を伏せ、ミルフィーユの端をフォークで削り取りくちへ。


「結論から言うと、あの身体からだは破壊され尽くして動かなくなる寸前。例えるなら暴走した大型トラックにかれたヒトが宙を舞い落ちる途中。放っておけば確実に、すくい上げられたとしても、もう……」

「そんな! で、でも智尋さんなら治せ……ます? よね?」

「当然そのつもりよ。でも……」


 コーヒーを含み、目を閉じ……開く。


「治せる傷が見えていれば、どんなに深くても手の打ちようはある……でももし中が駄目になっていて、いずれ全てをむしばむとわかったら? どこから手を着けようにも、どこももろくて壊れかけていたら……」


 フォークを思い切り突き立てられたミルフィーユにから、薄い欠片が飛び散る。

 中にあったフルーツが、果汁にまみれてはみ出し転がる。


 その意を察し、〝怖れ〟が言葉になってくちから漏れる。


迂闊うかつに手を出せば……」


 智尋さんが顔を上げて首を振る。


「少しずつ確実に動けなくなって、やがて五感も失うように……まるでヒトの形状カタチをした人形をつくろうと……それも少しずつ、希望を削ぎ落とすように絶望の淵へ追い込んで、できる限り長く苦しむように。むしろ、正気を保てる程度の苦痛が残酷。今は〝無数の要因が複雑に絡み合って〟としか言えないけど、こんな事狙ってできるはずないからとしか……真っ当な医者にこんな話をしたら、創り話にしてももう少しリアリティをと笑われるでしょうね。この手と目でた私自身、悪い夢だと思いたいもの」


 偶然は重なると思い知っている俺は、どんな話も笑いはしない。


「それで〝俺なら〟ですか」

あらがえない現実を〝運〟なんて言われたら、怒るよりやるせないわよね……」


 その嘆息が意味するあのの現実に、背筋が震える。

 智尋さんが俺をなだめるように微笑む。


「運が良かったと言える事もあるわ。脳や脊椎のような、あのがあのでいられる機能は無事よ。まとわり付いている悪意を解きほぐす時間は稼いでみせる! ロクでもない大人たちの思い通りにさせてたまるもんですか!」


 〝この国一番の病院より〟と評され、俺もそう思うヒトの意気込みは心強い。

 吐いた分の毒が抜けたのか、肩からちからが抜けて遠くを見る。


「こんな雪はいつ以来かしら。一〇年? もっとだったかな?」


 大窓の外では、吹きすさぶ風がはたを織るように雪のカーテンが幾重にも重なる。


「俺がこの街に越して来る前か……気候変動とかそんなの?」

「かな? そういうのにはうとくて。前は半日で止んだのに今は昨日から降ってるのにまだあんなだし、そうなのかもね。そう言えばあのヒト……悠佑君の叔父さんが暑い夏に変な事を言ってたっけ。〝今やってる事が巧くいけば、クーラーの要らない夏か大雪の冬になる〟……だったかしら」

「温暖化対策とか、そんなのにも手を出してたのかな」


 巨大ダムや広大な砂漠の緑化が気候に影響する、と予測していた可能性もある。

 どんな規模スケールだろうと、伯父貴あのヒトの仕業なら驚かない。


「何かの起動に〝地球ほしが冷えるほどのエネルギー〟を使うから、って言ってたかな? 雪の降らなかった年に思い出して聞いたら、笑って誤魔化されちゃったけど」


 大仕事を伯父貴なりにって自慢したが頓挫とんざした、と言ったところか。

 そもそも伯父貴あのヒトの比喩的表現は、規模と常識がちょっとおかしくわかりにくい。

 聡明な智尋さんにも寝言のたぐいだったらしく、俺の反応を待たずに辺りを見回す。


「未音……はもう行っちゃったみたいね」

「叔父貴と一緒で仕事中毒ワーカーホリックだから。止まってる方が疲れるみたいだし」

「じゃあ郷里君が運んでくれた機材の立ち上げ、悠佑君に手伝って貰おうかな?」


 それが何であれ、彼女らのためになると思えば自然とちからが湧いてくる。

 〝生きている〟実感が心地好い。

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