03:雨の下、傘の中

03-01:雨の下、傘の中・1

□scene:01 - 街



 生きる事を諦めていた彼女と、生きる意味の無かった俺が出会って数ヶ月。


 まだ朝早いのに世界は眩しく、白い陽射しが夏の到来を思わせる。

 冬らし過ぎる冬だった反動か、今年の夏は暑くなるらしい。





□scene:02 - マンション:リビングダイニングキッチン



 寝起きで上がらない足を引き摺り、大窓が眩しいこのうちのメインルームへ。

 開ききらないまぶたこすりつつ、TVの前にいた双子と未音さんに朝の挨拶。


「ふわぁ……はよ……」


 間の抜けた有様だが、飾る必要がいほどに馴染んでいると解釈されたい。

 未音さんによる外観チェックを終えた愛衣が、すっ飛んで来て豪快にタックル。


「おにぃ! おっはよー!」

「うぉ……」


 腹を抱えて呼吸いきを整える。

 無傷だった二人は順調過ぎるほどに回復、そろそろ加減を教えるべきか。


 愛彩もおっとりゆっくり到着。


「おはよ、お兄ちゃん。ちゃんと起きてる?」

「くっ……今ので完全に」


 未音さんは両の肩に書類やPCを押し込んだ大きなカバンを下げ、出撃の構え。


「んじゃもう出るね」

「今日早いな。朝飯は?」


 カバンの重さに任せて肩を落とし、思いっきり嘆息。


「はぅ……今の仕事、一秒いちびょうでも遅れると〝ただの寝坊〟って証明しないとエンラいコトになっちゃうのよー。こんな時こそおチビちゃんたちの力作で精神的にも癒して欲しいのにさー」


 一瞬いっしゅん腕時計に目をやり、背を向ける。


「帰りも遅くなるから夕飯も無しで──…‥・」


 言い終わる前に、扉を蹴り開け飛び出ていった。

 双子の前で情操教育を無視する事態は、それだけ多忙な現れ。


 元よりそんなヒトだが、最近は夜明けと共に出て夜明け前に帰る日も多い。

 それがどんな仕事にせよ、社会人は時に守秘義務なるルールに縛られる。

 下手な気遣いはむしろ迷惑になりかねず、外野は黙って見守るしかない。


 なお帰れない日は智尋さんに泊まって貰い、女子と野郎だけの夜を回避している。


 見送りが終わると、エプロンに身を包んだ愛衣と愛彩がキッチンで待機。

 天使もかくやの笑顔に招かれ本日最初の大仕事、朝食作りが開幕。

 姉への恩返しのつもりか、あのの分は主に二人の担当。


 二人は早めの食べ盛りを迎え、朝早くから時間一杯いっぱいたっぷり食べる毎日。

 手伝う様子も食べる姿も愛らしく、早朝からの重労働も苦にならない。



                *



 他人に無関心だった俺が、他人が無関心だった姉妹と始めた共同生活。

 他人ヒト目線や言葉を過剰に意識し身構え緊張し続けていたのも、今は昔。

 ようやく他人からは〝その他大勢モブ〟でしかないと実感できるようになっていた。


 一方いっぽうテロか事故かと騒がれた〝港町大爆発〟は、報道が絶えて風化しつつある。

 例の男女を除き、四桁はいたはずの構成員ごと何もかもが爆散して物証皆無。

 疑わしき繋がりは全て海の向こうで、確たる証拠が無ければ手を出しにくい。

 死者多数(のはず)だから迂闊うかつな事は言えないが、迷宮入りは確定の模様。

 事実、捜査本部は別の重要案件に適任者を回す名目で縮小されつつある。


 幸いにも、大爆発以前そのまえから捜査対象だった男女の悪事は別。

 全て立件できなくとも数年は檻の中、その後は海の向こうでまた裁判。

 姉妹との物理的接触など不可能にと、郷里さんたちがちからを尽くしてくれている。



                *



 家を出る時間から逆算して丁度いい時間になると、〝あの〟が姿を現す。

 帽子をハンガーに掛け鞄をスツールに置くと、礼儀正しく一礼いちれい


「おはようございます」


 眼鏡をかけた顔は、あの日より幾分大人びて見える。


 この時間まで自室で休んでいたのは、智尋さんにそう決められているから。

 毎夜酷く消耗した姿を見れば、十分な休養が必要と素人おれの目にも明らか。

 当人が望む〝普通の朝〟は難しく、他の可能性をも潰しかねない。


 そんな思いは胸に秘め、礼儀正しく挨拶する彼女に気さくな会釈で答える。


「おはよう、愛里沙」



                *



 法が頼りにならなかった問題を乗り越えると、法の問題が待ち構えていた。

 法を尊重して従うなら、この家は一時的いちじてきな避難場所に過ぎない。

 俺の手が届くのは、法に基づくヒトか施設に託すまで。


 だが親は既に亡く、郷里さんや未音さんが手を尽くしても親族は見つからない。

 託した先が悪辣あくらつな男女の保護下にあったと知り、及び腰になるかもしれない。

 その境遇をマスコミやネットにさらされ、正義をかたる悪意になぶられる怖れも。


 そして姉妹は今も闇を恐れる瞬間ときがあり、一度いちどに長く眠れないまま。

 毎夜不意に涙する双子を抱き締め寝かせる未音さんの胸中や、推して知るべし。

 法的に正しいどんなどこかよりも、ここの方が絶対にいいと呑んでは愚痴る日々。


 そして、自制心リミッターが吹っ飛ぶに至る。


 世界中を飛び回っている叔父貴は、戸籍上何度か死んでいる。

 内戦や紛争で国境を突破している事例ケースもあり、屡屡しばしばこの世から消えてもいる。


 一方いっぽう姉妹の親族は両親だけで、母親が亡くなった時点ときから放置状態ペンディング

 父親が失踪扱い中は〝死んでもいない〟と見做みなし、然るべき筋も介入せず。

 例の男女ふたりが双子の言う通りの〝悪者〟なら、誰も関わりたくなかったのだろう。


 その男女は郷里さんたちでも辿り着けないほど、巧妙に闇へ潜んでいた。

 法ではなく〝怖れ〟でヒトを支配していたからか、存在を証明する記録も無い。

 だがそれは、怖れるどころか蹴り飛ばしたいと思えば〝姉妹は無所属フリー〟ともなる。


 これら素材として必要な事実を創作ねつぞう、姉妹を叔父貴の養女むすめとしたのだ。


 関係各所へ実際に記載ミスがあった書類とあわせ、〝これも忘れてた?〟と提示。

 ヒトの行いに完璧など有り得ず、手書きの国や時代の再確認は面倒臭い。

 姉妹の母親が亡くなった頃、伯父貴の所在は不明で記録は穴だらけ。

 そして姉妹と出会った雪の日に、父親は死亡認定。


 自重しない高機能仕事中毒者ハイレベルワーカーホリックに敵は無く、未音さんは〝楽勝♪〟と高笑い。

 むしろ雑すぎた前より、でっち上げられた設定の方が正常まともに見えるほど。

 わざわざ仕事を増やして苦労したい役人はいないだろう。



                *



 愛衣がテーブルに駆け寄り、愛里沙の椅子を引く。


「お姉、おはよ!」


 愛彩が双子で準備した朝食を、愛里沙の前に並べていく。


「おはよう、お姉ちゃん。これとこれは愛衣ちゃんとつくったの。美味しいよ♪」


 火や刃物を扱う段階ところまでは俺が担当しているが、双子も頑張っている。

 全て二人の手になる日は、そう遠くない。


 愛里沙が心から嬉しそうに微笑む。


「ありがとう」


 双子と似た制服を身に纏う彼女が、双子に見守られて席に着く。



                *



 当面はこの家で暮らすとなると、次なる目標は〝普通の暮らし〟。

 就学先もクリアすべき項目のひとつ。


 体力面を考慮すれば近いほど良く、精神面では姉妹一緒いっしょが望ましい。

 俺と同じ学園なら徒歩圏内にある上、初等部と高等部が近い。


 そこは学力と財力や身上しんじょうも相当でないと無縁の、伝統と格式を誇る名門私学。

 悪い意味で常識から外れた者は存在し得ず、姉妹を護るにも都合が良い。


 そして編入手続きは、〝あのヒトのコなら〟と素通りの如く。

 名門のほまれは客を厳選しての栄誉のはずが、寧ろ頭を下げられ大歓迎。

 未音さんは〝悠佑クンが編入した時にイロイロ♪〟と面白そうな表情かお

 そもそも無気力どころから無意識状態だった俺が入学できた時点でおかしい。

 伯父貴がやらかしたのは間違いなく、知らずと同じ考えに至った事実が嬉しい。


 その他諸々とあったはずの問題も、未音さんの手腕と伯父貴の影で全てクリア。

 〝行き場の無い未成年〟は、金もヒトも足りない行政には面倒臭い存在。

 〝何とかなっているなら見えないフリ〟辺りが真相だろう。



                *



 愛里沙が小さなにクスリを並べ、妹たちの用意した二杯の水で流し込む。

 掌一杯いっぱいを四回の量が食前分で、食後に加えて何度か決まった時間にも。

 一日いちにちの量は正に厖大ぼうだい、全て合わせると一回いっかいの食事より多い。



                *



 愛里沙は、ただ立っているだけならとわからないほどには良くなっていた。

 智尋さんの意地と自尊心プライドと、本人の文字通り血のにじむ頑張りとで。


 痛めつけられ歪んだ身体からだは、死よりも辛く死ぬまで続く悪夢の如く。

 闇に消えるみちが例え途中でついえていようと〝進む〟以外の選択肢は無い。

 全身を裂き内臓をえぐり骨を削り金属板プレートをネジで留め、それでも彼女は耐えた。

 自分の脚で歩けるなら、毎日学校に通えるなら、時間を取り戻せるなら……と。


 しかしできる全てを尽くして辿り着けたのは、天高くそびえる山のふもとまで。


 帽子と眼鏡で露出を抑えた姿は、遠目なら名門私学の女子らしいたたずまい。

 とは言え近づけば高等部の制服らしからぬ小ささサイズ、肌は荒れ髪に艶は無い。

 着用自由の帽子を手放せないのは、不意にごっそり髪が抜ける痕を隠すため。

 五感の全てが機能不全、眼鏡や補聴器で目一杯めいっぱい補っても〝普通〟にはほど遠い。


 歩みは極ゆっくりでなければ未だにぎこちなく、それも二〇分までが現実的。

 見えない全てが見えるよりも小さく未熟でもろく、絶対に走ってはいけない。

 腕や背筋はねじれて動きは限定、転び方によっては一人ひとりで起き上がれない。


 〝他の事はちゃんと歩けてから〟と頑張る愛里沙に、智尋さんの微笑みは暗い。

 歩けなくなるまで〝歩く練習〟を続けるのかと思うと、胸の奥が痛む。


 一方いっぽう学業面は、同学年だった智尋さんの娘が家庭教師にいて解決。

 学年トップに君臨し続ける彼女やつは、指導の腕前もかなりのもの。

 お茶くみだった俺の成績まで上がる始末。


 何より可能性を潰されていた愛里沙の〝学校に行きたい〟思いに圧倒された。

 智尋さんからドクターストップがかかっても、隠れて続けて倒れた事数知れず。

 成績無関心で必然的にそれなりな俺を超えるどころか、中間試験は上位一〇人トップテン


 怒濤の勢いをよってたかって止められ、こつこつタイプ方針変更モードチェンジさせられその結果。

 を超えるのは難しくても、期末は学年二位も十分有り得る。



                *



 食事を終えた愛里沙が食器を片付けようとし、双子に止められるいつもの風景。

 元気な妹たちに優しく微笑む表情かおに思う、計り知れない時を重ねた深さ。

 幼くも見える小さな彼女を、長身の俺が見上げる気分で尊く思う。



                *



 当初の〝学力と見た目に応じた学年から〟なる提案は当然で必然。

 学年は年齢通りとし、伯父貴の名を出し特別扱いを求める案もあった。

 そこへ未音さんが〝普通で!〟とかたくなに譲らなかった意味、今ならわかる。


 誰かに持ち上げられた人生は、誰かの都合で下ろされる体験版。

 彼女が望む生き方ルートは、その手と脚でい上がってこそ。



                *



 食器を抱えた愛衣が、キッチンに立つ俺の後ろで列をつくって順番待ち。


「ごちそうさま!」


 おっとりゆっくりの愛彩も続く。


「ごちそうさまでしたぁ」


 そして最後尾にいた愛里沙が、深々と頭を下げる。

 妹たちへの柔らかい微笑みとは違う、感情をうかがえない固い笑顔かお


「あの……悠佑さん、いつもありがとうございます」


 本心とは無関係の礼儀に、本心とは関係無く笑って返す。

 今の俺は、彼女の目にどう映っているのだろうか……



                *



 姉妹との同居は覚悟の上で選んだ道だが、巧くできる自身などあるはずがない。

 年齢としの離れた双子は伯父貴がしてくれた例に習えばいいが、問題はもう一人ひとり

 同い年の女子を下の名で呼ぶなど、どうでもいい人生に予定は無かった。


 妹がいるからやむを得ないが、〝さん〟すら無いのは大人たちにいられて。

 家主が他人行儀で彼女らが落ち着けるはずがない、俺の方から近づけと。

 恐らくは味方が一切いっさいいなかった今までとは違うと印象づけろと。


 それも一理いちりあると勘違いした結果が、ご覧の有様。

 〝馴れ馴れしい勘違い野郎〟と化した現実に、精神こころが磨り減る毎日。

 今更変えたら〝情緒不安定で危ない奴〟にもなりそうで、開き直って今に至る。



                *



 愛衣が愛里沙の片手を掴む。


「お姉! 行こ! お兄も!」


 愛彩がもう片方の手を握る。


「お姉ちゃんと一緒♪ お兄ちゃんと一緒♪」


 愛里沙の通学はクルマでの送迎が現実的で、智尋さんもそのつもりで許可。

 だが精神面を思えば、当人の〝普通に通いたい〟願いは無視できない。

 よって必然的に、消去法でもあるが俺の付き添いが必須に。


 なのに彼女は、俺を誘う妹たちの背中を押すように部屋を出ていく。


「忘れ物ない? 靴下ちゃんと同じの履いてる?」


 そしてひとり残される俺。

 大人たちがいる朝は〝いってきます〟と振り向いてはくれるのに。

 一緒いっしょに行くのだから待つ必要はなくとも、いないも同じ扱いはさすがに寂しい。


「初めて会った瞬間ときは、もっと近いと思ったんだけどな」


 〝近いそれ〟どころか、精神こころに突き刺さった気がした。


 現状いまの理由は、ガラスに映る冴えない野郎を見れば何となく想像がつく。

 の夜は妹たちを救いたい一心いっしん、誰とも知らずぶつかるしか無かった。

 そして目が覚め、間の抜けたを白日の下で認識。


「やっぱ、俺だからか」


 未だに余所余所よそよそしいのは俺だけ。


 頼るべき大人の女性たちはおろか、双子には怪人扱いの郷里さんとも普通に談笑。

 得体の知れない野郎の家で管理された日々をいられては、警戒して当然。

 虐待者の一人ひとり、男の方も長身らしいから俺と重ねている怖れもある。


 美形なら許されたかもしれないが、それはないと謙遜抜きで知っている。

 目映まばゆい光溢れる未来を想った頃もあったが……


「現実は厳しい」





□scene:03 - 街:市街地



 空を見上げて跳びはねる愛衣。


「まぶしー!」


 空を見上げてうっとりしている愛彩。


「あついねぇ♪」


 我らが住処すみかたるマンションがあるのは、街の中心から外れた比較的新しい区域エリア

 目指すは賑やかな駅周辺を越え、古くから閑静と知られる地。


 はたと立ち止まり、腹に両手を当て見下ろす愛衣。


「あれ? お腹……空いたかも?」


 並んでくねりながら、恥ずかしそうに量頬に両手を当てる愛彩。


「私も……ちょっと空いたかもぉ」


 二人に駆け寄り、焦る愛里沙。


「愛衣も愛彩も、また? 朝ご飯ちゃんと食べた?」

「「うん、いっぱい」」


 いつもの通り、背負った鞄から食い物を取り出し渡す俺。

 適当に切ったフランスパンに、ハムや野菜を挟んだ質より量の品。

 取り敢えず二つずつ掴んで両手に掲げ、俺と愛里沙の周りをぐるぐるはしゃぐ二人。


「「わーい♪ わーい♪」」


 劣悪だった日々の反動か早めの食べ盛りを迎えていた二人は、まさに底無し。

 このほかにも日に何度かある電池切れに備え、何セットか用意してある。

 二人に持たせないのは、あるだけ全て食べ尽くすからに他ならない。


 無邪気に頬張る二人から、申し訳なさそうな表情かおを俺に向け頭を下げる愛里沙。


「あの……すみません、毎日毎日……」


 当然のように退き気味なのがわびしい。

 これ以上の悪化は居たたまれず、精一杯優しく答える、


「あんだけ暴れてたら当然だって。喰わないより腹一杯はらいっぱいで元気な方が絶対いいし♪」


 そんな頃があったはずの俺が、次は世話をする順番ターンになっただけ。

 そんな頃が無かったろう愛里沙の前で、滅多な事は言えないが。


 実のところ〝生きたい〟思いが無かった俺どうだったのかはっきりしない。

 気が付くと背が一八〇を超えていたから、伯父貴頑張ってくれたに違い無い。

 自発的に食べてくれる双子と異なり、食欲も何も無かった俺は面倒臭かったろう。


 閑話休題それはともかく


 双子は初等部に入ってすぐに、体育会系のクラブに誘われた。

 お気に入りの魔女っ子アニメに影響されてか、得物を使い暴れていると聞く。


 そこには名門学園らしい歴史と格式を象徴する、薙刀なぎなたを振るう和装の集団。

 古風な装束や立ち振る舞いに憧れて、この学園を目指す女子も少なくないとか。


 薙刀クラブそれに限らず、新たに知る事実ことが少なくない。

 俺が入学はいった頃は、心が死んでいたのだと改めて思う。


 顔の半分を隠すサンドイッチを頬張りながら、勇ましく見得を切る愛衣。


「お姉を護るためにはもっともーっと強くなんないといけないの! もっともーっと食べて早く大きくなんなきゃ!」


 両手に持った巨大なサンドイッチでくちを隠してはむはむしながら、愛彩も続く。


「もっともぉっと強くなりたいなぁ♪」


 やつれて俺や大人の顔色を伺っていた二人ふたりが、無邪気に食欲旺盛な姿が嬉しい。

 攻撃的なクラブ活動が姉を護る意志の現れかと思うと、切なくもあるが。


 いつもの遣り取りに、いつものように割って入り何度も頭を下げる愛里沙。


「二人とも! 悠佑さんに無理言っちゃだめでしょ! あの、すみません、我が儘を聞いて貰ってばかりで……」

「余り物を適当に重ねただけであんなに喜んでくれてゴミを出す手間もなくなるし、俺にとっちゃいい事尽くめだよ♪」

「でも……すみません」


 〝すみません〟〝気にしないで〟のような遣り取りは、未だに日に何度もある。

 その度に彼女との距離が開いていくようで、これもまた切ない。



                *



 彼女が俺を下の名で呼ぶのは、当然ながら親しみからではない。


 俺と同様、未音さんに〝家族なんだし♪〟とうながされたが〝絶対無理〟と断固拒否。

 これも俺と同様、伯父貴が帰ったら〝区別がつかない〟と諭され渋々受諾。

 呼び捨ては〝お世話になっているのに失礼〟と、〝さん〟付けが精一杯せいいっぱい


 何度か再交渉を試みるも、〝ごめんなさい〟と頭を下げさせるだけ。

 未音さんも〝馴染んでくれてから……〟と諦め、なっている。



                *



 不意に背筋を貫く緊張感と、全身の肌が沸き立つ痺れ。


(!?)


 言葉にするなら〝殺気〟だが、そんな気がするだけと知っている。


 振り向くと、俺を見上げて睨む四つの可愛いまなこ

 サンドイッチを持った手を俺に向け、左手を腰に当てて見得を切る愛衣。


「お兄? お姉泣かした? 何したの?」


 サンドイッチで顔を覆い、髪の毛の間から目力めぢからで俺を滅ぼそうとする愛彩。


「お兄ちゃんでも、お姉ちゃんを泣かせたら……怒るよ」


 愛里沙が慌てて二人の間に入る。


「ほらほら、お姉ちゃん泣いてなんかないよ。悠佑さんを困らせちゃダメよ」


 泣きそうな表情かおで愛里沙に寄る愛衣。


「ホント?」


 愛里沙の影から顔だけ出して、前髪の隙間から俺を睨んだままの愛彩。


「ホント……かな」


 ずっと眺めていたい愛らしさだが、必死な愛里沙に加勢しないわけにはかない。


「ほんとほんと! ほらほら」


 愛里沙の横に、触れないよう細心の注意を払って寄り添い腰を落とす。

 俺一人ひとりが見下ろす悪の親玉的構図をめ、姉妹と目線を合わせ一体感いったいかん演出プロデュース

 うっかり触れて退かれてを繰り返し、この距離感にも慣れてきた自負が寂しい。


 頑張って微笑む俺に、鼻先いちミリまで顔を寄せる愛衣。


「うーん」


 その背中越しに見える愛彩のに、背筋が伸び顔が引きる。


「ゆるしてあげる?」


 神妙な表情かおを見合わせにっこり笑った二人は、他に興味を奪われ走って行った。

 俺に向き、必死に頭を下げる彼女。


「すみません。あのたちったら。悠佑さんがそんな事するわけないのに」

「だ、だよな? で、でももし俺が何かやらかしてたら……」


 謝らせてしまった罪悪感で言葉に詰まったが、焦る必要は無かった。

 その短い台詞せりふが終わるより前に、彼女は背を向け双子の方へ。


 脱力して立ち尽くし、先を行く彼女に届かないと確信してから溜息。


「この世が全員参加の劇だとしたら、俺はあのらと伯父貴の縁を繋ぐ役、か。他に出番はなくて、雪夜の場面シーンのためだけに生かされてたような気もするし」


 どこまでも青い空を見上げる。


「〝もっと、って思ったところで終わるのが人生〟って、誰か言ってたっけ」

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