03-02:雨の下、傘の中・2

□scene:01 - 街:住宅地



 側道から丸い影が飛び出し、前を行く妹たちへ向かう愛里沙を襲う。

 彼女をその豊満な胸と腹に埋めながら、眼鏡をかけた肉塊が奇声を上げる。


「きゃ──! 今日もかぁ──わいぃい──!」


 驚き、しかし嫌がってはいない声を上げる愛里沙。


「あぁ! 智那ちなさん、ダメ……ですぅ……よ!」

「うんうん、この分だと今日も大丈夫そうだねぇ♪」


 自然と追い着いてた俺に、その一言ひとこは確認すべき重要事項。


本当マジか?」

本当本当マジマジ♪ いい意味で特に言う事無いよーん♪ でもなー、他はともかくはもちょーっとお肉着いてもいいのになー」


 そう言いながら愛里沙の後ろに回って肩を掴み、平らな胸を俺に向ける。

 思わず見入ってしまい、〝平らだな〟と確認した辺りで愛里沙が覚醒。


「や……やー!」


 肉塊の魔の手を振り解いた愛里沙は、胸を押さえて妹たちがいる先へ。

 並べば俺の肩より低い女子が、嫌らしい笑顔で見上げてくる。


「あーんな目で見つめちゃってぇ♪ やっぱ興味ある?」

「黙れ。いきなり目の前に突き出された場面とこだけ切り取るな。ってか、お前のせいで嫌われたじゃないか」


 背を向け歩き出す俺に、擦り寄る肉々しい奴。

 上下がやや絞られ中程が膨らむその形状シルエットは、歩く樽の如し。


「どうだかねぇ……ま、他はアレだけどソコは勝手に大きくなるもんだから。ちゃんと食べて寝てればちゃーんと育つぐらいには良くなってるし、愛里沙のお母さんって、いい肉体カラダしてたらしいし……ムフ♪ 期待していたまえ」


 うっかり向いてしまった俺に、眼鏡をかけた丸い顔が満面の笑み。


「やっぱ興味あんじゃーん♪ 楠原クンって、もっとストイックだと思ってたけど、結構俗っぽいとこもあったんだねぇ」


 肯定できるはずなく否定はもてあそばれるとなれば、できるのは話題を逸らすのみ。

 ただでさえ何かにつけて避けられているのに、これ以上印象を悪くしたくない。


「それはこっちの台詞せりふだ。知的で冷酷な優等生の生徒会役員様って聞いてたのに」

「うん、良く言われる♪」


 ニヤリと笑う制服を着た脂身は、千歳ちとせ 智那ちな


 初めての挨拶は〝智那さん〟だったのに、〝さん〟は直ぐ様吹っ飛んだ。

 知的で品のある智尋さんの娘とは信じたくない、傍若無人な見た目と言動。

 いだのは目尻と口元の黒子ほくろ、そして女性的な量感に恵まれ過ぎた体型ぐらい。

 妖艶でグラマラスと称えるべきバランスの智尋さんに比べ、緩過ぎて丸過ぎるが。


 一般的いっぱんてきには〝ヒト嫌い〟〝冷徹〟〝不気味〟と評され、くちにするのもはばかる扱い。

 御伽噺の魔女を重ねて、〝謀略と毒舌でヒトを殺せる〟との大袈裟な噂まで。

 百聞は一見いっけんにしかず、現実は自ら見て聞いて判断すべきと思い知った次第。

 誰も真実をくちにしない理由は、〝呆れて〟か〝憐れみ〟のたぐいに違い無い。


 愛里沙単体ならまだしも、〝二人と会って変わった♪〟と照れる意味が不明。

 趣味の面に於いては罪深き奈落の底に沈んでおり、俺の理解に余る人物キャラ


 家庭教師だった頃も、極めて優秀な頭脳と巧みな指導は称賛すべき見事な腕前。

 しかし安心して任せていたら、いつの間にか趣味のマンガやノベルが教材に。

 その結果極めて効率的に学力向上、新学期に間に合ったのだからたちが悪い。


 愛里沙は〝男の子同士なのに素直に好きって言えていいね〟と感動していたが。


 智那が太ましさそれなりの量感ボリュームを誇る胸を張る。

 一応腹よりも張り出してはいるが、逆転は時間の問題と思われる。


「可愛いモノ相手だと、女子は理性がどっかに飛んでっちゃうのだよ♪」


 愛里沙で思い知った通り女子の心情など謎すぎるが、ある一点いってんには同意できる。


「それはわかる。お前は吹っ飛び過ぎて消し飛んでるがな」


 智那は俺を無視してうつむき歩く愛里沙に追い着き、顔を覗き込む。

 愛里沙は嫌がり顔を逸らすが、智那は巧みに回り込んで逃さない。


 見かねて智那の首根っこを掴む。


「止めろ。嫌がってんだろ」

「うにゃー!?」


 悪戯いたずらを止められた猫が丸くなる気分らしいが、元から丸い肉は持ち上がらない。

 そして悪びれない丸い表情かおが振り返る。


「果たしてそうかにゃあ? もしも、もしもよ? あかくなってる顔が恥ずかしくって見られたくないんだったら愛里沙も照れてるってワケで、自分でもちょーっとは思ってるからじゃないのぉ? ねぇねぇ少年よぉ、愛里沙たんの照れっ照れのきゃーわいー表情かお、見たくはないかい?」


 思わず息を呑む。


「そ、それは……」


 不意に伸び上がっていきどおる愛里沙。

 に涙を浮かべ、真っ紅に染まる困惑した表情かおが堪らなく可愛い


「わ、私可愛くなんかないです! ずっと言われてたし……」


 満面に嫌らしい笑みを浮かべた智那が、俺の手を振りほどいて愛里沙を襲う。


「うきゃー! 可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い♪」


 豊満な肉に埋もれあらがえない愛里沙を、好き勝手に触りまくる智那。

 素人なら許されざる暴挙も、比類無き知見で診断を兼ねているからたちが悪い。

 呆れた表情かおで見下ろすしか無い行為だが、正直に言えばとてもとても羨ましい。


 愛里沙に逃げられた後も掌を蠢かせ、その感触にうっとりしている智那。

 智尋さんの娘だけあって顔立ちは悪く無くとも、贅肉が全てを包み隠している。


「局所的に可愛いと哀れみを誘うけど、これだけ全部可愛いともう人生勝ったようなものじゃない!? 楠原クンもそう思うでしょ!!」


 基本的に無意味に熱く五月蠅い、歩く迷惑。

 この無神経さに度々救われているのも事実だから、余計にたちが悪い。


 ふと、首筋の辺りが涼しくなる。

 愛衣と愛彩は遙か向こうで昆虫むしを追いかけはしゃぐ姿が見えるから、別人べつの殺気。


 目の前に割り込んで来た女子が、赤黒いオーラを纏って智那を睨む。

 かかとの低いスニーカーでも、一八〇を超える俺に並んで顔に届く長身。

 後ろで纏めた髪で俺の視界をさえぎるのは、〝ワザと〟と知っているから鬱陶しい。


「ほう? 〝局所的に哀れなヤツ〟って誰の事かな?」


 全く動じず振り返り、むしろ憐れみの目でくだんの女子に答える智那。


「自分の胸に手を当てて、よーく考えてご覧なさいな」


 無いものに手を当てろとは、酷な物言い。


 長身で良く言えば痩身、現実は平坦なこいつは早弓はやみ 遙香はるか

 智那とは付き合いが長いらしく、こうして物騒な軽口も叩き合う仲。


 早弓こいつが伯父貴の友人の未音さんの親友の娘の幼馴染みとは、この世は狭かった。

 俺とも幼い頃から知る仲だが言葉にするなら〝敵〟、端的に言えば鬱陶しい。


 それが今年は同じクラスで双子とクラブで繋がり、嫌でも導線が重なる日々。


 愛衣と愛彩とは、学部を超えた交流指導で知り合って以降とても仲が良い。

 武闘派同士、体育会系的な野生の本能が共鳴したのかもしれない。

 早弓こいつとは嫌い、嫌われている仲の俺には面白くない話だが。


 纏めた髪で(ワザと)俺の顔を叩きながら振り返り、向き合う。


「何見てんのよ。何か言いたいの? 言ってみなさいよ」


 思いっきり背伸びされると目の高さがそう変わらず、文字通りの睨み合い。

 無駄な争いは避けたいが、絡まれたらむし退かないのが伯父貴の教え。

 鬱陶しさを敵意に変換し、事も無げに返す。


「言っても言わないでも絡まれんだから、黙って楽するさ」

「フン」


 その鼻息より前に、摺り足で音も無く素早くサイドに寄り肘鉄一閃いっせん

 骨と筋肉だけの鋭く細い肘に突き上げられ、顎が天を向く。


「うぉ……」


 いつの間にか双子が早弓の足下に立ち、感嘆の表情かおで見上げていた。

 愛衣が早弓の真似をして肘を突き上げ飛び跳ねる。


「遙香ちゃんすっごーい!」


 両の掌を頬に添え、うっとりする愛彩が早弓の動きを真似て掏り歩く。


「さすが遙香ちゃん……とっても綺麗な足捌き……」


 顎と首を擦りつつ、兄と慕ってくれているはずの二人を見る。


「お、お前ら……俺は護ってくれないの……な」


 愛衣が制服の袖を捲り、可愛いちからこぶをつくって見せる。


「あたしの腕は、お姉専用だもん!」


 愛彩が音もなく愛里沙の側に擦り寄り、長い前髪の間からチラ見。


「お兄ちゃんのお世話してる間に、お姉ちゃんに何かあったらいけないでしょ?」


 食い物をつくっている時は、しっぽを振って待つ子犬のように愛らしいのに。

 拳を握りしめて掲げ、悠然と仁王立ちする早弓。


「強い方がより上に立つ! この世の摂理ね」

「俺との力関係もだから、大人しく従えと言いたいのか」

「身の程を知っとけと言ってんのよ。あんたみたいな何考えてんのかわかんないのがか弱い愛里沙に悪さしたらどうなるか、そのけた頭じゃ理解わかんないでしょうから、身体からだに覚えさせてんの。止めを刺さない優しさに感謝しなさい」


 俺をさげすみ近寄らなかったくせに、愛里沙を知った途端に再接近。

 体育会系の縁から双子を取り込み、手も脚も出さない俺に絡んで来る毎日。


 孤立無援では如何いかんともし難く、うんざりした表情かおと声でぼやく。


「最近見なかったからいい年齢としになって大人しくなったかと安心してたんだが。全然変わってなかったのな」

「中二病こじらせてんのを蹴倒したって、酔わせるだけでつまんなかったからよ」

「付き合ってられなかっただけだ。〝中二病〟言うな。ってか、今は蹴倒しまくって楽しいのかよ」

「うん、スッキリする♪」


 〝嫌な女子やつ〟なのは、この街に移り住んだ頃から変わっていなかった。

 早弓の向こう、愛衣と愛彩が構える奥で愛里沙がにっこり。


「仲、良いんですね」


 〝中二病〟の意味をよくわかっていない様子で、妙な誤解はされていないはず。

 しかし、俺との相性が最悪な早弓の言葉に感化されていない保証もない。


 取り敢えず、事実と異なる憶測は否定しておく。


「それだけはない」


 早弓も俺と顔を並べ、当然のように同意。


楠原コイツと? ないないないない絶対ないから」


 そして俺の股間を指差し絶壁のような胸を張る。

 何もわかっていない、説明したが理解しない脳筋女の考えは想像に難くない。


「ヘンなコトされそうになったら言ってね。顔でも股間コレでも両方でもぶっ壊すから」


 その事実を無視した扱いには、反論せざるを得ない。


「人聞きの悪い事言うな。うちには一応いちおう警察の方から来たヒトも出入りしてるし、外に出りゃこうしてお前らに見張られてんだ。やましい事なんてできるワケねーだろ」


 未音さんとの同居は期限を定めず継続中。

 港町大爆発の捜査が行き詰まり、暇を持て余した郷里さんも屡屡しばしば来襲。

 未音さんがいない日は智尋さんが泊まってくれる、万全の態勢が敷かれている。


 そもそも俺に愛里沙は尊過ぎ、当人から距離を置かれてもいる。

 それを思い知るたびわびしくて目をらすから、で見るどころでもない。


 嘘偽りの無い真っ当な反論に、早弓は渋い呆れ顔。


「お互いお子様だった頃はよくわかんなかったけど、今思うとなーんか怪しいのよね……あたしがあんだけちょっとアレなコトまでしてたのに、何にもしなかったなんて逆にちょっとおかしくない?」

「自分を信じろ。俺にそんな気は全くなかったし、お前の頭はちょっとおかしい」


 目を輝かせる双子の前で顎に肘鉄、腹に膝を食らってのたうつ俺。

 予測の範疇であり避けるつもりだったが、野生の反応速度には敵わなかった。


 声と膝を震わせながら、愛里沙に救いを求める。


「こ、これ見て、まだ仲良いと思う?」


 しかし彼女にっこり笑って固定したまま。


「そろそろ行かないと遅刻ですよ♪」


 背筋が痺れる笑顔をひるがえし、歩き出す愛里沙に付き従う愛衣と愛彩。

 その後をつきまとう智那に、鼻息を残して続く早弓……そして置き去りの俺。


 まだ急ぐ時間ではない。

 だが走れない愛里沙は時間の浪費を避けるべきであり、適切な判断ではある。


 他人ヒトに興味が無かった頃、他人ヒトとの距離はむげんだいより遠かった。

 それが愛里沙の側にいたいと思った途端、二人も割り込まれるとは想定外。


 何となく天を仰ぐ。


「〝もっと、って思ったところで終わるのが人生〟……か……」





□scene:02 - 学園:高等部:教室



 教室に入り、最後列にある自分の席に着く。


 身長があれば座高もそれなり、後ろが不憫で最後列ここが俺の定位置。

 同じ理由で最前列が定位置となった愛里沙と離れたのは、必然で当然。

 同じクラスにと伯父貴の名を出した時は隣を想ったが、現実は現実的だった。


 先に到着していた愛里沙は、最前列にたむろする女子たちに囲まれ微笑んでいる。

 〝可愛い〟のに〝頼れる〟と讃えられながら、一限目いちげんめの課題を解説中。


 そんな彼女を眺めていた俺に、背後から覆い被さる野郎。


「毎朝ハーレムパーティで登校とは、羨ましい限りだねぇ」


 文字通り絡んできて密着する野郎こいつは、古賀こが 弘毅こうき

 一学期いちがっき最初の教室で席が前後で……と、ありがちな始まりの友人。


 日向姉妹の社会復帰に際し、近しいヒトが普通でないと彼女らにまで悪影響。

 一念発起いちねんほっき、永年他人に無関心だった俺の方から声をかけた中の一人ひとり


 だがしかし、〝ありがち〟と言えないのはその容姿。

 実年齢より幼く見える顔は、男の俺も〝美形〟と認めるハイレベル。

 それだけでなく、腕も脚も髪の毛の先までしなやかな繊細さが別次元。

 俺の現実的それなりな自己評価は、真の美形を間近で見ているからに他ならない。


 高等部からの編入組で、在籍はしていたが人間関係ほぼ皆無の俺と立場は同等。

 変なバイアス抜きでゼロからの付き合いができた、貴重な存在。


 学年を問わず他人ヒト(主に女子)に注目されているのに、軽く受け流すばかり。

 どうでもいい誰かが〝どうでもいい〟価値観には、通じるものがある。


 液状化した弘毅がだらりと流れ、前の席を跨いで背もたれに顎を乗せ俺に向く。


「中二病こじらせてる恥ずかしいヤツのクセに」

「外からどう見えてんのか知らんしどうでもいいが大変なんだぞ。それと〝中二病〟言うな。そんなんじゃないから」

「で? 今日は何やったのよ」

「〝何〟って何だよ?」

「日向さん……今日はまた一段いちだんと避けられてない?」

「心配無用。最後に見た顔は笑顔だったからな」


 歓びの表現とは異なるタイプだったような気もするが、嘘はいていない。


「同い年齢どし従姉妹いとこ、それもあーんな可愛いひとつ屋根の下なんて美味しい設定、ありがちなハッピーエンドかと思ってたのに。そんな単純な話じゃないんだね」

「〝ひとつ屋根の下〟だから〝単純じゃない〟んだよ、干渉し過ぎない程度の距離感でいいのさ、多分」


 既に危うい気がしないでもないが、まだくちは聞いて貰えるので大丈夫、なはず。

 それはそれとして、一方的いっぽうてきに面白がられて面白いはずがなく矛先を返す。


「ってか、そっちはどうなんだよ。教師せんせいから園児まで女子や一部の男子にで見られてんのはわかってんだからな。一緒いっしょに居ると睨まれて身の毛がよだってる俺が言うんだから間違いない。一声ひとこえかけるだけでハッピーエンドのの超低難易度イージーモード。適当な部活を乗っ取ってハーレムだって夢じゃないクセに」

「オレさ、自分よりレベルが高い相手じゃないとその気になれない気がするんだよね。ここにそんなコいるかな?」

「いや。〝ここ〟どころか人類の中に存在するかも怪しいような……」

「答えが無いで結論に至ったオレのコトはさておき♪ 妹モノや姉モノってさ、実の妹や姉がいたら楽しめないらしいじゃない? 近すぎて見なくていいトコまで見えて醒めちゃうとか。そんな感じ?」

「全然違う」

「言い切ったな。あーでも確かに一見いっけん身長差から兄と年の離れた妹、って思ったら、実は〝しっかり姉〟と〝その他一名いちめい〟。文字通りの見当違いか。そういうのもアリと言えばアリなんだけど……そうか、どっかで見た〝バブみ〟ってヤツか」

「何を言ってるのかよくわからんが、その表情かおはそういう事か。俺が愛里沙を性的な目で見てる、って説から離れろ」


 確かに成績もクラス内での人望も、愛里沙の方がずっと上。

 成績に関心がなく、愛里沙以外どうでもいい俺が後塵を拝して当然で必然。


 最初は控えめにたたずもうとした。

 小さく思うように動かない身体からだは、否が応でも注目されてしまう。

 伯父貴の威光に物を言わせて同じクラスになり、俺が矢面に立つつもりで。


 だが生死のきわまで妹たちを想った女神レベルの包容力は、伊達ではなかった。

 悩み、悔やみ、心の闇を、流せない涙を見抜いて見かねて頑張ってしまう。

 いつしか皆に頼られ、護られ、愛されていた、それもまた納得の展開。


 そんな出会いが落ち着くと、その小ささサイズと可憐な容姿が改めて女子たちを虜に。

 メイク指導に始まり髪をいじられ着せ替えコスプレと、よってたかって飾られる愛里沙。


 仲間に入れて欲しいが、避けられている身では近寄るどころか鑑賞すらはばかれる。

 せっかくできたクラスメイトの輪を壊しては申し訳なく、じっと我慢の日々。


 一方いっぽう他人ヒトに嫉妬する面倒臭いやからはいつもどこにでもいるもの。

 幸いここはねたしとみが〝うわぁ……〟とさげすまれる、伝統と格式を誇る名門私学。

 名声を誇りたい自尊心プライドが抑えるのか実害には至っていないが、油断はできない。


 強力な味方もいる。


 教師に人望ある智那と学年性別問わず人気者の早弓による二枚盾は、相当に厚い。

 常勝無敗の軍師と攻撃力全振りの狂戦士バーサーカーでもあり、迂闊うかつに手を出せる隙も無い。

 愛里沙に魅了された変態共は盗撮すら即座に発覚、社会的且つ物理的に成敗。

 側にいる弘毅を見て、むしろ好かれようとする者も男女問わず少なくない。

 ここでもまた俺の存在意義が微妙だが、姉妹が平穏ならそれでいい。


 弘毅が身を乗り出し、麗しい顔が迫る。


「じゃあ日向さんはそんな目で見てないとして、千種さんと早弓さんならどっち? 心底嫌ってたら目も合わさないと思うんだけどさ、顔合わせると見つめ合ってるのはでしょ?」

「〝見てないとして〟とは何だ、見てないからな。それと〝見つめ合って〟たんじゃなくて睨み合ってんだよ」

知的クレバー冷徹クール量感ボリュームたっぷりの千種さんはその特徴ひとひとつにディープなファンがいるってハナシだし、凜々しくも優しくて面倒見がいい早弓さんは男女問わず、特に中等部じゃ憧れの的だし、どっちもアリだよね」

「聞けよ。ってかお前欺されてるぞ。智那は男×男あやしい趣味や愛里沙が絡むと性癖全開で存在自体が成人指定。早弓は平らシンプルで可動範囲が広い体型と筋肉が詰まった脳が危ない歩く暴力。それに……」


 不意に視界が暗くなる。

 顔を上げると逆光に瞳だけが妖しく輝く、智那の丸い笑み。


「楠原クーン♪ ちょーっとあちらでお話いいかしらーん?」


 智那の隣で早弓が腕を組み、こめかみをひくつかせる。


「あらあら。あたしもご一緒いっしょさせて貰おうかしらぁ」


 直後にがっしりと肩を掴まれ、椅子から無理矢理引き剥がされた。

 弾力しかない智那はともかく、強力で骨が食い込む早弓の方はとても痛い。


 無抵抗なのは、男女の体格差を実感しているから。

 物理的に振りほどけるが、目先の勝利は社会的敗北を意味する。

 優等生で通っている智那や人気者の早弓を雑に扱うと、俺の立場が危うい。


 結果、残された手段は〝言葉で訴える〟のみ。


「ってかおい? 放せ! おいぃ!」


 にこやかに手を振り見送ってくれる弘毅……


「達者でなー♪ 必ず帰って来いよー♪」


 ……はどうでもいいが、この騒ぎに愛里沙が顔も向けてくれなくて寂しかった。



                 *



 課題の解説に引く手数多の愛里沙が、廊下側の誰かに応えて歩み寄る。

 気にはなるが追いはしない姿に、弘毅が嘆息。


(たったひとつの正しい選択肢がそこにあるのに、バッドルートに見えて選ばないからフラグは立たず、何も起きない……このままじゃ永遠に。外野席から眺めてる分には退屈しなくていいんだけどさ)


 開いた扉の向こう、廊下の角に身を潜めて愛里沙に敵意を向ける幾人かの目。


(出しゃばってもその時だけ。誰も望まない方にルート捻じ曲げて、登場人物全員に恨まれるのは得意なんだけどな……)


 いびつな風景に背を向け、反対側の窓から青い空を見上げる。


……ダメかな……」





□scene:03 - 街:市街地



 放課後も智那と早弓に捕まり、生徒会の倉庫で正座させられ指導。

 帰り道のスーパーで買い物を終えると、の色に染まる夕暮れ。

 両手に提げる食材で背中が曲がり、一歩一歩いっぽいっぽが重く遅い。


 大人たちは多忙で姉妹はか弱く、日々の暮らしは俺一人ひとりにかかっている。

 未音さんが豪快に消費する酒類を始め、重く嵩張るたぐいは通販頼み。

 たちまち足りない分は、こうして帰りに調達せざるを得ず。


 空と地の境、遙か彼方から迫り来る夜に溜息。


「あーもう、こんな時間じゃねーか。双子が腹を空かせて倒れてそ……限界越えると本当に電池バッテリーがなくなったみたいになるし、あの二人」


 以前の俺なら他人に何を言われようと気にならず、家事に専念できたはず。

 だが両手に食い込む他人のための食材こそ、他人に無関心でなくなっている証。


 今も智那と早弓の苦言が頭から離れてくれない。


「俺だって愛里沙のために……避けられてるから必要以上に近づかないようにして、それでもできる範囲で……」


 今更〝普通〟であろうとしても、要領を得ないのは自覚している。

 だから〝演じるべき役を早く! 巧く!〟と、尻を叩かれているとも。

 だが社会復帰して間もない俺に、見てわかる以上を察するのは難し過ぎる。


「〝高度に適切なお断り〟なんて意味わかんねーよ。大体あいつら……あれ?」


 あかと雲の下、薄暗い木陰の歩道、長く伸びた闇の中。

 見紛みまがうはずのないその姿に、体中の毛が逆立った。


 思わず駆け出すが地を蹴る手応えが無く、呼吸いきができず声も出ない。

 伸ばす手が粘る空気にされ、脚は泥に沈んでいるように上がらない。


 ようやく追い着いたのは、膝が崩れて地に着く寸前。


「あ、愛里沙!」

「悠佑……さん?」


 ゆっくり足を引き摺り歩くのは、帰り道が気怠けだるいからではない。

 俺にはわかる……彼女が耐えられる時間を超えて歩き続けていた、と。


 いつも狛犬の如く付き従い、彼女を護る二人がいない。


「愛衣と愛彩は?」


 見るからに無理な笑顔で返す愛里沙。


「まだ学校の近くかな? クラスのコに誘われて、最近できたお店に行ったみたい。せっかく仲良くしてくれるお友達ができたんだし、大事にしなくちゃね」


 天真爛漫な双子が前の学校を語らないのは、それだけの意味があるはず。

 何も知らない俺が触れていいはずがなく、しかし適切な言葉が思い浮かばない。


 愛里沙がうつむき、涙ぐむ。


「あの……ごめんなさい……」


 その目線の先にあるのは、汚れた上履きのままの足。


「帰ろうとしたら無くて……ちゃんと入れてなくて落ちたのかも。ごめんなさい」


 〝普通〟の女子高生を目指し過度の介入を控え、裏目に出た場合ケースも少なくない。

 そのひとつ、名簿順にあてがわれた靴箱は腕を目一杯いっぱい上げてどうにか届く高さ。

 思うように動かない指で、しかも手探りとなると巧く収まらない時もある。

 だからいつも確認し、危うければさりげなく押し込んでいた……今朝も。


 いつも通り努めて平静に、気遣わせないように気さくに話す。


「そ、そう言や愛衣と愛彩も履き潰したって言ってたから新調するしさ、いっそお揃いにすれば喜ぶんじゃ?」


 いつもは智那か早弓かその両方が着いてくれるが、今日は二人共が俺と一緒いっしょ

 呼吸いきが詰まり何も言えない俺に、愛里沙が下げていた頭をさらに下げる。


「上履きも……ごめんなさい」


 廊下や教室で見る男子のなら、薄汚れていても風景の一部いちぶ

 だが愛里沙のような儚い少女が泥にまみれると、わびしさが込み上がる。


 靴の行方も隠したクソな奴らも、今はどうでもいい。

 愛里沙が何を思い上履きを履いて帰るに至ったかで、胸が痛み呼吸いきができない。


 愛里沙がうつむいたまま背を向ける。


「今日はこのまま帰る……ね」


 限界を越えた足を、再び引き摺り始める。

 くちの中の全てが乾ききり、ようやく絞り出せた声はかすれて途切れた。


「待……って!」


 思わず駆け寄り、雪の中で会った日のように抱き抱えようと手を伸ばす。

 しかし彼女は身をよじって俺をけ、上がらない足で地を蹴り飛び退く。


「ダメ!」


 ねじれた脚を酷使した上での無理矢理それは、相当に痛いはず。

 歪んだ笑顔がその証拠。


「みんな優しいから……優しすぎるから、甘やかされてる私が嫌いなヒトがいる……みたい」

「いやでも、その足じゃ……」


 思わず踏み出した俺から愛里沙は脚を引き摺り遠離り、必死の形相で叫ぶ。


めて! 誰が見てるかわかんない!」

「でも!」

「私のせいで悠佑さんまで酷い事を言われてるの知ってます! 私はどうなったって我慢できるけど悠佑さんの分までは無理! お願いだから優しくしないで!」


 元より他人ヒトにどう思われようがどうでもいいたちだが、今は前と少し違う。

 そして彼女を想い憂う表情かおになっていると気付き、呼吸いきが止まる。


「そ、そんなの……」


 言葉が途切れたのは、言い慣れた〝気にしないで〟では足りないと思うから。

 しかしじっくり考えてもわからなかった正しい台詞が、咄嗟にひらめくはずがない。


 そして気付く、この沈黙は〝酷い事〟を気にしたかのような最悪のタイミング。

 頭に浮かぶ言葉は、言い訳にも聞こえる今言ってはいけないものばかり。

 何も言えないまま、彼女の叫びを認めたに等しい時間が過ぎていく。


 愛里沙の泣き顔がうつむいたのは傷みのせいか、それとも……

 数瞬後、ゆっくりと上げた顔は微笑んでいた。


「私は大丈夫。ひとりで歩けます」

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