03-03:雨の下、傘の中・3

□scene:01 - 学園:高等部:昇降口



 放課後。

 激しい雨。


 見上げると厚い雨雲、地には水煙が立ちこめ全てが灰色に霞む。

 昇降口ここから見える校庭は濁った湖、正門は開け放たれた水門のよう。

 伸ばした腕が重く大きな雨粒に激しく撃たれ、やがて叩き落とされ嘆息。


「降るとは聞いてたけど、まさかここまでとは」


 朝、うちを出た時は快晴だったが昼に急変し授業が終わる前に土砂降りこれ

 雨に熱を奪われた空気がそよぎ、濁流を打ち飛び散る飛沫しぶきが全てを冷たくする。


 夏服解禁後も上着その他を持参していた俺ですら、体調の悪化を危ぶむ涼しさ。

 全ての男子と女子の大半が薄着、そこかしこから聞こえる天の悪戯いたずらを呪う声。

 常に不測の事態に備える俺が例外、罪無き同輩たちには同情を禁じ得ない。


 廊下を駆けてきた弘毅が、足下を見て急停止。


「うわぁ……近くで見るとすっごい」


 見渡す限りが泥水に沈み、校舎はふねの如く。

 昇降口から出れば足首まで沈み、長靴とは縁が無い高等部の面々には致命的。


 弘毅がスマホで天候を確認し、毒づく。


「予報じゃ降り出すのは明後日だったのに。最近はまるで駄目だね」

「色々不運が重なってまともな予報ができない、ってやつか」

「耐用年数に余裕があったはずの衛星が壊れて代わりの打ち上げに三回失敗。原因が特定できるまで次は無し。どこの国も似たような感じで自分んとこで一杯一杯。実はレーダーもダメになってて、でも衛星の件で国から無駄遣い扱いされて予算を回して貰えないわ、そうこうしてる間にメーカーが力尽きちゃったりで、すぐにはどうにもなんないとか。今はヒトが勘で占ってるって噂まであるよ。下駄でも蹴り上げてんのかな?」

「火星にヒトが行く時代に、何やってんだか」

「それ、オレたちが生きてる間は無理かも。宇宙と地球の環境保護のために世界中で〝ロケット打ち上げはもう止めよう!〟ってさ。朝のニュースでやってたよ。どこもそれどころじゃないみたいだし」


 相変わらずTVに興味は無いから、世間についてはよく知らない。

 未音さんが点けている時に耳に入った中で、そんな話を聞いた気がする程度。


 そして、今の俺たちには宇宙や地球の行く末よりも心配すべき事がある。

 弘毅を上から下まで眺め、いつもと同じ姿と確認。


「手ぶらか」

「一応購買にも行ってみたけど、やっぱ売り切れ」


 置き傘や折り畳みがあった者も、昨日のゲリラ豪雨で持ち帰ったままだろう。

 今日の予報は快晴、現場復帰は乾いてからと考えるのも無理は無い。

 油断したのは弘毅こいつだけではないと、購買部の惨状が示している。


 弘毅がさっきの俺と同じように、雨を腕に当て嘆く。


「取り敢えず強行してダメそうならコンビニで買うかーぐらいに思ってたけど、これじゃ辿り着く前に溺れちゃいそ」


 実際勇敢にも駆け出した連中は、制服のままプールに飛び込んだような有様。

 〝傘〟については他人事だからか、弘毅こいつよりも幾らか頭が回る頭が現実を思う。


「近いコンビニも売り切れだろ、この調子じゃ」

「楠原もそう思うか……チラッチラッ」

「悪ぃな、三人は無理だ」


 持っていたビニール傘を掲げ、広げて見せる。

 通販で購入した品が出がけに届き、部屋に戻るのが面倒臭くて持ってきていた。


 手軽に手に入る安価なものより明らかに大きく深く、しっかりした造り。

 知るヒトが聞けば納得のメーカー製で、結構値が張るだけある大層な代物。

 たかがビニール傘と見れば高価だが、視界をさえぎらない長所メリットは馬鹿にできない。


 元は叔父貴の趣味で、あのうちにあったから使っていただけ。

 やがて伯父貴並に育ってくると、並の大きさではしっくりこなくなっていた。


 元より察してくれていた弘毅が、事も無げに納得。


「日向さんはでいいとして、あとの二人は?」

「早弓が引き受けてくれた。あいつらなら泳いで帰ったって平気だろ。三人とも水の抵抗が少ないから歩くより速いかもな」

「オレもそう思うけど、早弓さんの前でそれ言うと寿命が縮まない?」

「お前が黙ってれば長生きできるよ」

「お互いに♪ んじゃそろそろ行こうかな」

「もうちょい小降りになるのを待った方が良くないか? ならないかもしれんが」

「ゲームの中で可愛いコと待ち合わせした時間が近いんだ♪」

「昼間っからゲームだろ? 正体は智那と趣味の合う年増だったり」

「すっごくオレ好み♪」

「はいはい」


 本当にそんな年上趣味らしいから、突っ込みようがない。

 弘毅が姿勢を低くし、豪雨の中へ突貫の構え。


「それに、馬に蹴られたかないしね」

「え?」

「じゃっねー♪ 日向さんによろしくー♪」


 愛すべき悪友は、カバンを頭に乗せると水煙の向こうへ消えていった。



                 *



 愛里沙がやってきたのは、弘毅が帰ってから凡そ三〇分後。


「悠佑さん?」

「智那は? 一緒いっしょじゃなかったっけ」

「まだ。お仕事が残ってるって」


 文化祭だか体育祭だかの委員になり、放課後は智那と生徒会室に通う毎日。

 一人ひとりだけなのは、愛里沙をが出ているうちに帰そうと智那やつが気遣ったのだろう。


 愛里沙は俺の横を無視スルー気味にすり抜け、豪雨に息を呑む。


「雨……凄い……」

一応いちおう傘はあるんだけど、下がこれじゃな」


 雨脚は弱まるどころか、一層激しくなっている。

 弘毅が帰った時は足首が浸かる程度だった水嵩が、今はすねまで沈むほど。


 不意に愛里沙が前屈みになり、くちを手で押さえる。


「こほっ……くっ」


 いつしか風も吹き出し、初夏にもかかわらず〝涼しい〟を通り越えて〝寒い〟。

 愛里沙も小ささサイズの他は一見いっけん普通に見えても、それは穏やかな日々での話。

 今日のような突発的で強烈な刺激は、俺が想像できるより辛いはず。


 この土砂降りと濁流の中を歩かせるわけにはいかないが、選択肢は少ない。

 ひさしのある正面玄関にタクシーを呼ぶ手もあったが、この水嵩みずかさでは無理だろう。

 事実三〇分前は流れていた遠くに霞むヘッドライトの群も、今は停まったまま。


 取り敢えず、最善で唯一ゆいいつおぼしき選択肢を提案。


「教室に戻ろうか?」


 冷たい飛沫シャワーが体温を奪う昇降口ここよりはいい。

 いよいよとなったら、郷里さんご自慢の車高が高い四輪駆動車に出動を願おう。


 愛里沙は俺を見ず、雨に向いたまま答える。


「そうしようかな。あ、悠佑さんは先に帰ってください。きっと愛衣と愛彩がお腹を空かせて待ってます。お願いします」

「二人は早弓が面倒見てくれてるから大丈夫」


 早弓が送ってきた〝ファミレスで雨宿りする三人〟の写真をスマホで見せる。

 〝今度は楠原にオゴってもらうからね!〟との遠吠えを添えて。

 早弓の財布に合掌。


「でも……」


 そう言って顔を伏せる愛里沙。

 ただ〝一緒いっしょに残る〟と言いたいだけなのに、〝靴の件〟を思うとくちが開かない。


 背後に歓迎できないたぐいの気配。

 靴に履き替えている女子が二人、いや三人。


「でもさ、アイツさ、やっぱちょっとキモくない?」

「だよねー」

「見た目がお子様なのに頭いいのも何なのアレ? エラっそうにさ」

「小さくっても頭はJK! 真実はヒトの数だけ! とか? でもアイツ、死ぬまであのままなんだよね? 病気か何か知んないけどキモくない? 伝染うつんないよね?」

「楠原が変態だったのも笑えるよねぇ。今時中二病ってのもアレなのに、最悪ぅ」


 どれも聞き覚えのある声、この学園に入った頃に絡まれた女子たち。

 俺の知る媚びた態度とは随分違うが。


 独り暮らしをしているだけで、遊びの幅が増えるからと需要があるお年頃。

 それが周辺地域を圧倒する高級タワーマンションの頂上ペントハウスとなれば、尚更。

 〝俺〟単体に用は無くとも、その手の連中には目を付けられていた。


 だが俺の方には〝その気〟が無いどころか、何もかもに興味が無い。

 それっぽい話を無視スルーしていたら、皆遠離っていった……この春までは。

 普通の学生であろうとしたら、取り付く島ができたと錯覚されたらしい。


 だが今も〝その気〟が無く〝そんな話〟に興味も無く、ついでに余裕も無い。

 だから〝わりぃ、今はそういうの無理〟と頭を下げ、諦めて貰っていた……はず。


 愛里沙を背に立ち壁になり、くだんの女子たちを見下ろす。


「そんな声も出せたんだな」


 愛里沙えものの他は目に入らなくなっていたのか、俺を見上げて狼狽うろたえる女子たち。

 悪ぶっているつもりらしいが、伝統と格式ある学園に入学はいれたお嬢様方。

 伯父貴の世界を垣間見てきた俺には、〝まぁ……うん〟レベル。


「く……楠原?」

「聞いて……た?」

「あ、あのさ……そ、そう! アタシらは楠原を思って言ってんだよ? あのヘンなオンナのせいで悪く言われる事ないよ!」

「そうそう! お子様にしか見えないクセに頭はいいとか気持ち悪くない? 病気か何か知らないけどさ、絶対ヤバいって!」

「ちょ、止めなよ! アイツいるよ? もう行こうよ……」


 後ろにいるその愛里沙は何も言わず全く動かず、耐えて震える気配すらない。

 クソな言葉が、醜く愚かと刻み込んだ虐待者と重なっていそうで胸が痛い。

 存在が薄れていくまで感じるのは、それが彼女の望みだからか……


 塗り飾った奥に、どこかで見たような面影を思う顔が詰め寄ってくる。


「丁度いいから言わせて! ずっと言おうと思ってたし! 楠原! その女のせいで何て言われてるか知ってる? 最悪だよ!?」

「〝ロリコン〟?」

「そ! そう……だよ! 他にももっと!!」

「前から〝中二病〟とか〝構ってちゃん〟とかいろいろ言われてたし、今更肩書きのひとつや二つ増えたって、どうでもいいさ」


 〝ロリコンそれ〟すら生温いさげすみも知っている。

 避けられていると知ってつきまとっては、無理もない蔑称。

 だがしかし、彼女の尊さを知り見上げている俺には〝は?〟で終わる話。


 愛里沙はただ普通でありたいだけなのに、きっともう叶わないと知っている。

 それでも前を向く彼女を思えば、的外れの蔑みなど刺さるどころか掠りもしない。


 くだんの女子が、拳を握りしめて迫る。


「ニンゲンのクズ扱いされてんのにいいの!?」

「どうでもいいにどう思われようと、どうでもいいさ。はっきり言ってくれると、わかりやすくて助かる」


 後の二人も参戦。


「楠原は悪くないじゃん! 何かイロイロろあって寂しそうにしてて……やっといい感じになってきたのに! その女のせいで悪く言われんのおかしくない!?」

「ソイツ、中身はうちらと同じしょ? 大体ソイツに構ってる連中って、小さいのに頭がいいってのを面白がってるだけの、アレだよギャップ萌えってヤツっしょ!? 

クソ生意気なお子様に見下ろされてムカついてんの、あたしらだけじゃないよ!」

「もうっときなよ! ソイツだって楠原の事嫌がってるじゃん!」

「小っこいから〝カワイイ〟って言われてるだけしょ! 髪も顔も汚いままなの女として有り得んし歩くのも立つのも座んのまで幼稚園児みたいにヘンで、そこまでしてお子様扱いされて〝カワイイカワイイ〟言われたいかよ! ハッキリ言ってキモいし

追っかけてくる男にエラっそうにしてんの見ててイラつくし! 何様だよ!?」


 背後の気配が、一瞬いっしゅんだけ跳ねた。


「先に、帰るね」


 俺が振り返るより早く、愛里沙は土砂降りの中へ。

 豪雨に撃たれ、沸騰しているかのように荒れた水面に脚を沈めて足を止めた。


「悠佑さん……私と一緒いっしょにいない方がいいよ」


 流れにあらがえる脚力があるはずも無く、流されながら水煙の仲へ消えていく。

 こうなったら嫌われ避けられていようと、まだ舞台に上がれるうちに演じるべき。


「楠原!」


 駆け出そうとした瞬間、腕を掴まれた。


 ジェルネイルだか指輪だかが食い込む痛みで、沸騰しかけた頭が一気いっきに冷める。

 腕を払うのも掴み返して泥水へぶち込むのも、その気になれば造作も無い。


 自分がどんな表情かおをしているのかはわからないが、の女子は怯えていた。


「あ、あの女が〝いい〟ってんだからっときなよ! またヘンな事言われるよ! せっかくいい感じになってたのに、アタシならそんな事言われないし言わせない! だから……」

「あんた言ってたよな。灰色だった俺が変わったから〝好き〟になってやってもいいとか何とか。でもな……俺にいろが着いたとしたら、あの愛里沙が照らしてくれたからなんだよ」


 掴まれていたゆるみ、女は俺を見上げたまま尻を突く。

 確認する意味の無い風景を背に、海が降るような雨中へ飛び込んだ。

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