01-05:少女の事情・1
□scene:01 - 寂れた住宅地
雲間に埋もれる淡い
その
□scene:02 - 寂れた住宅地:荒れた家:リビングダイニング
沈み行く夕陽の赤と、闇夜の黒に染まる薄汚れたリビングダイニング。
フローリングに小さな女の子が横たわり、小さな頭が踏み付けられていた。
「うぁ……ぅ……」
少女を見下ろすのは、長髪を後ろで束ねた長身で痩身の男。
年の頃は三〇半ば、品の良い作務衣を着た姿は品良く見える。
洒落た丸眼鏡の奥で
頭から足が上がった瞬間、無意識に緩んだ腹に
受け身など取れる余力は無く、落ちるままの衝撃が少女を壊していく。
虚ろな目が開いたままなのは、そう
裂けた肌や砕けた骨からは目を逸らせても、恐怖が
鬼畜の気配だけで身が
少女は無心で〝今〟の終わりを待っていた。
(もうちょっと……我慢すれば……終わる……きっと……もう……ちょっと……)
視界が霞み音が遠くなり、やがて暗闇と静寂の中へ堕ちていく。
痛みも恐怖も何もない、幸せな
鋭く重い痛みで背筋が跳ね、頭上で
「
意識を失ったままでいたいと願った頃もあったが、今は本当に
まだ終わらないとわかっているから、自然と背中が丸くなる。
「何か言ったらどうです? 嘗めないでください……ね」
頭を掴み持ち上げられ、小さく軽い
そして顔から床に叩き付けられる。
鉄の匂いに
(これくらい痛くて、辛くなったら……もうすぐアイツはスッキリして、きっと……もう終わる……もうすぐ……)
男が穏やかな声で、後ろでテーブルに座り眺めていた〝誰か〟に尋ねる。
「双子はどうしました?」
男が向いた先に、金と赤と白に彩られた髪が波打つ美女。
遠目には十代にも見えるが、間近で見る肌や髪は大人のそれ。
太くはないが痩せてはいない、女らしさを強調して絞り出す姿に品が無い。
切れ長の目や大きな
「さぁねぇ? ゴミ溜めから
「卑しい女から卑しい娘たち……血は争えませんね。
女が〝おチビちゃんたち〟と飛ぶのは、少女の妹たち。
男と女は妹たちに手を出さず、難癖を付け姉の怠慢として責める材料に。
〝自分たちのせい〟と泣き喚く無様な姿を悦び虐待は苛烈さを増すばかり。
どう
自分が相手をしている間は妹たちを捜さない保証などなく、そう願うしかない。
どんなに耐えて頑張っても意味の無い現実に、少女の目から涙が
(私が呼ぶまで出てきちゃ……泣いちゃダメって約束……ちゃんと守ってるのね……大丈夫……お姉ちゃんは大丈夫……だから)
男の溜息が、少女を震え上がらせる。
「なぜ叱られているのかわかっていますか? 役目を与えれば神経に障る詰まらない過ちの数々。
世に絶対は有り得ず結果は見方に
誰もが自らを〝駄目〟と思える事実を少女の真実と錯覚させる、
少女が十分に絶望した頃合いを見計らい、男が
「私たちにアナタと妹を託したあの女を、自らの無能さを呪いなさい」
蹴り飛ばされ、部屋の隅まで転がる少女。
男は小さく軽い彼女をどうすればどうなるかを熟知し、慣れもしていた。
(私……今日は何をやったのかな……言われた通りにできてなかった? 余計な事をしたのかな……理由なんか無かったのかな……)
男女は少女が何をしようと、
折れて
激しい責めは少女の
不意に、女の顔が少女の視界に飛び込む。
「いいねぇその
その後ろから、男の冷めた声。
「残念ですが、そろそろ約束の時間です」
「あらぁ? 命拾いしたねぇ」
ドアが閉まる音に、少女の
(手と……脚と……大丈夫、ちゃんと動く……)
曲がり
□scene:03 - 寂れた住宅地:荒れた家:双子の部屋
廊下に出て、鍵のあった
そこは二組の机と椅子、そして二段ベッドがある妹たちの部屋。
「愛衣、愛彩……もういいよ、出ておいで」
クローゼットを開けると、屋根裏から顔を覗かせる幼い双子。
先に飛び出した髪を纏めている幼女……愛衣が、少女の胸で涙を拭く。
「お姉……」
後からおずおずと現れた長髪が波打つ幼女……愛彩は泣き顔のまま。
「お姉ちゃん、アイツらもう……いない?」
この家を乗っ取った大人たちは、どういう
深夜に立ち寄る日もあるが、その理由は〝
いつもより辛かった少女は〝大丈夫〟と
「ご飯にしよ?」
□scene:04 - 寂れた住宅地:荒れた家:キッチン
男女が持ち込み調理させられた分厚い肉や新鮮な野菜は、食べ尽くされた。
食より酒の男女がこの家で食すのは、食欲を満たすより餓える姉妹を
手元にあるのは、双子が屋根裏から持ち出した米が少し。
纏めて棄てるフリをしていた水切り袋から、野菜くずや脂身の欠片を取り出す。
父親はまだ姉妹が幼かった頃に、仕事先から帰って来なかった。
欺されていた母親は、後を男女に諾してこの世を去った。
そして今や、ここの全てがあの二人の手に。
少女に残るのは、母親の誕生日にと密かに溜めていた僅かなお小遣いだけ。
誰も頼れない中で少しでも残すには、ゴミを漁るしかない。
妹たちが、部屋に隠してあった洗った割り箸や紙の皿とコップを並べていく。
「お姉とごっはん♪ 今日はなっにかなー♪」
「何かなあ? 楽しみだねえ♪」
割り箸や紙皿を洗って使うのは、男女の暴虐に耐えたのがそれだけだから。
双子の部屋に隠しているのは、もうそれだけしか残っていないため。
この日は姉妹にとって、暫くぶりのまともな夕食。
母親に教わった通り、席に着いて〝いただきます〟する姉妹。
愛衣が僅かな脂身を大きく開けた
「わー♪ もうお腹ぺこぺこだよー」
愛彩が野菜の欠片を小さく囓る。
「お姉ちゃん、美味しーねー♪」
夜の
時には〝明るい家〟が、男女を
いつしか相手が誰でも声は小さく俯いて、ただ耐えるしかできなくなっていた。
少女の落ち窪んだ目に涙が滲む。
(ここは〝私たちの家〟なのに)
泣き顔を覗き込む双子に、笑って見せる。
「ごめんね、こんなのしかできなくて」
愛彩がうっとりと野菜炒めが載っていた紙皿を持ち上げ、その縁に頬ずり。
「お姉ちゃんのって、お母さんのと同じで美味しくて好きぃ♪」
「良かった……あ、慌てないで? 喉が詰まっちゃうよ」
小さな
「あれ? お姉の無いよ?」
努めて自然な笑顔で答える少女。
「お姉ちゃんはね、つくる時につまみ食いしたから、もうお腹いっぱいなの」
「ほん……と?」
「ホントホント、ちょっと失敗しちゃったから食べすぎちゃったぐらい」
愛彩も少女の顔を覗き込む。
「お姉ちゃん……」
「お姉ちゃんのつくったのはイヤ? イヤじゃなかったら食べて欲しいな」
愛衣が身を乗り出し涙ぐむ。
「ううん! お姉も、お姉がつくってくれたのも大好きだよ。食べるね……」
少女は妹たちを心配させないよう、精一杯の笑顔をつくる。
安堵して笑み浮かべる妹たちと、
(嘘は
妹たちはまだ小さく、極少量の食事はすぐに終わる。
それでも姉妹揃って笑い合える今が、一日で一番幸せな
□scene:05 - 寂れた住宅地:荒れた家:双子の部屋
双子の部屋で、少女が妹たちをお湯に浸したタオルで拭いている。
少女が無理矢理沈められてから、妹たちは水に浸かるを嫌がるようになった。
汚れを落とし終わり、乾いたタオルに変えた少女が微笑む。
「明日の支度したら一緒に寝ようね」
愛衣が抱き付き、胸に顔を埋めた。
「ギュツってして欲しい……お母さんみたいに」
見えないように泣く愛衣を拭きながら、優しく抱き締める。
愛彩も少女に
「愛衣ちゃんだけズルいぃ、わたしもぉ」
「いいよ。おいで」
二人一緒にタオルに包んで抱き締める。
逃げ場のない少女には、想い合う三人で囲んだ
不意に妹たちが総毛立ち、背筋を伸び上がらせ
少女も肌が痺れて手脚が震え、
微かに感じる恐怖の気配が、徐々に確かになっていく。
愛衣が扉を睨み付ける。
「アイツらだ……」
少女が急いで妹たちに下着を履かせる。
「さ、早く!」
開いたままのクローゼット、その天井裏に入れる四角い穴を見る。
愛彩が
「お姉ちゃん……一緒がいい……」
「ごめんね……絶対に声出しちゃダメだよ? ちゃんと寝るの……わかった?」
愛衣も瞳を潤ませ、少女に抱き付く。
「絶対に出さない! 出したらお姉が!」
ただ泣きじゃくる愛彩。
「お姉……ちゃん……」
□scene:06 - 寂れた住宅地:荒れた家:玄関
二人に言い聞かせ、玄関に着いた時はもう遅かった。
息も絶え絶えの少女が、立ったまま頭を下げる。
「お、おかえりな……」
言い切る前に微笑む男に頭を掴まれ、床に叩き付けられる。
「ぐぅ! こ! こほ、こほ……こ……」
頭が割れたかと恐怖し脳が揺らいで目が回り、心臓の鼓動で激しく胸が痛む。
今度は髪を掴まれ、男と目が合う高さまで持ち上げられる。
頭も首も痛く、
男が緩く微笑み、しかし笑ってはいない目で少女を睨む。
「出先でアナタの話になりましてね。顔を見たくなって寄ってみれば……」
男が少女を掴む手と、睨む目が鋭く強くなる。
「頭を床に着けて迎えなさいと言いましたよね? それに、随分と慌てていた様子。まさか、
「か……片付けが……終わらなくて……慌てて……」
「無駄な望みは持たない事です。決して逃がしはしませんよ。大人に従順で妹想いの良い子が、そんな非道い事をするとは思いませんが……ね?」
「は……い」
その物言いは、逃げても必ず捕らえて妹たちを痛めつける宣告。
二人は未だ無傷、少女がそうさせじと身を捨てる理由にもなっている。
それが男女の
だがその責めも、いつしか言葉の意味が変わりつつあった。
前は幼い二人の足では逃げ切れないと諦めていたが、今無理なのは少女の方。
折れて
□scene:07 - 寂れた住宅地:荒れた家:リビングダイニング
髪を掴まれリビングまで引き摺られた少女が、必死に悲鳴を抑える。
(くぅっ……う!)
声を上げれば〝耳障り〟とされ、〝
男が床へ叩き付け壁際へ蹴り飛ばす間、女がグラスに氷を入れる。
女からグラスを受け取り、
「そこに立っていなさい」
少女が言われた通り、部屋の隅に立つ。
男がただ立たせるのは、
手間暇かけている作品を鑑賞し、これからに思いを馳せるため。
女が男のグラスに琥珀色の液体を注ぎながら、鼻息を荒くする。
「にしてもぉ、やーっと始まるって一番いい
「退屈していないかと気遣ってくれているのですよ」
「そりゃぁ
「友好的と印象づけたいのでしょう。虫ケラと仲良くなど有り得ませんが、この世が私たちだけでは色々と面倒なのも事実。それに彼らの趣向は悪くない。したいようにさせておきましょう」
「確かにいい趣味してるよねぇ。気が長いとこも相性は悪くないしさぁ」
男がグラスに揺れる琥珀色の液体を通し、少女を眺める。
「ある種のヒトは恵まれた環境に生まれたヒトを
少女は何もかも尽き果てて、男が何を言おうとただ倒れないように揺らぐのみ。
そんな彼女に、会心の作に陶酔する芸術家のようにほくそ笑む男。
「国や民族の規模で断末魔の合唱に耳を傾けるのも愉快ではありますが、
「後はさぁ、コイツらの身内が助けに来てくれたら面白くなんのにねぇ。あの連中は
少女が知る〝身内〟は両親と妹たちのみ、祖父や祖母の話すら聞いた事がない。
(お父さんがいなくなってお母さんも病気で……でも、誰にも頼ろうとしなかった。もしそんなヒトがいても、こんな私なんか……要らない……よね……)
空になったグラスの中で、氷に映る
男と女に醜い汚らわしいと
二人が母親を欺した大嘘つきと知って
飲み干し空になった男のグラスに、女が酒を注ぐ。
氷が
「〝連中〟と言えば、双子に興味は無い様子。いずれ処分するにしてもただ潰すのは惜しい。ここから遠く離れた地に、あの種を好み安全に飼う
「アタシらと遊べる間は手を出さない、ってぇ
「約束は守ります。無様に
「いつまで保つのかねぇ♪」
糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた少女に男が寄り、膝を着く。
垂れ流された汚水に手を浸し、少女の頭を、頬を、唇を優しく撫でる。
「安心なさい。死なせはしません。例え自ら命を絶とうと助けてあげます。私たちが飽きるまで」
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