01-06:少女の事情・2

□scene:01 - 寂れた住宅地:荒れた家:家の前



 まだ家を出るには早い時間。

 だが妹たちを笑顔で送り出すには、あの男女がいない今がいい。


 少女が妹たちの服を整える。


「二人とも、忘れ物はない?」


 髪を纏めている方の妹……愛衣が大人たちがいないか見回しながらうなずく。


「あ……うん」


 長い髪が緩く波打つ方の妹……愛彩が姉を見上げて涙ぐむ。


「お姉ちゃんは? 前は一緒に行ってたのに……また三人で行きたいな」

「ごめんね。お姉ちゃん、お支度に時間がかかるから先に行ってて」

「でも……うん……」

「そのうち、また三人で行けるようになるよ。だから、もう少し待ってね」


 双子は哀しそうな表情かおで何度も振り返りながら、やがて角を曲がり見えなくなる。

 妹たちは姉が学校へ行っていないと、姉は妹たちが気付いていると知っていた。

 嘘の世界ですら笑い合えない現実に、唇を噛む少女。


(いいんだ……私は。二人だけでも……)


 まだ学校へ通えていた頃、教師せんせいに相談したが連れ帰られしつけられた。

 自分を罵り男女と共にわら教師せんせいが、ヒトではない何かに見えた。


 役所や救済を掲げる団体に駆け込むと、あの男女が迎えに来た。

 折れた足を引き摺ってパトカーにすがり乗せられると、着いたのはここ。


 どこへどんな手段で訴えても、妄想癖がある自意識過剰な問題児扱い。

 曰く、それが本当なら役所や警察、少なくとも民間団体が動いているはず。

 そして何かする度に〝しつけ〟は激しく酷くなり、やがて逃げられないと思い知った。


 唯一の救いは、妹たちがまだ無傷な事。

 〝いつか二人だけでも〟と想い、精神こころを支える日々。

 いずれ男女にくじかれ絶望するとわかっていても、少女は夢にすがるしかなかった。


 ゆがんだ拳を見つめ、ねじれて固まり巧く動かない指を一本ずつ拡げていく。

 脳裏に浮かぶのは父を最後に見た日、頭を撫でてくれた大きな

 今際いまわきわにも優しく微笑み、髪を撫でてくれた母。


(お父さん……お母さん……私……私……どうすれば……)


 誰かの声に、思い出の世界から引き戻される。


「あの……日向ひなた……さん? おはよ」


 振り返ると、一人ひとりの女子学生。


「あ……お、は……よう……」


 かつての同級生クラスメイトで友人だった一人ひとりと思い出すまで、二呼吸。

 遙かに背が高い相手は、そう変わらなかった頃とは何もかもが違って見える。


(名前は……何ていったかな? よく見ると顔も……こんなだっけ……)


 視界の端に、同じ制服を着たあと二人。

 遠く離れた建物の影にいてよく見えないが、女子学生の友人なのだろう。

 友人に知らない友人がいる、当然で残酷な事実に背筋が震える。


 女子学生は暫く話しづらそうに身をよじった後、意を決して向き合う。


「あのね、従兄弟のクラスでね、日向さんの事がね、えと、話題になってね」

「私?」

「代表して来たんだけど……」


 少女が女子学生と同じ学校に通っていたのは三年前まで。

 彼女に従兄弟がいた事すら知らず、その〝クラスの話題〟に首を傾げる。


 女子学生が、威圧的に迫る。


「愛衣ちゃんと愛彩ちゃん、このままだとアタシらが行ってた小学校だよね?」

「来年はそうなるのかな?」


 その思いはあるが、あの男女は少女の願いが叶うを許さないだろう。

 改めて思う、今が悲劇の途中にある事実。


 女子学生が、上から見下ろし言い放つ。


「あのね……それ、めてくんないかな」

「え……」

「あそこって公立だけど、少子化対策で制服も可愛くなったりイロイロ良くなって、〝イイトコ〟で通ってんのよ。なのにこんなトコのコが通ってるってなったらヘンな目で見られるじゃん! アンタと友だ……同じ学校ガッコに通ってたウチまでさ!」


 この辺りが幼い頃と変わってしまったのは、少女も思い知っている。

 かつては良き隣人に優しき知人ばかり、しかしそんなヒトたちはもういない。


 人気ヒトけの無いゴミだらけの風景が、利己的な引き籠もりの町になった証のひとつ。

 そして滅多に表に出ない住人が、理由も無く怖れられているはずがない。

 少女は住人が男女の同類と知っているが、外から見れば姉妹も住人。


 恐る恐る頭を下げる少女。


「ご、ごめん……ね」


 少女は責められる自分こそが悪と萎縮し、頭を下げるようしつけられていた。

 この瞬間とき、女子学生はどちらが善で悪かを確信し勢いづく。


「それにさ、その服装カッコとか髪とか、こっちが気を遣うのってなんか違わない? 二人もそう思われてるよ?」

「あ……そ、そう……だった……んだ……」

「二人と言えばさ、お友達……愛里沙ちゃんのために言うんだけど……その、無理しないでお似合いの学校トコに行った方がいい……と思うよ?」

「う、うん……そう……だね……」


 妹たちの幸せを思えば、進学よりもここから逃がしてやりたい。

 そう考えて目の前の現実から目を逸らすのは、心が辛くて堪らないから。


 女子学生が退きながら背中を向ける。

 その無理な姿勢は、少しでも早くここから立ち去りたい思いの現れ。


「じゃね! ちゃんと伝えたからね!」

「あ……」


 〝さよなら〟を待たずに女子学生は駆け出し、友達と共に消えた。


 少女は彼女が友達だった頃や名前を思い出せなくて良かった、と思った。

 仲が良いと思い込んでいた無様さを恥じるより、他人に棄てられる方が辛くない。


「っく……ひく……」


 そう思い心を慰めても、心の底から溢れ出る涙は止まらなかった。





□scene:02 - 寂れた住宅地:荒れた家:玄関



 家に入り扉を閉めようとした瞬間、後頭部を掴まれた。


「きゃ!」





□scene:03 - 寂れた住宅地:荒れた家:リビング



 少女はそのままリビングまで引き摺られ、奥の窓際へ投げつけられた。


「う……くぅ……」


 全身の痛みを堪えて立ち上がるのは、倒れたままだと踏み潰されるから。

 立ち上がるのを待っていた男が、髪を掴んで持ち上げる。


「〝外のヒトと話していい〟と、誰がいつ許しました?」


 少女は痛みと苦しさ、そして恐怖で呼吸が乱れて声が出ない。

 必死に言葉を紡ごうとして切れた唇と舌が、血にまみれる。


「ご、ごめんな……さ……い……愛衣と愛彩を小学校に行かせないで、って……わ、私からは……何も……」

「そんな下らない話を長々と……あの二人の将来は、アナタ次第と言ったはずです。なのに〝この町から出ない〝〟誰とも会わない話さない〟程度のとてもとても簡単な約束すら守れないようでは、考え直さないといけませんね」

「でも、せめて二人は普通に……調べたらお金が無くても行ける制度があるって……ご、ご迷惑はおかけしません……か……ら……」


 今は絶望しか見えなくても、妹たちの可能性を閉ざしたくはなかった。

 選べるかどうかはともかく、選択肢は遺しておきたかった。


「意見は聞いていません。この家では言われた通りにしていればいいのです」


 〝この家〟に心がざわめく。

 普通のヒトと会って話して、自分が普通ではないと思い知った。

 もう理解わかっていた、でも理解わかりたくなかった現実に触れてしまった。

 従順だろうと刃向かおうと絶望しかない現実に、思いを抑えられなかった。


「こ、ここは私たちの家です! そっちこそい……いい加減出てって!!」


 不意に視界が床に向く。

 壁、テーブル、椅子、窓、巡る視界と飛び散る涙。


 上か下かわからない視界に、女のたのしそうなわらい顔。


「あらあらぁ? 言ぃっちゃったぁ♪」


 少女は涙か血かわからない液体なにかを顔からこぼしつつ起き上がり、女に言い放つ。


「こ、ここは、お父さんと、お母さんと私たちの家……です。出て……って……」


 目の前で火花が飛び散り、視界が血と涙と涎にまみれていく。

 落ち窪んだ目に映るのは、光と影がぼやけた血の赤に染まる世界。


 男の悦びに満ちた表情かおが怖い。


「いいですねえ……私に楯突く身の程知らずを一方的に叩き潰す手応えが。ああ……堪らなく心地好い!」


 殴られたのか蹴飛ばされたのかすら、わからない。

 光と影がぼやけたまま何度も巡り、肘と膝が何度も床に落ち滑る。


 髪を掴まれ持ち上げられているのに、地に墜ちていく感覚。

 死を実感すると、目の前の男に許しを請う意味が無くなった。


「ぅ……ぁ……こ、ここは……お父さん……と……お母……さんと……」

「そのオトコに〝友〟と慕われ、オンナに〝娘たちを〟と頭を下げられたのが、この私です。オンナが土下座して懇願する姿は、アナタも見て聞いていましたよね?」


 視界の外から女が割り込む。


「コイツ酷いよねぇ。ダンナは最初ハナっから助かる見込みは無かったけどぉ、オンナの方は使い道が無いってんでぇ、さっさと退場させちまぁなんてさぁ。それもわざわざ助けるフリまでしてさぁ、まだ生かしといた方が面白そうなアンタが逆らいにくくなる台詞せりふを吐かせてから息の根を止めるなんてぇ。とんでもないよねぇ。久しぶりに腹の底からわらえる喜劇げきを見せて貰ったとぉ♪」


 その言葉に少女が戦慄。


「じゃあ、お母さんは……私が我慢してたらお母さんを助けるって……」


 女が大笑い。


「あーあぁ♪ 言っちゃったぁ♪」


 男が優しい表情かおで微笑む。


「悲しむ必要はありません。生きて存在している事自体無駄であるヒトが、私たちを大いにたのしませてくれたのです。素晴らしき意味のある時間ときだったと言えましょう。顔は手を着けなかったアナタを前に、〝娘たちを〟と泣き崩れていたあの女……ククッ」


 女が涙を拭きながらまだわらう。


「アーハッハ♪ あの時はもう絶対助からなかったのにぃ♪」


 少女の目から涙が噴き出す。


「非道い!」


 男が少女の小さな顔に、顔を寄せる。


「そうです。私たちは非道いんです。でもね、みんな非道い方に味方します。小汚い小娘に手を差し伸べるヒトなんていないのは、もうお理解わかりでしょう。そう、現代いまはヒトを食い物にする方が正しい世なのです。ああ……実にいい時代です」


 言われた通りの今までが頭をよぎり、さらに涙が噴き出す。

 必死に足掻あがいても無意味だった現実に、手足からちからが抜けていく。


 少女の引きった表情かおに、男の微笑みが迫る。


「この世は〝非道い〟とねたまれるほどに賢い方が、正しいのですから」


 いきなり高く掲げられた小さな頭が、思い切り床に叩き付けられる。

 涙と血反吐を撒き散らし、男から少しでも離れよういずる少女。

 頭では無駄とわかっていても、本能が恐怖から遠離ろうとする。


 テーブルに腰掛け脚を組んだ女が、たのしそうにはしゃぐ。


「頑張るねぇ。頑張って真っ当に生きてりゃぁ〝いつか〟とかてのたまってやがった……〝どうにもならないオマエらとは違う〟って、アタシらを心の中で見下してたに違い無いアイツらの娘が頑張って地べたいずり回ってるってのがぁ……愉快だねぇ♪」


 薄れ行く意識の中で、少女は思った。

 いつの間にかいたから、いつの間にかいなくなると思っていた……思いたかった。


(もう……駄目……なのかな……いろんなとこに行ったけど、みんな私を避けて……嫌な顔してたな。誰も見てくれなかったのは、きっと言われてる通り臭くて汚くて、醜くて……お父さん……お母さん……こんな私……もう……どうしたら……)


 テーブルの上で脚を組む女が、気を失った少女に嘆息。


「あーらら……でもさぁ、さすがにコイツらで遊ぶのも飽きてきたかなぁ?」


 グラスに酒を注ぐ男が、穏やかに答える。


「確かに。愚かな母親の方から哀れな娘を差し出された頃が佳境でしたね。まあ思い付きで始めた〝遊び〟にしては、良くたのしませてくれましたよ。せっかくですから、本来の寿命を全うできるように加工して最期の一瞬まで見届けてあげましょう」

「連中さあ、ヒトの扱いが雑でぇ、すぅぐに壊しちゃうからねぇ」

「親子二代、なかなかの暇潰しでしたが、そろそろ次の段階へ進むとしましょうか」





□scene:04 - 寂れた住宅地:荒れた家:家の前



 街灯が壊れたまま放置され、暗闇に沈む寂しい家々。

 暗くなるまで町外れの公園にいた妹たちが、元気よく駆けてくる。

 うちに灯りが見えないのはあの男女がいなから、待つのは姉だけだから。





□scene:05 - 寂れた住宅地:荒れた家:玄関



 愛衣が靴を脱ぎ飛ばし、勢いよく玄関に駆け込む。


「ただいまー!」


 行儀良く続く愛彩が、姉の返事が無いと気付く。


「ただいま……お姉ちゃん?」





□scene:06 - 寂れた住宅地:荒れた家:リビング



 リビングに入った双子に目に映ったのは、窓際に転がる動かない人影ヒトかげ

 星明かりの下で動かないヒトの形状かたちに、愛衣が立ちすくむ。


「お姉……お姉?」


 そっと駆け寄った愛彩が、姉を揺り動かすもちからなく転がるだけ。


「どうしよう、愛衣ちゃん……お姉ちゃん起きない……動かないよ……」

「外に行って誰か呼んでくる! 愛彩ちゃんはお姉についててあげて!」

一人ひとりでいっちゃやだ、置いてかないで……一緒に……お姉……ちゃ……」

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