04-05:プリンセスと最期の夜・5

□scene:01 - 学園:森林小道



 真昼の陽射しが木々の枝葉でさえぎられているとは言え、季節は真夏。

 冷たい汗が一条ひとすじ背筋を下り、思わずその場で伸び上がる。


 嫌な予感を思わせる現象だが、心当たりがあるから油断ができない。

 用のある相手が向こうから現れたなら、他人ヒトは〝運良く〟と評するだろう。

 それができれば見たくはない顔だから、現実なるものは屡屡しばしば油断ができない。


 そもそも幸運、強運と評されてはいるが全て他人の印象で事実とは異なる。

 幼い頃にがあったから、何でもない日常に意味を創られているだけ。


 ともかく万がいちに備えて木々に寄り、影に隠れて校舎へ急ぐ。

 そして木立の影から出てきたやつと、その距離いっセンチ。


「うわあぁ──!?」


 思わず五歩飛び退いた俺に、神速で六歩迫り来る憤怒の形相。

 一際ひときわ太い木の袂に追い詰められ、腰が砕けた俺を鼻先三センチで見下ろす早弓。


「何よ! ヒトの顔見てって酷くない!?」

「顔見る度に蹴倒されてたら、逃げて当然だろ!」

「そんなのずっと昔の話じゃない!」

「やった方には終わった話でもやられた方はまだ現在進行形なんだよ! ……って、なんでに? いつも昼休みは部活だ自主練だってグラウンドか体育館なのに」


 この先は、特別に許された者だけが立ち入れる迎賓館しかない。

 用が無ければ近づく事すら禁忌タブーなのは、学園ここ の生徒なら誰もが知るところ。

 最低でも品の良さが必要な空間に、〝取り敢えず物理〟の早弓こいつは最も縁遠い。


 罰の悪い表情かおのまま、しなやかに三歩飛び退く早弓。

 褒めたくは無いが動けば芸術アートになるその様は、双子が憧れるのも無理はない。


 腕で顔を隠しながら、目だけを出す早弓。


「ちょ、ちょっとあんたにさ……聞きたい事って言うか、その……頼みがあって……探してた……んだけどぉ……」


 俺相手だと語気と拳にちからが入る早弓にしては珍しく、徐々に消え入るように。

 何があったにせよ俺には蹴られずに話せる好機でしかなく、話を続ける。


「奇遇だな。俺もお前に頼みたい事があったんだ」


 腕を下げて顔を出し、二歩寄り俺を睨む早弓。


「あたしに? あんたが私に頭を下げるって珍しいわね」

「そこまで言ってない。まあいい丁度良かった。お互い頭を下げたかないんだから、交換条件といこうぜ」


 再びしなやかに二歩飛び退き、腕で顔を隠して目だけで俺を睨む。

 止まると死ぬ性質キャラと諦めているが、無駄な時間を付き合わされる方は面倒臭い。


 嫌な時間は後回しにするとストレスが溜まるだけ。

 さっさと終わらせ、スッキリするに限る。


「いつからかはまだ未定だが、アレックスの国へ行く事になりそうでな。俺がいない間のうちを頼みたい。具体的には家事全般に愛里沙と双子の食事」

「あたしに? インドアそーゆーのは智那の方が向いてなくない?」

「早弓だって懐いてる愛衣と愛彩で人体実験されたくはないだろ。馬鹿みたいに頭がいいのと愛里沙への歪んだ愛情は認めるが、実践はまるで駄目だからな、あの脂身。その上〝人類の発展の原動力たる発見の妨げだ!〟つってレシピは無視するし味覚が独特過ぎる。リンゴとイチゴに納豆を絡めた上に練乳をかけて炊いた米を〝美味い♪美味い♪〟と炊飯器を茶碗代わりにしておかわりするやつだぞ?」

「それはまあ……ん? じゃあ、あんたんに出入りしていいの? あたしだよ? どんな女の子っぽい可愛いに迫られても完全無視してたのに?」

「こんな頼み事してんだから当然だろ。それに一切いっさい何も思い出したくないが、ガキの頃から知ってて身許は確かだし」

「でもあんたんって、あの智那が〝凄い……〟って真顔で感動したセキュリティで護られてんでしょ? オジさんいないのに勝手に入れるヒト増やしていいの? 後、新聞記者や探偵とか学園ガッコの女子とか、あんたを狙って忍び込もうとしたら迷路に迷い込んだ悪夢でおかしくなったのもいるって噂だって……」



                *



 確かにあの家には、あの伯父貴の城らしい悪質な仕掛けが施されている。


 エントランスこそ共通。

 だが、他の住人が最上層専用エレベーターを目にする事はまず有り得ない。


 第一だいいちの関門は掌紋認証ゲート、当然で必然的に通れるのは登録された者だけ。

 だが完全には封鎖しない構造、周囲と調和した威圧感のないデザイン。

 他の住人が迷い込まないため、それ以上は求めていない。


 そこからは少し進むと直角に曲がる、先の見えない通路が続く。

 上流階級が高級ホテルに求める、他人と顔を合わさなくていい構造つくりのよう。


 だが、これこそが第二の関門。


 密かに顔認証はもちろん、虹彩や音声等々生体情報を徹底的に瞬時にチェック。

 未登録者が迷い込むと死角で通路が変形、外へと追い出される形状ルートになる。

 危険と判断した場合は、封鎖し閉じ込めた上で然るべき機関に通報も。


 物理的には一分いっぷんに満たない距離が〝迷路〟と呼ばれるのは、この仕掛けのため。

 何周しても外に出て、毎回通路の構造が違えば悪夢と喚くのも無理はない。


 登録済みなら、二つ角を曲がれば最上層専用エレベーターは目の前。

 その先も相応の仕掛けが施されているが、それを試した侵入者はいなかった。


 俺の知る限り、最上層の偵察にまで至ったのはシーナが初めて。

 実行力に裏付けされたアレックスの言葉は、信じるに足る。



                *



 閑話休題それはそれとして、早弓の懸念は全く無意味。


「覚えて無いのか? 早弓はいつでも自由に入れんだろ。ずっと前から」

「え?」

「いつだったか押しかけてきたろ? 何を勘違いしたのか、伯父貴がいつでも自由に出入りできるようにしてあったんだよ」


 この街に移り住んだ頃、執拗に絡むやつを伯父貴が〝友達〟と見誤ったらしい。

 実態は顔を見るとつきまとわれ足蹴にされ、罵られる日々だったが。


 早弓の顔が引き攣り、面白い色になる。


「お、覚えてたの? 確かに蹴りがマトモに入っちゃってさすがにヤバいと思って、謝ろうと後を着けたコトがあったけど……ま! まさか他にも何か覚えてる!?」

「あんま覚えて無いが、〝責任取る〟とか何とか喚いてたって伯父貴が笑ってたぞ」

「ちょ! ちょっと!! 覚えてるのはそれだけ……だよね? ね!?」

「〝男らしくない!〟とか〝ホントに男か!?〟っつって思いっきり蹴りやがって」


 ゆっくり俺の股間まで目線を下げ、真っ赤な顔をゆっくり上げる早弓。

 そんな予感はしたが、予想通りに呆れて嘆息。


「こういう事はな、やった方はその場で忘れても、やられた方は覚えてんだからな。ほとんど何も覚えて無い頃なのに〝辛かった〟のだけは覚えてるってよっぽどだぞ」

「ご! ごめんなさい!! あ、あの……大丈……夫?」

「どういう意味かは敢えて聞かんが〝大丈夫〟だから〝責任〟は取らなくていいし、この話はこれで終わり。で? そっちの条件は?」

「へ?」

「だから交換条件だよ。そっちは俺に何をさせたい?」


 瞬時に二歩退き、顔を逸らしつつも俺をチラ見する早弓。

 いついかなる時も研ぎ澄まされた身体能力には、感心せざるを得ない。


 このまま昼休みが終わるまでチラ見される状況に、意味などあるはずが無い。

 〝続きは放課後〟と宣告しようとした俺を遮るように、早弓がくちを開く。


「あ、いやーもーいーかなー♪ とか? 大丈夫、あんたの頼みは聞いたげるから。安心して」

「良かないだろ。俺の頼みに蹴り入れて文句付けるどころか無償でいいとか、らしくなさすぎて気味が悪い。チビたちが困りゃっとくやつじゃないとは思うけど、それが俺の勝手な期待じゃない確約が欲しい。悪く言えば執念深いが良く言えば義理堅い、と言えなくもない性格キャラだしな。早弓の頼みを聞けば安心して行ける」

「それ、悪く言う方要る?」

「素直に褒めたら信じないだろ?」

「それもそうか」

「言っとくがお前嘘下手だからな。下手な誤魔化しは後で笑ってやるから今は本心を言ってくれ。余程の事でも受けてやる」

「うぅ……智那にも良く言われるし、やっぱあたしって……バカなのかな……」

「気にするな。察しの良い早弓なんて気持ち悪いから今のままでいい」

「くっそー……ヒトの気も知らないで……」



                *



 遙香の脳裏に浮かぶ、ランドセルを背負って何回目かの冬。

 冬の装いに身を包んだ幼い少女は……泣いていた。


 それまで仲良くしていた友達が、ある日を境に彼女だけを仲間外れに。

 机に悪口が刻まれ靴を隠され、ランドセルは冷たいプールへ投げ捨てられた。

 そして浴びせかけられる〝ブス〟〝デブ〟〝オトコオンナ〟等々、心ない言葉。


 もちろん小学生男児特有の、排泄物や性器を含む下品な表現の数々も。

 いずれ放った方が思い出して恥じ入る行い、だがまだ心に突き刺さるお年頃。


 身体からだを動かし歓び、男子といる方が楽しかった彼女に同性の友達は少ない。

 そして女子の心は早熟、遙香は男にびていると影でうとまれ嗤われてもいた。


 根本的原因はただひとつ、〝遙香が極上の美少女だから〟に他ならない。


 未成熟なまま意識してしまった男子が真逆の愚行に及ぶのは、よくある大失態。

 女子が〝男子に人気がある〟と理解しねたむのは、筋が通っている。


 一方いっぽう遙香の方は、〝容姿に恵まれた者は容姿を気にしない〟見本のようなたち

 わけがわからないと嘆く姿が、恵まれない女子たちの神経をさらに逆撫で。


 必然的に〝虐めていい子〟認定され、その暗闇に出口は無い。

 孤立した理由がわからず、それでも皆につきまとい、影で涙する日々。

 彼女の精神こころは限界を超え、自ら生命いのちを絶つ夢に心安らぐようにすらなっていた。


 ここで一人ひとりの少年が登場する。


 この街に住む叔父を英雄ヒーローと称え憧れ、長期休暇のたびに訪れていた。

 明るく楽しく、山間やまあいに育ち街とは無縁の知識を有する彼は子らの人気者。

 〝凄いお兄さんの親戚で怖いお姉さんの子分〟として、一目いちもく置かれてもいる。


 そして以前とは一変いっぺんした状況を、彼なりに理解。

 曰く、〝オンナに負けんのが悔しくて勝負しないのか。情けねー(笑)〟。


 否定する男子たちに〝ならヤるか?〟〝あ? 恥かくからイヤ?〟と煽る。

 それが本当の理由ではないから、男子たちの抗弁は正しく退けはしない。


 だが〝オンナと組むヤツ〟〝ブスの仲間〟等の罵倒は、彼には全く利かずノーダメ

 山間やまあいでは学年や性別で分けられるほど子がおらず、何をするにもみんなで一緒いっしょ


 女子との連合軍に抵抗が無い上、遙香のずば抜けた身体能力を知っている。

 そしてこの頃はもう、成長の早い女子より体躯たいくに恵まれてもいた。


 かけっこに始まりテニスやバスケにサッカーと、全てに渡り二人が圧倒。

 校庭から始まった闘いは街中へと広く展開、見物していた子らをも巻き込んだ。


 ヒトが足りなければ、遠巻きに眺めていた女子を少年が連れ込み活躍させる。

 時には心の溝をまたいで共闘し、勝てば抱き合い喜び合う。


 次はどのが長身で明るく爽やかな少年に手を握られるのか、牽制し合う始末。

 後に悠佑につきまとい、愛里沙を目の敵にする少女たちの姿もあった。


 いつしか他の男子を見下ろす背の遙香が、少年を見上げ頬を染めていた。

 少年の方は故郷と同じでいるに過ぎず、ただ勝利を楽しんでいただけだが。


 こんなにも何もかもが上手く行く話などあるはずがない。

 街中での騒ぎに抗議が無く、各種遊技の道具が偶然そこにあったのも。

 果ては試供サービス中の屋台と偶然遭遇、声援を送る親たちに囲まれる。

 影でニヤつく金髪のチャラ男と三色メッシュのギャルに、会釈する遙香だった。


 以前にも増して毎日が楽しくなった遙香は、少年が故郷に帰る日に決意した。


 しかし……それは叶わなかった。


 次こそはと待っていた次の長期休暇も、その次も少年は現れなかった。

 もう会えない初恋は実らないと諦めた頃、TVの中に見た少年は……


 思えば彼女が虐められたのは、家の事情で可憐に着飾った日から。

 想いを伝えられなかったのは、お洒落に時間がかかり間に合わなかったから。


 女の子らしくなれない心的外傷トラウマは、今もまだ彼女を捕らえ続けている。



                *



 早弓が半歩退いて背を向けて、片目だけで上目遣いに俺を見上げる。


「あんたさ、お姫様の……アレックスさんの国でさ……そ、その……ハ、ハーレム、つくんだよね? で、でさ、もしさ……もし人数に余裕があんなら、あたしも入れて欲しいな? とか?」


 声が出ない以前に呼吸ができず、蹌踉よろけつつもどうにか三歩は後退。

 震える手でスマホを掴み、ほぼ空になった肺の奥からどうにか呻きを絞り出す。


「びょ……病院……」


 瞬間移動でもしたかの勢いで迫り来る早弓。


「正気だから! おかしくないから!」

「いやおかしいだろ! 自分で何言ってんのかわかってんのか!?」

「わかってるから! 愛里沙や他の誰にも聞かれたく無いから楠原が一人ひとりになんのを待ってたぐらいは正常まともだから!」

「それを正常まともと思い込んでんだから〝大丈夫〟じゃねーだろ! ……ってかその話、どこで聞いた?」


 やや落ち着きを取り戻した早弓が二歩後退。


「智那に聞いたのよ。お姫様が来た日、一緒いっしょにどっか行ったあんたらを付けてったら面白い話を聞いたって……あ! 安心して! 愛里沙には話してないから! 智那もその辺りはわきまえてるし」

「あのシーナがいて、盗聴されてると気付かなかった?」


 アレックスがのたまったのは、人払いした密室。

 あのシーナがいて盗聴や盗撮は考え難いが、この世に絶対は有り得い。


 もしあの場の全てが漏れ出ていたなら、とてもとても危うい。

 特にアレックスが俺を黙らせた、とある写真と素になった動画の存在。

 愛里沙相手に何を言われようとどうでもいいが、九歳相手はさすがにヤバい。


 顔面が引き攣るれに、早弓が事も無げに語る。


「楠原が心配してるような事にはならないんじゃない? 風の向きや気温に密度から振動を計算したって言ってたし。そんな事ができんの、智那あのコぐらいでしょ」

「あー……それで納得できる俺たちもちょっとアレだけどな」


 雨の日の秘め事を見られていた件が脳裏をよぎる。

 常識的に有り得ないと言いたいが、非常識な智那やつなら有り得そうで笑えない。


 とにかく知られていて認めてしまった以上、とぼけきるのは難しい。


「にしたって、何だってそんな無茶な要求ことを……」


 目を逸らしてうつむく早弓。


「ずーっと呼吸いきしながら死んでたあんたは覚えてないかもしれないけどさ……智那にその話を聞いた時、中等部の卒業式を思い出したのよね」

「卒業式?」


 言われるまでも無く、ほとんど何も覚えていない。

 記憶の奥に散らばる中に、〝それかもしれない?〟ぼやけた風景がある程度。


 無感動の俺に、納得の表情で溜息をく早弓。


「仲良かった友達が何人か別ん高校になってさ。事情はイロイロだけど、この先会う事はないと思う。どこかで擦れ違っても、もうわかんないかもね。それがやっぱさ、寂しくってさ……昔から知っててまだ一緒いっしょにいるのはもう智那だけ。それが愛里沙を紹介されて、愛衣ちゃんと愛彩ちゃんが懐いてくれて……一人ひとりになるとどうせいつかいなくなっちゃうんだ、って前よりもっと寂しくて……そっこへその話! お姫様が言ったんでしょ? 智那とあたしも誘っていい、って。そう! もうアレよ! その手があったかぁ! って!! あ! 安心して、愛里沙にはまだ言ってないから! 拗れせたくないしやっぱ楠原から言わないとだし! ただ離れたくないヒトとずっと一生いっしょう一緒いっしょにいたいだけだから!」


 迫り来る早弓の前に頭を抱えながら掌を拡げ、嘆息。


「あのな……あの頃の俺を見て知ってるくせに、その言い分を俺にわかれと?」

「あ、あの頃のままだったらこんなコト絶対に言わないけど、今はわかるでしょ! 生きてる限りいつかまた同じ想いをするかも、って!」

「ってか……ハーレムって何するとこか知ってんのか?」

「わ! わかってるからこっそり捜して話してんでしょうが! 大体そそ、そーゆーコトはあんた次第でしょ! イヤならヤ、ヤらなきゃいいだけだし? どうせあたしなんかそんな目で見てないクセに……ん? そう考えると女子オンナにとって一生いっしょう遊んで暮らせる楽園とも言えんじゃない?」

「この場合のハーレムが存在する理由を全否定する発言だな」

「映画なんかで〝楽園〟と書いて〝ハーレム〟って読ませるの見たことあるし、全然間違いってワケじゃないじゃん♪」


 呆れながらも早弓を怖れるのとは違う、気持ちの悪い悪寒で身震い。


「ちょっと待て……〝寂しいのがイヤ〟で〝仲良い友達とずっと一緒いっしょにいたい〟? 早弓がそう言う相手の中には、まさか……」

「智那も〝面白そうだから入る!〟ってさ。あのコ愛里沙の大ファンだし、〝ずっと一緒いっしょにいられるんならどんな変態的要求も受けてみせる! 寧ろカモーン♪〟って、大笑いしてたよ」

「は?」

「腹見せんのだけはダメだって」


 思わず前屈みになり、込み上げるモノを胃に押し戻す。

 ただでさえ(精神的に)頭が痛いのに、呼吸いきまで苦しくなりたくない。


 そんな俺の前で仁王立ち、腕を組んで見下ろす早弓。


「で! どうなの? ハーレムに入れてくれんの!? ダメなの!? 交換条件とか言い出したのは楠原だからね! 何なら力尽くで返事させようか!?」

「上から目線で言う事か?」

「うっさい! 恥ずかしいのガマンして頑張ってんだから早く終わらせてよ!!」


 一際ひときわ大きな溜息をき、顔を上げて早弓に向き合う。


「いいよ」

「い! ……いの? あたしだよ!? 漏れなく智那も着いてくんだよ!!」


 上から目線で詰め寄られて腰が引け、結局物理的にも見下ろされる。


「〝入れろ〟つったのはそっちだろ。これで交換条件正立だからな。愛里沙と双子を頼む」

「そ、そりゃまあ、ずっと一緒いっしょにいられるんなら……」


 落ち着いてくれたのを見て姿勢を正し、乱れた制服を直す。


「ま、その覚悟は無駄に終わるだろうがな」

「は? どう言う意味よ」

「智那に聞いてないか? アレックス自身、さすがに無理な設定とわかってたって」

「え……そんなコトも言ってたの?」

「いくら何でも〝今時?〟の設定だろ。世界から無視され滅びかけても勝手にどうぞって扱いされてた国が、やっと掴んだ機会チャンス。〝何でもする!〟って覚悟のひとつだよ。こんな前時代的な制度しろもの正常まともな国になりたかったら続けられないって、少し考えりゃわかるだろ」


 困惑と納得が入り混じり整った顔が面白くなる早弓。


「あ、あれ? 言われてみるとそんな気も……」


 当のアレックスが正常まともでなかったのは、話が面倒臭くなるので伏せておく。

 そもそもアレックスが冴えない俺を慕うのは、絵にいたような吊り橋効果。

 夢見る頃を過ぎた女は現実的リアリスト、俺が〝良く言っても並〟な現実は無視できない。


「俺としては、あの国に世話になってる分の義理を果たすだけさ」


 スマホを取り出し見ると、そろそろ授業が始まる時間。

 取引は成立したと判断、校舎へ向かい歩き出す。

 早弓も駆け寄り、並んで歩く。


「あのさ……ヘンなコト聞いていい?」

「〝ハーレムに入れろ〟以上に〝ヘンなコト〟があんなら聞いてみたいな」


 早弓が神妙な……真剣な表情かおで俺を見上げる。


「楠原さ……大丈夫?」

「見てわかんないか? 〝呼吸いきしながら死んでた〟頃に比べたら、結構〝大丈夫〟になったろ。そう言や、愛里沙にもそんな事を言われたけど……」

「あー……愛里沙も……」


 どうでもいい他人の目などどうでもいいが、早弓にまでとなると気にはなる。


もとこれだから諦めてたけど、〝良い表情かお〟の練習でもした方がいいのかな。駅前に〝他人受けのいい笑顔講座〟って広告があったっけ。やっと生きたいと思える人生になってきたし、少しは自分を磨いてみるか」

「そんなんじゃないよ。愛里沙もあたしと同じ意味で言ったんだと思うけど」

「愛里沙は〝大丈夫〟って答えたら笑ってくれたけど……俺、そんなに変な顔?」

「そういうんじゃなくて……〝生きる意味を見つけた〟って言ったよね?」

「ああ」


 ずっと何もかもどうでよく、生きているのか死んだ後なのかもわからなかった。

 それがあの雪の夜、彼女らを見捨てた世界をぶん殴りたい思いで目が覚めた。

 そして〝生きる意味〟を得た今、それを成そうと湧き出す熱が心地好い。


 なのに、そんな俺を見る早弓のが愁いを帯びる。


「それ、違うと思う。楠原が見つけたのは〝終わっていい理由〟……じゃないかな」

「え?」

「愛里沙や愛衣ちゃん愛彩ちゃんのためなら元気になれると思ってるみたいだけど、それ、違くて……やっと他人だけじゃなくて自分もどうでもよくなれそうで気が楽になったんじゃ? 小さな頃から知ってるあたしに言わせたらダメんなった時の延長のまま。ある日いきなり気が抜けて……になりそうなんだけど、大丈夫……だよね?」





□scene:02 - 街:市街地



 放課後、愛里沙と二人の帰り道。


 早弓は授業が終わるなり、幼年部の指導に誘われてると言って走り去った。

 顔を合わせると昼の件で気まずいのはお互い様、俺としても有り難い。


 朝は愛里沙を診るため待ち伏せしている智那も、帰りは生徒会の務めを優先。

 〝役目をわきまえている〟と自負、俺が一緒いっしょなら無闇に出没しない方針らしい。


 いつものように先を歩く愛里沙の後ろで、日傘を掲げて着いて行く。


 早く言って楽になるべき事ほど、得てして言いにくいもの。

 そんな時に限って会話のタイミングを誤り、無言となってしまうもの。


 早ければ今晩にも連行されるから、それまでに話しておかないといけない。

 気負っている余裕など無いと自分に言い聞かせ、足を速める。


 側に寄り声をかけようとした俺よりも、愛里沙が早くくちを開いた。


「アレックスさんの国へ行くの?」

「え? あ、ああ……誰に聞いた? やっぱ智那か……それとも早弓?」


 眼鏡の奥から、どうしても消えないくまを添えた大きなが俺を見る。


「見ればわかるよ。いつも私と愛衣と愛彩が笑ってられるようにしてくれてるのに、アレックスさんと会ってから〝言いたいけど言えない表情かお〟になったもん。私たちの手が届かないぐらい遠くへ行っちゃかも、って思うよ」


 小さく息を吐く。


「底が浅い自覚はあるけど、そこまでお見通しとは……そうだよ。いつ行くかはまだわかんないけど」


 〝すぐに〟とは言っていないが、嘘をいてもいない。

 どこかで誰がが聞き耳を立てていると警戒すべきで、言葉を慎重に選ぶ。


 愛里沙が前に向き直し、歩きながらくちを開く。


「言いにくいのって、相手が怖いか聞いたヒトが嬉しくない時なんかだよね? でも、大きな悠佑が小さな私を怖がるわけないし……ね? 悠佑が遠くへ行くの、私たちのため?」

「あ、ああ」


 当人に直接直球を投げられ戸惑うが、その通りで間違いない。


 愛里沙が足を止め、俺の正面に立つ。

 帽子の下、眼鏡の奥で大きなが俺を見上げる。


「本当に? 私たちのため?」


 迷い無く思うから、愛里沙の立場なら重荷になる事実に何も返せない。

 そして改めて自問しても、迷い無く愛里沙のためにかもしれない方を選ぶ。


 愛里沙の綺麗なが潤む。


「ね……大丈夫?」


 一言ひとこと〝大丈夫〟と答えるだけなのに、くちが開かない。

 そのには慣れていたはずなのに、いつものように軽く返せない。


 この世で正気を保つには、耐えられない現実を優しい嘘で覆い隠せばいい。

 だから自分に嘘をいていない、真っ正直なヒトなどこの世にいるはずがない。

 そして……この世界を、他人ヒトを、俺自身を欺して〝普通〟でいられた自覚はある。


 でも、愛里沙は違う。


 悪辣な男女のもとで現実から逃げられず、嘘をく意味が無かった。

 敵視してきた女子たちから目を逸らすどころか、雨に濡れる姿を案じもした。

 彼女は有りのままを見て思ったまま足掻き、苦しみ、哀しみ、笑い……生きてきた。


 その純粋さに嘘で塗り固めた殻を解かされそうで、精神こころがざわつく。

 愛里沙は何も知らないはずなのに、全てを見透かされているかのよう。

 ふと胸の奥で疼く同じ罰の悪さと……顔も姿も思い出せない母の温もり。


 その潤んだ瞳が、何も言えずに震える俺に近づく。


「私たちのためだったら何でもできるから、それで楽になれたら……って、私の考え過ぎ……だよね?」


 視界がゆがんで足下が踊る。

 呼吸ができず腹から込み上げる不快感で意識が遠退とおのく。


 膝が崩れ落ちる寸前、スマホの鳴動で我に返った。

 顔を上げると、愛里沙のスマホも震えていた。


 震える手の中で表示されている発信元は、愛彩。


「も、もしもし?」

『お兄ちゃん! 大変なの!』


 愛里沙のスマホからも、脳に突き刺さる愛衣の叫び。


『智尋せんせのおうちが燃えてる!』

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