01-09:少年の事情・5

□scene:01 - 国際空港:ロビー



 行き交うヒトたちの懐かしいイントネーション、読める言葉の多さに気が緩む。


 誰も誰かを気にしない、気にしていると思われたくない遠慮がちな距離感。

 誰かと目が合っても誰もが合わなかったフリをし、忘れる安心感。

 そして謎の責務から解き放たれた開放感に、思わずつぶやく。


「日本だ」


 誰も俺を気にしない、他人が正しく他人である空気に精神こころが安らぐ。

 そんな平穏を一瞬にして切り裂く、後頭部へのチョップ。


いて


 背後にいた未音さんに手刀で小突かれ歩く。


「邪魔! 出たトコで突っ立ってない! ヒトの価値観なんてヒトそれぞれだけど、最低限ヒトに迷惑かけないヒトでいなさい!」

「その価値観に同意するし反省するけど、未音さんに言われるのはちょっと……」

「何よ?」

「毎晩酔っ払っては隙あらば脱ぎだすし、抑えると酒瓶抱えて大の字で寝るわ他人ヒトが起こそうとすると〝セクハラー!〟って暴れ出すから俺が負ぶって帰るしかないし、その他諸々恥の数々……反省が必要なのは俺だけじゃないよな?」

「わ、悪かったとは思ってるわよ! でも〝どっちかって言うと美人タイプ?〟って言われてるお姉さんを触り放題だったんだし、ちょっとは嬉しかったでしょ♪」

「ははははは」


 他人ヒトに無関心以前に、多大なる迷惑をかけられては乾いた笑いしか出ない。

 今更遠慮する仲ではないので、率直に意見を述べる。


「大体〝美人〟ってな〝可愛くない〟を言い換えた社交辞令で、褒め言葉じゃないと思うぞ」

「グフッ……他人ヒトに興味無くて遠慮も情けも無いヤツめ。ああでも、ホントに帰って来ちゃったのね。さらば! チョー高価たかくて美味し過ぎるお酒が呑み放題だった日々! 耽美たんびなおじ様方や華麗なお兄様方にお酌して貰って……も少しいたかったなー」


 それこそが〝開放感〟の原因。

 英雄と称えられながら酔っ払いにこき使われた意味不明の日々よ、さらば。

 とは言え、それが許される働きと世話になった事実をかんがみフォローはしておく。


「昼間は完璧に仕事してんのに」


 伯父貴の目論見通りに事が運んだのは、同等の実力あってこそ。

 悪行の自覚がありすぎて褒められるとは思わなかったのか、たじろぐ未音さん。


「ま、まあ? あれよ! 昼間のストレスをお酒で解消?」

「仕事のストレスは仕事で発散してるとか言ってなかったっけ?」


 諸外国からの横やりが血肉を吸い取るパイプと化すなど、チョー楽しそうだった。

 他人ヒトに無関心なのに関わりを強いられた日々を思うと、脳裏に浮かぶもう一人ひとり


「こっちはこっちで凄いのに絡まれて大変だったのに」

「ムフ♪ シーナさんとすっごく仲良くしてたねぇ♪ 悠佑クンに年上趣味があったなんて知らなかっ……ちょ!? ひょっとしてあたしも狙われてる!?」

「安心してくれ。無いから。絶対」


 美人で気さく、俺が正常まともなフリをできるようにしてくれた大人の一人ひとり

 〝叔父貴の彼女〟で〝想っては駄目な女性ヒト〟に胸を痛めたのは、幼い頃。

 〝アイツだけはない〟と明言され、本気で告ろうと悩んだ日々が痛々しい。

 今は叔父貴が〝誤解されてもただ笑っていた理由〟の方が理解できそうだが。


 幾度となく繰り返した冗談ジョーク拒絶ごめんなさいだが、それなりに傷付いてはいるらしい。

 腕を組んで年長者らしく振る舞いながらも、顔面が震えている。


「ま、まあ? あたしの魅力を理解するにはもうちょーっと人生経験が必要かな? お子様にはわかんなくて当然よね。いい年齢とししてわかんないオトコはこっちから願い下げだけどさ!」


 こうして地道にハードルを上げるのも、彼氏いない歴更新の一因と思われる。

 自己弁護の材料ネタを探していたであろう苦しい笑顔が、ふと寂しそうに曇る。


「あのコも大変よね……一々突っ掛かかってたのも、なんでしょうし」


 尚、シーナを〝コ〟と呼んでいるが年下扱いしているわけではない。

 妙齢の女性を〝オンナノコ〟扱いし、自分もそうだと主張アピールしているだけである。


 あの国にいた中で、何となく察した事情を思う。


「〝ヒトの恋路を邪魔する奴は……〟か。俺はそんな立ち位置だったらしいな」


 初対面で蹴りを食らい、吹っ飛ぶ俺から美少年を奪った彼女は……涙ぐんでいた。

 彼女いない歴=年齢の俺でも、シーナの想いは何となくわかる。


 一般的には十代で身を固めるあの国で、彼女は三〇まで独り身。

 邪魔をするのは身分の違いか年の差なのか、とにかく彼女の恋は成就しない。


 鬱陶しくはあったが、日本に帰れば無縁になると思えばむしろ哀れんでもいた。

 何度かサーベルの切っ先で喉を突かれたぐらいで、実害は無かったし。


 俺なりに他人ヒトを想ってみたのに、未音さんは呆れた表情かお


「まぁ、そう思ってあの仕打ちを甘んじて受けてたのは偉い! 褒めたげる。問題の本質は全然わかってないけど」

「引っ掛かる言い方だな。俺にはないし長居もしないってシーナあっちもわかってたはずだし、実際もうもう終わった話なのに」

「悠佑クンの年齢としで今時のオンナゴコロをわかれ、ってのはちょっと無理か」

「俺の倍生きてオトコゴコロと無縁の女性ヒトに言われんのは、ちょっと……」

「今度悠佑クン基準で計算したら、コロす♪」


 いきなりの落雷をバックに、ニッコリ笑顔。

 激しく窓を叩き出した大粒の雨は怒り猛る雷神の拳か、それとも……


 急激に低下した気温にこめかみの熱も冷めたのか、未音さんが正気を取り戻す。


「ゴ、ゴホン! ま、まあアレよ。縁が切れたと思ってんなら気にしなくていいわ。悠佑クンへの仕打ちはただの八つ当たりだし」

「それぐらいなら俺にもわかる」

「正式な開国はも少し先。悠佑クンとは警護の大佐の娘さんてだけで、直接の関係は無し。次に見るとしたら何かの式典かな? 先進国の爺さんがズラッと並ぶ政略結婚相手のリストも用意されてたし、そんな機会すら無いかもね」





□scene:02 - マンション:自室



 目を開けても闇の中。


 徐々にが慣れ、自分の部屋で見慣れた天井を見上げていると知る。

 惰性で顔を傾け時計を見ると、日付が変わっていた。


 未音さんに〝未成年だから〟とうちに送られたのは、昨日の日暮れ前。

 自覚は無かったがやはり疲れていたのか、着替える間も無く寝入ったらしい。





□scene:03 - マンション:リビングダイニングキッチン



 足下の間接照明を頼りに、広大なLDKへ。


 入ると左に窓から外が見えるキッチンとダイニング、右は洒落たデザインの壁。

 スロープで下りた先にリビング、その上にあるテラスは左右の階段から。

 白いテラスの床は薄く手摺は細く、眺めを品良く飾る装飾でもある。


 そして正面は、床から二階分の高さを超え天井にまで食い込む巨大な窓。

 昼間は天空より下界を見下ろすかのような光景が広がるが、今は漆黒の壁面。


 冷蔵庫からボトルを取り出し、ミネラルウォーターをグラスに注ぐ。

 グラスそれを手に持ち、この世界を覆う闇に向く。



                 *



 一等地いっとうちそびえ立つ、この街に比類するもの無き超高層タワーマンション。

 その最上全てを占有する広大な住空間が、勝手知ったる我が自宅。


 叔父貴がたずさわった都市計画で造られた、計画とは全くの別物。

 当時の上司と法の隙を突き、予算の大半をつぎ込んだ高度な構造つくり

 計画を無視して超高層化、そして最上層を他とは隔絶してデータは破棄。

 セキュリティも充実、お呼び出ない者は一切無視できる仕組みになっている。


 その現代の城塞と呼ぶべき代物を正規の販路で購入、自らの手に収めた。

 景気の向上期と重なりプロジェクトは大成功、出世の一助いちじょとなったらしい。

 最早〝何かおかしい〟といぶかしむより、〝何かおかしい?〟ととぼけるしかない。


 一人ひとり暮らしには広すぎて部屋も多すぎ、設備も一級品揃いっきゅうひんぞろいの贅沢空間。

 一番いちばんは外壁側を天井に届くまで巨大な窓とした、リビングルームからの眺め。

 極めて透明度の高いアクリル板? は、水族館で使われているより強固らしい。

 伯父貴あのヒトがどこからか持ち込み使ったは、軍用の装甲板を鼻で笑う代物だとか。


 その眺めは、神の視点からヒトの営みを見渡す気分を思えるほど。

 夜明けの風景は、夜の闇に溶けた全てがカタチを取り戻す行程プロセスのよう。

 流れるヒトやクルマ、日々変わる街並みに〝世界は生きている〟と理解わかる。



                 *



 そんな大窓も、今夜に限っては漆黒に塗り潰されたかの如く。


 窓の外がでは無くなのは、分厚い冬の雲が一切の光をさえぎっているから。

 その闇に寄り、遙か下の街灯目掛けて身を投げる。


 すぐに額がぶつかり止まり、グラスの水が跳ね落ちた。


 部屋も暗く反射する光が無く、極めて透明な窓に実感は無い。

 高所が苦手なら、ここに立つだけで生きた心地がしないだろう。

 俺自身、落ちて終わる途中にひたっていたのに足はすくまず精神こころも震えず。


 諦めも嘆きも無い、ただ事実を再確認しただけの結果が漏れる。


 「正常まともじゃないよな……やっぱ」



                 *



 大窓に身体からだを預けたまま夜が明け、いつしか夜景。


 手に持ったまま、一口ひとくちも着けていないグラスを見る。

 喉が渇いたから用意したはずで、今も渇いているがくちまで運ぶ気にならない。


 世には〝観測されて存在が確定する〟概念があるらしいが、精神こころもそうらしい。


 幼い頃を知るヒトはただ一人ひとりを除いて存在せず、今はそんな誰かを求めない。

 昨日が今日に続くとは限らないと知っているから、明日に何も期待しない。

 どうなろうとどうでもいいから、退場に時間と労力をかける熱意もない。


 上辺は正常まともに見えるとしても、精神なかみは考えるを止めていく。

 熟す前に落ちた木の実が、無意味に中から腐っていくように。


 唯一ゆいいつの例外、俺を俺と直接規定できるヒトはこの世に伯父貴ただ一人ひとり

 俺の周りにいるヒトたちは、未音さんを含めて伯父貴の関係者とその関係者。

 消えた方が俺も世界もすっきりするのに、繋ぎ止められているかのよう


 その叔父貴も、あと何年かで死んだと同じになるらしい。



                 *



 のグラスを見ると、水が無い。

 飲んだ覚えはないから、乾ききるまで窓に寄りかかっていたのだろう。

 確かなのは今が夜と示す黒い大窓、そして相当な時間が経ったとわかる感覚。


「腹減った」


 ひとりでいるとあらゆる欲が薄くなり、食べずに済むならそれでいい。

 なのに思いもしなかった言葉がくちく。


「牛丼食いたい」


 あの国での記憶は霞んで消えつつあったのに、今になってあの飢餓感だけが蘇る。

 無気力無関心な俺には珍しい欲求だが、どうでもいい事に変わりは無い。

 事実、あの国では満たされずとも耐えられた。


 ……と無視するつもりを〝結局まだ食べてない〟と無視する思いが脳裏に浮かぶ。

 無意識でも基本的欲求は実体に影響するのか、腹まで盛大に鳴り出す始末。

 俺自身はどうでもいいが、誰かに聞かれて下手に心配されても面倒臭い。

 〝些細ささいな行動で解決できる〟なる選択肢まで頭の中にちらついてきた。





□scene:04 - マンション:玄関前ロータリー



 痛むほどに冷たい風に、思わずコートの襟を絞める。


「寒!」


 山間やまあいで育った記憶が蘇り、靴で足下を叩いて凍った感触を確認。

 スマホのアプリには雪のアイコン。


「降り出したら積もるな、これは」





□scene:05 - 街



 コンビニすら無い田舎から移り住んだ頃から無気力で、ひとりで外食は初体験。

 うちを出る前にネットで予習を済ませ、スマホのナビを頼りに歩く。


 しかし〝工事で迂回〟〝そもそもそこに道路は無い〟等、ナビの通りに進めない。

 うちと学校を往き来する他はどうでも良かった俺らしい有様は、正に因果応報。


 スマホの地図に別の店が現れ目的地を変更する事数回。

 〝諦める〟選択肢もあったと気付いたのは、それらしい看板が見えた時だった。





□scene:06 - 街:牛丼屋:入口の前



 冬の風に激しくはためくのぼりを横目に、牛丼屋の入りぐちへ。

 奇をてらった新商品には目もくれず、初心を貫き通す所存。


 だがドアに手を伸ばした瞬間、側面からSUVが窓を突き破りダイレクト入店。

 腹をテーブルに乗せタイヤは空転、フロントが厨房に突っ込む前向き駐車。

 吹き飛んだ椅子や天井がドアの内側で堆積、入店は物理的に不可能。


 俺が〝幸運の少年〟などではない事実が目の前に。


 中から聞こえる悲鳴によると、客はおらず店のヒトも無事らしい。

 クルマから降りないドライバーも、スマホにかじり付けるほどには元気。

 順位を争うゲームで誰かをののし台詞せりふから、事故原因は何となく想像がつく。


 程無くパトカーや救急車、スマホを構えた承認欲求の亡者も続々来襲。

 警察官が安全のため野次馬を遠ざけようとするも、一部の市民様は完全無視。

 スマホを片手に独り言をまくし立てる素人実況の合唱が、聞き苦しくて鬱陶しい。


 そして拍子抜けして漏れ出た言葉に、俺自身が呆れる。


「牛丼食いたい」


 地球の裏側から抱えていた欲望は、満たされる直前に挫かれても萎えなかった。

 だが、ここまでの道程みちのりで他の店への到達は困難と知っているから打つ手がない。

 いわゆる〝詰んだ〟状態で固まっていると、すぐ側でしわがれた男性おっさんの声。


「わかります! ここまで来て諦められません! っての!」


 声の方に向くと一目でタクシーそれとわかるクルマ、目線を下げると小柄な男性オッサン


「これぞ牛丼! って牛丼ってさ、無性に食いたくなる時があるんだよねー」


 地球半周分の距離をて求め続けていては、否定できない。


「今晩は事故やら工事やらでどっこ行くにも遠回り、そのせいか近場の目ぼしい店は材料切れでカレーしかやってなくて、あたしもあちこち回ってやーっとありつけると思ったらコレ、なんすよね。次の候補はちと遠いんすが……どうです? クルマならすぐですよ」

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