01-10:少女の事情・4

□scene:01 - 寂れた住宅地:荒れた家:リビング



 男が少女を蹴り転がす。

 腹に爪先つまさきが刺さり頭が潰れそうでも、少女は必死に気を失ったフリを続けた。


 男が穏やかにつぶやく。


「尽き果てましたか」


 テーブルに座っていた女も下りて少女に寄り、わらう。


「次におチビちゃんたちに会った時、変わり果ててたらどうなるかしらぁ?」

「〝自分も〟とねだりますよ。独りだけ綺麗なままでいたくはないでしょう」

「気に病むこたぁないのにねぇ。小娘コイツは汚れるだけじゃ済まないんだからさぁ」


 男が少女を蹴飛ばし背を向けると、女も後に続く。

 やがて玄関を開けて閉じる音、そして静寂。


 それでも少女は待った。

 怖れを刻み込まれた精神こころが、生存本能が静まるまで待って目を開く。


 ゆがんだ手足で二度転び、寄りかかる壁を血で汚しながら立つ。

 妹たちが縛られた椅子に歩み寄る……駆けられる脚ではないから。


 細いビニール紐が深く食い込む小さな手足に、思わず涙する少女。

 ほどけないと諦めハサミを探し手に取るが、ゆがんだ指にちからが入らない。

 それでも必死に、この機を逃せば全てが終わる思いを手に込めどうにか切った。


 崩れ落ちそうになる妹たちを支えながら、優しく声をかける。


「愛衣、愛彩……起きて」


 唯一頼れる存在だからか心から好きだからか、妹たちに姉の言葉は絶対。

 せめて夢の世界に浸れるよう、余程の事が無ければ声をかけない。

 だがしかし、今はその〝余程の事〟になりそうな時。


 愛衣が目を見開き、顔を上げた。


「うぁ! お、起きてたような寝てたような……お! おね、お姉? 大丈夫?」


 愛衣の後ろに隠れた愛彩が、涙ぐむ。


「ご、ごめんなさ……病院はダメなのに、それしか思い浮かばなくて……」


 愛彩も目覚めてすぐのはずなのに、ずっと起きていたかの如く覚醒済み。

 少女が並ぶ二人に小声で話す。


「大きな声出しちゃダメだよ……お姉ちゃんは大丈夫だから」


 いつ男女が帰って来ないとも限らず、油断はできない。

 愛衣が少女にすがり付く。


「ホントに? お姉、あんなに泣いてたよ?」


 愛彩が少女に抱き付く。


「お姉ちゃん、アイツらは?」


 少女は唇に指を当て、二人を抱き寄せささやく。


「聞いて……ここを出よ」


 背筋を伸び上がらせ、しかし姉に言われた通り声を抑えて驚く愛衣。


「ホントに?」


 愛彩が涙に塗れた顔を上げる。


「お姉ちゃんと一緒なら、どこでも行くぅ」


 大きくうなずく少女。


「このままだと離れ離れにされちゃう……だから」


 愛衣が少女に抱き付き、泣きながら首を振る。


「離れ離れはやぁ!」


 愛彩が少女の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。


「お姉ちゃんと一緒じゃなきゃやだぁ」


 少女が妹たちを優しく抱き締める。


「だから今は逃げよ……一緒に頑張って、いつかこの家を取り返そうね」


 そのささやきが涙に震えていたのは、それが果たせぬ夢と理解わかっているから。

 自らにいた嘘に欺されていれば、まだ精神こころが保つと考えて。





□scene:02 - 寂れた住宅地:荒れた家:子供部屋



 汚れて傷んだ小さなカバンに、慎重に選んだ品々を詰め込んでいく姉妹。

 妹たちは幼く、持てるカバンに詰め込める量は限られる。


 少女は、かさばる衣服が必要な真冬である事に気を病んでいた。

 どうせ逃げるならもっと早く決断していれば、と。


 その思いが無意識に自身を責め、妹たちよりも多く詰め込む。

 半ば以上壊れた体では、妹たちより厳しいとわかっていながら。





□scene:03 - 寂れた住宅地:荒れた夜道



 時計を持たない姉妹に正確な時間はわからないが、日が暮れて間もないはず。

 冬のは短く、厚い雲が空を覆い隠してもいた。

 家を出たときにはもう、暗く冷たい闇の中。


 白にあおの差し色が入ったマフラーに首を埋める愛衣が、空を見上げてはしゃぐ。


「お姉! 雪!」


 あおに白の差し色が入ったマフラーに首を埋める愛彩が、うっとりして踊り出す。


「やーん、きれー」


 ゆっくり歩く、ゆっくりしか歩けない少女の周りを駆け回る妹たち。

 探して追うほどだった小さな点は、すぐに無数の群となって姉妹を包む。


 少女に抱き付いた愛衣が聞く。


「どこに行くの?」

「病院でね、優しいお姉さんが地図を渡してくれたの。今日はそこに行こ」


 愛衣に並んで抱き付いた愛彩が微笑む。


「〝優しいお姉さん〟かぁ……お姉ちゃんと一緒だね」


 再び駆け出した妹たちに、優しく微笑む少女。

 だがその頭の中は、これからの不安で一杯だった。


 目的地は遠く、少女の壊れた脚が保つと考えるのは楽観的に過ぎる。

 妹たちはまだ幼く、体力が続くかどうかわからない。


 今までを思えば、誰かを頼ると男女の下へ連れ戻される。

 そうでなくとも、見つかれば〝夜道の小さな未成年〟は保護者の下へが常識。


 手持ちの現金は僅かだが、バスが唯一現実的。


(バス停に……最終に間に合わなくても、そこに明日の朝まで隠れて……)


 不意に双子が並んで止まる。


「「くしゅ」」


 停まってくれたから追いつけた姉が、並んで立つ妹たちの肩を抱く


「寒い? 大丈夫?」


 愛衣は火照ってあかい顔で満面の笑み。


「平気だよー♪」


 愛彩は目を閉じ、舞い散る雪と踊りながら微笑んでいる。


「わたしもへーきー♪」


 再び駆け出そうとする妹たちに、慌てて声をかける少女。


「滑りやすくなってるから気をつけてね! 転んじゃうよー」


 そう言いながら、姉の心はさらに暗く沈んでいた。

 雪降る夜は寒くて当然、くしゃみする幼子を案じはしても驚くには値しない。

 それを今になって思うのは、寒さそれを感じない身体からだになってしまっていたから。


(私はいい……もう駄目って私が一番知ってるもの……でも二人は……)



                 *



 闇に浮かぶ光の中から、穏やかでいて凜々しい声。


「凄いな愛里沙は。まだこんなに小さいのにあんなに足が速いなんて。将来は君のように強い女性ヒトになるんだろうな」


 亜麻色の髪は艶やかで、育ちの良さを思わせる。

 長身で痩身、整った口元や白く輝く歯から顔が見えなくとも美男とわかる。


 そして優しさの中に強さを思わせる声。


「あなたに似て背が高い方だから、みんなが振り向く美人さんにもね」


 一目見れば男女問わず二度見する、女性らしさ溢れる体型からだは美の化身が如く。

 長い黒髪にの光が透けて煌めき、見えない顔の美しさを際立たせている。


 洒落た装いで肩にバッグを下げ、手にはレジャーシート。

 男性のポケットには〝うんどうかい〟の文字が見える小冊子。


「あのヒトたちにも見せてやりたい。貴方あなたたちが棄てた子は、こんなにも可能性に満ちている、と」


 女性の表情かおが曇る。


「私は無理でも、あなたと愛里沙はお許し下さるのでは?」

「どちらが許し許される側なのか、いずれ時間ときが証明するさ」

「私を見つけてくださっただけで不相応な幸せでしたのに……ごめんなさい……」

「もう謝らないって約束したろ? ほら、愛里沙も泣きそうだよ?」


 涙を拭い、優しく笑う美しい女性。


「あらあら、それは大変。ごめんね愛里沙。お母さんは大丈夫よ」


 遠い空に向き、拳を握る男性。


「全ての非は私の両親おやにある。愛した女性ヒトを諦めない、理不尽を理不尽とはっきり言う我が儘息子に育てたのはあのヒトたちなのに。今だって愛里沙が君だけを見ているから心が痛いよ。君も愛里沙も、私だけを見て欲しいのに」

「そんなお父さんじゃ、愛里沙このコ恋人イイヒトができたらどうなってしまうのかしら」

「む……大人しくしていられる自信は無いが、私の親と同じてつは踏みたくないし、いい相手なら、まあ……でも酷い相手ヤツだったら? ああ! どんな相手でも駄目に見えるような気が……ま、まぁ、そんな先の事はその時考えればいいか」

「そんな事をいってる間に、すぐに大きくなってしまいますよ」


 光の中で罰が悪そうに笑う男性に、優しく微笑む女性。



                 *



 父と母がこの地に移り住んだのは、少女が生まれて間も無くと聞いた。

 それで親戚付き合いが皆無となれば、何があったのか大凡おおよその見当はつく。


 父がこの地に馴染もうと仕事を探しに出た先で会い、支えとなったのがあの男。

 見知らぬ地で知人のいない父と母には、良き友人、頼れる相談相手となった。

 恋人と紹介された女も、その頃は少女が羨むほどにお洒落な都会の女性。


 最初の転機は、父が仕事先から帰ってこなかった日。

 男の話では、危険とわかって父の方から乗り込んだ先でのトラブルらしい。

 〝そんなヒト〟とうなずいた母は、言われるままに〝解決金〟を出し続けた。


 結局父は戻らないまま、二度目の転機が訪れる。

 〝田舎育ちで丈夫が取り柄〟と胸を張っていた母が、見る間に衰弱。

 起き上がる事すらできなくなった。


 その頃にはもう、父が〝城が建つ〟と豪語していた財は消失。

 父の死を聞かされた少女は、病床の母に告げず全てを背負い込む。


 そして……



                 *



 徐々に遠離る光へ手を伸ばす少女。


 の中で幼い少女が眠そうに蹌踉よろけ、美しい女性が抱え上げる。

 その愛らしい寝顔に、凜々しい男性が優しく語りかける。


「愛里沙を待っているのは〝イイヒト〟ばかりじゃない。いろんなヒトと出会っていろんな事があって……涙が止まらない時もあるかもしれない。でも、寂しい夜は明るい明日の少し前。雨に濡れても綺麗な虹が癒してくれる。怖い嵐の後は澄んだ青い空が待っている。夜も雨も嵐も必ず終わる。だから、君がこの世界に生まれた幸運を知るその時まで……」


 幼い少女を抱く美しい女性が、優しく語りかける。


「辛く哀しい時はいつまでも続かないけれど、幸せは永遠。お母さんがお父さんと出会えたように、愛里沙にだってどこかに必ず……だから、その時まで……」


 二人は目を閉じ、寝息を立てる幼い少女に向けこうべを垂れる。


((このを……))


 少女が必死に追い縋り、思い切り駆けるほどに光は遙か彼方へ遠離る。

 何も見えなくなった瞬間、愛衣の叫びで目が開く。


「お姉!」





□scene:02 - 寂しい山の中:雪野原



 白く霞む暗闇に、愛衣の小さな顔が浮かぶ。


「お姉! しっかりして! 起きて!」

「愛……衣……」


 もやがかかったような頭の中で、現実を思う。


(バス停で、誰かが〝雪で今日は来ない〟って言って誰もいなくなって……どこか屋根のあるところで休もうと思って歩いたら、道路みちの先に何も無くて……)


 そこで、横たわる自分が埋まるほどに積もっていると気付いて愕然。

 急いで、必死に、痛みをこらえて立ち上がる。


 目の前に拡がるのは、遙か彼方で闇に消える雪に埋め尽くされた世界。


「いつの間に……こんなに積もって……」

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