01-08:少女の事情・3

□scene:01 - 病院:救急処置室



 うちであるはずがない柔らかいベッドに横たわっている……と少女は知った。

 恐る恐る開けたに映るのは、カーテンに囲まれた天井。


(ここ……どこ? 私……)


 カーテンの向こうでふるえる、若い女性の声。


「年齢のとこ間違ってますよね? どう見たってもっと……」


 答える年配の男性は淡々として事務的で、切羽詰まった女性とは対照的。


「君、このを見るの初めて? その年齢としで合ってるよ」



                *



 椅子に座りモニターに向く男性医師に、デスクにを叩き付けて迫る女性看護師。


「まさか……そんな! 外で寝てるらも随分小さいけど……これ虐待ですよね? 兄弟姉妹の中で一人ひとりだけってやり口パターンは初めてじゃないけどここまでのは……児相? 警察? あーもう! 可哀想過ぎて頭が回んない!」

「いいからどこにも連絡しないで。どうせどこも保護者へ引き渡すだけだし。何ならここにいる時間が少しでも長い方が、そののためなの」

「じゃ、じゃあ取り敢えず傷口を洗って……いえ、先にレントゲンエックスピー?」

「何もしないよ。何したって無駄だし、しない方がこののため。どうせ命に別状はないよ。見えないように大事おおごとにならないように、本当に巧くやるから。それに下手に手を出せば、難癖つけて責めてくるからね」

先生センセ!?」

「服着せたら妹さんたちのとこへ連れてってあげて。このにはそれが一番だから」

「〝何もしない〟? 〝無駄〟? 〝妹〟ってどっち? って! 身体中痣からだじゅうあざだらけで骨だって、内臓も……どうしてそんな非道い事が言えるんですか!?」

「世の中にはね、どう思ってもどうにもならない事があるの。できる事に限りもね。誰かのためにありたくてこの仕事を選んだのなら、理不尽に慣れなさい。関わってはいけないヒトに目を付けられると、救えたはずのヒトたちに手が届かなくなるから。クスリは出すよ。お金の話はボクへ回しなさい。できるのはそれぐらいだから」

「目の前にこんながいるのに、そんなのって!」



                *



 扉が乱暴に開け放たれる音、何かが壊れ砕ける音、誰かの悲鳴。

 感情の無い表情かおで天井を見たまま、少女の唇が震える。


(いつもの音……)


 そして穏やかで爽やかな男の声。


「やあ、ここにいましたか」



                *



 女は誰も入ってこないよう、扉に寄りかかっていた。

 男がゆっくりと医師に向かって歩み寄る。


「お久しぶりです。私たちには関わらないでください、と言ったはずですが?」

「何もしてませんしどこにも言ってません。そのを連れてお引き取りください」


 普通では無い者たちに普通では無い少女を渡す蛮行に、看護師がいきどおる。


「セ! 先生センセ!?」


 医師はただ項垂うなだれ、首を横に振るのみ。



                *



 カーテンが乱暴に開け放たれ、少女が構える間も無く腕が掴まれる。

 そのままベッドから引き摺り出され、床へ投げ落とされた。


「うぁ!」


 〝しつけ〟を怖れて立とうとするも、ゆがんだ手足では床をいつくばるのみ。

 その無様な姿を見て満ち足りているかのように、男の声は軽やか。


「いつまで転がっているのです。さっさと起きなさい」


 言葉の調子とは裏腹に、少女の髪を掴んで強引に引き上げ立たせる。

 肩が外れた痛みに、思わずうめく少女。


(ひぐぅ!)


 耳を裂くような悲鳴は、時に男を怒らせ時には悦ばせる。

 調子づかせないよう、いつしか無意識に抑えるようになっていた。


 無理矢理立たせた少女に、笑顔を寄せる男。


「勝手に転んでおいて救急車を呼ぶなんて、いいご身分ですね。うちに帰ったら貴女が何様なのか、しっかりと思い知らせてあげますから楽しみにしていなさい」


 看護師が怒鳴る。


「こんなの転んだ怪我じゃありません! あなたがやったんでしょ!?」


 少女に駆け寄らないのは、医師に肩を抑えられていたから。

 男が笑顔のまま目だけを鋭くし、看護師に向く。


「保護者の機嫌を損ねて、この娘をどんな目に遭わせたいのやら……いいでしょう。今夜は貴女あなたが私に意見した分も上乗せしてしつけましょう」


 戦慄し、恐怖した看護師が膝を震わせながら医師の肩を掴んで揺さぶる。


先生センセ! 警察を!」


 医師が看護師の手を掴み、下ろしながら首を横に振る。


「呼ぶと君が後悔する事になるんだよ。もうね、ボクらの領分じゃないの。医者とか警察とか、そういうんじゃないんだよ」


 扉に寄りかかったままの女がはしゃぐ。


「ソイツの言う通りさぁ。アタシらをにさせる気かぁい? そぉそぉ、家族がいんなら大事にしときなよぉ……できるうちにぃ、ねぇ♪」


 女に向いていた看護師の顔が、ゆっくりと医師に向く。


「まさか、奥様とお嬢さんの噂は……」


 医師は返事をする代わりに、一歩女の方へ踏み込み拳を握りしめる。


「もういいでしょう! どこにも知らせていませんしそのに何もしていません! これでいいんでしょう!? お願いですからお引き取りください!」


 その剣幕に気圧けおされ、看護師が狼狽うろたえながら声をかける。


「セ、先生センセ? 今帰したら……」


 その遣り取りを聞きながら、少女はわかっていた。

 ここを早く去らないと、看護師が精神こころを折られこの世を呪う目に遭うと。

 優しく誠実だった隣人や知人が、男女に睨まれヒトが変わってしまったように。


 痛いのは我慢できる。

 誰かが自分を想って不幸になるよりは、痛みに耐えて立つ方が余程楽。


「んしょ……帰ります」


 痣と傷だらけの身体からだで立ち上がった少女に、看護師が半歩踏み出す。


「待って!」

「ありがとうございます。お姉さんの気持ち、とっても嬉しかったです」

「だったら!」

「これ以上ここにいたら、お二人にご迷惑をおかけしますから」


 男が穏やかな表情かおで少女の髪を掴む。


「さ、帰りますよ」


 男は微笑んだままゆっくりと、しかし強引に少女の髪を引く。

 男が興に乗らないよう少女は必死に堪えるが、思わず呻きが漏れてしまう。


「くぅ! ぐっ……」


 乾いて痛んだ髪の毛が、ごっそり抜け落ち床に落ちていく。

 高笑いする女が立ち去ると、扉が閉まった。





□scene:02 - 病院:病院前



 少女を小突き、蹴り、追い立て歩く女がわらう。


「逃げんならさぁもっとちゃぁんと逃げなよぉ。詰まんない小娘ガキだねぇ」


 悠悠と歩く男が、首を横に振りながら嘆息。


「狩りを楽しめるかと心躍りましたのに、あっさり終わってしまい残念です」


 少女は追い立てられるまま、上がらない脚を引き摺って行く。

 足下の乾いた音に、落ち葉を踏んでいたと気付く。


(もう冬? でも寒くないし、暑くも……そうか、私はもうなんだ。だったら、痛いのも辛いのも感じなくなればいいのに……)


 愛衣と愛彩が、男女の後ろを恐る恐る着いてくる。

 涙の痕は、二人が救急車を呼んだから姉がしつけられると責められたから。


 男が少女の髪を掴んで引き寄せる。


「さて。余計な話はしていないでしょうね?」

「さ、さっき目が覚めたところです……何も……何も言ってま……せ……」


 女が大きな溜息をきながら、大袈裟に首と手を振る。


「さぁどうだかねぇ? この辺りはなんでしょ? まぁ、ちょっかい出してくるヤツなんかいたらぁ、それはそれで面白そうなんだけどさぁ」


 後ろから駆け寄る、淡いピンク色の影。


「待って!」


 それは両手一杯に、いくつかの袋を抱えた看護師。

 少女は何年ぶりかの他人ヒトに想われる暖かさに、胸を詰まらせていた。


 看護師は少女の前に回り込み、膝を着く。

 停めたのは自分であって、少女を責めるなと言わんばかりに男女を睨みつつ。


「これが塗る痛み止めでこっちが飲むヤツ。このメモの通りにね? これは食べ物。病院のコンビニにはこんなのしか無かったけど、カロリー多めのを選んで、えーと、とにかく食べて!」


 ちらりと見せたメモの裏に、手書きの地図や電話番号。


「もしも……もしもよ? あなたが誰かを頼りたくなったら……例えば周りに大人がいなくなるとかさ? そうなったら私のとこへ来て」


 ここでの地図は、〝ここへ逃げて〟とのメッセージに他ならない。

 だが少女の心は暗かった。


(どこへ逃げても連れ戻されて、お姉さんやそこにいるヒトやいえのヒトが非道い目に遭って、私なんか助けなきゃよかったって目で睨まれるだけ)


 ただ自分を見てくれているヒトがいる……少女はそれだけで嬉しかった。

 それ以上を望んで絶望するより、今の暖かさを大事にしたかった。


 男が口元に笑みを浮かべたまま、鋭い目で看護師を睨む。


「面白い事を言いますね。哀れな医師の忠告を聞いていなかったのですか?」

「万が一を考えてです。あなたたちだって病院ここを頼る事があるかもしれないんだし、無茶は程程にしておいた方がいいと思うんですけど。ヒトは感情の生き物ですし」


 女が高笑い。


「アハ! ハハ!! アタシらにぃ〝万が一〟ねぇ。そうねぇ……ククッ……確かにそんな目に遭ったらヤバいもんねぇ、アッハハッヒヒッ!」


 男も堪えきれない風にわらう。


「クッ、そうですね……クククッ……それは問題ですね」


 看護師が両の拳を握りしめていきどおる。


「そうやって自分をかえりみないヒトほど、取り返しのつかない事になるんですよ!」


 わらいすぎてこぼれた涙を拭いつつ、男が歩き始める。


「はいはいお世話様です。ほら、行きますよ」


 男の手が届かない距離を保つため、少女が看護師を振り返りながら先へ行く。


「ありがとうございました……お気持ち、ホントに嬉しかったです……さよなら」

「ちょっと! そんな言い方しないで! ね!」


 看護師は自分自身に怒り、いきどおり、泣いた。

 有り得ない、たちの悪い冗談ジョークと医師の噂話を笑い飛ばしていた自分に。

 ヒトを救いたくて就いた職なのに、救いが必要な少女に何もできない自分に。





□scene:03 - 寂れた住宅地:荒れた家



 その叫びは、ヒトのそれには聞こえなかった。

 けだものの断末魔か、この世ならざる者の慟哭どうこくか。





□scene:04 - 寂れた住宅地:荒れた家:子供部屋:屋根裏



 子供部屋のクローゼットから上がれる、天井と屋根の間にある暗闇。

 断熱材をえぐってつくった窪みで、耳を塞ぎうずくまる双子。


 双子は、この家を乗っ取った大人たちを怖れてはいない。

 無傷で済んでいるからより、姉を虐める大人たちへの怒りが勝っているから。


 だから今は哀しく辛く、泣きじゃくるしかなかった。

 男に言われた〝救急車など呼ぶから〟の言葉が、双子の心をさいなんでいた。


 不意にクローゼットと隔てる蓋が開き、女が気味の悪い顔を出す。


「ぜぇんぶアンタたちのせいさぁ♪」


 おののき目を見開く愛衣。


「ひぃい!!」


 愛衣の影に隠れ、目を閉じ泣く愛彩。


「や……だ……」


 女が舌なめずりしてわらう。


「アンタたちが余計な事をしたのはぁ、小娘ガキの教育が成ってなかったからってんでぇお仕置きされちゃってんのにぃ、隠れてないでぇちゃんと見てやんなよぉ♪」





□scene:05 - 寂れた住宅地:荒れた家:リビング



 玩具の人形を投げ捨てたかのように、ヒトならぬカタチで横たわる少女。

 自らが撒き散らしたあらゆる体液にまみれ、目を開いたまま朦朧もうろうとしていた。


 それは〝欲しいのならいくらでも〟と男に飲まされた薬の効果。

 ヒトの限界を超えて鋭敏になり、気を失った瞬間に苦痛で覚めるを繰り返す。


 狂気に落ちて楽にと願えど、男が正気の限界に抑えたため苦痛は極限。

 妹たちが怯えないよう悲鳴を呑み慣れている少女が、けだものの如くなるほどに。


 そのかたわらで椅子に縛られ、目を開けたまま気を失った妹たち。

 目の前で姉を責めれば妹たちはそれ以上に苦しむと、男女は知っていた。

 目を逸らせば姉が今より泣き叫ぶとささやかれ、共に叫び泣き喚き……力尽きた。


 玄関から戻った男に、一人ひとり酒をあおっていた女が声をかける。


「何だったのさぁ?」

「連中からの使いです。双子の引取先が見つかったそうです」

「おやおやぁ? ちゃんとチビちゃんたちのヤバさは伝えたのかい?」

「あの種を飼い慣らしたい一心で安全に扱う方法を確立した者たちだそうです。この私が感心するほどの話まで。に浅ましきはヒトの欲、と言ったところでしょうか」

「あぁんな厄介なのと遊ぼうってんだからぁ、並の変態共じゃないって事かい。おぉ怖い怖い♪」

「いつまでも手許に置いては危険、それでいてわかる者にはわかる極めて高い価値。惜しくて処分せずにいましたが、待った甲斐はあったようです。取引正立後、すぐにでも味見をしたいとの申し出を受け入れましたから、お手並み拝見といきましょう。あの種を求める者たちがどのようにしてなぶるのか、私も興味があります。たのしませてくれるといいですね」

「それを見て小娘ガキがどうなるかぁ……チビちゃんたちのために頑張ってたのにねぇ」

「双子の相手は私たちではありません。約束は破っていませんよ」

「ホントにアンタってヤツぁ……楽しみだねぇ♪ 引き渡しはいつなんだい?」

「早ければ明後日みょうごにち。遅くとも来週には」

「仲良し姉妹の汚い泣き顔を並べてわらえんのはぁ、それまでかい」

「仮に再び出会う機会があっても、そうとわかるカタチはしていないでしょう。ここ数日が姉よ妹よと呼び合える最後の日々。せめて並べてしつけてあげましょう」


 クスリで意識がよどむ少女は、聞いたと知られないよう壊れた人形のままでいた。


(逃げ……なきゃ……このまま……だと……愛衣と……愛彩が……)

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