ほしのおひめさま

FAZE

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□scene:01 - 街:タクシー



 ガラスに映る、冴えない野郎の冴えない顔。


「積もってきたな」


 深夜の郊外を行く、一台いちだいのタクシー。

 車窓まどから見える風景が、見る間に白く塗り潰されていく。


 例年いつもなら先月には済ませていた、遅い初雪。

 重苦しさでお茶を濁していた厚い雲が、やっと今が冬だと自覚したらしい。


 ラジオが歴史的な大雪に注意をうながす中、運転席から明るくも上擦うわずった声。


「も、もうすぐ着きますんで、それまでぐらいならだ、大丈夫ですよ」


 呑気な台詞せりふとは裏腹に、明らかに焦っている。


 積雪らしい積雪が十数年ぶりなら、タイヤの備えが無いのも無理は無い。

 焦りつつも客を降ろそうとはせず、安全よりも売り上げ重視なのも。


 とは言え事故られては面倒臭い。

 呑気な空気で落ち着けるなら、付き合っておく。


「大丈夫ですよ、俺が乗ってれば。よく〝運が良い〟って言われますから」

「へ、へー。そりゃ心強い。まー、とにかく安全運転でいきますよ」


 張り詰めかけていた空気が、いくらか和らいだ気がする。

 雪の中で気を抜かれては不味いから、この程度が良いのかもしれない。


 そして自らの言葉に居たたまれず、何も見たくなくて窓に向く。


(〝運が良い〟……か)


 積雪が珍しい地で、一面の雪景色を目にできたのはなのかもしれない。


(なワケないか)


 思い直して首を振る。

 深夜にオッサンと初雪鑑賞、どころではない今のどこが幸運なのか。

 そもそもほんとうに強運だったなら、今この時ここにいるはずがないのだから。





□scene:02 - 寂しい山の中:雪野原



 雪に膝を着く幼い少女が、横たわる小さな少女を揺り動かす。


「お姉! しっかりして! 起きて!」

…………」


 朦朧もうろうとしていた〝姉〟のに光が宿り、やがて驚愕。

 はやる表情とは裏腹に、ゆっくりと身体からだを起こして立ち上がる。


「いつの間に……こんなに積もって……」


 目の前に遙か遠くまで広がる雪野原、振り返ると高く聳える雪の急斜面。

 数m上に、ここへ転げ落ちるまで歩いていた幹線道路の灯り。


 幼い少女は帽子に手袋もしているが、小さな少女はコートだけ。

 素手で雪に手を着きゆっくりと立ち上がった姉に、泣き顔の妹がすがり付く。


愛彩あやちゃんがおかしいの!」


 そう言って振り返った向こうに、彼女と瓜二つの幼い少女。

 姉にすがる幼女は髪を後ろで纏め、もう一人ひとりは腰まで届く。


 その〝もう一人〟が、ゆらゆらと揺らぎながらうめく。


「お姉……ちゃん……暑い……よ……暑くて……苦し……」


 帽子を、手袋も脱いでコートのボタンを外し、前を開けようとしていた。

 姉が慌てて駆け寄り、彼女の手を掴んで止める。


「愛彩! この手、こんなに冷たくなって……これって……」


 体温が下がり続けると、寧ろ自分以外が熱くなっていくと錯覚する場合がある。

 体調や精神状態によっては、衣服を脱いでしまう〝矛盾脱衣〟に及ぶまでに。


 姉が妹の服を直しながら、努めて優しく語りかける。


「暑くても絶対に脱いじゃ駄目だよ」


 朦朧もうろうとしている妹の手を上着に収め、元気な方の妹に向く。


「愛衣、愛彩をぎゅっとして待っててね」


 涙ぐんだままうなずく元気な方の妹。


「うん……」


 難しい呼び名を知らずとも、朦朧もうろうとしている方がいつもの彼女でないのは確か。

 唯一頼れる姉の言う通りにする意外、どうしようもなかった。





□scene:03 - 寂しい山の中:バイパス道路



 道路までい上がった姉は、遠く雪に霞む光を目指す。

 重く冷たく深い雪が、ただ歩くさえ苦痛の彼女を苦しめる。


 辿り着いたのは、気を失う前に雪をしのごうと目指していたパーキングエリア。

 だが風雪から身を隠せる施設は無く、代わりに春まで工事中の立て看板。

 努めて現実から目を逸らし、半ば雪に埋もれた自動販売機の前に立つ。


 破れほつれたコートのポケットに手を入れて、出す

 ゆがんだ掌に乗るのは、僅かな僅かなお金。


「考えちゃダメ……とにかく今を生きなきゃ……あのらだけでも……」





□scene:04 - 街:タクシー



 いきなりの降雪と積雪は相応の事故を誘発し、そこかしこで道路が寸断。

 凍結して危険となった橋も、次々と通行禁止。

 何度もルート変更を余儀なくされていた。


 警察官にうながされて後退バックしながら、運転席から恐縮する声。


「す、すいませんねぇ、まーた遠回りになっちまって」

「仕方無いですよ」

「店はもうちょい、もうちょっと先なんで、もうちょいお待ちを」


 寝付けない深夜に〝牛丼食べたい〟と思い立ったのは、凡そ二時間前。

 店に着いて入る直前、目の前で暴走車が突っ込み臨時休業。

 その場で〝別の店に行かないか?〟と誘われ、今に至る。


 〝高校生の分際で牛丼にタクシー?〟とは思う。

 そもそも〝特定の何かを求める行為〟自体が俺らしくない。

 食事など呼吸と同様、惰性で続けているだけで普段いつもは限りなく適当。

 タクシーに乗ったのも惰性の続きを提案された結果、何も考えていないに近い。


 沈黙を無言の抗議とでも解釈したのか、運転席から間を置かず話しかけてくる。


「こんな遠くまで来ちまいましたけど、お客さんの運も雪で調子悪いんすかね」

「まだ道中ですから。無事にこんな遠くまで来れたとも言えますし」

「あたしも閉店覚悟の寒い夜中に長距離コレですから、あやからせて貰ってましたね」


 生命に関わる大事や、能動的な行動では時間を置いて発動する場合もある。

 そして、それがいつも正しい行程ルートとなっていた。


 今も〝ラーメン食いたい〟なる目的に基づいた行動の最中。

 も後で振り返れば、〝で良かった〟となるのだろう。


(だから、何だってんだか)


 窓に映る冴えない顔を見て、嘆息。

 運の善し悪しなど、結果を並べたら〝も言える〟だけの後付け設定。

 別の角度から哀れに見えれば、〝運が良かった〟は慰めの言葉に成り下がる。


(何かもう、全部どうでも良い……眠い……)





□scene:05 - 寂しい山の中:雪野原



 姉が持ち帰ったココアの缶を見て、元気な方の妹が飛びつく。


「うわぁ、あったかーい」


 喜びの笑顔に微笑み返す姉……だが、心中は暗い。

 自販機から取り出した時は素手で持てなかった缶が、今はただ温かい。

 そんな怖れを顔に出さないよう務め、朦朧もうろうとしている妹の手を缶に添える。


「愛彩、これ飲んで」


 だが朦朧もうろうとしている妹は、缶と手を見つめるのみ。


「お姉ちゃん……指が……動かないよ……」


 虚ろなに涙が浮かぶ。

 温かいココアを飲めないより、姉の想いに応えられない無力さが哀しかった。


 姉が缶を持ち直し、優しく微笑む。


「ちょっと待ってね、今開けるから」


 缶に添えた手にちからを込め、そのまま歯を食いしばる。

 そして呑み込まれた呻きと軽い音。


(うっ!)


 それは、元よりゆがんでいた指があらぬ方へと曲がった音。

 まだ元気な妹が、辛さを隠しきれない姉を案じて寄り添う。


「お姉ちゃん? どうしたの?」


 姉が折れた指を、見えないようにコートの袖に隠す。


「だ、大丈夫だよ、ちょっと失敗しちゃった……愛衣、開けてくれる?」


 姉が片手で差し出した缶を、元気よく両手で受け取る妹。


「うん!」


 その手に積もる雪を見て、戦慄する姉。


愛衣あい、寒くない?」

「大丈夫、ちょっと暑い? くらい……だよ……」

「駄目! それは……」

「へーきー……だよー……」


 元気方の妹が、蹌踉よろけながら後退り。

 ゆっくりと膝を着き、腰を落とし、横たわるように倒れ……全身が雪に沈んだ。


 家を出た時はまだ降っていなかったと思い出し、愕然とする姉。


(もうこんなに積もって……私たち、雪の中に何時間いたんだろう……)


 思わず駆け寄ろうとするも、一歩踏み出し蹌踉よろけて崩れる。

 ゆがんだ両腕と砕けた指を見て、落ち窪んだから涙がこぼれ落ちる。

 その手で自分とそう変わらない妹を抱え上げるなど、できるはずがなかった。


 元気だった妹が、雪をみながら虚ろに話す。


「愛彩ちゃん……ダメだよ、こんなトコで寝ちゃ……お姉ちゃん困ってるよ……」


 返事をしない方の顔には、雪が溶けずに積もりゆく。

 腰を落としたまま、ただ呆然と二人を見る姉。


(私じゃ二人を負ぶってあげられない。誰か呼ばなきゃ……誰を? どこで?)


 蹌踉よろけながら立ち上がり、再び遙か頭上の灯りを見上げる。


 斜面に倒れ込み、細い腕を伸ばし、小さな手で雪を掴む。

 捻れた手脚で必死に雪を掻き分け、無様に藻掻もがいて斜面をい上がる。

 だが手が、脚が、肺が、心臓が言う事を聞かず、何度も引き摺り下ろされる。

 死なない程度に壊された身体からだが恨めしく、溢れ出る涙を止められなかった。





□scene:06 - 寂しい山の中:バイパス道路



 道路までい上がった姉は、ただ呆然と立ちすくむ。


「近くの灯りしか見えない……雪で……何も……」


 降りしきる大粒の雪が灯りに照らされ壁となり、その向こうは何も見えない。

 足下の深い雪はどこまでも滑らかで、ずっと往来が無いと示している。


|で待ってても誰も来ない? 町まで戻って救急車……、どこ?)


 今を離れたら、この雪が全てを覆い隠してしまう。

 例え戻れたとしても、妹たちがそれまで保つはずがない。


「も……駄目……なの……かな……」


 どんな目に遭っても決してくちにしなかった言葉が、不意に漏れ出た。

 ずっとわかっていた、でもわかりたくなかった現実、諦め、終わり……死。


「私が〝逃げよう〟って言い出さなかったら……二人は生きてられたのに……」


 溢れ出る涙は瞬く間に冷たくなり、姉から体温を奪っていく。

 妹たちの下へ戻ろうと振り返った瞬間とき、膝が崩れて転げ落ちた。





□scene:07 - 寂しい山の中:雪野原



 姉はゆっくりと……そうしかできない手と足で立ち上がり、二人を捜す。


(私の……私のせい……二人だけでも守りたかったのに……)


 二人のかたわらに辿り着いた姉の後ろに、薄く朱い滴の痕。

 落ちた時に怪我をしたのか、以前からある無数の傷が開いたのか。


 元気だった方を抱き寄せ暖めようとしたが、ゆがんだ腕では叶わない。

 顔を寄せ、優しくささやくしかできなかった。


「ごめんね……愛衣、愛彩……お姉ちゃんのせいでこんな……」


 返事をしない方も抱き締めたくとも、折れた指が傷み巧く動かない。

 せめての思いで、凍った頬に額を当てる。


「一緒に行こ……お父さんと、お母さんのとこへ……」


 その顔に積もった雪は固く、姉の冷たい指だけでは溶かせない。

 何もできない、何もしてやれない現実に精神こころまで凍えていく。


(もう……私には何もできない……何もしてあげられない……)


 せめて手を繋いでいたくて二人の手を取ろうとしたが、届かなかった。

 その身を見下ろすと、溢れ出る涙がこぼれ落ちていく。


(ちっとも大きくならないの、気にならなかったわけじゃないけど……今は……)


 全てを諦め終わろうとした時、視界の隅が揺らめいた。

 雪の壁が揺らぎ、その向こうに光が見えたような気がした。


(カミ……サマ……)





□scene:08 - 寂しい山の中:バイパス道路:タクシー



 気が付くと、僅かに浮き上がった背中が座席に叩き付けられる瞬間。


っ……」


 後頭部よりも額が痛むのは、助手席の背もたれにぶつけたから。

 視界と頭がぼやけたままでも、タクシーが急停車したのはわかった。

 熱いほどに暖房が効いているのに冷たい風は、窓が開いているからだとも。


 運転席の窓から顔を出し、誰かに怒鳴る声。


「何やってんだ! 危ねーだろうが!!」


 緩い揺れと強い暖房で微睡んでいた頭が、吹き込む冷気で覚めていく。

 〝誰か〟のか細い声を耳が拾い始めた。


「お願……で……助……て……」

「あー……こっちゃ急いでんだ。他を当たってくれ」


 後退バックして避けようとするも、アクセルに駆動輪フロントタイヤが反応していない。

 忌々しげにハンドルを叩く音に、胸の奥がざわつく。


「まったかよ。会社命令がなきゃ自動ブレーキなんて切っちまうのに」


 メーターパネルに赤い明滅。

 安全システムのエラーで、自動ブレーキが作動してしまうらしい。

 前進ならできるはずだが、前にいる〝誰か〟を押し退けるわけにもいかない。


 普遍的ありきたりな機能がこの程度の雪で誤動作とは考え難く、整備不良のたぐいだろう。

 使う側に難があるのは、乗車前に見たタイヤのスリップサインが証明している。


 〝誰か〟の声が小さく弱々しいからか、自然と意識が集中する。


「あっちに……妹……が……」


 そのか細い声を、運転席からの怒声がさえぎる。


「〝他を当たれ〟っつってっだろ。厄介事は御免なんだよ。早く退けって!」


 集中していたところへ大声だからか何なのか、何となく不快感。

 無意識に〝誰か〟の肩を持つ考えがくちく。


「この雪の中でそれって、何か事情があるんじゃ?」


 道中眠っていた上に四方を降りしきる雪に覆われ、ここがどこなのかわからない。

 わかるのは、ヒトもクルマも街の灯りも何も見えない事ぐらい。


 不機嫌な表情かおが振り返り、迫る。


「いやいやいやいやお客さぁん。あんなのは関わっちゃ負け。あそこまでひでぇのは親かそんなのがヤベぇって証拠でさぁ。下手に情け掛けたら御鉢おはちが回って来ちまう。面倒事が増えるだけで、良い事なんかなんにもないんです」


 情けを掛けて失敗した過去があるのか、情けを掛けない主義なのか。


 後席からフロントガラス越しだと、降りしきる雪で〝誰か〟は見えない。

 だからか〝助けを求める助けが必要な姿〟を嫌悪する理由に実感が無い。


 〝誰か〟には車内の遣り取りが聞こえないのか、ただただ懇願し続けていた。


「お願い……妹たちを……助けて……病院に……何でもします……から……」


 いらつく表情かおが再び前を向き、小さな願いをさえぎる。


退け! つってっだろ! 〝何でもする〟ったってな、お前みてぇなっこいのはいろいろやべぇんだよ!」

「助け……お願い……妹……」


 雪の向こうに揺らぐ影は小さく、相応の年齢としを思わせる声。

 強盗に豹変するとは思えず、仲間が主戦力なら停まった時に襲われていたはず。


 それを〝勝てる相手〟と判断したのか、シートベルトを外す音。

 人目が無いここで無理矢理押し退けるなり何なりしても、目撃者は俺のみ。

 実感の無い行いに賛同する気は無く、乗せて先へ進めるならその方が合理的。


 運転席に声を駆ける。


「そのと〝妹〟を乗せて病院に行ってください。その分も払いますから」


 言ってから言いようのない違和感が全身を駆け巡り、一瞬自分を見失った気分。

 何にも誰にも無関心な俺が〝ヒト助け〟など、らしくないにもほどがある。

 足止めされる面倒臭さを嫌っただけなら、いつも通りとも言えるが。


 出鼻を挫かれたのがしゃくに障ったか、いきり立つ顔が俺に向く。


「シートのクリーニング代も出してくださるんですかい? ってか、んな汚いのでもいいんで? あのねぇお客さぁん、悪いこたぁ言いませんから、めときなさいって。〝行くとこない〟ってんで優しくしてやろうとしたら、怖いお兄さんたちや阿婆擦あばずれ集団が出てきて尻の毛まで毟られんのがオチですぜ! 一度や二度なら有り金全部と定期の解約で見逃して貰えても、次やったら嫁の実家や会社まで取り立てに行くって言われてんですよ! ただイイコトしようとしただけなのに!!」


 散見される、俺の知らない世界の単語ワード

 よこしまな期待に相応の報いを受け、それでも挑み続けた精神力には呆れるしかない。


 不意に思案顔になり、そのまま一時停止。

 そして、いやらしくも麗しくない笑顔が迫る。

 切り替えの速さに、不屈の挑戦者魂チャレンジングスピリットが見て取れる。


「あぁん、なるほどぉ……が趣味で、遊び相手を捜してこんな夜中にね……よろしい! これも何かの縁。もカミサマを待ってたような気がする穴場にご案内して知り合いに聞いてみやしょう。記録を残すと後々あとあとヤバいですから直接ね。よほどの上客じゃなきゃここまでしないんすがね、お乗せしたに住んでて、たかがラーメン食うのにタクシー、でもってこの金額メーターに涼しい表情かお。んなおヒトなら間違いない。紹介料ははずんでいただきますぜぇ。今後ともご贔屓ひいきに……ウヒヒ♪」


 俺も同じ側にいるかの物言いは、気分のいいものではない。

 誰かに見られ、このクルマに乗っているからと同類に思われるのも。

 一切関わりたく無い思いが、スマホやカードではなく現金を手に取らせた。


「降ります」





□scene:09 - 寂しい山の中:バイパス道路



 精算を終え無遠慮に開いたドアから降りると、閉まるのを待たずクルマは後退バック

 システムのエラーは、俺が降りて重量配分が変わり直ったのかもしれない。

 やがて伸ばした手の先すらかすむ雪の向こうへ、派手に蛇行しつつ消えた。


「この雪に溝の無いタイヤで〝運が良い〟俺を降ろして、あのスピード」


 シートベルトを外したままだった大人げない大人に一瞥いちべつ、あのに駆け寄る。

 擦り切れたコートも雪が積もるままの髪も素手も、何もかもが緊急事態。


 その背は余りに低く、夜中に出歩いて良い年齢としには見えない。

 同年代の中でも高い方の俺とは差がありすぎ、雪に膝を着いて目線を合わせる。


「〝助けて〟って言ってたろ? 何があったんだ?」

「妹を……二人を……病院へ……」


 車道で〝病院へ〟となると、まず考えられるのは事故。

 放置されていたのだから、轢き逃げに遭ったのかもしれない。


 辺りを見渡す……が、誰もいない。

 このの足跡も降りしきる雪に埋もれ、どこから来たのかすらわからない。


 再び彼女に向く。


「その〝妹〟ってのはどこにいる?」


 落ち窪んだ瞳は虚ろで、俺に焦点が合っているようには見えない。

 声が届いていると考えるのも楽観的に過ぎる。


 ならどうすれば?


 蹌踉よろける彼女を支えるべきとは思うが、どこを支えればいいのわからない。

 小さく細く、傷だらけの彼女はずっと他人ヒトに無関心だった俺には繊細すぎた。

 そして〝俺なんかが触れていい?〟〝嫌がられたら?〟と混乱して思考が停止。


 何をしていいのかわからない無知な自分が腹立たしい。

 何かすべきなのに何もできないもどかしさで、身体からだの芯が熱くなる。

 前はいつだったか思い出せないほどに懐かしいその感覚に、全身が震え出す。


 彼女はふらふらと両手を掲げ、虚ろなが半歩、また半歩と俺に近づく。

 いや〝俺に〟ではなく、目の前にいるすgaれる〝誰か〟に。


「妹を……私の持ってる物……お金……全部……」

「そんなの気にしなくていいから」

「足りなかったら……さっきのヒト……言ってた……私を……貰って……」

「おい? 子供が何て事言いやがる!」


 彼女は糸の切れた操り人形のように手を垂らし、膝を着く。

 自然と天を仰いだ顔がやがて下を向き、そのまま……


「カミ……サ……マ……」

「な!?」


 叫ぶより先に身体からだが動いていた。

 無数の〝何もしない〟理由に〝何かしたい〟思いが勝った自分が誇らしい。


 そして俺の常識とかけ離れた現実に、思わず叫ぶ。


「軽っ!!」

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