01:死ねない少女と死なない少年

01-01:少年の事情・1

□scene:01 - 地下牢



 頭痛と吐き気が耐えられる程度に収まるよう、慎重に重いまぶたを開く。


 先ず目に入ったのは、縦に長い天井。

 そして知ったのは、その下でベッドに横たわっている事。


 部屋は足の方へ細長く、床も壁も天井も白い。

 色や汚れがあるのは俺だけ、視界は〝清潔〟より〝無味乾燥〟。

 全面が平坦な石か固い樹脂のようで、面白みはないが不快でもない。


 天井全体が明るく、小さく強い光源で照らされるような眩しさはない。

 奥に扉らしき凹凸モールドがあるが窓は無く、開口部は空調らしきスリットのみ。


 ベッド以外に何も無く、出るすべが見当たらない空間に思った言葉が漏れる。


「牢屋?」


 映画やドラマで見たとは趣をことにするが、外部と遮断する場には違い無い。


 右の壁に寄りかかって上半身を起こす。

 頭に上っていた血が下がったのか頭痛が、吐き気も退いていく。


 吐けそうなほどに朝食が残っているから、日が暮れるほどに遅くはないはず。

 だが、わかるのはそれぐらい。


「何で俺、こんなとこで寝てんだろ?」


 返事を期待しないつぶやきに、左から落ち着いた声。


「気がついたか、少年」

「あんたは……っ!」


 俺自身の声が頭に響き、思わず目を閉じる。


 ベッドは二台。

 もう片方に座って俺に向くのは、日本人離れした大柄な大人の男性ヒト

 その偉容と表面積の広さは、幼い頃に見上げたブルドーザーを思わせる。


(ってか、日本人じゃない?)


 頭痛が和らぎ開いた目に見えたのは白に近い金髪とあおい瞳、そして褐色の肌。

 豪胆な見た目らしい太い声だが、穏やかで柔らかく威圧感は無い

 俺が落ち着くまで待ってくちを開く余裕に、品の良さも窺える。


「怪我はしていないようだが、無理に動かない方がいい」

「ここは……」

「テロリストの拠点、その地下牢だろう」

「テロ? って……俺、確か……」


 海の向こうで、唯一の親族である叔父貴が消息を絶った。


 手がかりになりそうな品の確認を求められ日本をったのは、二週間前。

 国交の無い遠い遠い国は、物理的はもちろん政治的な距離も面倒臭い。

 思想的に近い国を遠回りしてでも経由する、ただただ移動の日々。


 いよいよ入国直前となった隣国で迎えてくれたのがこの男性ヒト、カイル大佐。

 情報皆無の異国に言葉が通じるヒトがいて、安堵した覚えがある。


 その大佐が、申し訳なさそうに頭を下げる。

 何にも無関心で今も恐らく無表情なのを、不愉快と誤解されたのかもしれない。


「私が着いていながら、こんな……ガスで眠らされたようだ。気付いた時にはもう、他の者たちはマスクをしていた」

「この頭痛と吐き気の原因は、ガスそれか」

「万全を期していたつもりが、まさか近衛までむしばまれていたとは……」

「綺麗な女性ヒトたちが近衛それで、パイロットとか俺の世話役って紹介されたような?」


 大佐がうなずく。

 将は王族と定まる国軍に於ける事実上のトップ、端的に言えば凄いヒト。

 なのに異国から来た高校生の案内兼護衛役で、こんなにも礼儀正しく腰が低い。


 その理由は俺にとって唯一の親族たる叔父貴の仕事と、この国の情勢にある。


 この国は地政学的事情から、長年鎖国状態にあった。

 そのため社会基盤インフラが旧時代のままなら、豊富な天然資源も手付かずのまま。


 それが昨今の世界情勢をかんがみ、開国を目指し始めて一変。

 社会の裏表で暗躍する商社間で激しくもおぞましい営業合戦が展開。

 それに勝利したと言っていい状況まで至ったのが、叔父貴であり勤める会社。


 しかし情勢は未だ流動的。

 有力貴族を抱き込み、一発逆転を狙う危ない勢力もいるらしい。


 そんな中で、中心人物キーパーソンがいきなり行方不明。

 近代化が遅れる上に日本と、その友好国との関係悪化も懸念。

 悲願成就を目前まえに機を逃したくない王室は、できる限りを惜しみはしない。


 ……と、この国に入る手続きをしてくれた日本のお役人から説明された。

 他国の政府関係者は隣国そこまでと、俺の身柄が大佐に引き継がれて今に至る。


 それはそれとして、〝凄いヒト〟に頭を下げられたままでは居心地が悪い。

 努めて気にしていない表情かおをつくり、声をかける。


「気にしないでください」


 大佐が頭を上げ、太い腕を振り上げ迫る。


「いや、しかし」

「自力じゃどうしようもない、ってのには慣れてますし」

「〝慣れ〟? 確かに落ち着いてはいるようだが……」

「今まで運良く何とかなってきたし、これからもそうなるような気がするんです」

「〝運〟……軍人としては、祈る前にできる限りの事はしておきたいところだが」

「お願いして叶うんじゃなくて、いつの間にかそうなってる? のような?」

「前向きでいてこそ手が届く好機もあろう。諦めずにその時を待つべきか」

「いや、そんな気の持ち様じゃなくて、もっとこう単純な話で……」


 立ち上がり扉と思しき方へと歩くと、背後から大佐の声。


「扉があるならだろうが、ビクともしないどころか髪が入る隙間すら……」


 その台詞せりふが終わる前に、それらしい凹凸モールドの周囲で重い機械の駆動音。

 そして自動的にスライドして開く。


 大佐に振り返って一言。


「ほら」

「このタイミングで故障? 罠……脱走させて処刑する口実に……いや、殺す気なら休ませずに拷問にかけ、情報を得た方が……」

「俺たちに用があって生け捕りにしたんなら、ここにいたって逃げて捕まったって、結果は同じ。考える時間に意味はありませんよね」





□scene:02 - 地下通路



 そろり、ゆっくりと歩く。

 柱や梁が見当たらない、四角いパイプの中のように滑らかな通路。

 全面が平坦な空間に影は無く、辛うじて身を隠せるのは曲がり角のみ。


 本来は複雑な構造のようだが、元いた部屋の他は隔壁や扉が閉じたまま。

 事実上の一本道を、ただ前方まえへ進むのみ。


 幸いにも見張りはおらず、床や壁にはカメラやセンサーのたぐいも見当たらない。

 実際、警報音も聞こえず誰かが駆け付ける気配も無かった。


 俺の盾となるよう前方まえを行く大佐が、振り返らずにつぶやく。


「ここまで不用心だと、やはり罠を疑いたくなる」

「出口で待ち構えて〝残念でしたー♪〟って? 今なら簡単に捕まえられるのに? 普通なら〝見張ってるから下手に動くな〟って効果を期待して見えるように仕掛ける監視カメラを、大佐でも見つけられないほど巧妙に隠して? 笑いを取るためだけにそこまでするかなぁ。単純なミスじゃ?」

「確かに組織として見れば全く侮れないが、個々の兵は然程さほどではない。任務には命をす一方、時として烏合の衆と化す。命令に不備があり、メンテナンスや我々よりもこの場を離れる方を優先したなら……いや、そんな馬鹿げたミスが有り得るのか?」

「もし本当に罠だったら、今から戻ったって笑われますよ」


 現状への純粋な感想であり、勝算など無く強がりでもない。

 生への執着が無く、今日終わっても一向に構わない。


 俺の本性はともかく、言葉に納得したらしい大佐がうなずく。


「君の言う通りだ……先を急ごう」





□scene:03 - 豪奢な廊下



 階段を上がり、突き当たりの扉が開いて深い絨毯が敷かれた廊下に出る。

 壁と天井は木に重厚な装飾が施され、誰の目にも〝豪華な屋敷〟と映るだろう。


 窓が無く薄暗い中、大佐が扉に目を凝らす。

 地下側には操作盤があった扉が、こちらは周囲の壁面と同じ装飾のみ。


「隠し扉の奥に秘密の地下牢……やはりあるじ個人的プライベートな施設か」

「〝個人的プライベート〟?」

「奴らの手に落ちた後に脱出、若しくは救出できた兵たちから、収容される事自体が責め苦となるほどに不衛生な穴蔵にいたと聞いている。一方で国連や周辺国から我が国の求めを受けて参られた使節が拉致されたときなど、寝食に不満がなかったどころかよこしまなもてなしを受けた噂まで……そして……とにかくは賓客として遇すべき、或いは何らかの理由で手許に置いておきたい虜囚を確保しておく場所だろう」


 テロリストの事情など知らず、専門家に意見する知識も無く聞くに徹するのみ。

 そして残ったのは、単純で素朴な疑問。


「〝あるじ〟の施設なのに、見張りも誰もいないんだ」

「部下を信頼していないからさ」

「〝信頼〟? 〝信用してない〟じゃなくて?」

「奴らの間に、共に戦い護り合う信頼関係など無い。特に指揮官クラスは兵と距離を置いている。トップさえ安泰ならば兵がどうなろうと補充すればいい、それが奴らの基本原則ドクトリン。急襲した他の拠点も司令部周辺は強固に造られていたが、ただ護りのためだけでなく、いざとなれば兵を捨て駒にしトップだけが生き延びる構造でもあった。確かに戦場では、一人ひとりの生命をひとつの駒として死地に送らざるを得ない局面ときもある。しかし奴らの作戦それには一切の情が無く、兵を人数すうじでしか見ていない。直属の者たちもそれを願って望み、よろこびさえ……そんなはずがない、しかし、と考え理解わかった瞬間とき、背筋に冷たいものが走ったよ」

「捨て駒にされてもいいのが山といる集団……」


 そんな風景を〝狂信的〟とでも呼ぶのだろうか。

 改めて縁の無い価値観は理解できないと確認。

 そして微妙にうなずける価値観に嘆息。


「個人的に監禁しておく地下牢……ね」


 日本の多様なコンテンツを知る身としては、先ず思い浮かぶのがエロ目的。

 現実は冴えない男子高校生と屈強なオッサンなのが現実的。


 大佐の強靭な肉体からだは、ある種の趣味な方々に需要がありそうだが。

 そのおとこらしい声が、俺を誘う。


「見てくれ」


 うながされたのは、彼ではなく隠し扉の地上側。

 煌びやかな細工が埋め込まれた中に光が見える。


 触れようと伸びた指を自重、顔を寄せて目を懲らす。


「これ……タッチパネル?」


 アイコンのデザインや文字らしき文様が並び、時折滑らかにアニメーション。


 大佐が指を走らせ、表示内容を変えていく。

 まるで読めない文字が気になり、指を止めた頃合いを見計らって声をかける。


「わかります?」

「辺境奥地に伝わる古い文字……それに〝似ている〟と言えるほどの書体フォントで、意味を予想するしかできないが」

「〝テロリスト〟だから政府の転覆を狙ってるわけで、地方の言葉を使うのはそこのヒトたちの勢力だから?」

「いや。我が国は公用語で統一されて久しく、いにしえの言葉を理解できるのは専門教育を受けた者のみ。そうまでして王国を否定したいのか、限られた者のためか……」


 個人的な地下牢まで有するとなれば、選民思想からの後者が妥当。


 タッチパネルに指を滑らせていた大佐が、映し出された地下の監視映像を睨む。

 そこにはベッドに横たわる俺と、座って俺を見守る大佐の姿。


「地下のセキュリティが、生存者を避難させるために生体反応のある部屋とこの扉を解放する〝緊急モード〟になってフリーズしたようだ。あの部屋に我々がいるように見えるのも、動かない映像が送信され続けているからだろう。他に誰もいないから、我々さえ無事なら表向きは何も起きていない。だから警報は鳴らず誰も駆け付ない」

「凄いシステムなんだろうけど、完全無人は無理があったか」

「とにかく今は、幸運が重なったと思って先に進もう」

「〝幸運〟ね……」


 独裁的な組織のトップならミスを揉み潰せるし、部下は怖れて見ないフリ。

 そして現実世界に〝絶対〟は有り得ない。

 今までも不具合はあったが、表面化していなかっただけだろう。





□scene:04 - 豪奢な玄関ホール



 豪奢な廊下から、さらに豪奢で広い空間へ。


 正面に大きな扉、深い絨毯が訪れた者を奥の扉や階段へといざなう。

 左右には窓が並び、天然の陽射しが差し込んでいる。


 はやや傾き、壁に掛けられた時計も間も無く夕刻を指す辺り。

 その陽射しを受け、左右の壁沿いに飾られた品々が煌めいていた。

 貨幣や札束の山に絵画や彫刻が埋もれる様は、文字通り〝宝の山〟。

 世界各国の貨幣や紙幣は、世界各国で暗躍しているからに他ならない。


 ヒトの肉体からだ精神こころを破壊する他に使い道の無さそうな道具も大小様々。

 尊厳をわら生命いのちもてあそぶ品揃えは、〝悪趣味〟と形容するしかない。


「テロリストのアジトって、もっとこう戦闘的? かと思ってた。埃っぽい石の壁に銃が沢山立てかけてあるとか」


 周囲を警戒しつつ慎重に足を運ぶ大佐が、俺を見ずに答える。


「末端の兵に辺境の若者がいるのは確か、しかし大半は国外から入り込んだ者たち。大義を掲げ命をし戦う革命家などではない。我が国に寄生し、周辺の国々に武器や薬物、兵士すら売り捌く戦争屋たちだ」


 確かにこの部屋は〝革命〟よりも〝俗物〟が似合う。

 そいつらにどれだけの苦汁を飲まされたのか、拳を握りしめる大佐。


「周辺諸国には彼奴あやつらの仕業が我が国の所業と見做みなされ、自衛のために鎖国の継続を強いられ、それは奴らの拠点を護る事実ことに他ならず、その兵と武器で戦渦が拡がり、また我々の行いと……」


 理屈は単純だが、複数の国で事を成せているのはそれだけのちからがあるから。

 その実行力と資金力、そして外交力に孤立した小国があらがえるはずない。


 それはそれとして、拳を見つめる筋肉を眺める趣味は無く話を進める。


「窓から外が見えて立派な扉で出られそうですけど、ってやっぱ玄関ですよね。さすがに表から堂々は無理でしょうから、裏口を捜して……にしても、ここのあるじってどんな奴なんだろ? ろくなじゃないのは、を見ればわかるけど」


 豪奢な館の玄関ホールにあるじの趣味を並べて披露する、意図はわかる。

 世界中から世界の恥を集めたような品揃えラインナップを自慢されても、笑うしかないが。


 大佐が恥の山を忌々しそうに睨む。


「ここは奴の屋敷に違いない」

「何かわかったんなら、何とかなります?」


 相手がわかれば対処のしようもある話は、勝負事によくある話。


「いや……少年の運、ここで尽きたのかもしない。空路に近い前線基地のいずれかであればまだ望みはあったが、いきなり本丸に招待されていたとはな」


 不適な笑みの上を、冷や汗が滴り落ちていく。


「戦場で相見あいまみえるなら怖れはしないが、あらがすべの無い今は最悪の相手」


 世の中には子犬を蹴り上げ兎を踏み潰せる者と、絶対にできない者がいる。

 後者に属する俺に、大佐の言う〝最悪〟は計り知れない。


 よくわからないから無表情なままであろう俺に、大佐の案ずる表情かおが向く。


「怖くはないのか?」

「実感が湧かなくて。こんなふかふかの絨毯の上じゃ」


 強がっているわけではないし余裕があるわけでもなく、諦めが悪い自覚もない。

 何となくそう思った事をくちにしただけ。


 大佐は〝落ち着いている〟と評してくれたが、怖い物知らずに見えるとは思う。

 明日まで生きる意味を知らず、今終わっても構わないだけだが。


 ふと耳の表面が微かに震えた。


「ゥ……ァ……」


 そのは、冴えない俺でも威厳と風格に満ちた大佐のものでもない。

 自然と本能に従い向いた先に、はあった。


 地中海文明風の石柱に埋まる、美しくも艶めかしい少年の裸体。

 肘と腿から先が埋もれ、あばらが浮く胸を突き出す姿は柱の一部のよう。

 金の髪は透き通るようにきらめき、白い肌は大理石を磨いたよりも滑らか。

 俯く顔はよく見えないが、僅かに覗く口元だけでも美術品アートと呼べる美しさ。


 が石像でないのは、僅かに膨らみ収まる胸の突起でわかる。


「生きてる?」


 下半身に布が巻かれているが、隠す役目を果たす限界の繊細さ。

 極薄い布がで重なり見えないのに、透けているような気がしてしまう。

 呼吸でうごめく様は扇情的ですら……悪趣味には違いないが芸術性はこの部屋随一。


 大佐が眉をひそめてつぶやく。


あるじの趣味だ。同じようなものを見た事がある」


 言った通り、大佐は使すぐに出せる構造も知っていた。

 石柱の裏で大佐が仕掛けを操作、かせから解かれ落ちた美少年を俺が抱える。


 異国らしい八頭身を超えるバランスから長身と見紛うが、全てが小振り。

 日本で生まれ育った俺が思うよりも、幼いに違い無い。


 薄らと目を開けた美少年に語りかける。


「おい、大丈夫か?」

「ァ……」


 それは理解できない日本語への精一杯の返事か、ただの反射か……

 神話の世界から舞い降りたような整った顔に、鮮やかな金髪が張り付く。

 身をよじる仕草にちからが無くは焦点が定まらず、閉じないくちからは垂れるまま。


 石柱の裏から戻った大佐が、金髪になった美少年に狼狽ろうばい


「まさか……アレックス様!? 何とおいたわしい……クスリで正気を……」

「このコが誰か知ってるんですか?」

「それは……このような状況でみだりにくちには……許されたい」


 軍の階級で呼んでいるのは、当人が〝日本の文化に合わせたい〟と望んだから。

 その実、由緒正しい家の頭目でもあり王族の懐刀として重用されてきたとか。

 そんな人物ヒトがこの態度……いわゆる〝事無ごとなきお方〟なのだろう。


 美少年を大佐にゆだねる途中、その名画アートも霞む顔と向き合った。


「アレックス……か」


 いつか伯父貴が見ていたアニメに、そんな名前の兵器ロボがいたような気がする。

 この国でも勇ましい響きなら、その名を辱められた少年は悔しかったろう。

 流れ落ちるままの涙や涎をぬぐうと、彼のすがるように俺を見る。


 性質キャラだから焦りはしないが、急ぐべき局面ところなのはわかる。


「すぐに医者にせないと」

「最早慎重を期している場合では無い。取り敢えずここを出よう」


 その瞬間とき、空気の揺らぎと共に不快な臭気が鼻を突く。

 そして高く耳障りな男の声。


「せっかくご招待いたしましたのに、ゆっくりしていってくださいな」


 きつい香水オーデコロンの臭気を振りまきながら、小柄で痩せた男が一歩前へ。

 その後ろで二桁はいる兵士が、小銃を構えたまま左右に広がる。


 高そうなスーツに身を包んだ小男は、慌てる風ではなく声も落ち着いていた。

 地下は無防備ノーガードだったが、地上ここのセキュリティは正常に機能していたらしい。


 少年を抱えて動けない大佐の前に出る。


「誰だよ、あんた」

「ロウ……と、お呼びください。取り敢えずはビジネスマンと申しておきましょう。叔父上と同じ、目的のためなら手段を選ばないタイプのね」


 背は俺の肩より下、骸骨のように細く干涸らびて見える。

 やや長めの白い頭髪は薄いというより細く、それ以外に体毛は見えない。

 肌も白く目は黄色く濁るが、身に纏うオーラは不健康どころか活力に溢れている。


 笑顔が張り付いたような表情かおに隠され、真意は見えない。

 叔父貴と同じと言うが、そう言えなくもないのは得体の知れなさぐらい。

 真夏の砂浜ビーチで湯豆腐を売りさばく話術の持ち主は、あいてを見下し脅したりしない。


 小男が俺に向いたまま口角を上げる。


「叔父上は環境インフラ、私共はラヴ平和ピース。取扱商品が異なりますが」


 アレックスを抱える大佐がいきどおる。


「〝ラヴ〟? 〝平和ピース〟? 〝商品〟だと!?」

「そこに至る道具アイテムから演出プロデュースまで……世界の現実を言葉にするのは難しい」


 小男の後ろから、軍服を着た大男が前へ。


 その体躯たいくは、巨体と言える大佐より二回り以上巨大。

 体色は大佐よりも濃く体毛は漆黒、瞳は小男と同様に黄色系。

 整えている頭髪や髭は然程さほどではないが、胸元や袖から溢れる密林が暑苦しい。

 軍服が破れてか敢えて見せているのか、剥き出しの腕は俺の胴回りより太い。


「全てを理解できぬとも、恥じる必要はない。おのが役割を知った時に果たせばいい。ヒトはその程度も満足にできんのだから」


 背景の兵たちモブと同系の軍服からして、大男コイツがここのボスだろう。


 同じ異国のヒトでも、大佐は俺を理解しようとしてくれるし何より紳士。

 小男と大男は言葉こそ丁寧だが、格下相手に勝ち誇るような余裕が鼻につく。


 大男が、俺から見れば十分に大きな大佐を見下ろしわらう。


「やあ大佐。〝王国の護り〟と名高き貴男あなたをお招きできて、光栄の極みです」


 大男を見据えたまま、大佐が俺を庇うように前に立つ。


(彼はレスター大尉。かつては、我が国の軍人だった。外部勢力に組みしているとわかった時には……今や国軍を遙かに凌ぐちからを持つ)

(さっき言ってた〝最悪〟の相手?)

(密かに村々を襲い、自分同様に非道を楽しめる兵を選別、いつしか軍閥にまで育ち辺境を支配していた。軍を二分した戦いを経て人外の地へと追い出せはしたが、この有様だ。新兵の頃は、その体躯たいくで弱きを護る優しき男と聞いていたのだがな)

(無害だった寄生虫が育って、立派な害虫になったのか)

(村々を襲い捕らえた民や捕虜を相手にヒト狩りを楽しむ男だ。側近も獲物を貪れる鬼畜で固めている。少年が知る常識では理解できないだろうが……)


 一国の軍を率いる大佐の強張こわばった表情かおが、それだけの強敵と物語る。

 見た目は野蛮な野獣だが、ただ野心のみで暴走する脳筋ではないのだろう。


 緊張すべき場面だとは思うが、明日に興味がない性質キャラが思ったままをくちにする。


「日本語が上手いな」

「お褒めにあずかり恐縮だ」

「わざわざ俺に合わせてくれるなんて、サービス精神に溢れた扱いをどうも」

「多種多様な相手と共に生きる我々に、語学は不可欠でね」

「鎖国中に外国語、それもほぼ日本そこでしか使えない日本語に堪能とはね」


 大佐のように日本そことの交渉が目的なら有用なスキルだが、奴らはテロリスト。

 野心家だから外と組んだのか、外から誘われてその気になったのか。


 ただの感想を称賛か驚愕と受け取ったのか、得意気に手振りまで加える大男。


「下等生物にせない生き方には教養が不可欠なのだよ。ただ漫然と時間ときを棄てる、狭隘きょうあいな連中と一緒にして貰っては困る」


 アレックスを見れば〝嘆き悲しむ言葉がわかった方がたのしめる〟とも聞こえる。


 だが今は、密かに監禁していた対象が逃亡する直前まえに駆け付けた状況。

 さっさと拘束されて然るべきだが、圧倒的に優位な奴らはただ対峙するのみ。


 大男が、大敵であるはずの大佐を無視して俺に向く。


「この言葉は正確な意思疎通がため。君との交渉こそ我らの目的だからだ。本当は、かの叔父上とお話ししたかったのだがな」


 ただの男子高校生に遇する価値などなく、想定の内にあった展開。


「〝交渉〟? 叔父貴が何だって?」

理由わけあって旧時代の遺物を探している。それは小さく多く。この地球ほし中に散らばり隠され、しかし全て揃わねば意味を為さない……と伝わるのだが……」

「ほう……」


 部屋の片隅へ乱雑に積み上げられた金銀財宝が思い浮かぶ、

 特に拷問器具おもちゃやヒトサイズの飼育用具にしか見えない、悪趣味な玩具おもちゃが。


大男がわざとらしく項垂れ首を振り、落胆を主張アピール


「いつも叔父上の後塵を拝していてね」

叔父貴あのヒトに骨董趣味があるなんて、初めて聞いたな」


 それも悪趣味な玩具とは、伯父貴の印象とかけ離れている。


 〝一流商社の営業で日夜世界を飛び回っている仕事中毒ワーカーホリック〟が俺の認識。

 その一方で、親しい同僚には〝真面目にやれ〟と叱責されてもいた。


 ルール無用のテロリストを、仕事のに軽くあしらえそうなヒトではある。

 むしろ〝口出し無用の実績で世界的商社を利用している〟方が、


 ともあれ、俺がここにいる原因はやはり伯父貴あのヒトだった。


「叔父貴を交渉のテーブルに着かせるための餌かよ」

「叔父上にはそう見えるかもしれんな」

「じゃあ〝叔父貴の手がかり〟ってのも、あんたらの細工か」

「確かに彼について情報を流し、君がここに来るよう手を回した。だが全くの嘘ではない。彼がこの国で消えたのは事実なのだ」

「で? 餌らしくヘリか何かから吊り下げられて〝出てきて-殺されちゃうー〟って泣けばいいのか? よく知らずに言うけどさ、あんたらが捜していなかったとこにはいないんじゃないかな?」

「彼がいる可能性が僅かでもある場所を知っていたなら、こんなからめ手は使わない。君がこの国にいると知って姿を現してくれたらとは思うが、望みは薄いだろう」

「叔父貴を釣る餌じゃないなら、俺は何なんだよ。言っとくが、あんたらの探してるモノがどこにあるかなんて知らないぞ。そんな話、今初めて聞いたぐらいだし」


 大男が薄ら笑いを浮かべる。


「彼は既に興味を失い、集めた全てはいずれ君のものに……と、語っていたらしい。詳細は語れぬが、確度の高い情報と認識している。どのような手段で渡すのかまではわからぬままだがな」

「確かに世界のどこからか〝要らないからやる〟って、妙なものが届くけど」

「聞けば、君は他人ヒトにも物にも執着しないそうではないか。独り占めする気がなく、買いたいと申し出る他人を相手にしないとなれば管理者には適任と言える」

「俺のものになったら譲れ……そういう〝交渉〟か」

「叔父上の実績を思えば、いずれ言った通りになるだろう。その価値を知らぬまま、安易に手放されてはかなわん。だからこうして事前に機会を設けたわけだ」

「でも、何も要らない相手とは正立しようがないんじゃ?」

「ヒトは自らを最も知らぬと聞く。君も真に求める〝何か〟に気付いていないだけ、ではないかな? 相手の求めを探るのも〝交渉〟の内。我らにはヒトが欲する全てを用意できるちからがある。金、権力、ヒト……それが何であれ、必ずや君の眼前まえに揃えて見せよう」

「既によくわからないんだが、そこまでして欲しいって何なんだ?」

「実は我らもよく知らぬ。〝この地を手にしたくば必ずや先んじてそれを〟と、言い伝えられているそうなのだが……」

「大昔にあった国の象徴か何かで、この辺りの正当後継者を主張したい、とか?」

「いや、あれは……」


 小男が割り込み、大男が背を丸めて小さくなる。


「はいはいはいはい」


 大人しく後退する大男を見ると、ここあるじは大佐の見立てとは異なるらしい。

 大男が兵士たちと共に大佐を睨んで抑える一方、小男が俺に寄る。


「それはそれとして、交渉を続けましょう」

「あんたらの言いたい事は、まあ大体わかった……受けるかどうかは別にしてな」

「良いお返事です」


 小男を睨んだまま、後ろで大佐に抱かれたアレックスを親指で差す。


「でもな、をする相手と手を組む野郎に見えんのか? それに、取り敢えず俺をどうにかするつもりはないようだけど、大佐はどうする?」

「大佐の使い道は、お客人との交渉と無関係です。出会って間もない赤の他人より、ご自身の恒久的エターナル幸福ハッピーのお話しをしましょう」


 反政府組織に〝王族と近い国軍トップ〟の使い道など、いくらでもあるだろう。


 俺の前にある選択肢は、〝よく知らない紳士〟と〝明らかに糞な連中〟の二つ。

 後者が唱える恒久的エターナル幸福ハッピーなど、胡散臭いにもほどがある。


 小男のわらい顔が、嫌らしさを増す。


「誰にもとがめられずにありとあらゆる欲望……極上の悦びエクスタシーをおたのしみいただく事も。わざわざ遠い遠いこの国までご足労いただきましたのは、お国でははばかれる〝交渉〟をできるから……でもあります」


 最後の一押しとばかりに、ゆっくりねっとり気持ち悪くささやく。


「例えばソコの……お試しになります? 王家の味は格別だそうですよ」


 アレックスに舌舐したなめずりして見せた小男に、大佐がいきり立つ。


「貴様ぁ!」


 だが数十の銃口を向けられていては、憤怒の形相を向けるのが精一杯。

 手も足も出ない大柄な大佐を、面白そうにわらう小柄な小男。


冗談ジョークですよぉ♪ そう怒らないでくださぁい♪」


 気味の悪い笑顔のまま、俺に向き直る。


「残念ですが、の使い道は決まっておりまして。どうしてもと仰るなら、とてもよく似た……見た目と味なら寸分違わぬヒトをご用意いたしましょう」


 悪趣味に閉口しての無言を同意と解釈していたようだが、全くは無い。

 アレックスが女なら本能がうずいたかもしれないが、少年趣味も無かったらしい。


 連中のペースに乗る義理は無く、思った通りをくちにする。


「お気遣いなく。それよりさ、せっかくだしを案内してくんない?」

「〝〟を……ですか?」

「俺に協力させたいなら、にさせろよ」

「ほう?」


 俺自身が実感している通り無表情のままなら、小男には無視スルーできない提案のはず。

 眉間に皺を寄せた人間ブルドーザーに詰め寄られ、上半身が仰け反る。


「少年!?」


 上半身を仰け反らせたまま、顔を寄せた。


(このままじゃ手も足も出ない。隙を伺うにしても状況を変えないと)

(それは……)


 一歩前に出た自動小銃軍団てっぽうたいに〝怯んだ〟をし、半歩退く大佐。

 そして彼を〝押し退ける〟をしつつ、小男に向く。


「〝交渉〟したかったんだろ? どうせ〝手段を選ばない〟って方針ノリで捜したのに、伯父貴は見つからない。だから俺まで引っ張り出して慎重にお客様扱いしてんだろ。手札を出し惜しみしてる場合じゃないと思うんだが」


 一瞬鋭い表情かおになった小男が、不敵に微笑む。


「なるほど……では、こちらへ」

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