第38話 死者の葬列

 曹瑛が屋根を蹴って軽やかに降り立つ。

「曹瑛、お前投獄されていたんじゃないのか」

 榊が驚いて目を見張る。高谷もここにいるはずのない曹瑛の登場に唖然としている。

「外の空気を吸いにきた」

 曹瑛は涼しい顔で腰に手を当て、平然と扇子を煽ぐ。

「心配して損したぜ」

 榊が曹瑛を横目で見ながらぼやく。牢獄に閉じ込められているはずの曹瑛を救おうとここまでやってきたのに、本人は自由に外を歩き回っているとは。


「邪魔はさせない」

 憤怒に顔を紅く染めた青花が巨大な青銅の鼎に火を入れる。腰につけた巾着から取り出した万度羅の根に火蜥蜴の干物、冥蛇の鱗、夜長烏の風切り羽根を火にくべる。

 炎が青色に染まり、勢い良く燃え始める。周囲に甘ったるい花のような、しかしどこか腐臭を思わせる匂いが立ちこめ始める。鼎から湧き上がる青色の霞が広がり、窪地を覆い隠す。


「奴は蠱呪を仕掛けている」

 曹瑛が眉を顰める。窪地に低い唸り声が響く。声は反響しながら徐々に大きくなる。背筋がぞくりとするような恐ろしい怨嗟の声だ。

「お前たち、ここから早く逃げろ」

 榊は連れて来られた民たちの縄を切り、この場から離れるよう指示する。民はよろめきながらも支え合い、立ち去った。


「一体、何をしているんだ」

 窪地に青い煙幕が充満していく様に、高谷は青ざめる。不意に足首を掴まれた。

「うわっ」

 骨張ったその手は、いや髑髏だ。肉の無い骨格のみの手が足首を掴んでいる。高谷は驚いて尻もちをつく。獅子堂が拳鍔を振り下ろし、手首の骨を粉砕した。自由になった高谷は慌てて飛び起きる。


 窪地から髑髏の群れが続々と這い出してくる。骨は軋みを上げてまるでからくり人形のようないびつな動きでこちらに近付いてくる。虚ろな眼窩は何も映していない。

「うおっ、なんだこりゃ」

 普段冷静な榊も思わず叫び声を上げる。曹瑛は形のよい唇を歪め、青花を見据える。

「反魂の蠱術だ。術の中でも特に禁忌とされている。ましてやこのように骸と成り果てた者を呼び出すとは、愚弄の極み」

 曹瑛は扇子を構える。榊も気を取り直して弧狼で八相の構えを取る。


「屍だろうが何だろうか、利用できるものはするまでよ」

 青花は青く揺れる炎に肉の塊を投げ込む。術を強化する山羊の心の臓だ。炎はたちまち黒に変化する。曹瑛は青花に向かって走り出す。しかし、窪地から這い出してくる無数の髑髏に阻まれ、近付くことができない。

「くっ」

 曹瑛は刃を仕込んだ扇子を薙ぐ。頭蓋骨を吹っ飛ばすも、もともそ脳も神経もなく蠱術で操られている傀儡だ、怯むこと無く掴みかかってくる。


 榊と獅子堂も応戦しているが、多勢に無勢、じりじりと押されている。

 理不尽に殺害され、窪地に投げ込まれて弔いもなく朽ち果てた亡骸は執念深く絡みついてくる。

 一体が曹瑛の首を絞める。曹瑛は下腕の骨を扇子で断ち斬る。背後の髑髏が腰にしがみつく。肘鉄で腰椎をへし折っても放さない。

「埒があかねえ、うおっ」

 沓先に頭蓋骨が噛みついて榊は悲鳴を上げる。それを蹴り飛ばすと、目の前に襲いかかってきた三体が吹っ飛んだ。獅子堂は拳鍔で頭蓋骨を粉砕していく。皆の表情に疲労の色が見え始める。


「高谷、これを」

 曹瑛が高谷に黒い巾着を手渡し、耳打ちをする。

「うん、わかった」

 高谷は身を屈め、巾着を握り絞めて髑髏の間を縫って乱闘を抜け出す。髑髏軍団を操る青花は男たちが苦戦する様を哄笑しながら眺めている。その顔はまさに女夜叉だ。右目にとまる青黒い蝶が羽根を揺らめかせている。


 高谷は巾着の中身を取り出す。乾燥させた植物の葉が入っていた。微かに蘭花の香が漂う。これは茶葉だ。青花の背後に回り込み、隙を突いて青銅の鼎の中に投げ込んだ。炎は一瞬燃えさかり、黒から正常な赤色へと変化する。

「お前、何をしているっ」

 青花が高谷の姿を見つけて目を見開く。憤怒を露わに高谷に掴みかかろうとする。

「ぎゃっ」

 青花が仰け反る。肩口に曹瑛が投げた刀子が突き立っていた。


 蠱術が解け、髑髏たちは糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。一人残された青花に曹瑛が立ちはだかる。

「諦めろ。蠱獄殺を解け」

 曹瑛は青花を静謐な森の湖に映る冷たい月のような瞳で見据える。青花は怒りに身体を震わせている。


「先の解蠱の技、お前も蠱術師の家系だろう」

 青花は血走った双眸で曹瑛を見上げる。

「俺は蠱術師ではない」

 曹瑛は冷静に言い放つ。

「お前の祖先も遼河帝に迫害されたはずだ。祖先が三千年に渡り術を高め、受け継いできたものをあっさり棄てろと言われた。それを拒絶し、迫害された。一族の恨み、ここで晴らすのだ」

 青花は肩に突き立った刀子を抜き、投げ捨てる。


「迫害したのは白鷺帝ではない」

「下らぬ戯れ言を、お前は腑抜けだ」

 青花は曹瑛を断罪する。曹瑛は顔色ひとつ変えず、佇んでいる。青花が胸元から取りだした丸薬を地面に叩きつけた。目の前に黒煙が上がり、青花の気配が消えた。

「くっ、逃がしたか」

 曹瑛は小さく舌打ちをする。


「手負いの獣だ、何をするかわからんぞ」

 榊が馬に乗り森を駆けてゆく青花の後ろ姿を苦々しく見送る。

「おそらく、千都に戻り董正康に助けを求めるか、あるいは」

 蠱獄殺が封じられ、さらなる奥の手を用意しているかもしれない。曹瑛も奥歯をぎりと噛む。 榊は曹瑛の感情の読めぬ端正な横顔を見つめる。曹瑛の両親が薬師で、その腕前を知った何者かに連れ去られたという。


「高谷に託したのは強雀舌という茶葉だ。単体で解毒作用がある。ふざけた術に効くか賭けだった」

 何かいいたげな榊に曹瑛はそれだけ言うと胸元から煙草を取り出し、鼎の燃えかすから火を点けて吸い始めた。榊ももらい煙草に火を点ける。

「俺にもくれ」

「誰だお前は」

 曹瑛は不遜な態度で獅子堂を値踏みする。先ほどまで共闘していたというのに、この態度だ。高谷は呆れている。


「廃寺に棲んでいる鍛冶師、獅子堂さんだよ」

 二人の剣呑な眼光がぶつかる中、高谷が間に割って入る。

「鍛冶は趣味のようなものだ。本業は用心棒だ」

「曹瑛という。朱鷺山で茶を育てながら暮らしている」

 高谷の仲裁で曹瑛と獅子堂は無事自己紹介ができた。榊も内心ほっと安堵する。


「ところでお前の太刀、どうした」

 曹瑛が榊の太刀が新調されていることに目聡く気付いた。

「ああ、ライアンから天陽の魂鋼を横流ししてもらってな。獅子堂に精練してもらった」

 榊は弧狼を誇らしげに掲げる。陽光を反射して際立つ美しい波紋、見事な黒鉄の輝きを曹瑛は心を奪われたように凝視する。


「お前の仕事か」

「そうだ」

 曹瑛は獅子堂に詰め寄る。獅子堂は意外な圧に引き気味になっている。

「この扇子に仕込む刃を鍛えてもらえないか」

「すまんが、もう魂鋼は使い切った」

 曹瑛は榊を恨めしそうな目で見やる。


「ライアンに頼めば分けてもらえるかもしれないな」

「では、お前が頼め」

 曹瑛はやたら距離感が近いライアンが苦手なのだ。高谷は思わず吹き出す。

「それが人にものを頼む態度か」

「ならば、お前のその刀を一度溶かせ。短刀でも事足りるだろう」

「ば、馬鹿言うな」

 曹瑛と榊が不毛なやりとりでいがみ合う中、高谷と獅子堂は顔を見合わせて肩を竦めた。

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