第11話 典医の投獄
「ほら、そなたたちもどうだ」
「まあ、良いのですか陛下」
白鷺帝に勧められ、女官たちも末席に加わる。曹瑛の流れるような指の動きを恍惚と見つめ、振る舞われた真紅峰の上品な味わいに感激して溜息をつく。
「茶菓子です」
曹瑛は炒ったそら豆を取り出し、金箔の張られた皿に載せる。
これが菓子なのか、と思いながら白鷺帝は手を伸ばす。
「うん、甘味があってうまい」
白鷺帝はそら豆をいたく気に入り、次々口に放り込む。曹瑛はその様子を目を細めて見ている。
「こちらは手製の月餅です」
小麦粉と黍糖を練って作った薄皮の中に干した果実と小豆を潰して甘く煮た餡が入っている。卵黄を塗って焼いた表面はつやつやで、祝いの文様を型押ししてある。
「見事だ、これは曹瑛どのが作られたのか」
「そうです」
白鷺帝は曹瑛の多才な技術に驚いている。曹瑛は月餅を女官にも勧めた。程よく上品な甘さで、茶の旨味が引き立つ。
「そなたの腕には感服した。皇室専属の茶芸師にならぬか」
白鷺帝は興奮して机に身を乗り出す。
皇帝に招かれただけでも比類無き栄誉だ。皇室専属の技術者になれば、七代食うのに困らないほどの財が手に入ると言われている。通常なら断るものなどいない。
「身に余る光栄、しかし謹んで辞退します」
帝の誘いを断るなど、命知らずにも程がある。女官たちは驚いて動きを止め、奇妙な生き物でも見るように美貌の茶芸師を凝視する。
「皇室専属の茶芸師だぞ、最高の名誉を得られるのだ」
よもや断られるなどと想像もしていなかった白鷺帝は眉根を寄せる。
「山に暮らし、茶の木を育てる。旬の茶を片手に日がな一日書を読む。その暮らしはどんな名誉にも代えられません」
つまり、曹瑛は栄誉よりも自由を取るというのだ。何にも縛られない晴れやかな表情に、白鷺帝の胸は軋む。
「誰であれそなたの自由を奪うことができないようだ」
白鷺帝は寂しげに俯き、目を細めて自嘲する。
「そもそも、私はしがない趣味人です」
「朕は友が欲しかったのかもしれない。そなたのように取り繕うことなく本音を言える友が」
白露帝は孤独だった。周りの人間はおもねりへつらうか、恐れ多いと頭を上げることもできない。皇帝を前にしてこれほど遠慮のない物言いをする者はいない。曹瑛の飾らない心意気は新鮮であり、誠実に映ったのだ。
「安心してください、私にも友はおりません」
真顔で答える曹瑛に、女官たちは堪えきれず吹き出した。白露帝も思わず笑い出す。
「面白い男だ。専属でなくとも時には山を降りて茶を淹れてくれないか」
「気が向いたらそういたしましょう」
曹瑛は新しい茶葉を取り出し、湯を沸かし始める。庭に咲いた梅の枝にとまる鶯が春の訪れを告げた。
***
白露帝が若くして帝位について四年が経つ。一年かけて行われた継承の儀が終わり、これからいざ実務を始めようという時期に体調を崩し、公の場に出られなくなった。
政治はこれまで先帝を支えていた重心たちが和平路線を引き継いでおり、大きな混乱はない。しかし、国土が隣接する軍事国家、
皇帝不在に等しい遼河国は繁栄を謳歌しているかに見えて、緩やかな衰退の一途を辿っている。都市部では貧富の差が広がり暗殺や窃盗が横行し、政治力の届かぬ地では、蛮族の襲撃や飢えに苦しむ民がいる。
近隣諸国と友好を結び、民が安らかに暮らせる明るい世にしたい。白露帝はそう言いながら澄んだ瞳を向けた。
世の闇を知らぬ男だ、と曹瑛は思う。しかし、若き皇帝を嘲笑う気にはなれなかった。こんな世だからこそ希望は必要なのだ。
白露帝が咳き込み始めた。曹瑛が手首に触れて脈を測る。脈が弱い。
「陛下、ご無理が祟ったのですよ」
「さあ、お茶会はこれでお開きに」
女官は白露帝の肩に羽毛の外套を掛けてやる。白露帝は曹瑛ともっと話がしたい、と残念がった。
「曹瑛どの。約束だ、ぜひまた茶会をしよう」
曹瑛は宦官に身体を支えられ連れられていく白露帝を複雑な思いで見送った。
毒蛇事件は収束したらしく、回廊には文官や女官が行き会い、世間話に花を咲かせる姿があった。鳳桜宮を出る前に医局に足を向けることにした。華慈は少しは休めているだろうか。
医局の前に武装した兵が集まっており、若い医師たちが騒然としている。
「何事だ」
「曹瑛どの、華慈翁が此度の毒蛇事件の疑いをかけられています」
「なんだと」
曹瑛は驚愕に目を見開く。
曹瑛の調合した解毒茶により、多くの者が救われた。毒に効果のある茶を都合良く調達できたことで、そもそも事件の首謀者ではなかいかと嫌疑をかけられているという。
医局の格子戸が開いて、両脇を掴まれた華慈が引き摺り出される。連日の徹夜で疲弊しており、抵抗する力も残されていない。弟子たちが必死で止めようとするも、屈強な兵に乱暴に弾き飛ばされる。
「言いがかりも甚だしい」
曹瑛は捕縛を指揮する血気盛んな将校の前に歩み出る。
「華慈翁は無実だ。茶は俺が調合した」
「ほう、貴様が朱鷺山に住むという仙人か」
生え際の後退が甚だしい将校は歯茎を剥き出しにして曹瑛を威嚇する。
「仙人ではない」
曹瑛は将校に睨みを効かせる。その迸る怒気に将校は本能的な恐怖を覚え後退る。
兵たちが左右に割れ、黄維峰が姿を現わした。将校は慌てて拱手の礼をする。
「華慈は取り調べを受けることになる」
取り調べとは、地下牢に繋ぎ求める答えを言うまで鞭打つことを意味する。老体には過酷な責め苦だ。
「華慈ではなく、俺を掴まえるといい」
「ほう、見上げた度胸だな」
黄維峰は皺の刻まれた顔に歪んだ笑みを浮かべる。
「華慈どのは鳳桜宮の典医です。皇帝の病も診察されている。どうかご慈悲を」
一番弟子の呉要が黄維峰の前に跪く。黄維峰は冷ややかな目で呉要を見下ろす。
「帝の病は一向に治らぬではないか。老いたやぶ医者は淘汰されるべきでだろう」
黄維峰は腹立ち紛れに呉要を足蹴にした。
「おお、なんとむごいことを」
華慈は悲憤のあまり気を失った。兵たちは脱力した華慈を連行していく。曹瑛は皮膚に爪が食い込む程に拳を握り絞めた。
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