第10話 皇帝との謁見

 烏鵲楼の正面で騎馬隊が停止した。朱色の外套を羽織った男が赤毛の馬から降り立った。その両脇を甲冑を身につけた兵が固める。甲冑は緻密な装飾が施されており、実戦用ではなく様式美を重んじている。彼らは皇帝の使いだ。

 烏鵲楼の客たちは騒然となる。翡翠路の通行人も足を止め、一体何事かと興味津々で見守っている。


 朱色の外套の男は烏鵲楼の看板を見上げ、目的の場所がここで間違いないことを確認して店内に足を踏み入れる。

「曹瑛はいるか」

 張りのある声で名を呼ぶ。李海鵬は仰天し、悠々と煙草を吹かしている曹瑛の元へ駆け込んできた。


「曹瑛、帝の遣いが呼んでいる」

「ああ、聞こえている」

 曹瑛は椅子に横座りして堂々と脚を組んだまま慌てる素振りはない。

「伊織、すまないが小雪に餌をやってくれ」

「え、はい。わかりました」

 なぜ今なのか。伊織は不思議に思うが曹瑛の差し出した魚の乾物を持って池のほとりへ向かう。


「北騎校尉の芳徳と申す。白鷺帝の命により参った」

 芳徳は曹瑛を前に拱手の礼をする。皇帝の勅命を受けてここにやって来たのだ。異例のことに孫景は驚いている。劉玲は茶を啜りながら状況を見守っている。

「明日巳の刻、雲雀殿へ参内せよ。白鷺帝がお呼びだ」

「今夜には千都を立つ、それは無理だ」

 平然と帝の命に背く曹瑛に、周囲の空気が凍り付く。曹瑛は一体どういうつもりなのか、榊と高谷は顔を見合わせる。


 芳徳は眉根を寄せてひとつ咳払いをする。

「白鷺帝はお主に礼をしたいと言われている。此度の毒蛇事件、お主の調合した茶で皆が救われた。茶芸を披露せよとの命だ」

「礼には及ばない」

 曹瑛はかたくなに応じないつもりだ。皇帝に茶芸を披露する機会など、通常はあり得ないことだ。茶芸師にとって最高の栄誉になる。しかし、曹瑛はそうした勲功には一切興味が無いようだ。


 曹瑛のふてぶてしい態度に芳徳は困り果てている。腹立たしいのはやまやまだが、皇帝の恩人を無碍に扱うことはできない。

「せっかくのお招きや、行ってくればええやん」

「面倒だ」

「明日巳の刻やな、行かせるわ」

 劉玲は曹瑛にみなまで言わせず、代弁する。芳徳は劉玲の計らいに安堵し、厳めしい表情が和らいだ。


「店の前に迎えを寄越す」

「いらない」

 曹瑛は観念したようで、茶盤を持って店の奥へ引っ込んで行く。芳徳は説得に協力した劉玲に厚く礼を言い、部下と共に引き上げていった。

 一部始終を見守っていた李海鵬は胸を撫で下ろし、ほっと溜息をついた。曹瑛は誰に対しても態度を変えない。芳徳の忍耐強さに感謝するばかりだ。


「あいつ、面倒な奴だな」

 榊が腕組をしながら呆れている。しかし、皇帝を相手に我を通す様は痛快でもあった。

「帝への謁見は何しろ気い遣うからな」

 まるで謁見したことがあるような口ぶりだ。劉玲はその日暮らしだと言っていた。得体の知れない男だ、と榊は思う。緊張に静まりかえっていた烏鵲楼店内はまた賑わいを取り戻す。


「これはええ機会や、帝が蠱毒にやられてるか調べることができる」

 劉玲が曹瑛の謁見を強引に進めたのはそういう訳だったのだ。

「大事な話は終わったの」

 伊織が小雪と明美を連れて戻ってきた。榊は明美を籠に戻す。小雪は籠の中に頭を突っ込んでいる。

「曹瑛が明日、帝に謁見することになった」

 孫景の話を聞いて伊織は仰天する。それでは準備に忙しいだろう。霊薬を受け取るのはまだ先になりそうだ。


***


 翌朝、曹瑛は正装で一楼に姿を現わした。李海鵬と妻の柊明は壮麗ないでだちに溜息をつく。長い髪を臙脂色の組紐で高く括り、艶のある黒地に金の刺繍が入った羽織り、臙脂色の下衣に黒い着物、赤い紐の帯留め、紅玉の佩玉を下げている。凜とした美しい立ち姿に、店内の客の注目が否応無しに集まる。


「すまない、今日は店を手伝うことができない」

「何を言うか、帝への謁見の方が大事だ。しっかりな」

 老年に差し掛かる李夫妻は若い曹瑛を我が子のように思っている。

 曹瑛は帝に献上する茶と茶菓子を風呂敷に包み、背中側に袈裟懸けにする。黒毛の馬に軽やかに飛び乗り、腹を蹴る。


 金雀門で馬を降り門兵に名を告げると、すぐに門を通された。宦官が十名もやってきて丁重に迎え入れられる。

「白鷺帝が楽しみにお待ちです」

 赤い着物の猫背の宦官が回廊を先導する。雲雀殿は皇帝の別邸に当たり、親しい客人を迎える場所だ。今回の謁見は非公式というわけだ。

 頭上で交錯する空中回廊に立つ黄維峰が冷ややかな目で様子を見下ろしている。


 雲雀殿の奥に位置する茶室に案内された。格子戸を開け放した茶室からは弥勒園が見渡せた。茶室には沓を脱いで上がるよう命じられた。

「曹瑛どの、心より歓迎する」

 白鷺帝は白絹に金色の刺繍の施された美麗な着物を身に纏い、正座をして待っていた。両脇にはお付きの女官が控えている。

「お招き感謝します」

 曹瑛は白鷺帝の正面に座り、膝を揃えて拱手の礼をする。


 部屋の床が珍しい素材でできていることに気がつく。

「これは天陽国で使われている畳というものだ」

 独特の干し草の匂いが香る。板張りの床よりも温かく、座り心地が良いので脚に負担がかからない。曹瑛は天陽国の文化に感心する。


「お主は茶芸を得意とすると聞いた。朕に振る舞ってもらえないか」

 白鷺帝は曹瑛の茶芸を心待ちにしていたらしく、嬉しそうに微笑む。温和で優しげな佇まいに威圧感はなく、周囲に好感を持たれることだろう。先代の皇帝が早くに崩御し、二十歳やそこらで国を治めることになった。その心労は計り知れない。


「これは真紅峰といいます。幻の茶と言われ、朱鷺岩茶の中でも樹齢千年を越えるわずか三本の木からしか採れない希少な品種です」

 曹瑛は用意された皇帝専用の茶盤を前に、献上する茶を広げる。深みのある褐色の茶葉は美しい光沢がある。女官が火鉢に火を入れて湯を沸かし始める。


 曹瑛は沸騰した湯を茶器に注ぐ。

「こうして器を温めておく」

 陶製の茶荷に真紅峰をひとつまみ入れ揺すってみせると、茶葉がかんかんと涼やかな音を立てる。

「清らかな音がする」

 白鷺帝は目を閉じ意識を集中して耳を澄ませる。

「高品質な茶葉ならこうして音が鳴る」

 曹瑛は茶器の湯を茶盤に流す。


 茶葉を茶壷に入れ、高い位置から鉄瓶の湯を注ぐ。すぐに湯を棄て、もう一度茶壷を湯で満たす。蓋で灰汁を払い、蓋をする。体感で時間を計り、茶壷の茶を茶海へ注ぐ。流れるような優美な所作に思わず心奪われる。

「香りをどうぞ」

 曹瑛は聞香杯を白鷺帝の鼻先に差し出す。白鷺帝は鼻を近づけ、真紅峰の香りを楽しむ。

「馥郁とした良い香りだ」


 曹瑛は茶杯を差し出す。白磁の茶杯に艶やかな赤褐色の茶が映える。白鷺帝は口元を隠し、茶を口に含む。口内に深みのある味が広がり、花の香りが鼻に抜ける。喉を落ちたあとも余韻が心地良い。

「なんと素晴らしい。このような甘美な茶を飲んだのは初めてだ」

 白鷺帝はいたく感動している。普段、最高品質の茶を飲み慣れているはずだが、曹瑛の旨味を引き出す茶芸は群を抜いていた


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