第34話 反撃の狼煙

「立派な鍛冶場じゃないか。大したものだ」

 榊は腕組みをしながら感心する。棚には鍬や鎌、包丁が整然と並んでいる。獅子堂は畑で自給自足をしながら精錬した鉄製品を都へ売りに行き、小遣い稼ぎをしているらしい。

 古今東西の品が集まる千都でもこれほど見事に研ぎ澄まされた刃物は見たことがない。


「俺の祖父が刀鍛冶だった。最高の太刀を打つことを夢見たが、叶わなかった」

「それはどうして」

 高谷の問いに、獅子堂は黒光りする岩石を取り出して見せる。

「素材だ。鉄を打つには腕はもちろん、素材が肝になる。故郷の島で採取できる鋼は混じり物が多くてな。広大な国土を持つ遼河ならと思ったが、鋼は天陽のものに及ばない」

 各地からやってくる千都の商人に尋ねてみるも、質の良い鋼はお目にかかったことがないという。獅子堂はここに居座るのもそろそろ潮時だと肩を竦めた。


「良質な魂鋼があればどうだ」

「なに」

 獅子堂は眉をぴくりと動かす。榊は風呂敷包みを解き、ライアンから譲り受けた魂鋼を取り出した。

「ほう、これは並のものではないな」

 獅子堂は魂鋼を手にして吟味し、その質の良さに驚いている。


「あんたの腕を見込んで頼みたい。太刀を精錬してもらえないか。礼は弾む」

「会ったばかりの俺を信用するのか。こいつをただのくず鉄に変えるかもしれんぞ」

 獅子堂は不敵な笑みを浮かべる。

「あんたは物の価値がわかる男だ」

 榊は獅子堂を真っ直ぐに見据える。灰青色の瞳に濁りはない。職人の誇りにかけて良い仕事をしてくれるはずだ。


「引き受けよう」

 榊は獅子堂と固い握手をかわす。

「友が悪徳役人に嵌められて無実の罪を着せられた。救うために武器が必要だ。頼んだぞ」

「心得た」

 獅子堂はかまどに火を焚べ、精錬の用意を始めた。最高の素材が手に入り、奮起している。


「明日、千都に行く用がある。そのときに届けよう」

「翡翠路五の八に烏鵲楼という茶館まで頼めるか」

 獅子堂は頷き、作業に集中し始めた。


***


 烏鵲楼に戻ると、孫景が待っていた。昼餉の時間で一般客で賑わっている。烏鵲楼の日替わり盆は味よし量よしで大人気だ。近くの官舎で働く官吏や語学院の教員、鳳桜宮で勤めるものも足を伸ばしてやってくる。

 榊と高谷は屏風で仕切られた席につく。店主の李海鵬が湯を満たした焼水壷(やかん)と翠玉露を持ってきた。

「廃寺を鍛冶場にしている男と会った。面白い奴で、腕は確かだ」

 榊は新しい太刀の仕上がりが楽しみらしく、心なしか嬉しそうだ。


「こっちも収穫があるぞ。黄維峰と董正康の経歴だ」

 孫景が竹簡を広げる。鳳桜宮の蔵書庫である鳴鴞院には宮廷に使える官吏たちの経歴書も保管されている。本来は持ち出し厳禁だが、司書官を買収して手に入れたのだ。

「こいつらは同郷だな。千都の北三百里の城北鎮の出身だ。冬は河も凍る極寒の地だ」

 河が凍るとは一体どれほど寒いのだろう。高谷は想像しただけで身震いする。


「結紀、用意はできたか」

「うん、我ながら自信作だよ」

 高谷が羊皮紙を広げる。そこには黄維峰と董正康の精緻な肖像が描かれていた。孫景と榊は思わず驚嘆の声を上げる。高谷は鴻命殿の夜会に舞女として紛れ込み、二人の顔を記憶してきたのだ。

「陰険で厭味な顔だ。誰が見ても奴らだとわかる。結紀、お前には才能がある」

 榊に褒められて高谷は嬉しそうにはにかむ。


「経歴に汚れはない、ごく平凡だな。下級官吏として管轄の重春の県令から推薦されて都仕えになっている」

 榊が竹簡に目を通す。

「城北鎮のある地域はきつい北方訛りがある。訛りはなかなか抜けないものだ。しかし、奴らの言葉にそれはない」

「出身地が違う、つまり他人と入れ替わっているってことだね」

 高谷の問いに孫景は頷く。

「奴らを推薦した県令に肖像を見せて確認をしようというわけだな」

 しかし、と榊は形の良い眉を顰める。


「三百里では早馬で駆けても往復八日はかかるだろう」

 それまでに曹瑛や華慈が無事である保証はない。孫景も渋い顔で腕組をして思案する。

「重春の県令なら今千都におるよ」

 屏風の向こうから劉令が顔を覗かせる。椅子に腰掛けて悠々と脚を組み、手にした肉まんを頬張る。

「この間の普春江水害の義援金申請でな」

 劉令は宿泊している宿も押さえてあるという。遊び人を自称するこの男は謎が多い、と榊は思う。


「では宿を訪ねて済みそうだな。伊織の方はどうだ」

 別行動の伊織には大役を任せてある。榊と同じく、それは高谷も気がかりだった。

「伊織くんはなかなか肝が据わってるで」

 劉玲は不敵な笑みを浮かべる。楽しくてたまらないという様子だ。榊と高谷は怪訝な顔を見合わせる。しかし、根拠の無い自信がどこから来るのか不思議だが、この男ならどうにかしてくれる、劉玲にはそう思わせる度量があった。


***


 翌朝、朝靄の晴れた雲雀殿は宦官たちの歓喜の声で満ちていた。

「白鷺帝が快気なされた」

「肌つや、血色も良い」

「奇跡だ」

 弥勒園の石橋に立ち、池の鯉に餌をやる白鷺帝の姿は英気に満ちており、周囲を取り囲む女官たちの表情も明るい。


「朝餉を済ませたら保留にした政務を片付けよう。上奏文を重要なものから順に持ってきなさい」

 威厳と張りのある声音に、傍に傅いていた宦官は飛び跳ねるように立ち上がり、文官へ下達に走る。昨日まで死期も間近と囁かれていたことが嘘のようだ。

「陛下、ご無理をなさらぬよう」

 これまで死相な見えるほどやつれていた白鷺帝がこれほどまでに蘇るとは。女官は驚いている。

「すこぶる気分が良い。休養は充分取った。民のために奉仕しよう」

 白鷺帝は温和な笑みを浮かべる。その眼差しは強く、澄み渡る蒼天を見つめていた。


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