第13話 烏鵲楼夜会

「白露帝はもはや息の虫だ。ここまで長引かせず、早く始末をつければ良かったのに」

 董正康は漆塗りの耳杯になみなみと酒を注ぐ。楕円形の器の両端につく取っ手を耳になぞらえた名称だ。

「性急な男ね、即位してすぐに死ねば怪しまれるわ」

「無能な優男の面倒も見飽きた」

 董正康は忌々しげに酒を一気に煽る。


 再び耳杯に酒を注ぐと、青花がそれを掠め取る。董正康に挑発的な視線をやり、杯を傾けて飲み干した。白い喉が蠕動するは妙に艶めかしく、董正康は雄の欲望も露わに卑猥な笑みを浮かべる。青花のたおやかな腰を強引に抱き寄せ、蠱惑的な唇を奪う。

 回廊から軍靴の音が近付いてきた。


「華慈は投獄した。長くは持つまいて」

 格子戸を乱暴に開き、大股で入ってきたのは黄維峰だ。董正康は邪魔が入ったことに小さく舌打ちをする。

 青花は見せつけるように董正康の肩にしな垂れかかり、柔和な笑みを浮かべた。


「朱鷺山から降りてきた男、曹瑛といったか。何者だ」

「正体はわからない。華慈の古い知り合いのようだ。奴は油断ならぬぞ」

 黄維峰は藤の花の文様の螺鈿細工の長椅子に腰掛ける。

 曹瑛は怜悧で抜け目のない男だ。冤罪と知りながら華慈を捕えたがそれは策略のうち、真の狙いは曹瑛だ。曹瑛は蠱蛇の毒を中和する茶を調合した。並みの薬師にはできぬ芸当だ。


「我らの策を邪魔させる訳にはいかぬ」

 董正康は歯を軋ませ唇を歪める。

「日和見主義の皇帝とそれに従うだけの重臣どもからこの国を奪い、新しい国を建てる」

「ふふ、無論ですわ。次期皇帝陛下」

 青花は董正康の顎髭に白い指を絡ませる。この世の穢れを煮詰めたような女だ、と黄維峰は思う。繁栄を築いた王朝を滅ぼしてきた傾国の美女とはこんな女であろう。


「曹瑛は泳がせてある。華慈は獄中で奴に何か依頼をしたようだ」

「見張りを怠るな」

 黄維峰は頷いて踵を返す。

 背後で青花の嬌笑が聞こえる。皇帝は色を好む、結構なことだ。黄維峰は皮肉な笑みを浮かべる。


 黄維峰と董正康は同郷の仲間だった。貧しさゆえに平然と悪事を働いた。他人の財産を、ときには命を奪うこともしたが、良心の呵責など無かった。

 今は好期だ。偽りを重ねてここまで登り詰めた。皇帝を廃し、新しい秩序を作る。もう少しだ。黄維峰はほくそ笑む。


***


 烏鵲楼には明かりが灯っていた。通常ならこんな時間まで店を開けているはずはない。曹瑛は馬を軒下にくくり、警戒しながら格子戸の隙間から店内を覗き込みむ。


「帰ってきたか、待ち侘びたぞ」

 榊が杯を掲げる。そのまま劉玲と孫景と杯をぶつけ合う。その乾杯の音頭は何度目だろう、すっかり出来上がっていた。

 閉店後の店内では仲間内の酒宴が開かれていた。卓上には北方の家庭料理がこれでもかと並ぶ。


 羊肉と川魚の砂鍋に辛味が効いた華豆腐、甘辛だれたっぷりの口水鶏。寒さが厳しい北方料理は濃味だ。酒呑みの好みに合う。

「しっかり食べてくれ」

 李海鵬が皿に山盛りの水餃を運んできた。茹でたての水餃からあつあつの湯気が立ち昇る。

 

 曹瑛は椅子に腰掛け脚を組む。籠から茶葉を摘まみ、器に入れて鉄瓶の湯を注ぐ。緑茶の爽やかな香りは騒ついた心を落ち着かせる。上品な渋みがすっきりとした味わいを引き立てる。

 茶は手順の複雑な茶芸が必ずしも必要なわけではない。茶葉を入れて適温の湯を注ぐ。それで充分茶の旨味を楽しむことができる。


「瑛さんお酒は」

 伊織が杯を差し出す。

「あかん、曹瑛は酒が飲めんのや。ひと口で気絶しよる」

「黙れ、兄貴」

 曹瑛は劉玲を睨みつけ、唐辛子をたっぷりかけた醤につけた水餃を口に放り込む。臭みを取った羊肉とせりをこねた餡をもちもちの皮で包んでいる。せりのしゃきしゃき感が小気味よい。


「白鷺帝との謁見はどうやった」

 劉玲が身を乗り出す。それが気掛かりだったようだ。曹瑛はふと伊織の顔を横目で見やる。見れば見るほど白鷺帝に生き写しだ。顔を知る者がいれば伊織を見れば飛び退いてひれ伏すだろう。

 しかし、帝に間近で会える者はごく限られている。公の場では玉簾のついた冕冠を付けているため、よほど近くにいるものでなければ顔を認識するのは困難だ。伊織がのほほんと街中を歩いていても騒ぎにならないのはそのためだ。


「簡単な茶席を設けただけだ」

 帝に謁見というだけでも格別の名誉だが、曹瑛はのぼせ上がることもなく平然としている。

「わかったことがある。白鷺帝は蠱毒に侵されている」

 おもむろに飛び出した曹瑛の言葉に、孫景は驚愕を隠せない。劉玲はやはりという気持ちもあったのか、眉を顰めて無精髭の生えた顎を撫で始める。


「帝の体調不良は蠱毒が原因なのか」

「ああ、間違いない」

 榊の問いに曹瑛は頷く。

「皇帝に呪詛をかけるとなると、相応の力が必要になりますよね」

 酒が一気に抜け素面に戻り、寒気すら覚えて高谷は身震いする。


「千都には呪詛に対する結界が張られている。さらに鳳桜宮には強力な呪詛返しのまじないが施されている。そして白鷺帝はじめ皇族たちは満月の夜には身を清め、祈祷を受けている」

「それほど何重にも対策しているにも関わらず、白鷺帝は蠱毒に侵されているってこと」

 ことの重大さに伊織の顔から血の気が引いていく。


「せやな。それだけの守護を破り蠱術をかけるってことは相当能力の高い蠱術師や。術が強力なほど呪詛返しに遭えばただではすまへん。白鷺帝に蠱術をかけた術師は能力だけでなく度胸と覚悟があるということや」

 劉玲は腕組みをしながら唸り声を上げる。


「蠱毒の発生源は掴めないのか」

 後宮で発見された毒蛇の棺桶のように術の発生源があるはずだ。榊は酒を打ち止めにして茶を淹れる。

「蠱術師も命懸けだ、そう簡単にはいかないだろう」

 曹瑛は胸元の小箱から煙草を取り出し、燭台を引き寄せて火を点ける。


「一本くれ」

 煙草は原料にする草と製法で味が異なる。もらい煙草で吸った曹瑛の煙草は風味がよく、榊はいたく気に入ったようだ。


「毒蛇の棺桶が発見され、警吏を総動員して宮中を捜索したが、何も見つからなかったそうだ」

 蠱術師もまぬけではあるまい。蠱の源は宮廷の外にあるのだろう。孫景は忌々しげに頭を掻く。

 不穏な話の最中、甘味が運ばれてきた。曹瑛は桃の形を模した饅頭を手に取り口に運ぶ。中身は小豆を煮込んで黍糖で甘く味つけしたあんがぎっしり詰まっている。

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